32 王家の者として
姫様が羊皮紙の書類に羽ペンを走らせて、さらさらと何事かを書き込んでいく。
その瞳は凛々しく真剣で、その横顔は端正に整い愛らしい。
長い睫毛、桜色の小さな唇、光を孕む金色の髪。
その顔立ちは年齢よりも少し幼くて、ドレスに包まれた身体も同じように小柄で華奢で、脹らみが全くない胸元が余計に幼さを強調してる。
でも、それでいい。
だって胸の脹らみがないのは、男の娘だから。
そう、こんなにも超絶美少女にしか見えないのに、あのドレスのスカートの中には、男のアレがひっそりと隠されてるんだぞ?
なんて魅惑的で、蠱惑的で、背徳的なご褒美なんだろう……あぁ、これぞ男の娘の醍醐味! そのギャップがたまらない!
もしそんな秘密が隠されてるって思いもしてない野郎どもが姫様に愛らしく微笑まれようもんなら、一発で恋に落ちるね、絶対。
そして姫様が実は男の娘だって知った瞬間、ことごとく新しい扉を開いて、『こんなに可愛いんだから、もう男でも構わない!』って叫ぶに決まってる。
あぁ、俺はそんな連中に向かって、声を大にして言いたい。
『姫様は俺の彼女なんだぜ! 相思相愛で、結婚の約束もしてて、もう「俺の嫁」だから、お前らにはやらねぇから! どうだ羨ましいだろう!?』
ってさ。
それを聞いた連中は、きっと血涙流して悔しがるはずだ。そして俺を、視線で人が殺せたらってくらい、羨望と憎しみの眼差しで睨み付けてくるに違いない。
その光景を想像しただけでもう――
「エメル、その視線はどうにかならぬのか。さっきから鬱陶しく仕事に集中出来ぬ。それと、そのだらしないニヤニヤ笑いを止めよ」
「――おっと」
慌てて表情を引き締める。
「彼氏として、彼女の真剣で愛らしい仕事ぶりを、この目に焼き付けるのに夢中になってました」
俺が『彼氏』と『彼女』って言った途端、姫様の頬が見る間に赤く染まる。
もう、可愛すぎ!
「今日のドレスもすごく似合ってますし、今朝はいつも以上に輝いて見えますね」
「う、うむ、それほどでもないと思うが」
照れてる? 姫様もしかして照れてる?
「今朝は腕によりをかけて磨かせて戴きました」
「おおっ、さすがクレアさん、ナイスです!」
姫様が輝いて見えるのは、やっぱり俺フィルターが掛かってるせいじゃなかった。
「クレア、余計なことは言わなくていい」
「ですがアイゼ様、今朝は昨日までと違って、鏡の前で入念にチェックされて――」
「していない!」
「――いたような気がしましたが、私の気のせいだったようです」
「っ……エメルもニヤニヤするな」
照れちゃって本当にもう可愛いったら!
しれっとした顔で教えてくれるクレアさん、本当にナイスだ!
「しかし、そなた、その……今朝は浮かれすぎていないか?」
「だって遂に、念願の、初めての彼女が出来たんですよ!?」
前世じゃ女の子に避けられ見向きもされなかった、最底辺のこの俺がだ!
ついでに言うなら、今世でも村の女の子達には結局相手にして貰えなかったし。
それが、最高の女の子、しかもお姫様が恋人だなんて!
これなんてギャルゲー!?
って叫びたいくらいだよ。
しかもしかも結婚を前提としたお付き合いなんだ!
並んで歩いてデートしたり、手を繋いだり、肩を抱いたり、見つめ合ったり。
抱き締めたり、キスしたり、胸とか、お尻とか、アソコとか触ったり。
ベッドに押し倒して、そのまま一線を越えてエロいことしたり。
彼女なんだから、『俺の嫁』なんだから、全部しまくっていいってことだよな!?
「もう溢れ出る愛が止まらないって言うか、俺、幸せ過ぎて、今日死んじゃうのかも!? ってくらい大興奮で、一晩中姫様の事が頭から離れなくて、一睡も出来なかったくらいなんですよ!」
「そ、そうか……」
真っ赤になって俯いちゃって、もう可愛すぎだろう!
「その花も恥じらう可憐さ、姫様をいっぱいの花で飾って一日中眺めていたいくらいです。してもいいですか?」
「いいわけなかろう。そなた、気持ちはありがたいが浮かれすぎだ、少し落ち着け」
「無理です。じゃあ、恋人らしく、ハグしていいですか?」
両手を広げて、ずいと前に踏み出すと、その分だけ姫様が仰け反って、背もたれのせいで後ずさることも出来ずに狼狽える。
「ば、馬鹿者! 朝から何を言っている、しかも人前でなど、はしたない!」
姫様が恥ずかしげに気にしてチラリと視線を向けた先には、真剣な表情で俺達のやり取りを見てるクレアさんが。
「人前が恥ずかしいなら、クレアさんも見てない二人きりの時ならいいですか?」
「そ、そのような恥ずかしい事を聞くな!」
「アイゼ様、私は席を外しますか?」
「クレアも変な気を回すな! いくらその、こ、こ、こぃ……になったとしてもだ、侍女も交えず二人きりになるなど、外聞が悪く、はしたない!」
「俺は気にしません! 二人きり大歓迎だし、他の誰が見てようと姫様と恋人らしくイチャイチャしたいです!」
「私が気にするのだ!」
姫様ってば、真っ赤になって照れちゃって!
