34 お似合いの二人
報告を受けた後、執務室で公務に戻ったアイゼ様。
報告書の束を前に、一層忙しくなってしまう。
軍の再編計画、王都復興計画、王城の補修計画、城仕えの人材確保育成計画、などなど色々と考えなくてはならないらしい。
「計画の草案は各担当大臣や役人達が作って上げてくる手はずになっているが、それが適切なのか、何に重点を置き優先すべきかなど私の意図が正しく反映されているかどうか、その判断を下し、修正指示を出すためには、事前の情報収集と現状把握が必要だからな。その情報収集の指示を出さなくてはならぬのだ」
そう言って苦笑いを浮かべたアイゼ様が、執務机の上に積まれた羊皮紙の山をポンポンと叩く。
「それで、報告書の裏を取るために、次期公爵の配下を借りてこっそり調査をさせるんですか」
「うむ。能力や人格に優れ、信用できる臣下達ばかりなら、上がってきた計画書に目を通してサインするだけで済むのだがな」
現状そうじゃないから、裏切られたり、出し抜かれたりしないように……例えばその計画が最初から破綻するように仕組まれてたり、そもそも上がってきた報告自体に嘘が織り交ぜられて現実と乖離してたり……そんな風に、アイゼ様の、ひいては王家の権威を失墜させる計画として利用されないように、注意が必要ってわけだ。
新たに雇う城仕えも、反王室派貴族達の息が掛かったスパイや工作員なんかが紛れ込んでないとも限らないしな。
もっと言えば、暗殺の危険だってあるわけで。
次期公爵からも、アイゼ様とお姫様に気付かれないようこっそりと、気を引き締めて注意を怠るなと厳しく言い渡されてるくらいだし。
戦時中で、しかも王都が陥落したせいで現場は混乱してるから、何か仕掛けるなら今が絶好のチャンスだもんな。
まあ、どうあれ、俺のやることは変わらない。
そう、全力で、アイゼ様に四六時中ひっついて護衛して、心の支えになって、不届き者どもには指一本触れさせない。それでいざ指示が出たら、一直線に現場に飛んでって、味方や弱者を救い、敵を殲滅すればいいわけだ。
って思ってたんだけど……。
「これが護衛シフトだ。エメルと言ったか? いいな」
不愉快そうに上から目線でそう言って、護衛のシフト表を押しつけてきたのは、アイゼ様の護衛が任務の、第四近衛騎士団の数少ない生き残りって言う近衛騎士だった。
怪我が比較的軽傷で、なんとか任務に堪えられるからって、わざわざ王都からやってきたらしい。
「俺の護衛シフト、あんた達に比べて、あからさまに少ないんだけど? って言うか、なんで俺が近衛騎士と一緒のシフトに組み込まれなきゃならないんだ? 別枠で常時護衛しててもいいだろう?」
アイゼ様のために怪我を押してでも駆け付けてきたのはいいよ?
むしろ感心するよ?
だけど、こちとらアイゼ様の直臣で特務騎士だぞ?
って言うか、『嫁』を守るのは俺の役目だろう?
