40 王城での新生活 エメル フィーナシャイア
姫様とお姫様が王城での生活を再開したから、俺も王城で暮らすことになった。
与えられた部屋は、さすがに王族の居住スペースになる館じゃなかったけど。
王城の一角には、王城に逗留する貴族が宿泊するための館が幾つかあって、その裏手にはその貴族に同行してる使用人や護衛が泊まるための宿舎がある。そんな宿舎の、それも隊長クラスの騎士が寝泊まりする立派な部屋が用意されていた。
部屋の広さや豪華さで言えば、次期公爵の屋敷の客室の方が上だったけど、それでもただの貧乏農家の次男坊に与えられる部屋としては破格の待遇だ。
ちなみに、新設された王家直属特殊戦術精霊魔術騎士団は名ばかりの騎士団で、所属する騎士は俺一人しかいないから、暫定的に俺が騎士団長ってことになる。
まあ、肩書きだけだとしても名乗らないけど。
実務なんてなんにも出来ないし、騎士団長達が集まる会議にだって参加してないし。
それで本来なら騎士団ごとに宿舎があって、騎士団長には専用の部屋が与えられるそうだ。
だから俺に対してもそうするべきなのにって姫様やお姫様に謝られちゃったけど、そもそも俺一人のために騎士団の宿舎を建てるなんて無駄もいいところだしね。
あと、普通騎士には騎士見習いや小姓が世話係で付くらしいんだけど、俺から騎士のなんたるかは学べない。
その上、その手の人達も王城陥落時にかなり殺されてしまってるそうだから、付けられる人員も足りてない。
と言うわけで、メイドさんが一人付くことになった。
それも、結構なおばあさんが。
「お初にお目にかかります、メリザと申します。本日よりエメル様の身の回りのお世話をさせて戴くことになりました。ご用があればなんなりと遠慮なくお申し付け下さい。よろしくお願いいたします」
「エメルです、よろしくお願いします。えっと……こんな離れ? みたいな場所で、俺みたいな平民のなんちゃって騎士の世話なんかさせちゃって済みません」
自己紹介を受けた後、なんとなく頭を下げて謝っておく。
だって、白髪で皺もいっぱい刻まれてるのに、背筋がピンと伸びてて、動きもかくしゃくとしてて、いかにも『ばあや』とか『メイド長』とか呼びたくなる、威厳たっぷりのおばあさんなんだもんさ。
「わたしのような者に頭を下げる必要はございません」
そしたら、すぐさまこう言われた。
それも、聞いてて思わず背筋がピシッと伸びてしまう、ちょっと叱られてるんじゃないかって気がしてしまう口ぶりだ。
「両殿下より、エメル様は両殿下の命の恩人でとても大切な方だとお伺いしております。ですので、平民であるとか、なんちゃって騎士であるとか、そのようなことは一切関係がございません。王都奪還の立役者、救国の英雄のお世話をさせて戴くことを誉れと思い、誠心誠意お仕えさせて戴きます」
本心からそう思ってくれてるのが分かる口ぶりなんだけど、なんとなくニュアンスが、『だから軽々しく使用人に謙ったり頭を下げたりせず、英雄らしく堂々としていなさい』みたいな説教も兼ねてるような気がする……。
長年王城に勤めてる相当レベルが高いしっかりしたメイドさんみたいで、姫様とお姫様が気を遣ってこれだけの人材を俺に宛てがってくれたんだろうけど……正直言えば、多少抜けてても、もっとフランクに接していい、可愛いメイドさんの方が良かったなぁ。
「それではエメル様、礼服よりお着替えを。お手伝いいたします」
「えっ!? いや、着替えなら自分でしますから」
「これもわたしの仕事です。わたしの仕事を取られては困ります。何よりこういうことにも慣れて戴かなければ、先々困るのはエメル様です」
「ちょっ、待っ、脱がさないで!? アーーーーーッ!?」
マザコン属性までならまだしも、万が一熟女……いや、おばあさん属性まで付いたらどうしてくれるんだ!?
