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36 家庭教師はお姫様

「それではまず、我が国の歴史について概要だけを簡単に説明しますね」

 護衛の近衛騎士に何やら用を言付けて送り出した後、俺の前に歴史書を開いて、お姫様が該当箇所を指さす。


 こうしてじっくり見ると、お姫様の指、白くて細くて綺麗だな。

 白魚のようなって、お姫様のような指を言うのかも知れない。


「我がマイゼル王国の勃興は今からおよそ三百年前になります」

 おっと、せっかく教えてくれるんだから、ちゃんと聞いとかないと。


「現在のゾルティエ帝国領中央よりやや北方から南方一帯にかけてと、ナード王国および周辺の小国、そして我がマイゼル王国周辺を含む広大な一帯。これを版図としていた当時の大国、グジース王国が瓦解したことで、多くの国が建国されました。我が国もそのうちの一つです。グジース王国が瓦解した理由は、王位継承権争いですね。かなり大規模な内戦が引き起こされて、結局は力を持つ王位継承者と有力貴族達がそれぞれ独立国を建国したことで、多数の国家が生まれたというのが、その流れになります」


「じゃあマイゼル王国の最初の王様は、グジース王国の王位継承者だったんですか?」

「その通りです。側室が産んだ第七王子だったと伝えられています。ですので継承権は低かったわけですが、当時興った国のほとんどが同様ですね。ですから大本を辿れば、ゾルティエ帝国の皇帝やナード王国の国王とも親戚筋となるわけですが、三百年も昔の話ですから、今更その話を持ち出す者は誰もいません」


 瓦解した後も、各国は我こそがグジース王国の正統なる後継だと主張して戦争を繰り返し、幾つもの国家が他国に飲み込まれ、また他種族の国家に侵略されて消えていった。

 当時建国された国々のうち残っているのは、最も力を持つ国としてゾルティエ帝国、それに対抗すべく集まったナード王国以西の小国家連合、そしてマイゼル王国のみ。


「今でもゾルティエ帝国はグジース王国の正統なる後継を主張し、かつての領土を取り戻す事を大義名分として掲げて、周辺諸国を飲み込むために戦争を繰り返しています。ですが、もはやゾルティエ帝国ですら本気でグジース王国の復興を考えてはおらず、資源や奴隷の略奪など領土的野心でしか戦争をしていません。その証拠に、当時のグジース王国の版図ではなかった地方ですら戦争で奪い取っています。そもそも、一時期は広大な版図を持ったグジース王国ですが、英雄王と呼ばれた王がたった一代で版図を広げただけで、その治世が長く続くことはなく、すぐに瓦解してしまっています。支配の正当性などないに等しいのです」


 そしてマイゼル王国も建国後、何度も侵略戦争を仕掛け、また仕掛けられてきた。

 特に近年は仕掛けるだけの余力はろくになく、仕掛けられる一方になっている。


「そのせいで我がマイゼル王国も、すでに建国当時の面影はありません。この三百年の間に、北のゾルティエ帝国、東のフォレート王国、南のガンドラルド王国に、国土の一部を奪われています。古い地図と比較すると、現在はおよそ六割程度の国土しか残っていません。国境線がほとんど動いていないのは、西のナード王国側だけですね」


 それからお姫様は年表に従って、幾つか主要な戦争を挙げて、どう国境や他国との関係が変化し、マイゼル王国がどのような道を辿ってきたのかを説明してくれた。

 ざっくり言えば、最初の百年ほどは勝ったり負けたりを繰り返してたけど、それ以降はほとんど負けてばかりで、戦後賠償金の支払いまたは領土の割譲で国力をどんどん落として、建国当時はギリギリ中堅どころの国力と国土を持ってたのが、すっかり小国に成り下がってしまったようだ。

 いずれどこかの大国に全てを奪われて地図から消える運命にある、ってのは、火を見るより明らかって感じだ。


「詳しい国際情勢は後日にしましょう。今日は基礎知識として、我が国の歴史と地理について学ぶのがいいでしょうね」

 本棚とは別の棚に重ねて置かれていた何も書かれてないかなり大きめの羊皮紙を、お姫様が一枚取ってくると、羽ペンで図形を描き出す。

 程なく、国境線のみならず、主要な山とか川とかまで書き込まれて、簡素だけど十分にイメージが掴める程度の地図になっていた。


「これが現在の我が国の地図です」

「我が国の地図って……いいんですか俺に見せちゃって。軍事機密ですよね?」

 いずれ見せて貰えないかお願いしようって思ってたけど、まさかお姫様の方から、しかもこんなあっさり見せてくれるなんて。


「さすがエメル様ですね。(おっしゃ)る通り地図は軍事機密です。ですが、エメル様に隠し立てする意味は薄いかと思います」

「と言うと?」

「エメル様は契約精霊に乗って空を飛べますでしょう? どれほど高く飛ばれるのかは知りませんが、地形を無視して飛び回れば、わたし達の知る地図以上に正確な地図が、エメル様の頭の中に出来上がるのではないですか?」