「平民でありながら、殿下をお守りしたことは賞賛に値する。しかし、この先は護衛のプロである我々に任せておけばいい。素人の出る幕はない」
「アイゼ様の顔を立てて、護衛シフトに組み込んでやっただけでもありがたく思えって?」
「その通りだ」
アイゼ様に目を向ければ……。
『済まぬ。そなたなら分かるだろう?』
そんな風に目で謝られちゃったらなぁ……。
現状、彼らは心から信頼できる数少ない味方だってのは分かる。
だから蔑ろには出来ないし、むしろこれまでの貢献を考えれば、優先すべきは俺じゃなくて彼らだってのも分かる。
そして上に立つ者として、彼らのプライドに配慮し、なおかつアイゼ様を守れなかった汚名返上、名誉挽回のチャンスを与えてあげないといけないわけだ。
『……分かりました』
『感謝する』
不承不承、目で頷くと、アイゼ様が小さくほっと胸を撫で下ろした。
とはいえ、主張すべきは主張させて貰おうか。
「シフトはそれでいいけど、もう二度とアイゼ様を危険な目に遭わせるなよ」
近衛騎士の目元がひくりと動いて、俺と視線がぶつかって火花が散る。
「貴様に言われるまでもない」
直接目の前の近衛騎士のせいじゃないけど、アイゼ様が王都から落ち延びる時、結果的に近衛騎士はアイゼ様を守り抜けなかったわけだからな。
命を賭してアイゼ様を守ろうとしたことに敬意は払うけど、それはそれだ。
大事な大事な『俺の嫁』たるアイゼ様を任せるには、ちょっと不安が残る。
「エメルよ、連日の護衛ご苦労だった。今日は下がってゆっくりと休み、英気を養っておいてくれ」
「分かりました、アイゼ様」
アイゼ様が俺にも気を回して、ここ十日弱の護衛の労を労ってくれて、近衛騎士には遠回しに俺に感謝するように言ってくれたから、今日のところはこれで引き下がってやろうじゃないか。
で、アイゼ様には……いや、姫様にはこの埋め合わせを、公務の後、ドレスに着替えてから、たっぷりして貰おうかな。
◆◆◆
エメルが執務室を出て行った後、護衛の近衛騎士はこれから護衛に付くことを改めてアイゼスオートに報告し、一礼して執務室を出ると、そのままドアの横に直立不動で立って護衛任務を開始した。
アイゼスオートの執務の妨げにならないように、そして、間違っても機密書類などを見てしまわないようにとの配慮である。
対して、エメルが同じ執務室の中で、それもドレス姿のアイゼスオートを眺めるのを兼ねて間近で護衛していたのは、飽くまでもエメルを取り込むための、謂わばサービスだったと言うわけだ。
どこかほっとしたように、肩から力を抜くアイゼスオート。
クレアは優先度順に仕分けした書類の山を執務机の上に並べながら、そんな主人の様子に、わずかに表情を曇らせた。
「これまでエメル様にお側で護衛して戴いていたのは、ご負担だったでしょうか?」
自分が態度に出してしまったことで、クレアに余計な心配をかけてしまったことに、アイゼスオートは内心反省しつつ苦笑を漏らす。
「そんなことはない。あの時は本当に心に余裕がなかったからな。すぐ側でエメルが見守っていてくれて、私の欲しい言葉をかけて支えてくれて、とても感謝している。ただ、ドレス姿の私を無遠慮に眺めながら、締まりのない顔でニヤニヤしているエメルの、あの視線が恥ずかしかったのと、少しばかり気が散って落ち着かなかっただけだ」
「そうでしたか。ですが確かに、そうしてエメル様がお側に居て下さったから、互いに想いを交わし合い恋仲になれたのですから、結果的に良かったと言えますね」
「……そこまでは言っていないだろう」
わずかに頬を赤く染めて拗ねたように誤魔化すアイゼスオートに、微笑ましそうに目を細めるクレア。
まるで初めての恋に戸惑う弟を眺める姉のような気分になり、少しだけ心の中の重荷が軽くなる。
姉のフィーナシャイアが無事に救出され、王都も奪還され、一先ず大きな山を越えたことで、アイゼスオートの心に少しばかりの余裕が出来たことが、本当に喜ばしかった。
「ところで、護衛シフトは本当によろしかったのですか?」
「クレアも分かるだろう。彼らには挽回の機会が必要だ」
「それは承知していますが」
