208 親善大使と言う名のスパイ
「済まなかったエメル。せめてもう少しなんとかしたかったのだが」
「わたしも、まさかあのように海のものとも山のものともつかない土地を下賜することになるとは、考えてもいませんでした」
褒賞決定会議が終わり、館のリビングに戻って来て開口一番、アイゼ様とフィーナ姫がそう謝ってきた。
「そもそも返還される領地は、価値が分からぬ上に、住民が長らくトロルどもの奴隷にされていたのだ。統治が難しい事は目に見えている。だから反王室派の貴族達で、処刑するまでもないが、なにかしら罰を与える必要がある者達に、転封して押しつけるつもりだったのだ」
「これではまるで、王家がエメル様の功績を妬み、恐れ、遠ざけ力を削ぎ、貶めようとしているように見えるではありませんか」
うん、そんなわけないもんな。
「しかし、エメルであればなんとかしてくれるのではないか……との思いと、イグルレッツ侯の言うことも一理あり、それも悪くないと思ってしまった」
「二人とも、そんな顔しないで下さい、大丈夫ですよ」
悔しくて、情けなくて、俺に申し訳なくて、って顔をされたら、俺も困る。
そんな顔をさせたくて、陞爵と領地の下賜を褒賞として受け取ったわけじゃないんだから。
「住民とのコミュニケーションに関しては、情報がなさ過ぎて今はどうしたらいいか全く分からないですけど、領民が働いてくれるなら、土地は別になんにもない荒れ地でも構わないですよ。少しばかり時間と労力が掛かりますけど、土壌改良して、一大穀倉地帯に変えちゃえばいいですしね。それで辺境伯になって爵位がまた上がれば、もっと二人と結婚しやすくなるじゃないですか。むしろピンチはチャンスですよ」
「……そうか。うむ、さすがエメルだな」
「そう言って戴けると、胸のつかえが下ります」
反王室派としては、これで俺が苦労すればいいって思ってて、開発と領地経営に失敗すれば、俺を攻撃出来る材料が出来て万々歳だろう。
王室派としては、返還される領地の処遇を少しでも決めたかったし、そこで俺が開発と領地経営に成功すれば、王室派の勢力が増して万々歳だろう。
王室派の中でも、俺が王様になって姫様とフィーナ姫をお嫁さんにする気だって知ってる連中は、国より小さな一地方の領地経営を試金石にしようって心づもりだと思う。
そこは、事前に姫様やフィーナ姫とも話してて、目的が同じだからいいけどさ。
ともかくそんな感じで、今回は敵も味方も、多くの貴族達の利害が一致しちゃったから仕方ない。
「むしろ、いい土地を貰って成功するより遥かに功績は高く、インパクトもあるでしょうしね」
胸を張って自信を見せると、ようやくフィーナ姫が笑ってくれた。
「ただ、本格的に領地経営するなら、そのための勉強と、支えてくれるスタッフが欲しいですね」
「そうですね。それはわたし達の方で手配しましょう」
「そうしてくれると助かります」
これで、これまでの業務とパーティーの準備、王様になるための勉強に加えて、さらにもっと具体的に領地経営とそれに関する法律の勉強をすることになってしまったな……滅茶苦茶忙しくなりそうだ。
……よし、一人じゃ大変過ぎて心が折れそうだから、誰か道連れにしよう。
誰かって言うか、ナサイグだな。
元伯爵家の次男だし、ちょっとくらい領地経営の予備知識はあるだろう。
後は……モザミアかな?
