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22 第一王女フィーナシャイア

◆◆



 わたしは、マイゼル王国の第一王女フィーナシャイア・ジブリミダリア・マイゼガントとして、王家に生まれた娘としての運命を受け入れています。


 第一王女としての最たる役目は、国で最高の政略結婚の道具と言えるでしょう。


 我がマイゼル王国は小国です。

 その上、南に妖魔陣営のトロルのガンドラルド王国、東に人族陣営のエルフのフォレート王国、北に人間のゾルティエ帝国領レガス王国という、幾つもの大国と国境を接しています。

 謂わば、大国同士にとって緩衝地帯になる小国、そのうちの一つでしかありません。


 しかも近年、ガンドラルド王国は人族陣営の周辺国と頻繁に小競り合いを起こしており、十年ほど前には我が国と西で国境を接する人間の小国ナード王国と小競り合いでは済まない戦争もしています。

 その時、我が国はナード王国の同盟国として援軍を送りましたが、結局はナード王国の南方の領地を一部奪い取られ、その地の住民を奴隷として連れ去られてしまいました。


 そして、その程度で満足するようなガンドラルド王国ではないのです。

 フォレート王国とまで小競り合いを起こし、国際情勢は一気にきな臭くなってきています。


 いつか我が国もガンドラルド王国に狙われる。

 それは誰もが漠然と抱えていた不安でした。


 そこで、第一王女たるわたしの役目が非常に重要となりました。


 その役目とは、レガス王国の王族へと嫁ぎ、レガス王国の、ひいてはゾルティエ帝国の庇護を受けて、この難局を乗り切ることです。

 少なくともお父様……国王陛下のお考えはそうであり、我が国が自力で独立を貫くのが難しい以上、わたしもそのお考えに賛同していました。


 四つ年下の弟王子、アイゼが精力的に内政と外交について学び、次期国王としての自覚も意識も高かったため、そんな可愛い弟がいれば我が国も安泰です。

 ですから、アイゼが国王として戴冠したときその助けになるようにと、レガス王国との婚姻は積極的に進めるべきだとわたし自身も考えていましたし、事実、両国間で実務協議は順調に進んでいました。


 つまりわたしは、小国とはいえ一国の王女でありながら結婚相手を選ぶ余地もなく、かなり幼い時点から運命は定められていたのです。



 だからでしょうか。

 日々の王女としての教育を受ける中で、唯一の心の安らぎ、慰めとなったのは、ロマンス小説でした。


 国王を騙して国を乗っ取ろうとする大臣。

 その大臣に無理矢理妻にされそうなお姫様。

 そのお姫様を救い出す勇敢な騎士。

 そんな登場人物達が織りなす、ハラハラし、胸躍り、そしてうっとりとしてしまう、事件とロマンス。


 妖魔に襲われて滅びそうになった国のお姫様。

 そのお姫様を燃え盛るお城の中から救い出す旅人。

 そんな登場人物達が織りなす、恐ろしく、辛く、そして最後に安堵し憧れてしまう、戦争とロマンス。


 お姫様と忠誠を誓う騎士が、本来なら出会うはずもないお姫様と旅人が、身分も立場も越えて惹かれ合い、恋に落ち、結ばれる。

 なんて、美しく、心ときめく物語達。

 同じ姫としての立場にありながら、望んでも決して得られない、恋物語。


 わたしも、こんな殿方と出会いたい。

 こんな殿方に救われ、攫われ、恋に落ちてみたい。

 叶わぬ夢と分かっているからこそ、夢に見るほどに強く焦がれました。


 そして、その思いを誰かと語り合い、分かち合いたかったのですが……。


 我が国は小国故に貴族の数が少なく、必然的にその子息子女も少ないため、同じ趣味を分かち合える同世代の同性の友人というのは非常に得にくく、ロマンス小説について共に語り合える親しい友人はいませんでした。

