45 認識を改める貴族達
その後、会議を続けられる雰囲気じゃないってことで、今日の会議は終了し、全ては次回に持ち越しになった。
執務室に戻って椅子に深く座ったアイゼ様が、大きく息を吐いて苦笑を浮かべる。
「ふぅ……確かに任せた意図は伝わったようだが、まさか国家反逆罪などと言い出すとはな。かなり焦ったぞ」
「まあ、正直俺も、今になって思えばやり過ぎだったかなって思わないでもないですけど……でも、原因の自分を棚に上げて、一方的にアイゼ様を糾弾して貶めて、王太子から引きずり下ろそうなんて真似を目の前でされたら、男として黙ってられませんからね。自分の『嫁』は自分で守る、ただそれだけですよ」
「う、うむ、そうか」
照れるアイゼ様、やっぱり可愛いな!
「しかし、だとすれば私は駄目だな……済まぬ。そなたを擁護し場を治めるつもりだったのだが、結局そなたに頼ってしまった」
「いいんですよ。外務大臣達に付け入る隙を作った俺が原因ですし、むしろ俺こそ済みません」
「そうだな、そなたは身分の差を、貴族を軽く見ている嫌いがある。そこはあまり感心は出来ぬな。そなたのためにも、気を付けた方がいい」
「はい、できるだけ気を付けます」
元日本人の感覚が残ってるせいで、どうしても人は平等って感覚が抜けきれなくて、この世界の封建制度に馴染めないんだよなぁ。
「うむ。それはそれとして、そなたには窮地を救って貰った礼をせねばな。あのままでは私は、次の貴族議会で王位継承権を放棄するよう貴族達に圧力をかけられて、逃れられなくなっていたやも知れぬ。いずれそなたと……だとしても、自ら放棄するのと、無理矢理放棄させられるのとでは、全然違うからな」
「じゃあ今夜、ドレスに着替えたらイチャイチャしましょう、二人きりで!」
「なっ!?」
「俺は今でもいいんですけど、男装コスプレくらいにしか思ってないし。でも、アイゼ様は……姫様は、その格好の時に俺とイチャイチャするのは嫌なんですよね? ドレスの時ならいいんですよね?」
「それは……その……」
「そうだ! もういっそずっとドレスのまま、姫様のままでいたらどうですか!? だって俺達の関係、何故かバレちゃってましたし、もう男装コスプレのまま過ごす意味ないですよね!?」
「そ、そのようなことはまだ無理だ! あの姿を、そなただけならまだしも、衆目に晒すなど恥ずかしくて出来ぬ!」
うーん、まだ心まで女の子になりきれてなくて、ドレス姿を見られるのが恥ずかしいのか……ドレスを着てても、クレアさんとか他の侍女とか第三者の目があると、どうしても王太子然として振る舞っちゃうみたいだし。
でもまあ確かに、今は戦時中だから俺達の関係を追求して混乱を助長してる場合じゃないって、当分は見て見ぬふりして問題を先送りする雰囲気に持って行ったのに、いつもドレスで過ごすようになったら、そんなの無視して今すぐ追求して下さいって言ってるようなもんだな。
外務大臣の罪についても白黒付けずに有耶無耶にして、せっかく反王室派を牽制して少しは大人しくなりそうなところを、また勢いづけちゃったら意味がない。
特に外務大臣には相当恨まれただろうし、今後どう出てくることやら。
「それよりもだ、そなたにあれほどの調査能力まであったとはな。あれだけの内容を、一体いつ、どうやって調べたのだ?」
「俺の調査能力って言うか、契約精霊に頼んで、ちょこちょこっと。ちょっとやばい方法なんで、技術を流出させたくないから詳しくは秘密です」
「そうか、分かった。詳しくは聞かぬ」
他人の思考を読めるってだけでも大騒ぎになると思うのに、記憶まで覗けるとか、やばすぎだろう。そういう能力者や妖怪のサトリなんかがどんな目に遭うか、何十回と見たからな。
「エメルにあれほどの調査能力があると知れれば、反王室派の貴族どもも、少しは大人しくなるだろう。ただ残念なのは、ブラバートル侯の弱味をあれほど握っていたことを知られてしまったことか。これで、不正の証拠など、またどこか分からぬ場所に隠すか処分してしまうのだろうな」
「ああ、それなら大丈夫です。さっき言った隠し場所は、分かってるうちの幾つかだけで、口にしてない隠し場所もありますから」
「それは……本当か?」
