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37 約束の空の散歩



 お姫様に家庭教師をして貰うようになってから、数日が過ぎた。

 この国の歴史と地理から始まって、主な貴族家の歴史や治める領地の産業や派閥、周辺諸国の概要と国際情勢とこの国との関係、さらに宗教観や道徳観、そして倫理観なんかについても教えて貰った。


「エメル様はとても優秀でいらっしゃいますね。概要だけとは言え、これだけ多岐に渡る内容をたった数日で覚えられてしまうのですから」

「お姫様の教え方が上手なんですよ。さすがお姫様って言うか、色々と関連付けて教えて貰えたから覚えやすい上に、そのたびに教えて貰ったところを思い出して復習になりましたし」


「いえ、わたしの教え方と言うよりも、エメル様が様々に類推されて関連付けられて、さらに推測も交えて情報を整理されていたので、そのおかげですね。わたしはそれを補足するだけでしたから。これほど優秀でいらっしゃるのでしたら、騎士としてだけではなく、高級官吏……いえ、代官の職にも就けるのではないでしょうか」

「ははっ、それは褒めすぎですよ」


 まあ、お世辞はともかく、色々と教えて貰ったおかげで、ようやく最低限の常識的な知識は身についたって感じかな。

 これからもっと掘り下げて学ばないと駄目だから、俺と姫様の幸せな結婚のために具体的な手を打てるようになるのは、まだもうちょっと先になりそうだ。


 それはそれとして。


「ずっと付きっきりで家庭教師して貰ってるし、何かお礼しないと駄目ですね」

「お礼だなんてそんな。むしろわたしがお礼をしているんですよ」

「そう言ってくれるのは嬉しいですけど、俺がお礼をしたいんで良かったら何かさせて下さい。何か俺にして欲しいこととか欲しい物とかありませんか?」

「……よろしいのですか?」


 最初は遠慮してたお姫様だけど、ふと何か思い付いたように、躊躇いがちに上目遣いで見つめてくる。

 こんな可愛いお姫様が上目遣いでお願いなんてしてきたら、もうなんだってしてあげちゃうだろう、男なら!


「もちろんですよ、遠慮なくどうぞ」

「では……あの時の約束を、いいでしょうか?」



「お姫様、しっかり掴まってて下さいね」

「は、はい」

 俺が腰に腕を回して身体を支えると、お姫様は緊張の面持ちで頷きながら、俺の胸に(すが)り付くようにしがみついた。


「じゃあ行きますよ。レド、ゴー!」

「わあぁっ!?」

 翼を羽ばたかせ大空へと舞い上がったレドに、お姫様が歓声を上げる。


「地面が遠ざかっていきます! 屋敷の屋根を越えてもっと高く……! 屋敷が、領都の町並がどんどん小さくなっていって……! ああ……わたし、本当に空を飛んでいます!」

 大きく見開いた瞳をキラキラと輝かせて、視点がどんどん高くなって普段見慣れた景色を眼下に見ることに、興奮が止まらないようだ。


「視界が開けて……! 空が迫ってきてまるで包み込まれていくよう……視界を遮る物が何もない……」

 顔を上げて周囲に目を向けると、今度は感動に身を震わせて言葉を失う。


 お姫様がお礼にって望んだのは、囚われていたお姫様を王城から救い出した、あの日の約束――事が落ち着いたらこうしてまた一緒に空を飛ぶ、ゆっくりと景色を楽しみながら――その約束を果たすことだった。


 前回こうして空を飛んだときは夜で、王城の中の王族の居住スペースになる館から飛び立ったから、城壁や防壁で視界が悪く、暗くて遠くまで見渡すことも、遠ざかる地面や王都の町並の細部を捉えることも、十分に出来なかったからな。

