472 次なる開発とイチャイチャと 1
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王都から戻った翌日。
「おはよう、伯爵様」
「おはようエレーナ。今日の護衛もエレーナか」
「うん」
いつもと変わらない朝の挨拶。
でも、いつもと違うのは、エレーナの表情筋が大いに仕事をして、眩しい笑顔を見せてくれたことだ。
これまでは、エレーナを好きだって思っても、姫様とフィーナ姫に遠慮して、その気持ちにちゃんと向き合おうとしてこなかった。
だけど、ちゃんと向き合って、姫様とフィーナ姫にも認めて貰ったおかげで、エレーナはもう『俺の嫁』だ。
他の誰にも渡さない。
そう思うと、こう……触れたい、抱き締めたいって、胸の奥から熱いものが溢れ出てくる。
きっとエレーナは拒まない。
むしろ喜んでくれる。
だってもう俺達は、誰に憚ることもない、結婚を前提にお付き合いする恋人同士になったんだから。
改めてそう意識すると、顔が火照ってきてしまう。
「な、なんか照れるな……」
「うん……」
見つめ合ってるだけで妙に気恥ずかしくて、でも嬉しくて。
朝っぱらだけど、まだ仕事を始めてないし思い切り抱き締めてしまおうか。
なんてことを考えながらエレーナの方に一歩踏み出したところで――
「エメ兄ちゃんおはよう」
「伯爵様、おはようございます」
「ご領主様、おはようございマス」
――珍しい組み合わせの三人から挨拶をされて、断念。
慌てて伸ばしかけてた手を引っ込める。
「お、おう、おはようエフメラ、モザミア、リジャリエラ」
今のをバッチリ目撃されてたみたいで、三人の俺達を見る目が、爽やかな朝に相応しくない半眼だ。
「朝っぱらから、イチャイチャしていましたね」
「エフって者がありながら」
「わたくしとハ、いつイチャイチャして戴けるのでショウ」
「うぐっ……」
確かに俺は、もう守りの時間は終わりだ、これからは攻めの時間だ、って再び吹っ切って、自重しないで突っ走る、そう決めた。
でも、だからって、結婚を決めた直後のエレーナの目の前で――
『分かった、今日からみんなも「俺の嫁」な!』
『これから遠慮は無用だ。みんなで存分にイチャイチャしよう!』
――って、手当たり次第に他の女の子達に手を出せるかって言われると、そんな無節操な真似はさすがに出来ないわけで。
そんなことをしたら、エレーナが感じてる喜びも幸せも半減しちゃうに決まってる。
それに俺も、他の子のことを考えるのは、エレーナと二人、さっきみたいな嬉し恥ずかしな雰囲気をもうちょっと味わってからにしたいし。
何より、多分三人とも、伯爵夫人になって、この領地の領主の妻としての仕事をするもんだって考えてるだろうからな。
実際には、俺が王様になったら王妃になるんだ。
そこの所を確認しないでオーケーしちゃったら、詐欺みたいなもんだろう。
それを打ち明けるには、タイミングが、な……。
だからエフメラがまた癇癪を起こしたり、ボカボカ叩いてくるかなって、内心身構えてたら……。
「エフ、お仕事してくる」
不意にクルッと踵を返して走って行ってしまう。
「でハ、わたくしも失礼しマス」
何故か、その後に続くリジャリエラ。
「では伯爵様、お仕事に行きましょう」
「あ、ああ」
基本的に、会議で大勢集まったり来客があったりしない限り、俺が執務室で書類仕事をする間、エレーナは別室で待機するか訓練をしてて、仕事をしてる俺の側でべったり護衛をすることはない。
また後で。
そんな風に目と目で会話してから、モザミアに促されて二人で執務室へと向かった。
「なんだかエフメラの元気がなかった気がするけど……俺が留守の間、何かあったのか?」
執務室に入って椅子に座りながら、スケジュール帳と書類を片手に付いてきたモザミアに尋ねてみる。
「え、ええ、まあ……後で、アタシがフォローしておきます」
なんだか歯切れが悪いな。
どうしてモザミアが自分から進んでフォローを?
もしかしてモザミアと何かあったのか?
