24 トロルロードに鉄槌を
扉を突き破らんばかりの勢いで入って来たのは、一際大きなトロルだった。
「トロルロード……」
ゴクリと生唾を飲み込んで震えるお姫様。
どうやら目の前のこいつが、にっくき姫様とお姫様のお父さんとお母さんの仇ってわけだ。
普通のトロルの大きさが、大体三メートル以上から四メートル以下ってところなら、そいつは優に四メートル以上あった。肌も普通のトロルが緑色や青色なのに対して、トロルロードは濃い緑色で、腕や太股はさらにぶっといし、明らかに他のトロルと違う。
しかも、他のトロルが腰巻き程度の装備しか身に着けてないのに、そいつはなんかの毛皮で飾られた肩当てと胸当てを付けてる上に、一回り大きな戦斧を背負っていた。
トロルロードは俺を不愉快げに睨むと――
「この間男ガッ!」
――問答無用で拳を振り上げて殴りかかってきた。
「お姫様、失礼します!」
迫るトロルロードの拳に悲鳴を上げたお姫様をお姫様抱っこして、大きく真後ろに飛ぶ。
ベッドの上から離れた床の上に着地する間に見たのは、トロルロードの拳が天蓋付きベッドを粉砕し、ベッドの破片を辺り一帯に飛び散らせるところだった。
とんでもないパワーだな、おい。
お姫様が息を呑んで俺にしがみついてくる。
そんなこと考えてる場合じゃないんだけど……滅茶苦茶役得なんだけど!?
姫様に続いてお姉さんのお姫様までお姫様抱っこしちゃうなんて、もしかして俺いま、人生の絶頂期にいるんじゃないか!?
トロルロードは大穴のあいた布団から中綿を撒き散らしながら腕を引き抜くと、忌々しげに俺を睨み付けてきた。
って言うか、『間男』って、そりゃこっちの台詞だっての!
「ヒ弱な人間のクセに、生意気な真似ヲ」
トロルロードはゆっくりとこっちへ向き直ると、傲慢に見下すように、手の平を俺に向かって差し出してきた。
「死にたくナけれバ姫ヲ渡せ、その女はこのオレの奴隷ダ」
不愉快な、非常に不愉快なニュアンスだ。
「大丈夫ですよお姫様。絶対に渡したりしませんから」
身を強ばらせて震えるお姫様を、渡さないって抱き寄せて、安心出来るように格好付けて微笑む。
「は、はい……」
良かった、お姫様、信じてくれたみたいだ。
ってわけだ、文句があるなら掛かってこい。みたいな顔で、トロルロードの視線を真っ向受け止める。
「ギヒヒヒ、そうかそんなに死にたいカ」
トロルロードが弱者をいたぶりたいってゲスな笑いを浮かべて、バキバキと拳を鳴らす。
斧を握らないのは、こっちを舐めてるのと、いたぶる手加減をするつもりかな。
だからって俺がそれに付き合ってやる義理はないからな。
すぐにそのゲスな笑いを屈辱に染めてやる。
「死ぬのはお前だ馬鹿。お姫様に口では言えない乱暴狼藉を働こうとした上、よくもこの国で好き勝手して、王様やお妃様を殺して愚弄してくれたな。姫様とお姫様に代わって、俺がその報いを受けさせてやるよ!」
「ほざけヒ弱な人間ごときガ! この世は力が正義で弱肉強食! ヒ弱な人間がオレ達ニ蹂躙されるのは当然ダ! 弱いオマエ達が悪いんだからナ!」
吼えて、その巨体に見合わない素早い動きで突進してきたと思ったら、素手でも鎧ごと潰されそうな拳が唸りを上げて迫ってくる。
まだ十四歳程度の身長じゃ、トロルロードの腰にも届かなくて、これだけ体格差があるとただの拳も十分な凶器だな。
なんてことを考えながら、お姫様をお姫様抱っこしてることだし、十分余裕を持ってバックステップしてその拳をかわす。
振り抜かれた拳は、多分全然全力じゃないんだろうけど、クローゼットに当たって中の衣装ごと粉砕してしまった。
「あっ、ご免なさいお姫様、大事な家具と衣装が」
「い、いえ、そのような物、構いません。それより今の内に逃げて下さい!」