「脅しつつ、全てを暴けるほどの調査能力はないって油断させるために、敢えて言いませんでした。多分今ごろ、暴露してない隠し場所に移し替える算段でもしてるんじゃないですかね? まあ、仮に新しい隠し場所を作っても、またすぐ調べられるんで。言ってくれればすぐにでも取ってきますから、背任罪でも横領罪でも贈賄罪でも国家反逆罪でも、罪状は選り取り見取りで断罪できますよ」
「……そなた、本当に何者だ?」
唖然とするアイゼ様に苦笑を返す。
「ただの貧乏農家の次男坊ですよ」
◆◆
会議室を出て行くアイゼスオート殿下と直臣の平民エメルの背中を見送りながら、儂は溜息が漏れるのを止められなかった。
宮内府へ勤め早五十余年、宮内大臣となって二十余年。
幾度か戦争を体験するも、今回のような国家存亡の危機、そしてそれを救う英雄の出現など、どれもが初めての出来事であった。
しかも王太子がドレスを着て英雄の妻になると言い出すなど、前代未聞過ぎて、腰が抜けるかと思った。
これは決して、儂が年を取り過ぎて今時の若者の感性に付いていけない、などと言う話ではないはずだ。
作り上げられた英雄像に、おだてられ持てはやされ、勘違いし増長した平民が、傲慢な態度で頭のおかしなことを吹聴し始めた、そう思い込んでいたのだが……。
むしろ、そうであればどれほど良かったか。
あのエメルなる者、ただの平民ではない。
名だたる重鎮、貴族を相手に、礼儀を弁えぬ態度こそ目に余るが、そこらの平民のように貴族に物を申すことすら憚り恐れ戦くどころか、恐れを知らぬ堂々たる態度と物言いで、その瞳には知性の光が宿り、口調こそ感情的であったが、内容は理性的で論理的であった。
会議の最中に、暴言を吐いて割り込んできたときは、それみたことかと、このような者を重用するなど言語道断と、アイゼスオート殿下にきつく言い含めねばなるまいと固く決意していたのだが……。
「無礼者はお前だ! 俺はアイゼ様をお守りする王家直属特殊戦術精霊魔術騎士団の特務騎士として、外務大臣に国家反逆罪の疑いありとして、拘束し尋問することをここに提案する!」
まさか重鎮たる侯爵に国家反逆罪の嫌疑をかけるなど、儂の知る平民が出来る所業ではない。
会議が終わり次第、アイゼスオート殿下に処罰するよう進言せねばと慌てたものだ。
しかし、続く言葉は驚くべきものであった。
どこでどう調べたのか、ブラバートル侯爵の国家反逆罪の嫌疑は実にもっとも。
まず間違いなく、ガンドラルド王国の大規模侵攻を察知していながら情報を握り潰していたのは事実であろう。
その上でアイゼスオート殿下を陥れ国を混乱させ、フォレート王国を引き込みアーグラムン公爵と共に玉座を奪い取る算段だったのは、状況証拠だけでもはや十分。すぐさま拘束し、拷問してでも吐かせ、一族郎党極刑にすべきところである。
それほどの大罪であった。
しかし、エメルなる者の恐るべきところは、青臭い正義感から罪を暴いて裁こうとしたわけでも、功に逸ったわけでもない。
敢えて自らの調査能力を見せつけ、ブラバートル侯爵を見せしめにしながらも表立って罪に問わなかったことで、反王室派の貴族達の弱味を握り貸しを作ったことだ。
しかも危惧される内戦を避けた上で、逆らえばお前達の罪などいつでも暴いて裁けるのだぞと、実に効果的な警告であり、決定的な対立の構図にまで持ち込まないことで、反王室派を切り崩す余地と、中立や曖昧な立場を取る者達を取り込む布石となった。
当然、たかが平民ごときの尊大な態度に、腹に据えかねている者も多くいるに違いない。
儂も正直、腹に据えかねている。
しかしこれで立場を曖昧にしていた者達も、良くも悪くも王室派、反王室派に分かれていくのは確実。
これは一見すると地味ながら、効果は大きい。
明らかな敵より、旗幟を鮮明にしない中途半端な者達の方が、よほど扱いが面倒であるからな。
罪を見逃したことで、ブラバートル侯爵が感謝するとも、王室派へ寝返るとも思えぬし、苛烈な逆襲を呼び込む危険があるが……。
もしかしたらそれすらも計算の内で、それを誘い逆に罠に嵌めるつもりでいるのかも知れない。
あれでブラバートル侯爵は計算高く、風向きを見定める目は確かだ。でなければ我が国程度の小国は、もっと早くに窮地に立たされていたことだろう。
もしブラバートル侯爵の逆襲に倒れるならば、エメルなる者もその程度。
むしろ、本来であればそうなることが当然で、疑問を差し挟む余地はない。
しかし、もしブラバートル侯爵を返り討ち……ましてや万が一従えることが出来たとすれば、それは今すぐ極刑にするよりも、遥かに王室派を利するだろう。