 何より、囚われの身から解放されたばかりで、王都奪還の戦いの最中だったし、初めて空を飛ぶことの驚きと混乱もあって、景色を眺めて楽しむ余裕なんてなかったはずだ。

 でも今回は違う。


 青く澄んだ空、眩しい太陽。

 視界は良好だ。


「あんなに遠くまで見渡せるなんて……」

 ようやくそれだけを、茫然と呟くお姫様。

 うんうん、感動してくれてるみたいだ。

 俺も、お姫様の視線を辿る。


 領都から伸びる街道。

 その先に広がる田園風景。

 そこを横切って流れていく大きな川。

 さらにその先に広がる大きな森。

 そして遥か遠くには山々が連なってるのが見えた。


 レドは遥か眼下に、農作業をする農民達をゴマ粒ほどの大きさに見ながら、畑の上を横切り、川を越えて、森へと向かって飛んでいく。


「とても綺麗……」

 眩しそうに目を細めて、そう呟くお姫様の横顔に、思わずドキリと心泊数が跳ね上がってしまう。

 思わず『お姫様の方が綺麗ですよ』って、ベタで気障な台詞が頭に浮かんでしまったくらいだ。そんな恥ずかしい台詞、さすがに言えないけど。


「どうですかお姫様?」

「すごいです……本当に空を飛んで……まるで鳥にでもなったみたいです……!」

 俺を振り返った、花が咲き乱れるような満面の笑みに、またしても心泊数が跳ね上がってしまう。


 無邪気で、愛らしくて、笑顔が眩しくて。

 ありがとう、嬉しい、って気持ちがいっぱいに溢れてて。


 やばい、なんかもう可愛すぎて、思わず力一杯抱き締めちゃいたい衝動に駆られちゃうんだけど!?

 俺には姫様がいるんだから、なんとか気を逸らさないと……!


「あっ、ほら見て下さいお姫様、あっちに本当に鳥が飛んでますよ」

 俺達とほとんど変わらない高さを、一羽の鳥が飛ぶ。

「本当です! 鳥があんなに近くを飛んでいるなんて……!」

 すぐに鳥に気付いて夢中になるお姫様。


 ふぅ……危なかった。

 あのまま笑顔を向けられてたら、間違いを起こしちゃうところだったよ。

 さすが姫様のお姉さん、その笑顔の破壊力ときたらもう……。


 やっぱり男の娘の姫様とは、その魅力の在り方が違うんだよな。

 姫様の場合は、王太子として凛と立つのを、支えたい、守りたい、共に並び立ってその行く手を阻む物を蹴散らしたい、って思う。

 でもお姫様の場合は、守ってあげたいのは守ってあげたいんだけど、傷つけないように保護したい、手を引いてエスコートしてあげたい、それはもう大事な宝物のように、そんな感じだ。


 それなのに、さすが姉()って言うべきか、国や民のためを思って行動する時は、とても芯が強くて、自分の責務をしっかりと見つめてて、決してそれから目を逸らさずに逃げない。その生き方に思わず目を奪われて、その顔は見とれてしまうくらい凛々しくて、この人のために何か出来ることはないか、自然とそう思わせられてしまうんだ。

 もうさ、どっちがいい悪いじゃなくて、どっちも魅力的過ぎて困っちゃうよ。

 二人とも見た目までそっくりだから余計にだ。


 もしお姫様が俺のお嫁さんになってくれたら……なんて妄想が浮かんできて、慌てて頭を振って振り払う。

 俺にとって姫様が一番なのは何があっても変わらないから、浮気はしないけどね?


『グルゥ』

 レドが一鳴きすると、さらに高度を上げ、やがて領都から離れすぎないようにゆっくりと旋回していく。


「あちらの山脈は……」

「あっちは西だから、あの山脈の向こうがナード王国ですね」

 そんなに高い山脈じゃなくて、しかもかなりの距離があるから遠くに霞んで見える。


「このように我が国の領土を見るのは初めてです……小国だ小国だと言っても、我が国も広いのですね……」

「こうして見ると、本当に世界って広いですよね」

「ええ……本当に。これまでとは世界の見え方が違って見えるようになった、そんな気がします」

 遠く山脈を見つめていたお姫様が俺を振り返る。


「エメル様が農民らしからぬ知性をお持ちの理由の一端を垣間見た気がします」

「えっと、それって?」

「普段からこのように高く広い視点で世界を見渡しているのであれば、世界の見え方が常人と違って当然です」

 お姫様は視線をまた地平の彼方に向ける。


「わたしも日々、王城から広く遠く王都を、そしてその向こうに広がる景色を眺めています。ですがそれは所詮人の手が届く高さ。季節の移り変わりはあれど、その視界に収まる範囲は変わりません。ですが見て下さい、この流れゆく景色を。王城など地面に立っているのと変わらないほどの高みから、鳥のように飛び、どこまででも自由に行ける。この景色を知る者が、只人(ただびと)でいられようはずがありません」


 再び振り返って俺を見つめるお姫様の瞳は、眩しそうに細められてて、二つの意味でドキリとしてしまう。

 滅茶苦茶綺麗で可愛いってのは当然として、ちょっと後ろめたい。


「鳥になって空を飛びたい。そう願う者は数え切れない程にいるでしょう。わたしも、何度そのような想像に(ふけ)ったことか。ですが、それを本当に実現させてしまうなんて、並大抵の発想や想像力ではありませんよ?」

 それは俺に前世の記憶があるから……ってのは言えないし、野暮かな。


「こんな素敵な体験をさせて戴いて、本当にありがとうございます」

「っ……ど、どういたしまして」

 だから、その眩し過ぎる笑顔のせいで、心泊数跳ね上がっちゃうんだけど!


