438 巫女姫リジャリエラ 1
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「リジャリエラ、王よりお召しだ」
「……またなんですかお爺様」
わたくしは、幼い頃から六属性に加えて命と心の精霊まで見えて、さほど大きくなる前に、その力を借りて癒やしの魔法を使えるようになった。
それは、お婆様や母様以上の感知能力と制御能力で、近年まれに見る強い力だったらしい。
力が強い父様と母様の娘だからだ、兄妹で結婚してその血を色濃く受け継いだ娘だからだと、部族を上げてのお祭り騒ぎになったそうだ。
だから、わたくしならもしかしたら初めて命と心の精霊のどちらかと契約出来るかも知れないと、父様と母様はもちろん、族長のお爺様とお婆様、そして部族のみんなから期待されて、先代の巫女姫の母様からわずか六歳でその地位を受け継いで、巫女姫としての務めを果たすようになった。
毎日、精霊に感謝の祈りを捧げて、マージャル族の庇護と繁栄を願う。
父様、母様、兄様、姉様から精霊魔法の使い方を学ぶ。
部族の意見をまとめた長老達から話を聞いて、部族の者達のために精霊魔法を使う。
そして、ことあるごとにアランジャラ王国の王に王城へ呼び出されて、王の権威と利益のために精霊魔法を使わされる……。
「お前の気持ちは分かるが、不満を表に出すな。お前は我が部族の要となる巫女姫なのだぞ」
「父様……」
「そうよリジャリエラ。あなたが不満を見せれば、王はマージャル族が叛意を持つと思い、我らを恐れるでしょう。部族の者達も、アランジャラ王国への不満を見せるようになります」
「母様……」
「そうだぞリジャリエラ。そうなれば、兵を差し向けられるかも知れない。我らには精霊の庇護がある。そう易々と負けはしないが、それでも部族の者に少なくない犠牲が出るだろう」
「兄様……」
「まだ子供のあなたにこんなことを言うのは酷かも知れない。けどね、あなたはもう巫女姫なの。常に誰かの目があると思って、どんな時も気を抜いては駄目。常に巫女姫として、部族のために振る舞わなくてはいけないのよ」
「姉様……」
わたくしは、巫女姫。
家族はまだ、わたくしをリジャリエラと名前で呼んでくれる。
でも、部族の者達は、大人も、子供も、そして友達も……もうわたくしを名前では呼んでくれない。
巫女姫と、敬い、大切にしてくれるけど、もう以前通りにわたくしのことを一人の女の子のリジャリエラとして見てくれる人はいない。
そう、それは家族でさえも。
「陛下、ウムンジェジェラ卿の治療が終わりました」
わたくしは恭しく、王に頭を下げる。
そうしろと、王に失礼がないようにと、王城で礼儀作法を叩き込まれたから。
本当は頭なんか下げたくない。
微笑みたくもない。
でも不満を顔や態度に出すと、家族に、部族のみんなに迷惑が掛かってしまう。
だから、どれだけ王が、貴族が、騎士や兵士が、侍女やメイドが、誰も彼もが嫌いでも、無理して微笑む。
たとえ、わたくしを、マージャル族を、まるで未開の蛮族のように蔑み嘲られたとしても。
「おお……足が……足がまともに動く!」
治療のための寝台から起き上がった隣国の侯爵、ウムンジェジェラ卿が自分の両足で立って、左足を踏みしめ、歩く。
ウムンジェジェラ卿は他国との戦争で左足に重傷を負って、治療の甲斐なく、引きずるようにしか歩くことが出来なくなったそうだ。
その治療に、毎日毎日、精霊力が尽きて気を失いそうになるまで、四十日以上かけて、ようやくまともに歩くことが出来るところまで回復させた。
「陛下、感謝致します。これで我が国のため、憎きあやつらと再び戦えると言うもの。前線を退き、生き恥をさらさずに済んだのも、ひとえに陛下の御威光のおかげです」
「うむ。苦しゅうない。余もウムンジェジェラ卿の力になれて嬉しく思う」
「おお、もったいないお言葉」
こんなのは茶番だ。
四十日以上かけて、毎日気を失いそうになるまで治療したのはわたくしなのに、ウムンジェジェラ卿はわたくしに感謝の言葉をかけることがない。
向けてくるのは、どうにかわたしをアランジャラ王国から奪い取れないか、その企みを宿した嫌な目だけ。
「ご苦労だったな。褒美を取らす」
陛下も、事務的にそう告げて、褒美の品をくれてやったんだからさっさと王城から立ち去れと言わんばかりの態度で、もうわたくしを一顧だにしない。
褒美の品として渡されるのは、いつもわずかばかりのお金と、日持ちする食料や綺麗な反物など。
でも、ウムンジェジェラ卿を始めとした、治療された他国の王族や貴族が王に謝礼として積み上げた金貨と財宝に比べたら、ほんのわずか、はした金程度に過ぎない。
