499 大人か子供か乙女心か
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「ここがご主人様のご領地……!」
「どうだ、パティーナ。なかなかのもんだろう?」
「なかなかどころではないと思います……たった半年でこんなに賑わっているなんて……!」
目の前の光景に、わたしは圧倒されてしまっていた。
話に聞いていた通り、高く堅牢な防壁に取り囲まれた町は、どこもかしこも建ち並ぶ建物が想像を超えて遥かに大きかった。
でもその中に、ちゃんと普通の人間サイズのお店と屋台が、広場から東門へ続く大通り沿いに並んでいる。
町全体から見ればその数はまだまだ少ない。
だけど、少しずつ、でも着実に、この町がマイゼル王国の、ご主人様の領地の町として造り替えられ、人々が根を下ろして生活を営んでいるんだと思うと、感動すら覚えた。
そして何より驚いたのは、広場や通りで楽しげに料理を食べて、お酒を飲んで、歌って、踊って、収穫祭を楽しんでいる人達の多くが、人間以外の種族だったこと。
実家のリエッド子爵領にはほぼいないけど、王都でなら獣人やドワーフ、ハーフリングをたまに目にすることがある。
だけどここは、根本的に違った。
多くの種族と民族が、その違いと言う垣根を越えて、諍いもなく、誰もが等しくご主人様の領民なんだって、それを心から受け入れて今日を楽しんでいる。
この光景を作り出したのがご主人様なんだと思うと、そんなご主人様にお仕えしてお力になれることに、誇らしさが湧き上がってきた。
「紳士淑女の皆様、本日ご覧戴く演目は、こちらのご領地を治められるメイワード伯爵様が、まだただの貧しい農民でしかなかった頃、初めて生まれ故郷のトトス村を出て、王都へと――」
ご主人様の名前がふと耳に入って振り返ると、広場の一画に簡単な舞台が設営されていて、何十人と言う観客を前に旅芸人の一座が演劇を始めようとしていた。
観客はみんな目を輝かせて、前口上に聞き入っている。
「あの劇は、もしかしてご主人様が初めて殿下方をお救いしたときのお話では?」
「うっ……そう、だな。俺の領地で公演するんだから、これしかないって、申請時に押し切られちゃって……」
「ふふっ」
恥ずかしげに目を逸らすご主人様は、ちょっと可愛らしいと思う。
ご主人様を題材にした演劇は、殿下方を救い出し恋に落ちる恋物語、第二次王都防衛戦でトロルを圧倒する大活劇、ガンドラルド王国の王都へ攻め入りトロルを降伏させる冒険譚、アーグラムン公爵の反乱の鎮圧と殿下方を救い出す陰謀劇と、王都では何種類も公演されていた。
こうして改めて数えてみれば、たった一年でこんなにも舞台演劇の題材になる活躍をしてきたご主人様は、二人といない真の英雄なんだと、心から思う。
「ん? どうしたパティーナ、顔が赤いけど、寒くて体調崩したか?」
「い、いえ、大丈夫です」
アーグラムン公爵の反乱の鎮圧と殿下方を救い出す陰謀劇では、人質に取られたわたし達侍女やメイドを救出するシーンもあって、脚本によっては、救い出されたわたしがご主人様への恋に落ちたかのような演出が入ることもあって、ちょっとそれを思い出してしまっただけ。
わたしはそんな単純でも簡単でもないのに。
「伯爵様、お待たせ」
エレーナさんの声に、はっと我に返って屋敷の方へ視線を戻す。
「ああ、エレーナ。今日は人数が多いから、よろしく頼む」
「うん、任せて」
ご主人様の笑顔が、さっきまでとは全然違う。
エレーナさんは表情が変わらない、何を考えているのか分からない、感情が読めないと、わたし達の間では有名なのに、最近は優しく微笑むことが増えてきたように思う。
それも、ご主人様の前でだけ。
なんだろう。
この胸の中がモヤモヤするような落ち着かない気持ちは。
「もちろん今日もアタシも同行しますから」
「わたくしも本日ハ、ご領主様とご一緒させて下サイ」
「エメ兄ちゃん、お待たせ」
エレーナさんの後ろには、秘書のモザミアさん、少数民族のマージャル族で巫女姫と呼ばれているらしいリジャリエラさん、ご主人様の妹のエフメラ様が続く。
ご主人様の側は、あっという間に女の子でいっぱいになってしまった。
……何故だろう、落ち着かないモヤモヤが、さらに強くなったような……。
「昨夜も思いましたが、やはり噂通りのようですね」
メリザさんが、眼光鋭くその三人の様子を、まるで値踏みするように見ていた。
「メリザさん?」
「いえ、なんでもありませんよ」
澄まし顔になってしまったメリザさんの横顔からは、もう何を考えていたのか全く読み取れない。
さすがだと思う。
「ボ~~ス~~!」
「うわっ、ハウラ!?」
えっ!?
いきなり、獣人の女の人がご主人様に飛びついて抱き締めてる!?
し、しかも、む、む、胸がご主人様の顔に!
なんてはしたない!
「ボス、約束! 今日、一緒に回る!」
「ああ、約束だ。ちゃんと守るから、一旦離れてくれ」
「もう、ハウラ離れて!」
ご主人様とエフメラ様が引き剥がして、その獣人の女の人は不服そうに離れるけど、ご主人様より年上に見えるのに、どこか子供っぽいような……。
あっ、ハウラって名前、もしかして昨日話に出ていた、ずっと長い間心を閉ざしてしまっていた女の子のこと?