 ふと会話が途切れる。

 お姫様は遥かに広がる光景を、ただ静かに見つめていた。

 その横顔は何を考えているのか分からないけど、なんとなく声をかけられない。


 と、ブルリとお姫様が小さく身震いした。


「もしかして身体が冷えちゃいましたか?」

「ええ、少しだけ」

 そりゃそうか、夏でも山の上は涼しいからな。それを、こんな遮る物のない空を飛んでたら、風も強いし寒くなって当然だ。


 上着を脱いで女の子に貸してあげるって、滅茶苦茶憧れるシチュエーションだけど、レドに跨がって空を飛んでる状況の上に、お姫様を支えてるし、しがみつかれてるし、ちょっと上着は脱げそうにないな。


「戻りますか……ってお姫様!?」

 聞いてみたら、ぴったり寄り添うようにくっついてくるお姫様。


 これは、密着しすぎなんじゃないか!?

 しかも、姫様を抱き留めたときとは違う、あの肘や腕に当たったのと同じ、柔らかな感触が俺の胸の上でむにゅっと……!

 この感触はやばい! 非常にやばい!

 意識しちゃ駄目だ! 意識しちゃ駄目だ! 意識しちゃ駄目だ!


「こうしていれば温かいので大丈夫です」

 確かに温かいけど、お姫様の体温が伝わってきて、心臓バクバクで俺の体温急上昇なんだけど!?

 しかも、俺の胸に顔を埋めるようにくっついてきて……俺の服を掴んでしがみつく手に力が籠もる。


「もう少しこのままで……今だけは…………」


 微かに何か呟いたようだけど、風の音に掻き消されてしまって聞こえない。

 聞き返そうかと思ったけど、なんだかお姫様の雰囲気がそんな感じじゃなくて……。

 心臓バクバクだし滅茶苦茶照れ臭いけど、お姫様の好きにして貰っとく。


 でも、こんな風にされたらさ、勘違いしちゃいそうだよ……!



 大きく円を描いて領都へと戻って来た俺達は、次期公爵の屋敷の庭に降り立った。

 レドから先に降りて、手を貸してエスコートし、お姫様も降ろしてあげる。


「空の散歩はどうでした?」

「はい、とても素晴らしく、夢のような時間でした」

 言葉通り、うっとりと微笑んでくれて、俺の方が夢心地になってしまいそうだ。

 本当にもう、姫様がいなかったら、お姫様に夢中になっちゃってたよ絶対。


「厚かましいお願いなのですが……」

 ふと、お姫様が頬を染めて俯いて、チラッと上目遣いで見つめてくる。

 こんな風におねだりされたら、男なら誰だって二つ返事でオーケーしちゃうよな?


「いいですよ、なんでも言って下さい」

 つい口をついて本当に二つ返事しちゃったら、ぱあっと笑顔が輝く。


「もしよろしければ、また空のお散歩に連れて行っては下さいませんか?」

「いいですよ、そんなことで良かったら喜んで」

「ありがとうございます♪」


 声、すごく弾んでる。

 よっぽど嬉しいんだな。

 こんな風に喜んで貰えるなら、いつでも何度でも喜んでだ。



 ちなみにこの日の夜、姫様にちょっぴり拗ねられた。

 この空の散歩が二人の間で話題に上ったらしくて、うっとり夢心地で語るお姫様に、自分は誘って貰ったことがないって。


 いやまあ……うん、俺が悪いよね。

 彼女の姫様を差し置いて、お姉さんとはいえ別の女の子を誘って空の散歩なんてしたら、浮気を疑われても仕方ないわけで。

 俺のデリカシーが足りてなかったよ。

 こういうところが俺の駄目なところ……恋愛経験値の少なさからくる無神経さなんだろうなぁ。


 でも、次の約束もしちゃったしどうしよう……。

 って思ってたら、ちゃんと自分も空の散歩に連れて行ってくれたら許すって言って貰えた。


 だから次の日、早速姫様を誘って空の散歩と洒落込んださ。

 もちろん、ドレス姿のお姫様モードで、空の散歩デート仕様で。

 そして、お姫様の時より、長い時間を。


 姫様もすごく感激してくれて、こんな体験したら、また空の散歩をしたくなるのは仕方ないって、許して貰えた。

 ただしその時は、前もって姫様に報告することって言い渡されたけどね。


 それを聞いて……思わずにやけそうになるのを我慢するのが大変だったよ。

 だってさ、姫様がヤキモチ焼いてくれたってことだもんな!

 なんだか、すごく彼女っぽくないかそれって!?


 エスコートしてレドから降ろしてあげるとき、もう、そのままお姫様抱っこして寝室に連れ込んじゃいたくて、こっちも我慢するのが大変だったよ。



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[一言] 二章はつまんないからタイトルだけ見て飛ばす
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