何もしていない癖に、当然の顔でほぼ全てを自分の懐に入れて贅沢三昧だ。
それで、金をくれてやったんだから感謝しろとばかりに上から目線で物を言って、わたくしをまるで道具のようにこき使う。
わたくしは、一生ずっと、こんな辛い目に遭いながら生きていかないといけないのだろうか。
嫌だって言えたらどんなにかいいか。
拒んで逃げ出せたらどんなにかいいか
でも出来ない。
家族のために。
部族のために。
わたくしが八歳になって程なく、そんな辛い日々は予想もしなかった形で終わりを迎えた。
ガンドラルド王国がアランジャラ王国へ攻め込み、戦争が始まったのだ。
瞬く間に崩壊する戦線。
亡国の危機。
国外へ逃亡する貴族達。
そんな話と共に、王から自治権を剥奪し一つの国としてまとめる、即時兵を出して共に戦え、との命令書が届けられてしまう。
いつか来るのではと恐れていた自治権の剥奪。
勝っても負けても、マージャル族に明るい未来があるとは思えなかった。
しかもそれには、一つの無体な命令が含まれていた。
「どうして姉様が!?」
「王のお召しなのよ、仕方ないの……」
「追い詰められた王と貴族どもの矛先が、今我らに向くことだけは避けなければ……」
母様とお婆様が辛そうに、目を背けながら言う。
「あの王やアランジャラ王国がどうなろうと、我らの知ったことではない。しかしアランジャラ王国が滅びた後、我らだけでトロルと戦い勝利することは不可能だ。ならば、アランジャラ王国と共に戦い、少しでも勝率を上げる以外に、我らが生き残る道はない」
お爺様が拳を握り締めて、苦渋の決断を下す。
それは、姉様があの王に奪われると言うこと。
マージャル族が裏切って逃げ出さないように、族長の孫娘を人質にしようと言う、あの王や貴族達が考えそうなことだった。
「姉様、行かないで!」
「リジャリエラ……父様と母様と兄様、そして部族のみんなのことをお願いね」
縋り付くわたくしに、姉様は巫女姫なんだからしっかりしなさいと微笑んだ。
でも、微笑みを浮かべていても、涙を流していなくても、姉様が泣いてるのは分かった。
それなのに、わたくしは何も出来なかった。
姉様を引き留められない。
王の無体な命令を撥ね除けられない。
そんな無力な自分が情けなくて悔しくて、誰にも見られないよう、村の外れで一人泣いた。
側室として無理矢理王城へ召された姉様の立場を考えると、少しでもマージャル族が活躍して手柄を立てる必要があったことは分かる。
だから、王が自分を守るための壁や囮としてマージャル族を使ったとしても、部族のみんなは死に物狂いで戦ってくれたそうだ。
そのせいで、部族の戦士達を率いて先頭に立って戦ったお爺様と、先々代の巫女姫として回復魔法で治療に当たったお婆様は、他の多くの戦士達と一緒に、戦場に散ってしまった。
それなのに、そこまでしたのに……結局、戦争には負けてしまった。
わずかに生き残ったわたくし達はトロルに降伏して捕らわれ奴隷になり、王族と貴族達の多くが処刑されて、姉様がわたくし達家族の元へ戻ってくることはなかった。
そうして、アランジャラ王国の王よりも横暴なトロルの顔色を窺い、理不尽に目を付けられないように従順に働く、そんな奴隷としての生活が始まった。
王にいいように使われ、下げたくもない頭を下げ、不満を飲み込み微笑む。
あの辛い日々よりも、さらに辛い日々が来るなんて……思いもしていなかった。
辛かった。
苦しかった。
泣きたかった。
でも、父様は新たな族長として、母様は元巫女姫として、兄様は次期族長として、泣き言一つ言わず、部族の者達を宥め、慰め、励まし、まとめていたから、わたくしも巫女姫として、泣き言を言うわけにはいかなかった。
だから気を張って、奴隷としてこき使われる日々の合間を縫って、病に倒れた者を癒し、怪我をした者を癒し、亡くなった者を見送り、精霊達に庇護と感謝の祈りを捧げ続けた。
そう、部族のみんなが精霊に祈りを捧げ、それを心の支えに、心の拠り所にしているから、巫女姫のわたくしが率先して祈らないわけにはいかない。
庇護と繁栄の象徴として、先頭に立って、みんなを導かないといけない。
それが巫女姫の役目だから。
でも……。
それは、ただひたすら、その日を無事に過ごし生き延びることばかりを考える、生きる意味を見出せない、生きる意味なんて何もない、そんな毎日だった。
そんな無為な日々を繰り返し、気付けば六年近くが経っていた。
わたくしもようやく成人を迎え……肺を患い、吐血した。