そんな俺の疑問が顔に出たんだろう、モザミアが慌てたように勢い込んでくる。
「ここは女の子同士、アタシに任せて下さい」
「そ、そうか? よく分からないけど……それじゃあ任せた。もし何かあったら言ってくれ」
「はい、分かりました」
こうもハッキリ『女の子同士』って、男の俺が首を突っ込むのは遠慮してくれって感じに言われたら、関わり合いは避けた方が無難だよな。
咳払いして気を取り直す。
「さてと、それでモザミアの話って?」
「はい、こちらの書類の事業を、是非アタシに任せて貰えませんか?」
改まるように背筋を伸ばすと、モザミアが手にした書類を差し出してくる。
「珍しいな、モザミアがそこまで積極的に事業を担当したいだなんて」
受け取って書類に目を通す。
それは、王都に行く前にナサイグと一緒に一気に仕上げた書類の一つ、メイワード伯爵領の観光資源の開発についての書類だった。
具体的には、当初予定してた通り、ウクザムスの北区と西区にトロルの屋敷や生活を再現した資料館を作ってトロルの像を置いて、トロルを直接見たことがない貴族や一般人に、トロルの外観やその恐怖を知って貰おう、さらに次の世代にトロルの恐怖を語り継いで忘れないで貰おう、そして有事に備えて貰おう、って計画だ。
加えて、新主要街道の北の関所のさらに北側にある、百を超える小山のようなトロルどもの墓標、第三次侵攻部隊迎撃作戦跡地を観光資源にして、新主要街道脇に資料館を建設して、当時の周辺地形を再現したジオラマに、トロルどもやグルンバルドン公爵領軍、そして俺と契約精霊達のフィギュアを配置して、当時の様子を再現しようって奴だ。
同時に、俺を舐めて見下してくる連中に、そんなトロルどもを全滅させたんだって、俺の『力』を間接的に知らしめるためでもある。
トロルへの憎しみを煽るつもりは毛頭ないけど、かといって今すぐ仲良く手を取り合えるわけでもない。
トロルどもがいつまた攻め込んでくる分からない状況は、恐らくまだ数十年は続くだろうから、俺がいるからってトロルの脅威を忘れて緊張感をなくされたら困るわけだ。
だから、こういう歴史を語り継ぐ歴史的な建造物や記念碑を後世に残すことは重要だと思う。
そういうことに力を入れてる国も領地も滅多にないだろうから、十分話題になるはずだ。
それに、ルグスの視察で、ルグスの鍛冶屋に仕事がまだ十分にないってことが判明して、俺の契約精霊達の銅像を作って、各町や村に設置する計画が立ち上がったから、それも観光資源として連動させたいからな。
貴族が宿泊出来る高級宿は、すでにガジ商会が領都のウクザムスと商業都市になりつつあるレグアスに建設を開始してくれてて、基礎工事は俺も手伝ったから、そう遠くないうちに完成して営業を開始するって報告を受けてる。
従業員の教育も順調って話だし、これならいけるだろうって、それらの書類をまとめておいたんだ。
「以前も報告したように、引き渡された奴隷達への仕事の斡旋や生活の支援、帰国事業の手配など、おおよその仕事が片付きました。加えて、引き渡された奴隷達を解放するための書類も順調に数が揃ってきていて、アタシの作業に余裕が出てきたので、新しい仕事を担当したいと思ったんです」
「それは、すごく助かるよ」
他にも着手したい仕事が色々あるし、観光事業を一部でも担当してくれるのはありがたい。
モザミアが普段より半歩近い位置から、さらに半歩近づいてきて微笑む。
「お慕いする伯爵様にとって、なくてはならない女になりたいですから」
「うっ……」
本当にもう、あれからことあるごとに、こうしてアピールしてきて、どんな顔をしたらいいのやら……!
守りから攻めに転じるって決めたおかげで、こんな風に迫られたら普段以上にモザミアが可愛く見えちゃうんだよ。
仕事も熱心だし、真面目にこなしてくれるし。
何より信頼出来るし。
もう、拒否する理由が全然ないんだ。
問題は、モザミアの父親のユーグ男爵がどう思うかだけで。
ただ、今は仕事中だ。
それに、さっきも思ったけどエレーナと結婚を決めたばかりだ。
「コホン。それじゃあ、その事業はモザミアに任せる。よろしくな」
「はい、お任せ下さい」
手応えを感じた心から嬉しそうな、実にいい笑顔だ。
嫌でも女の子として意識させられちゃうし、それが狙いなんだろうなぁ。