「逃げる必要なんてないですよ。これから俺がトロルロードを倒すんですから」
拳を振り抜いたトロルロードが、それでこそいたぶり甲斐があるって言わんばかりの顔で、余裕たっぷりに俺に向き直った。
「ちょっとは素早いようだガ、それがどうしタ? これを見て、まだオレを倒すナド馬鹿げたことをほざくつもりカ?」
壊れたベッドやクローゼットを顎でしゃくるけど、それこそ、それがどうしたって話だよ。
そんなの、肉体改造した俺だって余裕で出来るっての。
「ああ当然だ。力が正義で弱肉強食ってんなら、俺がお前を蹂躙して殺しても許されるってわけだろう? だって俺の方が超余裕で強いんだからな」
「ヒ弱な人間ごときが吼えるナ!」
あまりの俺の余裕の態度に、あっさり切れるなんて煽り耐性がないんだな。
それだけ、これまで一方的に蹂躙してきたってことなんだろうけど。
まあ、それもここまでだ。
「じゃあ今から分からせてやるよ、弱いお前が悪いんだってな」
遥か頭上にあるトロルロードの顔を見上げながら見下して、お姫様抱っこ中でポーズは取れないから、声に威圧を乗せて叫ぶ。
「顕現せよ、我が契約せし土の精霊、モス!」
『ブモォォ!』
いつもの演出通り、床から土塊がボコボコと出現して小山になって、それがバンと飛び散ると、牛の魔物ベヒモスの姿をした土の精霊モスが現れる。
腕の中でお姫様が息を呑んで身を固くして、悠々と俺に近づいてきていたトロルロードが、ビクリと思わず足を止めていた。
「ナッ、なんだそれハ!?」
「ま……まさかエメル様の契約精霊なのですか!?」
一拍遅れて、トロルロードだけじゃなくお姫様も驚愕で目を見開く。
「そうですよお姫様。俺の契約精霊の一体、モスです」
普段、俺の契約精霊達は姿も気配も完全に消している。それこそ、精霊を見える人達にも感知出来ないレベルでだ。
だってそうしないと、俺より大きな契約精霊を八体もゾロゾロ引き連れて歩くことになるからな。
でも今は、姿どころか気配……つまり、内包するエネルギーがどれほどあるのかを、一切隠さずに解放させている。
「バ、バカなッ、そんなデカい強力な契約精霊ナど、上級妖魔のヴァンパイアすら従えてイないゾ!?」
「へえ、そうなんだ? でも、俺は従えてるぞ」
初めて焦りの表情を見せてじりっと後ずさったトロルロードに、超余裕で煽るようにニヤリと笑ってみせる。
「モス」
俺が声をかけると、モスが素早くベッドの瓦礫の方へ走って、お姫様を縛り付けていた手枷と鎖をトロルロードへ向かって蹴り飛ばした。
しかも飛んでいく最中に、手枷と鎖がぐにぐにと形を変えて、イメージ通り、丁度トロルロードの首と手首にぴったりサイズの、三つの大型拘束具に変形する。
そしてその大型拘束具は、見事トロルロードの首と手首に命中して嵌められた。
さらに強力な磁力を発生させて、首と手首の拘束具をガッシリくっつけさせると、溶接したようにそのまま一体化させて固定する。
「いい格好だな。罪人がするには丁度いい拘束具だろう?」
「罪人だト!? ふざけるナ! コレを外せ! ブッ殺してヤる!」
トロルロードがどれだけ暴れてもがいても、拘束具はビクともしない。
本当はそのままだとミシミシギシギシ言ってぶっ壊されそうなんだけど、常時モスが修復してくれてるから、絶対に壊れることはない。
「オイ誰か!! さっさと来い!! このフザケた人間をブッ殺せッ!!」
ビリビリと空気が震えるような、耳が痛くなるほどの大音声でトロルロードが他のトロルどもを呼びつける。
先に手を打っといて正解だったな。
「いけません、トロル兵が集まってきてしまいます!」
真っ青になったお姫様が、俺にしがみついて震える。