「エメルも王都へ出てきたあの日から、私のためにずっと休みなしで働き詰めだったのだ。少しは休ませてやらねばなるまい」
「それも承知していますが」
「では、なんの問題がある?」
「エメル様と共に過ごされる時間が減ってしまいますが、よろしいのですか?」
「っ……!?」
手にした羽ペンを思わず取り落とすアイゼスオートに、クレアは淡々と畳み掛ける。
「せっかくお付き合いを始められたのですから、もっと一緒に居られるように調整してもよろしかったのではないですか? 服も理屈を付けて男物にせずとも、近衛騎士達にも事情を説明し、ドレスのままでも良かったと思われますが」
取り落とした羽ペンを拾いながら、アイゼスオートはわずかに恨めしそうにクレアを睨んだ。
「公私の別は弁えねばならぬ」
その言い訳を、全く信じられていない冷めた目を返されて、恥ずかしさにより顔を熱くしながら顔を背けた。
「し、仕方ないだろう。エメルは本気で私を女としてしか見ていないようだが、だからと言って、昨日の今日でいきなり気持ちを切り替え、女として自覚を持って人目を憚らず生きるなど、まだ心の整理が追い付かぬ」
もっと言えば、勢いに流されてプロポーズを受けてしまった感も否めず、だから男同士という感覚はまだ普通に残っていて、自分から踏み込んでいくことに躊躇いがあった。
「そもそも、政略結婚を前提とした婚約者と違い、こ、恋仲など……それも女装して男となど、このようなことは初めてで……どんな顔をしてどう接していいのか分からぬ。それなのに、四六時中側でエメルに見られていたら、私の心臓が保たぬ」
ドレスを着て理想のお姫様を真似て振る舞いながら、エメルの歓心を買い愛して貰おうと、積極的に甘えて擦り寄っていく、そんな自分の姿を想像しただけで、羞恥と背徳に顔から火が出そうだった。
それに、と、羞恥が増したのか声が小さくなっていく。
「昨日までと今日からでは、ドレスを着て女装する意味が違う。昨日までであれば、エメルを取り込むために仕方なく、と言い訳が出来ていた。周囲の者達も、今だけだからと理解をしてくれていただろう。しかし今日からはそうではない。エメルに、その……女として、恋人として見て貰うために、自分から積極的に女装することになったのだ。この先もずっととなれば、周囲の見る目も変わり、理解も得られぬだろう。第一、そんな自分を見知った顔に見られるのは恥ずかし過ぎる……」
「それでは思い切って、これでもかと綺麗に着飾ってエメル様の胸に飛び込み、思うさま女の子扱いされてみてはいかがでしょう? いっそ女として抱かれてしまえば、吹っ切れるかも知れません」
「で、出来るわけなかろう、そのような恥ずかしい真似! だ、第一、エメルに女として抱かれるなど、心の準備がまだ出来ておらぬ! そういうのはもっと段階を踏んだ上で、結婚後でなければ!」
真っ赤になって即座に拒否し、そんな自分の姿を想像したのか、さらに真っ赤になってしまう。
そんなアイゼスオートの狼狽えぶりを見て、クレアは密かに心の中で思う。
この照れて狼狽えるアイゼスオートを是非エメルに見せてあげたかった、と。
そして、エメルは一も二もなくアイゼスオートに抱き付いたに違いなく、その微笑ましい二人もまた見てみたかった、と。
「と、とにかく執務を始める。クレアは下がっていて良い」
「畏まりました。それでは何かありましたらお呼び下さい」
何事もなかった顔で、クレアはからかったお詫びも含めて丁寧に一礼する。
そして、アイゼスオートには聞こえないように、口の中だけで呟き微笑んだ。
「お二方とも、無垢で初心なところが大変にお似合いです」
ちなみにその日の公務後、ドレスに着替え直したアイゼスオートを隣に座らせたエメルが、昼間の埋め合わせとばかりに『姫様大好き』オーラ全開でこれでもかと愛を語って迫り、アイゼスオートは耳まで真っ赤に染まるほど翻弄されたのだった。
「エメルと二人きりでは本気で心臓が保たぬ……」
そしてエメルが客室へ戻った後、真っ赤な顔で疲れ切ったようにそう語ったアイゼスオートの横顔を見て、陥落し乙女になるのは時間の問題だと、微笑ましく見守るクレアだった。