 刺繍、楽器演奏、ダンスなどであれば、語り合える友人はいたのですが……。


 ですがわたしが一番語り合いたかったのは、ロマンス小説についてだったのです。

 それはもう、話し相手欲しさに弟のアイゼにロマンス小説を勧めてしまうくらいに。


 アイゼが男の子にしては夢見がちなのは、きっとそんなわたしのせいでしょうね。


 もちろん分かっています。

 国の命運を背負って政略結婚しなくてはならないわたしにとって、それは現実逃避でしかないことを。


 ですが、そのくらいは許して欲しかった。

 だってそのくらいしか……空想して夢見るくらいしか、わたしの自由になることはなかったのですから。



 しかし、歯車は狂ってしまいました。


 順調に進んでいたはずのレガス王国との実務協議が、突如打ち切りになったのです。

 レガス王国の王族との婚約の話は白紙撤回されました。


 それは仕方ない部分もあります。

 事態や情勢が変わり、我がマイゼル王国と婚姻関係を結ぶよりも有益な相手が他に出来れば、そちらと婚姻関係を結ぶでしょう。

 それは、国家間、王族間に限らず、普通に貴族間でも当たり前に起きます。


 ただ、腑に落ちない点がありました。

 何故か、レガス王国でわたしが悪し様に言われているというのです。

 お相手の候補とは、直接会って話をしたことはおろか、手紙や贈物のやり取りすら、まだしていなかったというのに。


 その後、他国の王族からも婚姻の申し込みが途絶えました。

 レガス王国と実務協議中も、他国から打診があっていたのにです。


 さらに、それなら国内のいずれかの貴族家へ降嫁(こうか)をという話になるはずが、それすらも有力な候補が現れずに遅々として進みません。

 お父様もお母様もハッキリとは(おっしゃ)いませんでしたが、どうやらそこに何者かの意図が……よからぬ思惑が絡んでいたようでした。


 調べた結果、裏に我が国の重鎮、アーグラムン公爵の姿が見え隠れしていました。

 領地が近いため、フォレート王国と密な関係を築いていると言われているアーグラムン公爵が、我が国とレガス王国……つまりゾルティエ帝国と関係強化するのを嫌ったためではないか。

 それが予想でした。


 曾祖父である先々代の国王陛下、その弟君が叙爵されて(おこ)った公爵家で、我が王家とは血の関係が希薄になりつつありますが、それでもまだ王家と縁戚関係にあると呼んで差し支えのない貴族家です。


 それを知って、わたしは愕然としてしまいました。

 我が王家は、そのような貴族家を抑えることも出来ないほど力を失っていたのかと。

 王女であるわたしの婚姻を、王家が取り仕切ることも出来ないのかと。


 益々ロマンス小説へ傾倒してしまったのは、わたしの心が弱いからでしょうか……。



 そして事態は最悪の展開となりました。


 遂に始まったガンドラルド王国による侵略。そして陥落する王都。


 わたしとアイゼはトロルの目を眩ませるために侍女に(ふん)し、囮となる多くの侍女達と共に王城を脱したのです。

 囮となってくれた侍女と近衛騎士達が先行してトロル達の目を集め、トロルの戦力が空白になった道を、アーグラムン公爵領目指して走りました。


 口惜しい話ですが、王都防衛戦に戦力を出さなかったアーグラムン公爵の兵力を当てにするしかありません。

 アーグラムン公爵の思惑が透けて見えていても……わたしがアーグラムン公爵が望む通りの家へ嫁ぎ、国政の実権の多くを奪い取られ、事実上、その背後にいるであろうフォレート王国に支配されてしまうことになったとしても。


 それでも、愛する祖国を失うわけには、多くの民をトロルの奴隷にするわけにはいきません。

 道ばたに転がる、囮となってくれた侍女と近衛騎士達の亡骸(なきがら)を踏み越えてでも、わたしはアーグラムン公爵領を目指すしか方法がありませんでした。


 しかし、トロル達はそんなわたしの決意を嘲笑うかのように、わたしの前に立ち塞がってしまったのです。


 何も成し得ないまま殺されてしまう……。

 その恐怖に、膝から崩れ落ちて、わたしは悲鳴を上げることも出来ませんでした。


 そんなわたしを庇うようにトロル達の前に立ちはだかったのは、一番年若い見習い侍女でわたしに同行していたレミーでした。


「このお方に手を出すことは許しません! このお方は第一王女フィーナシャイア殿下ですよ!」


 それが賢い選択だったのかは分かりません。

 レミーが必死に訴えたことで、わたしとレミーはトロルに殺されずに済みました。

 しかし、囚われの身となってしまいました。


 深く考える間もなく、咄嗟の行動だったのでしょう。

 トロルに連行されながら、レミーは泣きながら何度も何度も謝ってくれました。


 殺されずに済んで良かった、生きていればきっと事態を覆す機会は巡ってくる。

 そう思わなければ、何事もなせないまま命惜しさに虜囚となる、その屈辱を耐えられそうにありませんでした。



 しかし、いっそこのとき殺されていた方が幸せだったかも知れません……。


「お前ガこの国の姫カ」

 トロルロードが現れ下卑た笑いを浮かべたとき、もはや絶望しかありませんでした。



「……わたしはトロルロードの妻になどなりません!」

 一瞬、気が遠くなるかと思うほどの、理不尽でおぞましいトロルロードの要求に、わたしは強く拒絶の言葉を返します。


 取り乱し声を荒げるなど、およそ淑女に相応しくない振る舞いですが、そんなことを言っている場合ではありません。

 屈しないと、強い意志を込めて、普通のトロル兵よりもさらに一回り以上大きなトロルロードをきつく睨み上げます。

 しかし、トロルロードを怯ませることすら出来ませんでした。


「オマエの意見ナド聞いてイない。オレがそうしたいカラそうスるだけダ。オマエらヒ弱な人間は奴隷にナって、オレニ従ってイればイイ」

 横柄どころか、弱者をいたぶって楽しみたいって下卑た笑いを浮かべているトロルロードに、背筋が冷たくなって身震いしていました。


 その言葉が全てなのでしょう。


 たとえ一国の王女であったとしても、わたしなど対等に見る必要もない、(はな)から人間など奴隷(もの)くらいにしか考えておらず、その程度の価値しか見出していないのが、目を見れば分かりました。