「大丈夫ですよお姫様。俺が精霊に指示して、この部屋で何が起きても外に漏れないように、すでに魔法を使ってますから」
「!? 本当なのですか……?」
「はい、もちろん」
超余裕の顔で微笑むと、お姫様は信じてくれたようで、しがみついていた手の震えが止まる。
「バカなっ!?」
対して、驚愕の声を上げたのはトロルロードだ。
「証拠なんていちいち見せる必要もないだろう? トロル一匹駆け付けて来てないんだからな」
「オノれ……キサマだけは絶対にブッ殺してヤる!」
「今からぶっ殺すのは俺の方だっての。お前にはたっぷりと恐怖を刻んでから殺してやるよ、せいぜい後悔するがいいさ」
気分は断罪の魔王って言うか、演出でたっぷりもったい付けてから声を張り上げる。
「顕現せよ、我が契約せし闇の精霊、デーモ!」
『お呼びでしょうか、我が主』
俺の隣に闇の霧が溢れ出して、渦を巻いて凝縮し人型になり、悪魔の角と翼、そして尖った尻尾を持った、露出過剰な水着みたいな衣装を着た、無慈悲な微笑みを浮かべるデーモが姿を現す。
「ナッ……それもキサマの契約精霊だト!?」
「モス、デーモ、合体魔法いくぞ、グラビティだ、やれ」
「グガぁッ!?」
土の精霊と闇の精霊の合わせ技で、十倍の重力を発生させて、トロルロードを床へと押しつける。
鋼みたいな筋肉を持つトロルロードも、罪人よろしく首と両手首を拘束された格好じゃさすがに起き上がれないみたいで、床を舐めるように突っ伏していた。
実にいい格好だ。
さらにトロルロードの戦斧を宙に浮かせて、トロルロードの眼前へと持って来る。
「その重力のままに、この戦斧をお前の首に落としたらどうなるかな?」
「ガ、アアアッ、キサマぁッ!」
血走った目で俺を射殺さんばかりに睨み付けてくるけど、残念だったな。
こうなった以上、お前に勝ち目はないんだよ。
「トロルロードのオレに、こんな真似をシて、タダで済むと思ってるのカ!?」
「随分と偉そうだな。トロルロードがなんだってんだ?」
本気で首を傾げたら、腕の中のお姫様が真っ青な顔で俺に取りすがってきた。
「トロルロードはトロルの王族です。もしトロルロードを手にかけたとなれば……かの国は本気で我が国を滅ぼしに来るでしょう」
なるほど、そういうことか。
でも、だからなんだってんだ?
俺の足下に転がったまま勝ち誇ったように笑うトロルロードを、蔑むように見下ろしてやる。
「トロルロードだろうがなんだろうが、俺より圧倒的に弱っちいお前らは俺に蹂躙されるだけの存在だろう? いいぜ、いくらでもかかってこいよ。なんなら逆にお前らの国に攻め入って、一匹残らず絶滅させてやろうか?」
「ほざケ! キサマらヒ弱な人間がオレ達トロルに勝てるわけが――」
「顕現せよ、我が契約せし炎の精霊、レド!」
炎が渦巻いて、その中から大きく翼を広げたレッドドラゴンが姿を現す。
『ギャオォ!』
「――ッ!?」
「顕現せよ、我が契約せし水の精霊、サーペ!」
『シャアァ!』
間欠泉のように水柱が立ち上って、体長数メートルのサーペントが姿を現す。
「顕現せよ、我が契約せし風の精霊、ロク!」
『キェェッ!』
突風が渦巻き、突風が四方八方に飛び散ると、翼を広げた巨鳥ロックが姿を現す。
「バッ、バカなっ!? イッ、イッたい何体の精霊と契約してるんダっ!?」
「さあ、何体だろうなぁ? 顕現せよ、我が契約せし光の精霊、エン!」
『参上いたしました、主様』
眩しい光が収束していき、やがて人型を取ると、天使の輪と白い翼を持つ天使が姿を現す。
「顕現せよ、我が契約せし生命の精霊、ユニ!」
『ヒヒィーン!』
床に銀色の光の魔法陣が描かれて光が立ち上り、その魔法陣の中からせり上がって、白みがかった銀色のユニコーンが姿を現す。
「顕現せよ、我が契約せし精神の精霊、キリ!」