こんな可愛い男の娘が『俺の嫁』だなんて、本当にもうなんて幸せ者なんだ俺は!
と、不意にドアがノックされて、お姉さんのお姫様が顔を出す。
「何やらとても賑やかですね。お仕事はもう終わったのですか?」
「あ、姉上」
益々真っ赤になった姫様と俺とを見比べて、お姫様が微笑ましそうに目を細める。
「もしかして、お邪魔でしたか?」
「そのようなことはありません姉上」
「そうですよ。お姫様が見てても俺は気にしませんから」
「こ、こらエメル!」
「まあ、ふふふっ。二人とも、とても仲睦まじいのですね」
「申し訳ありません姉上……その、私は……」
申し訳なさそうに、そして恥ずかしそうに俯いた姫様に、お姫様が優しく微笑む。
「いいのですよ。気持ちは分かります。エメル様程のお方なのですから、そのお力と高潔さに、たとえ男であっても心惹かれて不思議はありません。むしろ、よくぞ射止めましたと褒めるべきでしょう」
「なんと言えばいいのか……」
さらに恥ずかしげに、ドレス姿の自分を隠すように両手で身体を抱き締める姫様。
「大丈夫ですよお姫様。姫様は必ず俺が幸せにしてみせます!」
「なっ、エメル!?」
「はい、弟を……アイゼをよろしくお願いいたします、エメル様」
お姫様の眩しい微笑みに、その期待に応えて見せますと、力一杯頷く。
それと、俺の言葉の真偽を見定めようとしてるのか、じっと食い入るように見つめてくるクレアさんにも同様に頷き返す。
今や唯一の家族になったお姉さんであるお姫様公認となれば、この溢れる気持ちを遠慮する必要はないってことだよな!
気合いを入れ直した俺を、姫様がジト目で見てくる。
「エメルよ、そなたは今、一睡もしていないせいでハイになっているようだ。それを自覚し、少しは自重しろ」
「えぇ……」
俺のこの溢れんばかりの愛を自重しろと!?
「本来であれば言うまでもないことなのだが……今のそなたを見るに不安なので、念のため申しつけておく。今の話も昨夜の話も、一切他言無用だぞ。対外的には、飽くまでもそなたを王家に取り込むためと、英雄に相応しい功績に報いるために、私が王太子の名においてした約束を違えぬため、と思われなければならぬのだからな」
「はい姫様、分かってますって」
「いまいち不安だが……分かっているのであれば、そのにやけ顔を引き締め、態度にも気を付けよ。何かあったのかと勘ぐられては適わぬ」
くっ、難しい注文だ。
こんなにも姫様への、初めての彼女への愛が溢れてるって言うのに!
「エメル、この後の護衛は不要だ。少し寝ておけ。夕刻前には王城から報告が届くはずだ。そなたの成した事にも関係する故、護衛を兼ねて同席し報告を受けよ。そのためにも落ち着きを取り戻しておけ」
「えぇ……」
「これは命令だ。分かったな?」
「はい……」
でも確かに、このままだと、報告を受けてる間中、姫様を眺めてニヤニヤしちゃいそうだもんな。
それで変に勘ぐられるのもよくないか。
よし、今は姫様の言う通りにして、公務が終わったら存分にイチャイチャさせて貰おう!