 だから、侵略し、殺し、奪い、一方的に要求を突きつけて、力で従わせるだけ。

 弱肉強食が世の常であり、力が正義のこの世界では、力がない敗者は何一つ我を通す権利はないのですから。


 だとしても……。


「そのような野蛮な真似を陛下がお許しになるわけがありません! 我が国の貴族達も兵達も、ただでは済ましませんよ!」

「ハッ、ハハハハハハハハハ!」

「な、何がおかしいのですか!?」


 腹を抱えて心底愉快そうに笑うトロルロードの目は、わたしを見下すだけでなく、上から憐れむように笑っていました。

 あまりの不快さにわたしが抗議しようとするよりも早く、トロルロードが従えていた二匹のトロル兵に合図を送り、それぞれ布を被せられた何かを差し出させます。


 ニヤニヤと笑いながらトロルロードがその布を取って――


「いやあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!?」


 わたしの悲鳴を打ち消すくらいに、トロルロードが哄笑していました。

 お父様とお母様の、怨嗟と恐怖に満ちたその表情は、きっと一生忘れられないでしょう。



 それからトロルロードが何を言っていたのか、わたしがなんと返したのか、まったく覚えていません。


「姫、今夜また来ル。それまでニ覚悟をシてオケ」

 最後部屋を出て行く間際の、嘲笑うようなその言葉だけが耳に残っていました。


「お父様…………お母様…………」

 静まり返った部屋に、わたしの啜り泣く声だけがやけに大きく聞こえて、泣くことしか出来ない自分がひどく惨めでした。


 これより待ち受ける、想像もしたくないおぞましい未来に、またしても気が遠くなりかけます。


 妻などと名ばかりの奴隷(もの)

 わたしがどれだけ泣き叫ぼうと許しを請おうと、(なぶ)られ、(けが)され、(はずかし)められ、トロルロードの気が済むまで、蹂躙(じゅうりん)は終わらないでしょう。

 そしてそれは、トロルロードが飽き、わたしが用済みになり、わたしが命絶えるか、不要な奴隷(もの)として処分されるまで、連日続けられるのでしょう。


 牢に入れられるでもなく、壁に繋がれるでもなく、罪人のようにおもり付きの足枷を嵌められるでもなく……ただ片手だけに枷を嵌められ鎖でベッドに繋がれている。

 それの意味するところは一つです。


 そのような無体、正気でいられるはずがありません。


 ですが、わたしの気が狂おうと、心が壊れようと、身体さえ壊れなければ、トロルロードはそれでいいのでしょう。

 望まぬトロルロードの子供を産まされ、その子供に我が王家の名であるマイゼガントを継がせ、女系の王族としてこの国を支配させるに違いありません。


 女系の王族が玉座に座った時点で、マイゼガント王朝は滅亡し、トロルの王朝が始まります。

 そしてその玉座に座ったトロルロードの子供に同じトロルを娶らせ、さらに子供を産ませれば、マイゼガントという王家の名を持ちながら、王家の血など一滴たりとも流れていない、純血のトロルがマイゼル王国の正統な王族として支配者の座を手にすることになるのです。


 何故こんなことになってしまったのか……。

 王城より脱したとき、いっそ殺されてしまっていた方が、どれほど幸せだったでしょう。



 わたしはロマンス小説が好きです。

 夢と希望と愛に満ちた心ときめく物語が。


 ロマンス小説であれば、このような無体な目に遭うお姫様の元には、必ず英雄が現れます。

 騎士であったり、旅人であったり、執事であったり、貴族の子弟であったり……。

 強く、優しく、頼もしい、そんな物語の中の英雄達。

 理不尽な目に遭うお姫様を守り、救い出し、そして恋に落ちて結ばれるのです。


 ああ……なんて美しい物語でしょう。


「……れか…………」


 ですが、現実は夢物語ではありません。

 どれだけ望もうと、そのような英雄は現れません。


「…………けて……」


 いつしか日が(かげ)ってきていました。

 空が茜色に染まり、夕闇が迫ってきています。


「お願い…………」


 もう時間がありません。

 日が落ちれば、トロルロードが再び現れるでしょう。

 それがわたしの最期です……。

 視界が滲んでもう何も見えなくて……声も掠れて嗚咽が交じります。


「お願い…………お願いです……誰か助けて……」


 答えてくれる者などいないのに、それでもわたしは――



「遅くなってご免なさい! もう大丈夫、助けに来ましたよ、お姫様!」



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