461 責任の所在
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「エレーナが倒れた!?」
目を通してた書類を手に、思わずガタンと椅子から立ち上がる。
「はい、訓練中に突然倒れて意識を失ったとの報告がありました」
「訓練場だな!?」
報告してくれたプラーラの脇を抜けて駆け出そうとしたところで、素早く腕を掴まれる。
思いの外その力が強くて、後ろ向きにひっくり返りそうになってしまった。
「あらあら、伯爵様、慌てなくても大丈夫です。すでに屋敷のエレーナさんの自室に運び込み、寝かせてあります。まだ意識は戻っていませんが、お医者様のお話に寄りますと恐らく過労だろうと。命に別状はありません」
「そうか……危険はないんだな?」
「はい」
エレーナを心配して気遣う様子はあっても、普段と変わらないプラーラの様子に、本当に緊急性はないんだって、まずは一旦胸を撫で下ろす。
「訓練中ってことは、怪我は?」
「ガランド殿と模擬戦後、一度休憩を挟んで、再戦しようと立ち上がり向かう途中で倒れたと聞いています。打ち合いの結果や打ち所が悪かったなどではありませんから、大怪我をしたわけではありません」
怪我が原因じゃないなら、疲労で目眩を起こしたとか、貧血とか、多分そういうことなんだろう。
「見舞いは? 顔を見ることは出来るか?」
「いくら伯爵様とはいえ、未婚の女性が寝ている部屋に家族ではない殿方を案内するのは憚られるのですけど……」
頬に手を当てて、あらあらどうしましょう、みたいな顔になるプラーラ。
なんでそんなもったい付ける必要があるんだ。
しかも、チラチラと俺を見て。
「ちょっと顔を見るだけでも駄目か? プラーラが一緒なら問題ないだろう?」
何故かプラーラが小さく溜息を吐いて、苦笑する。
「分かりました。少しだけですよ?」
なんだろうその、仕方ない、みたいな生温かい眼差しは。
プラーラに案内されるまでもなく部屋の場所は知ってるけど、仮にも貴族令嬢の部屋を、それも本人が寝込んでるところを訪れるわけだから、プラーラに先導して貰う。
「エレーナさん、起きていらっしゃいますか?」
念のためって感じに、プラーラが控え目にノックして呼びかけるけど、返事はない。
「失礼しますね」
プラーラがそっとドアを開けて中に入る。
そうしてベッドで寝てるエレーナの様子を確認すると、小さく手招きした。
「お邪魔します」
俺も小声でそう断ってから部屋に入って、静かにベッドに近づいて、エレーナの様子を見る。
エレーナは微かな寝息を立てていた。
ただ、その顔色はあんまり良くない。
しかも、普段は表情筋が仕事をしなくて、あんまり感情が表に出ないのに、今はわずかに眉根が寄せられてて、苦しそうって言うか、辛そうに見える。
どう考えても、無理がたたったとしか思えない。
『ユニ、キリ』
医者の診察を信じてないわけじゃないけど、所詮はただの町医者レベルだ。
一応、メイワード伯爵領軍の専属の軍医ではあるけど、決して一流とは呼べない腕前だし、こういうときはどうしても医療が発達してた前世と比べてしまって、心許なさを感じてしまう。
みんなの健康は俺がコッソリ精霊魔法でなんとかしちゃうせいで、積極的に腕が立つ医者を探して雇用しようとしなかったせいだな。
もっとも、戦争と反乱のせいで各地で医者不足の上、ガンドラルド王国と国境を接する、元トロルの支配下の領地にわざわざ来たがる医者なんて、滅多にいないって言うのもあるけど。
『ヒヒン』
『心労もあったようです』
『そうか……肉体的だけじゃなくて、精神的にも負担を抱えてたのか……』
回復魔法で一気に癒したいところだけど、プラーラの目の前でもあるし、ほんの少し負担を軽くする程度だけに留めておく。
目が覚めて食事をして、回復に必要な栄養を補給した後なら、一気に回復させても身体に大きな負担は掛からないだろうし、何より不自然じゃないから、その時に改めて、だな。
「エレーナ、今はゆっくり休んで、しっかり回復してくれ」
エレーナの頭をそっと撫でて、それから部屋を出る。
俺の後から部屋を出てドアを閉めたプラーラが、大丈夫ですって微笑んだ。
「あらあら、酷いお顔ですよ。最近少し頑張りすぎていただけですから、数日ゆっくり休めばきっと大丈夫です。お医者様もそのように言っていましたし」
「ああ、十分回復するまで、エレーナにはゆっくり休んで貰おう」
プラーラと別れて執務室へ戻って、椅子に座ると背もたれに身体を預ける。
そして、天を仰ぐように天井を見上げると、頭を抱えるように両手で目を覆った。
「エレーナが最近無理してるの、気付いてたのに……」
だから、たまにユニとキリに頼んで、少しだけ疲労回復をして貰ってたんだ。
こうなる前に、ちゃんと止めるべきだった。
いや、それ以前に。