「……言われてみれば、そうですね」


 それどころか、エンに頼んで見た光景を羊皮紙か植物紙に焼き付ければ、航空写真として地図が作れるもんな。

 しかも完全隠蔽を利用すれば、敵国の国境線の向こうを好き放題に偵察して地図を作って、逆にこっちの作戦に組み込めるし。

 やばいな……俺から仕掛けるのはいいけど、仕掛けられたら滅茶苦茶やばいし、その技術は可能な限り誰にも伝えないようにしとこう。


「今後エメル様のお力を頼らせて戴く以上、簡単でも地形や方向を把握しておいて戴いた方が、わたし達にとっても助かります」

「そうですね、またトロルが攻めてきたり、他の国が攻めてきたりした時、迅速に飛んでいって対処するなら、知っといた方が便利ですね。自分の国の国境線すら知らないんじゃ、どこまでやればいいのか分からないですし」


「さすがエメル様、その通りです。国内から追い払うだけならまだしも、国境を越えて追撃されては相手国も引くに引けなくなり、落としどころに困る場合もありますから。何しろ、我が国から逆侵攻を仕掛けるだけの余力はほとんどありませんので」

 やり過ぎたり、深追いしすぎたりすれば、却って姫様やお姫様の立場を悪くしてしまう場合もありそうだ。


「ですので、基本的には、侵略されて援軍が必要な領地へ向かって戴く形になると思います。その場合、こちらの指示で動いて貰うにせよ、現地の指示に従って貰うにせよ、国内の主立った貴族の領地と位置、派閥の関係性なども覚えておいて戴いた方がよろしいかと思います」

「そうですね。いざって時の面倒回避はもちろん、その辺りもちゃんと覚えておかないと、誰が味方でそうじゃないのか、誰を味方に付けて誰に気を付ければいいのか、分からないですもんね」

「はい、その通りです。エメル様を派閥争いに巻き込むようで心苦しいですが、全てはアイゼのためと思って戴ければ」


 うん、まさにその通り。

 頷くと、お姫様が微笑んでくれる。


「では説明しますね。色々と書き込みますから、羊皮紙を押さえておいて戴いてもいいでしょうか」

 俺の前に置かれた羊皮紙の地図の端っこを、書くときに動かないよう、左手で遠くを、右手で手前を押さえる。

「ありがとうございます。では失礼します」

 って言いながら、お姫様が椅子を近づけて俺の右側、寄り添うくらい近くに座り直した。


 そして……。


「まず、国土の中央より北東寄りに位置するここが王都で、その周辺一帯が王家の直轄地です。ここより南側一帯が――」

 羽ペンを持った腕を伸ばして地図に書き込んでいく。


 まずい……。

 この体勢は非常に不味い……。

 だって、近すぎだよ!?


 お姫様ってば説明に集中してるのか、書き込みやすいように段々俺に身体が近づいてきて、腕と腕がもはや触れ合っちゃってるのに、それに気付いてないんだ!

 護衛の近衛騎士はお姫様の用で席を外しちゃってるから、今は二人きりで、見咎める奴も注意して割り込んでくる奴もいない。

 それなのに、お姫様が無防備にも男にこんな接近したら駄目じゃないか!?


「今回のトロルの進軍ルートが中央真南のここからこのように王都へ向け……それで、道中の領地のこの一帯が深刻な状況にあるようで――」

 長い髪がさらりと流れると、ふわっといい香りが漂うんだけど!?

 で、無意識なのか癖なのか、白い指でさらりと掻き上げる仕草が色っぽいって言うかなんて言うか、もう!

 正統派美少女の健全で高貴な色気って言えばいいのか!?

 思わず目を惹かれて逸らせないんだって!


「王都より東側はフォレート王国に接する地方まで、ほぼ全域をアーグラムン公爵の派閥が占めていまして、我が国でも最大派閥と――」

 しかもさ、ここまで至近距離になって初めて気付いたんだけど、お姫様のオーラが、これまた半端ないんだ!


 姫様と初めて出会ったときに感じた、あの溢れ出す気品って言うか、カリスマって言うか、やっぱりオーラが全然違うんだよ!

 それも、姫様より年上だからか、それとも本物の女の子で本物の姫君だからか、そのオーラは姫様以上なんだ!

 お姫様と最初に出会ったときにここまで感じなかったのは、多分恐怖と絶望で打ちひしがれてて、そんなオーラを漂わせられるような状況じゃなかったからに違いない。


「そして北側のディーター侯爵領がこの一帯で、エメル様のトトス村がこちらに――」

「――っ!?」

 地図の北側に書き込もうと、身を乗り出すようにしたお姫様の……お姫様の柔らかい部分が肘に当たってるんだけど!?


「領都とは少し距離がありますし、北の辺境伯領の方が比較的近いため――」

 さらに書き込むために腕を動かすから、柔らかくて温かくて気持ちいいのが、肘にぷにぷに、ぷにぷにって……!