護衛のエレーナさんも仕方なさそうにしてるだけで止めないし、多分そう。
……ご主人様の周りに女の人が大勢いるのは、いつもの光景なのに。
みんなそれぞれ実家や繋がりのある貴族家の思惑があってご主人様に雇われていて、それはわたしも一緒なのに……何故かどんどんモヤモヤが大きくなっていく。
「パティーナは行かなくても?」
「もう、リリアナったら。わたしは来年で十四歳。もう大人になるんだから、あんな子供っぽいことはしないの」
「いや、そういう意味じゃ……本当にこの子はもう」
「だから子供扱いしないで」
リリアナったら、すぐお姉さんぶってわたしを子供扱いするんだから。
「よし、それじゃあ全員揃ったかな。顔が利く護衛や役人達を案内に付けるから、今日は心ゆくまで楽しんでくれ」
ご主人様の言葉に、どうするか悩む。
昨夜のうちに、ご主人様が馬を外した馬車に乗せてご領地まで運んで来てくれたのは、王城の館で働いている者達のうち半分の、わたしとメリザさん、リリアナとメイド達を含む、七人だった。
メイド三人と護衛の一人の四人が、ご主人様が付けてくれた案内の役人と護衛の人達と一緒に、別行動で回るみたい。
「ではわたしはエメル様と同道させて戴きたいと思います」
「そうか、分かった」
メリザさんは、ご主人様と一緒に回ることに決めたらしい。
「お館様、自分とパティーナも一緒にいいですか?」
「リ、リリアナ?」
リリアナがわたしの手を掴んで、手を挙げる。
「ああ、もちろん。じゃあメリザとパティーナとリリアナの三人は一緒に回るか」
ご主人様が笑顔で頷いてくれて、何故か心が浮き立ってしまった。
「良かったな、パティーナ」
リリアナの、ご主人様曰くのドヤ顔が、素直に感謝したくても出来ない。
それからご主人様が自らガイド役をしてくれて、名物料理の話や、それに必要な食材をいかに手に入れたか、栽培したか、などの、これまでの領地でしてきたことも一緒に語って聞かせてくれた。
その時のご主人様の活躍ぶりを側で見られなかったことが悔しいような、そんなご主人様がさらに王都でお仕事をされるのを支えられるのが誇らしいような、ちょっと複雑な気分になる。
そして、どうしてもモヤモヤして複雑な気分になってしまうのが……。
「ボス、あれ食べよう! お肉!」
「エメ兄ちゃん、あっち、あっちに他の領地の珍しいお料理があったよ」
ハウラとエフメラ様に両手を引っ張られているご主人様。
「ご領主様の周りハ、いつも賑やかデスね」
「本当にそうね。伯爵様を独り占め出来る時間って作れるのかしら」
「そうデスね、これハうかうかしていられまセン。わたくしも参戦しマス」
「あ、リジャリエラさん、ずるい、アタシも!」
「二人とも、少しは私に遠慮すべき」
リジャリエラさん、モザミアさん、エレーナさんまで、ご主人様の隣を奪い合う。
胸の奥がチクリと痛む。
ご主人様はもしかしたら、わたしと……わたし達と一緒に回っていることを、忘れてしまっているのかも知れない……。
大きく溜息が出てしまった。
「どうしたパティーナ、大丈夫か? もしかして人混みに酔ったとか?」
不意に側で聞こえたご主人様の声に、はっとなって、いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げる。
「い、いえ、大丈夫です。そ、それより他の方達は……?」
「ああ、ハウラとエフメラは好きなのを買ってこいって先に行かせて、他の三人には、ちょっと遠慮するように言ったんだ。今日はパティーナ達に町を案内して、領地を見て貰うのが主旨だからな」
「ご主人様……!」
何故だろう、ただ、ご主人様が案内してくれる……ううん、わたしが、わたし達が一緒だったことを忘れないでいてくれた、それだけなのに、さっきまでの憂鬱な気分が消えてしまっていた。
「パティーナ、リリアナ、メリザ、何か食べたい物や見たい物、聞きたいこと――っと、パティーナ危ない、こっちへ」
突然、ご主人様に肩に腕を回されて、抱き寄せられてしまう。
予期していなかったことに、あっと思った時には、すでにご主人様に抱き付くように、ご主人様の胸の中だった。
「おい、お前達、浮かれるのもいいけど、ちゃんと前を見て歩けよ?」
「へへっ、申し訳ない、領主様」
「お嬢ちゃんも悪かったな」
お酒に酔った上機嫌な声が二つ、謝りながら遠ざかって行く。
「思った以上にお館様と領民の距離が近いな」
「そうですね。ですが悪いことではありません。これもエメル様の人徳でしょう」
リリアナとメリザさんが何か言っている。
けど、わたしはもうそれどころじゃなかった。
「パティーナ、怪我は?」
「だ、だ、大丈夫、です……!」
「そうか、それなら良かった。っと、悪い」
「い、いえ」
ご主人様の身体が離れて、思わずほっとしてしまった。
だって、急なことに驚いて、心臓が早鐘を打っていたから。
「よし、じゃあ気を取り直して、案内の続きと行こう」
その後、ご主人様が何を言っていたのか、リリアナが何を言ってきたのか、よく覚えていない。
だってそれからずっと、何故か顔を上げてご主人様を見ることが出来なかったから。