「俺のせい、だろうな……」
いつ頃からか、エレーナは思い詰めたように気合いを入れて、俺の護衛の仕事はもちろん、騎士としての訓練も、精霊魔法の練習も、あれもこれもと努力をし始めた。
まるで、俺の役に立つ人材にならないと俺の隣に居場所がないって言わんばかりに。
エレーナが努力してくれるのは嬉しいし、助かるし、必要なことだし、それで成果が出ればエレーナも自信が付いて、以前通りに戻るだろうって。
だから、回復魔法でフォローすれば、多分大丈夫だって。
ちょっと楽観的に考えすぎてたみたいだ……。
それに加えて、ハウラの件はまだそこまでじゃないとしても、それを契機にしてリジャリエラが前倒しで動いて、文官と武官達が遂に俺の結婚について話題に出して、モザミアが積極的に動き始めた。
しっかりした身分のご令嬢をとか、時間が残されてないとか、男爵令嬢はお呼びじゃないとか、それがさらに精神的な負担になってしまってたんだろうな……。
一人、反省してると、ドアがノックされた。
身体を起こして座り直して、それから『どうぞ』と返事する。
「失礼します、エメル様……酷い顔をしていますね?」
入ってきたのはナサイグだった。
「そんな酷い顔してるか?」
「エレーナさんが倒れたのは自分の責任だと、思い詰めた顔をしていますね」
そんなにあからさまに分かる顔をしてるのか。
「でも、事実だろう?」
「そうですね、半分くらいは。でも一番の理由は、エレーナさんが自己管理を怠ったせいでしょう」
安易な慰めも否定もせずに、きっぱりと言ってくれる。
「この際ですから単刀直入に聞きますが」
「うん? なんだ?」
「どうしてエレーナさんと婚約をされないのですか?」
「うっ、本当に単刀直入だな」
ナサイグの目は本気で疑問に思ってるみたいで、俺の真意を測りかねてるって顔だ。
「文官や武官達の言い草ではありませんが、いずれ側室は必要です。端から見ていても分かりますが、お互いに想い合っているのでしょう? こういう言い方はあれですが、エメル様の主義主張からすれば、渡りに船の状況のはず」
ナサイグは知らない。
俺が姫様だけじゃなく、フィーナ姫とも結婚しようと思ってることを。
それを知ってるのは、うちではメリザだけだ。
ナサイグが信頼出来る執事なのは、短いとは言えこれまでの付き合いで分かってるし、打ち明けても構わないと思う。
ただ、これまでタイミングがなかっただけで。
だから俺が、本当は無理に側室を迎える必要がないってことを知らないわけだから、そう疑問に思っても不思議じゃないよな。
でも、問題はそこじゃない。
問題のネックは、側室が必要か必要じゃないか、じゃないんだ。
「……俺にとっての一番は姫様だ。だから姫様が嫌がる事や泣かすような真似は絶対にしたくないんだ」
当然、フィーナ姫もだ。
二人が一番と二番で、それは絶対なんだから。
「そうでしょうね……殿下にしてみれば、複雑な心境でしょうね」
ナサイグが一瞬躊躇うように思案して、でも思い切ったように表情を改める。
「自分程度の者が殿下のお心の内をとやかく言うのは僭越で無礼なこととは思いますが、殿下も分かっておられるのでは? エメル様がこの方をと望まれるのであれば、反対はされないと思われますが」
そうだな。
だから姫様はフィーナ姫とのことを許してくれたんだ。
でもそれは、実の姉であるフィーナ姫だからってことが大きいと思う。
ほぼ同じ経緯を辿って俺と出会ったからフィーナ姫の気持ちが理解出来て、自分と血の繋がりがあるからこそ、自分の代わりに俺の子を産むことを納得してくれた。
それがほぼ同時期だったってのもあると思うし。
だからそれ以上はもう不要。
万が一、フィーナ姫との間に子供が出来なかったら、その時改めて側室を迎えるか検討すべき案件。
そう思ってるんじゃないかな。
今はナサイグと二人だけだし、丁度いい機会だから、その辺りのことを打ち明けてしまおう。
そう意を決して切り出そうとしたその瞬間、ドアをノックされる音が響いた。
ちょっと出端を挫かれた気分で『どうぞ』って返事をすると、入ってきたのは書類を手にしたユレースだった。
「領内の魔物討伐についての進捗報告――っと、取り込み中でしたか。出直します?」
「いえ、大丈夫です」
そうして貰おうかと思ったら、ナサイグが先に答える。
そして、俺に視線を戻した。
「せっかくですから、ユレース様の意見も聞いてみましょう」
まあ、ナサイグがそう言うならいいか。
ナサイグに伝えるのは別の機会にしよう、ユレースの前じゃ出来ないしな。
「僕で良ければ。それでお二人はなんの話を?」
「エレーナさんについてです」
「あ~」
なんかもう、それだけで色々察したって顔だな。
「僕も常々疑問に思ってたんですよね。なんで婚約しないんですか?」
ユレースにまで同じことを言われてしまった。