◆◆
わたしのためにと用意された客室へと戻り、はしたなくもそのままベッドに倒れ込むように身を投げ出しました。
「始まる前に終わってしまいました……」
トロルロードの毒牙が迫り穢されんとしたその時、颯爽と助けに現れてくれたエメル様。
あのトロルロードを一蹴し、お姫様抱っこで囚われの身のわたしを敵の魔の手から守り連れ出してくれた、とても凛々しく頼もしい殿方。
それはまるでロマンス小説のワンシーンそのもので、その力はどの物語の英雄をも凌駕する程、比類ないものでした。
もう、わたしが十七歳で、エメル様が成人したばかりの十四歳で三つ年下だとか、わたしが第一王女で、エメル様が平民で貧乏農家の次男坊だとか、そのようなことは些細な事で問題にもなりません。
顔が熱く火照って、ときめきました。
憧れた夢物語のようなシチュエーションに酔いしれ、ロマンスの予感に心が沸き立ちました。
けれど肝心の英雄が見ていたのはわたしではなく……。
本当のお姫様は、弟のアイゼでした。
「わたし、完全に空気でしたね……」
エメル様が想いを告げ、アイゼに熱い眼差しを向けるのを、わたしは傍観者の一人として見ていることしか出来ませんでした。
その時は、何故アイゼにと内心で激しく動揺してしまいましたが……。
経緯を聞かされれば、納得するしかありません。
アイゼもわたしと同じだったのですから。
それにしても、侍女に扮した王子を姫と勘違いして、あまつさえ本気で惚れてしまうなど、なんと間抜けな英雄なのでしょう。
王子だと分かっても、なお想いを貫きプロポーズをするなど、感心を通り越して呆れるほかありません。
だからこそ、呆れてしまうほどに一途なその想いが、美しく、羨ましい。
その想いを真っ直ぐに向けられているアイゼが羨ましい。
アイゼもその想いに心打たれたから、男の身でありながらエメル様の望むままに女になって愛されたいと、女として振る舞い生きる道を選んだのでしょう。
さすが、幼い頃からわたしがロマンス小説を読ませていただけはあります。そのようなロマンチックな選択をして、物語のような恋に生きることを決めるなんて。
「だからエメル様の瞳には、アイゼしか映っていないのでしょうね……」
先ほどの互いを想い合う仲睦まじい二人の姿に、二人を祝福する気持ちと同時に、胸が痛んで苦しくなります。
何故、よりにもよって男同士で……と思わないでもありません。
ですが、アイゼには読ませていませんでしたが、ロマンス小説の中には、男同士、女同士問わず、同性同士での恋物語も多数ありますし、一部では熱烈な愛好家もいます。
そして、成就する恋ばかりでなく、悲恋で終わる恋物語も決して少なくありません。
ロマンス小説では珍しくない王族や貴族と平民の身分違いの恋も、現実ではあり得ないからこそのシチュエーションです。
だからこそ物語ではなく現実で、王太子と平民、その立場にも身分差にも拘わらず、想いを貫き結ばれた二人の想い、その美しさに一層心を打たれます。
それほどに美しい想いであるからこそ、わたしは二人を祝福したいのです。
それでも……。
「もし先に出会っていたのがわたしだったなら……」
そう思わずにはいられません。
トロルの追っ手に見つかり、追い詰められたとき、エメル様が現れてわたしを救って下さっていれば、きっと結果は違ったものになっていたでしょう。
あの一途な瞳を、想いを向けられ、プロポーズをされていたのは、きっとわたしだったに違いありません。
けれど、こうしてわたしが無事に救い出された以上、これで良かったのです。
もしエメル様がわたしの下に現れていたら、アイゼは殺されていたでしょう。
仮にわたしのように正体を明かしてその場を凌いだとしても、囚われた後、お父様とお母様と一緒に処刑されて、その首を晒されていたはずです。
アイゼだけでも無事で、本当に良かった。
だから、アイゼがエメル様のお姫様なのは仕方ないことなのです。
「ふぅ……」
それでも、やるせない溜息は漏れてしまいます。
「英雄に見向きもされなかったお姫様の話なんて、ロマンス小説にはありませんものね……」
見果てぬ夢を見ている自覚はあります。
わたしは第一王女です。
政略結婚しかありません。
その相手は、国内の貴族か、他国の王族か貴族か。
いずれにせよ、相手の殿方にこの身を委ね、この国のために尽くす運命です。
容姿も年齢も、そして性格も性癖も、わたしには選ぶ権利がありません。
我が国は小国で力がないため、選り好みする余地がないのですから。
醜く肥え太った男の異常性癖を満たすための道具として、毎晩弄ばれるかも知れません。
好色な老翁の慰み者にされ、その後は介護に費やされ、若さを全て浪費して枯れていくしかないのかも知れません。
年が近く見目麗しい殿方と結婚後に想い合い、幸せな政略結婚を送れるなど、それこそロマンス小説の中だけの話でしょう。
「もし本当にアイゼがエメル様の元へ降嫁するのであれば、わたしが戴冠し国を治めるしかないでしょうね……」
しかしそれも、どのような方を王配として迎えることになるのか。
結婚の申し込みが再開されるのは、早くてもお父様とお母様の喪が明ける一年以上先の事でしょう。
それでも果たして、本当に申し込みが来るかどうか……。
我が国の現状を鑑みれば、恐らく誰もが敬遠し、積極的にわたしの元へ婿入りしたいとは思わないでしょう。それでもどうしてもという方は、恐らく相当な事情か問題を抱えているに違いありません。
それがどのような事情か問題か、考えるだけでも憂鬱になります。
全ては忌々しいトロルロードのせいで……。
「ふぅ……」
わたしは、最初で最後のチャンスを掴み損ねたのでしょう。
「エメル様……」
逃した魚はとても、とても大きく……心の整理を付けて諦めるまでに、しばしの時が必要になりそうです。