 動けない……!

 これ、お姫様全然気付いてないよね!?

 動いたら絶対に気付かれる…………気付かれたら俺、死刑もあり得るんじゃ!?

 だって肘とはいえ、お姫様のおっぱいに触っちゃったなんて、もう死刑だろう!?


「そして王家の直轄地隣接する西側のこの一帯がクラウレッツ公爵領で、この屋敷は領都でここに――」

 ひゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?


 お姫様がさらに身を乗り出してきたから、肘だけじゃない、腕に押しつけられて、肘がその柔らかな感触に埋もれて包み込まれて……!?

 これやばすぎなんだけど!?

 意識しちゃ駄目だ! 意識しちゃ駄目だ! 意識しちゃ駄目だ!

 意識したら身体の一部が完全変形して大変なことになってしまう!

 そんなのバレたら絶対死刑待ったなしだ!


「――そしてこちらが……エメル様、もしかしてお加減が悪いのでしょうか? 顔が赤いですし、息も乱れて、汗を掻かれていますね?」

「いやっ、そのっ、これはっ……」

 声が裏返る!


 俺の熱を測ろうとしてるのか、心配そうな顔で俺の顔に触れようと手を伸ばしながら、さらにお姫様が密着してきて、腕全体に感じるこの感触がもう限界!


「おっ、お姫様っ、近いですっ、近すぎですっ!」

 裏返る声で必死に訴えると、お姫様の動きがピタリと止まった。


「~~~~~~~~っ!?」

 徐々にお姫様の顔が真っ赤になっていって、声にならない悲鳴を上げながら慌てて椅子ごと俺から距離を取る。


「…………し、失礼しました」

 そうして恥ずかしそうに俯きながら、蚊の鳴くような声で謝罪の言葉が。

「い、いえ……」

 俺ももうなんて言ったらいいのやら……。


 そりゃあ、まだ女の子だと思い込んでた時に、姫様を抱き留めたり、お姫様抱っこしたりしたこともあるよ。

 でもあの時は、まだ自分の気持ちに自覚はなかったし、エフメラと同い年くらいだと思ってたから、そこまで意識しすぎなくて済んだんだ。

 お姫様を助け出した時も、お姫様抱っこしたり、レドに乗せたり降ろしたりのエスコートで触れたりもしたけど、緊急事態だったし、やっぱり意識しすぎないで済んだんだ。


 でも今は違うだろう!?

 しかも、触れちゃったのは、おっぱいだぞ!?

 年上のお姉さんが家庭教師してくれて、ちょっぴりエッチなハプニングとか、こんなベタベタにベタな展開、これいつの時代のなんてギャルゲー!?


「…………」

「…………」


 気まずい沈黙が降りてしまって、この雰囲気もどうしたらいいのやら……。


 なんて思ってたら、不意に響くノックの音。

 二人してビクンってなって、慌てて居住まいを正す。

 入って来たのは、お姫様の護衛をしてる近衛騎士だった。


「フィーナシャイア殿下、頼まれていた物を閣下よりお借りしてきました……何かありましたか?」

「何かとは、どうかしましたか?」


 いつの間にってビックリするくらい、普段通り平然と受け答えするお姫様。

 本当に何もなかった、さっきのは俺の妄想だったんじゃないかってくらい、顔色一つ変わってないし声も凛としてお姫様らしい。

 さすが、一国の王女ともなると、弱味を見せないための感情のコントロールは完璧なんだな。


「……いえ、失礼しました、どうやら勘違いだったようです。どうぞこちらを」

「確かに。ご苦労でした」

「はっ」

 近衛騎士は一礼すると、俺達の邪魔をしないようにと壁際に下がって護衛を続ける。


 で、本当にお姫様は何事もなかったように、改めて椅子を……うん、さすがにさっきよりは距離を取った位置に近づけて、それから一冊の本を差し出してきた。


「これはラムズより借りた、貴族の子弟のための歴史の教科書です。先ほど説明でお見せした学術書のような物ではなく、もっと簡単に読める物ですから、お時間のあるときにでもお読み下さい。もし分からないことがあれば、遠慮なく質問して下さいね」

 優しく柔らかな微笑み。

 これはなかったことにするのが一番かも。

 だから俺も気を取り直して微笑みを返す。


「ありがとうございます、後で読んで勉強しておきます」

 そうして目が合った瞬間、お姫様の顔がほんのり赤く染まって……。

 うん、今すぐ完全になかったことにして振る舞うのは、さすがに無理だったんだな。

 なんでか、ちょっと安心した。


 お姫様は恥ずかしげに上目遣いになりながら、護衛の近衛騎士に見られないように、その綺麗な指を自分の唇に当てた。

 そして小さく桜色の唇が動く。


『さっきのことは内緒ですよ?』


 本当にもう、可愛すぎなんですけど!?



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[一言] 今後はお姫様とも?
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