『はっ、こちらに、我が君!』
金の光の円盤が宙に現れて下に落ちていくと、頭から順に、槍を携え金色に輝く甲冑を身に纏った戦乙女が姿を現す。
八体の契約精霊全てを実体化させて、トロルロードを取り囲んでやる。
トロルロードは顎が外れたように愕然としてて、もう声もないようだった。
まあ、お姫様も似たようなもんで、やっぱりそれだけ驚愕の光景なんだろう。
「で、トロルに勝てるわけが、なんだって?」
「ギザマァァァッ!!」
八体の契約精霊に完全に気圧されて、悲鳴のような叫びを上げるトロルロード。
「これからお前を処刑する。その次は、この王城と王都にはびこってるトロルどもを一匹残らず殲滅する。さて、その後はどうなるだろうな? 攻めてきたら攻めてきた分だけ、蹂躙して殲滅してやるよ。お仲間が絶滅する前に、お前の国が懸命な判断を下せるといいな?」
「ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ!」
恐怖と狂気と殺意に血走った目で、『殺す』を連呼する姿はあまりにも無様だ。
八体の契約精霊が内包するエネルギー量に、俺の言葉がハッタリでもなんでもないって理解したんだろう。
もはや手遅れだけどな。
俺の合図で、戦斧が宙に浮かび上がって、トロルロードの首の上にくる。
「お姫様、俺はこいつらを許せないんで、本気でこいつを殺します」
「……分かりました」
「じゃあこれからちょっと残酷なシーンになるんで、見るのが辛いなら目を閉じて耳を塞いでていいですよ」
「……いえ、お気遣いは無用です。わたしは王女として、見届ける義務と責任があります」
「そうですか、分かりました。強いんですね、お姫様は」
「そんな、わたしは強くなんて……」
キリリと姫らしい表情を見せたかと思えば、一転して頬を染めるこの愛らしさ!
つい緩みそうになる頬を引き締めて、精一杯優しく微笑む。
「いえ、すごく強いと思いますよ。尊敬しちゃうくらいに」
こんな醜い生き物の処刑なんて、本当は見たくもないだろうに。
しかも、トロルロードを殺せばその報復に、この国を滅ぼしにトロル達が本気で攻めてくるかも知れない。
だけど、それでも、俺を止めない。
もし攻めてきたら俺が殲滅する。
その言葉を本気で信じてくれたとは思わないけど、トロルロードをここまで手玉に取ってる俺に、わずかでも期待か、命運を委ねてくれたんだろう。
だから両親の仇を討つ。そして、全面戦争になったら自分が責任を取る。
そう覚悟したに違いない。
やばいな、姫様との約束がなかったら、本気でお姫様に惚れちゃってお嫁さんに下さいって言うところだったよ。
「さて、それじゃあ……」
「ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ!」
憎しみだけで人が殺せたら、そんな殺意を込めて『殺す』を連呼するトロルロードに、格好付けてふっと笑ってやる。
「因果応報って奴だ。悔いながら死んどけ」
「ゴロズ! ゴロズ! ゴロズ! ゴロ――!」
ドン!
と戦斧が落ちて、その大きな首がゴロンと転がり、部屋の中が静まり返った。
「これで……わたし達はもう引き返せませんね」
「大丈夫、もしもの時は俺がなんとかしますから。責任は取りますよ」
「これだけの契約精霊を持っているエメル様であれば、本当になんとかしてしまうかも知れませんね」
クスリと小さく笑ったお姫様。
やばい、滅茶苦茶可愛い!
なんか顔が熱くなってしまって、浮気してるようで、ちょっと後ろめたいんだけど。
それを誤魔化すように軽く咳払いする。
「お父さんとお母さんの仇を討ちましたよ、姫様」
次期公爵の屋敷で待ってる姫様の代わりに、王様と王妃様のために黙祷を捧げた。