◆◆
「お帰りなさいませ、フィーナ様」
部屋に入ったわたしを迎えてくれた数人の侍女達が深々と頭を下げます。
この侍女達はみんな、お母様に付いていた侍女達です。
だけど、お母様はもういません。
そしてわたしの侍女達も、レミーを残してもういません。
だから彼女達には、そのままわたしの侍女として王城に残って貰いました。
それはアイゼも同じで、アイゼの所にはお父様の侍女達が付いています。
ただ、全ての侍女達がというわけではありません。
無事に生き残れても、トロルに襲われるもたまたま殺されずに済んだだけの者達、目の前で兵士達や同僚達がトロルに殺されるところを目撃した者達、地下牢での囚人のような生活に心を病んでしまった者達など、心に傷を負ってしまった者達は、暇乞いをし、王城を去って行きました。
そのような目に遭わなかった者達、そのような目に遭っても挫けずに残った者達が、今王城で働いている者達なのです。
「新しいお部屋はいかがでしょうか? 家具も無事な物を中心に運び込み、それ以外は新しい物と交換しております。配置など不便やご不満がありましたら、なんなりとお申し付け下さい」
わたしが囚われている間どのような扱いを受けていたか、トロルロードにどのような目に遭わされそうになっていたか、彼女達は全て知っています。
だからでしょう、とても心配して気遣ってくれているのが分かります。
「ええ、大丈夫です。新しい家具の位置と向きも変えてくれていますし、見慣れた家具が多くても、この新しい部屋で気分を一新して暮らせそうです」
わたしの言葉に、ほっと表情を緩める侍女達。
ここは四階で、以前の三階にあったわたしの部屋ではありません。
あの部屋は、トロルロードの血で穢れてしまい、しかもお父様とお母様の……辛く恐ろしい記憶がまだ鮮明に残る場所です。
ですので、こうして違う部屋を用意して貰ったのです。
「ところでフィーナ様、本日はもうご予定はないとのお話ですが、間違いございませんでしょうか?」
「ええ、王都への移動や帰還パレードもありましたから、本日は残りの時間ゆっくりと休み、公務は明日からです。この後は、アイゼとエメル様と夕食をご一緒するだけです」
「では夕食まで十分なお時間もありますので、お疲れでなければ、入浴し、御髪とお肌を磨きましょう」
そう言って侍女達が持って来たのは、特に夜会の前や国賓を迎える前に磨きをかけるときに使う、とっておきの石鹸や香油などの道具一式でした。
「明日の予定は公務と言ってもそこまでするほど重要な仕事はありませんよ? それに今は戦時中です。必要もないのにそのような贅沢をするのは、民達にはもとより、貴族達にも示しが付かないでしょう」
「いいえ、戦時中だからこそです」
「そうです、王女であるフィーナ様が普段通りであれば、皆も安心出来ましょう」
「フィーナ様が美しくあられれば、兵達の士気も上がるというものです」
確かにそれは一理あります。
上に立つ者が取り乱せば下の者達が動揺しますし、ロマンス小説でも美しいお姫様という存在は兵達を鼓舞します。
失礼します、と侍女の一人がわたしの髪と頬に触れました。
「公爵家にお世話になっていたとはいえ、王城を離れた避難生活に疲れが溜まっておいでなのでしょう、せっかくの御髪とお肌がくすんでしまっています」
それは……実はちょっと気になっていたところです。
別の侍女が、わたしの後ろで控えているレミーにジロリと厳しい視線を向けました。
「レミーさん、あなたはフィーナ様の一番お側でお仕えしておきながら、何をしていたのですか」
「あ、あたしですか!? フィーナ様の髪もお肌も、ちゃんと磨いてましたよ!?」
「でしたら、あなたの腕がまだまだ未熟と言うことです。これからしっかり仕込んであげますから、覚悟なさい」
「ええぇ!?」
元から仕えてくれていた侍女はレミーだけになってしまったので、レミーが筆頭侍女に大抜擢されました。
なので、元お母様の侍女だった彼女達の方が年齢も城仕えの期間も上ですが、立場はレミーの方が上になるのですが……やはり、本来はまだまだ見習い侍女、レミーでは力不足の面が多々あります。
もし、未だに国家存亡の危機が続いている状況であれば、このようなことに気を遣っている余裕もないでしょうが……今はエメル様がいらっしゃいます。全てが終わったわけではないので油断は禁物ですが、もはやこの戦争で負ける気がしません。
それを思えば、確かに無理をして自分を戒めたり、肩肘張ってことさら範を示す必要はないかも知れませんね。
むしろ普段通りに過ごすことは、最初は戦時下で緊張感がないと眉をひそめる者も出るでしょうけれど、後にエメル様のご活躍があれば、どれほどエメル様を信頼していたかを周囲に知らしめ、王家の先見の明とエメル様の名声を高めることにもなるでしょう。
王妃殿下たるお母様亡き今、王城の女主人としての毅然とした振るまいこそ、わたしに求められているのですから。
それに、せっかく侍女達もこう言ってくれていますし、王城へと帰還した今夜くらい、明日からの公務へ向けて気分を上げるためにリフレッシュしたいものです。
「皆のせっかくの好意です、しっかり学ばせて貰いなさい。良かったですねレミー?」
「はい……」
そのままわたしがお風呂へ入ると、丹念に汚れを洗い流され、髪に香油を擦り込まれ潤いと艶を取り戻し、マッサージと保湿力の高い香油で肌を磨き上げられます。
「やはりフィーナ様のお肌はお美しいです。これならすぐにすべすべで艶々のお肌を取り戻せますよ」
「これならどんな殿方も一目で恋に落ちること請け合いです」
「ふふっ、そうでしょうか」
本気にするわけではありませんが、わたしも女です。
磨き上げられることで、やはりどこか暗く沈んでいた心が少しは軽くなり、疲れていた身も心もほぐれていきます。
何より……エメル様に、やっと一番綺麗なわたしを見て戴ける。
そう思うと胸が高鳴り、体温が上がってしまいました。
ですが他意はありません。
ただ見て戴きたい、それだけです。
だからそのくらいは……いいですよね?