すでに会議室を出て見えなくなった背中に、思わず心の声が漏れてしまう。
「読めぬ……」
あまりにも異質すぎて、全く読めぬ。
これほどの深謀遠慮、ただの平民の所業ではない。
少なくとも、力と権力を振りかざすことにしか目がいかない下級貴族などより、よほど知恵が回り貴族的だ。
敵に回せば恐ろしい相手となりそうだが……今その可能性は非常に低い。
ブラバートル侯爵に怒りの言葉を叩き付ける姿は、まごうことなき、惚れた女を守る男の姿であった。
あのような姿を見せられては、アイゼスオート殿下を裏切る姿は想像出来ない。
ならば今すぐ排斥するより、しばし様子見した方が良さそうだ。
そうして、この儂自ら見極めてくれよう。
ただし、どれほどの人材であろうと、王太子にドレスを着せて妻にするなど、ふざけた了見だけは許さんがな。
◆◆
「将軍、あのエメルなる者をどう見る?」
軍務大臣の執務室に戻ったイグルレッツ侯爵が、椅子に座るよりも早く尋ねてきた。
クラウレッツ公爵の屋敷で一度顔を合わせ、王都奪還後に状況を検分した俺の意見を聞きたくて、わざわざ会議後に連れて来たと言うわけか。
「結論から言えば、俺達軍部も旗幟を鮮明にする時が来たと思われます」
「しかし我らは軍事を司る。権力の中枢とは距離を取らねば、暴力装置として利用されかねんし、かといってクーデターを疑われても面倒だ」
「閣下、それはもはや無用の懸念です。時代は動いた、俺はそう思います」
イグルレッツ侯爵の眉間に深い皺が刻まれる。
軍部としてどの派閥にも取り込まれぬよう、中立たれるよう腐心してきたと言うのに、ここでどこかの派閥に……王室派に与するのは、納得がいかないのだろう。
しかし、この機を逃したくない。
「あのエメルという平民が、どのように王都を奪還したか、検分後の報告書を上げたはずですが?」
「ああ、読みはしたが……」
「お疑いになるのは当然ですが、事実です。つまり、再建した俺達軍部が束になったところで、あの平民と敵対した時点で全滅します。それだけの戦力を王家が手にした時点で、他の派閥に軍事力での勝利はあり得ません」
「将軍ともあろう男が、戦う前から負けを認めるか……」
「戦争はまだ続きます。次のトロルどもの侵攻で、本来であれば我が国は滅亡するところでしょうが……あの平民と手を組めば、滅亡を回避するよりよき敗北……いえ、勝利すらあり得るでしょう」
楽観的とも取られかねないが、トロルロードの精鋭三千を含むトロル兵五千を単騎で駆逐する戦力と連携すれば、決して絵空事ではない。
「もはや中立である意味は失われたのです」
「ううむ……」
「俺は何も我が身可愛さに進言しているわけではありません。愛する祖国を守るために、それが最善であると判断したまでです」
「それは分かっているが……」
「兵は神速を貴びます。王室派でより発言力を得るためには、まだ派閥が小さな今が好機です」
「仮にだが、アーグラムン公、グルンバルドン公、ディーター侯などの派閥――」
「俺に犬死にする趣味はありません」
皆まで言わせず、きっぱりと否定する。
ディーター侯は近年力を付けてきているが、それでもまだまだ力不足。
グルンバルドン公は南方一帯を手中に収めているが、トロルの侵攻で疲弊している。
アーグラムン公だけが唯一無傷で、最大戦力を保持しているが、ナンバーツーのブラバートル侯がやり込められた今、王室派との対立は避けられないだろう。
反王室派であるそれらの派閥が束になれば、王室派など風前の灯火だが、それはあのエメルという平民が現れるまでの話だ。
常識で考えて受け入れがたい事実であることは俺も認めるが、反王室派の貴族達は受け入れられないからこそ、あれこれ理屈を付けて現実から目を逸らしている。
だからこそ今が好機なのだ。
「俺は閣下を尊敬しています。出来れば袂を分かちたくないものです」
イグルレッツ侯爵がもし王室派以外に付く、もしくは中立を保つのであれば、訣別も辞さない。
その覚悟が伝わったんだろう、イグルレッツ侯爵は疲れたように溜息を吐いた。
「分かった、将軍がそこまで言うのだ、王室派入りを検討しよう」
「決断は一両日中、遅くとも数日以内に下して戴きたい。近日中に、再びトロルは動くでしょう。それがどれほどの規模になるのか不明です。トロルが動いてからでは遅いとご承知下さい」
「……善処しよう」