男爵令嬢で、俺に雇われて領地経営がしたいって勝手に話を進めてその気になってるから、喜んで道連れになってくれそうだ。
ただまあその場合、モザミアを雇用するのはほぼ決定になっちゃうけど。
どっちにしろ、領地経営のための人材も人手も足りないから、多少なりともその手の知識がある人が協力してくれるのは大助かりだからいいか。
後で、モザミアの父親のユーグ男爵に、正式に話を通して許可を貰わないといけないから、ちょっと頭が痛いけどさ。
ふと、アイゼ様が難しい顔をする。
「しかし、負け惜しみを言うわけではないが、ある意味で、アーグラムン公爵派の貴族の領地でなくて良かったかも知れぬ」
「と言うと?」
「実はそなたに与える領地がどこがいいか調べさせていたのだが、アーグラムン公爵派の貴族の領地において、各地でほぼ同時期に不審な盗難事件が発生していることが分かったのだ」
「不審な盗難事件って……何を盗まれてるんです?」
「綿花の種だ」
「それってまさか……!?」
俺の予想を裏付けるように、フィーナ姫が顔を曇らせる。
「ええ、まず間違いなく、フォレート王国の仕業でしょう。不審人物を見かけたとの報告もあります。綿花と綿織物はフォレート王国にとって重要な産業です。アーグラムン公爵の傀儡政権が誕生しなかった今、わたし達王家にその重要な物資を渡したくはなかったのでしょう」
確かに、時期的にも、そう考えるのが妥当だよな。
「さらにフォレート王国は、綿花をエメル様に利用されるのを恐れたのではないでしょうか」
「俺に利用されるのを恐れる?」
「ええ、エメル様が土壌改良して綿花を育てれば、恐らくフォレート王国でしか栽培されていない高品質の綿花に匹敵するでしょう。重要な産業であるため、それだけで大きな打撃となるはずです」
なるほど、それは確かに。
そこまで考えてなかったけど、確かにそっちのどこかの領地を貰って、綿花があるってなったら、フォレート王国への意趣返しに綿花を農政改革の対象にして、高品質な綿花を育てることを思い付いてただろうな。
根拠はないけど、多分、フィーナ姫の予想は正しいと思う。
逆の立場なら、俺だって利用されないよう盗んで取り返すだろうし。
「そのような状況にある領地をエメルに与えていいものかと悩みもしたが、無事な綿花の種もあるのだ。たとえ少量でも、エメルであればいずれ大量に栽培することに成功するだろうと思って、そこまで大きなデメリットとして捉えていなかったのだ」
「軍務大臣の言いようではありませんが、フォレート王国に対する、東の備えにもなりますから」
「二人ともそんな申し訳なさそうな顔しないで下さい。大丈夫、ちゃんと分かってますから」
アイゼ様の言う通り、それはそれほどのデメリットじゃないし、二人が信頼してくれた証でもあるんだから、俺が怒るような話じゃない。
むしろ、代わりにそれらの領地を与えられた貴族達の方が大変だろう。
美味しい産業の綿花と綿織物が潰れた事になるんだから。
「それにしてもまったく、好き放題やってくれますよね、フォレート王国は」
「ええ、まったくです。その上、大胆にもフォレート王国は、我が国に親善大使を派遣すると言ってきたのです」
「はあ!? 親善大使!?」
傀儡政権を打ち立てようと、アーグラムン公爵の裏で糸を引いて反乱まで起こさせて、失敗したからと綿花の種を盗んで、それとは別に俺の懐にスパイを潜り込ませようとしてて、それでどの面下げて親善大使なんて送ってくるんだ!?
完全に舐めてるよな!?
喧嘩売ってるよな!?
「まさか、例の第二王女じゃないでしょうね?」
だったら俺、真正面から喧嘩を買う自信があるぞ。
「いや、さすがにそこまで厚顔無恥ではないようだ」
「ですが、別の意味で少々厄介な方です」
二人とも困り切った顔をして、なんかもうそれだけで、面倒臭くって詳細を聞きたくないんだけど。
「その方は、第三王女マリーリーフ・エアレディア・フォレティエート様と仰って、フォレート王国では精霊魔法の研究をされている方だそうです」
おいおい、それってもう、目的が見え見えじゃないか。
「要は俺の秘伝を探りに来るってわけですね」
「恐らく、その通りかと思われます」
「それ、断れないんですか?」
「無理だな。そなたの帰国事業で、フォレート王国国民のエルフを送ることになっただろう。それに感謝し、これまでのことは水に流して、国同士で積極的に交流を持ちたいと、そう言われてはな」
もう、どんだけだよ……。
「『水に流す』って、お前が言う台詞じゃないだろうって話ですよ。そんな建前が通用するとでも?」
「そう、建前でしかないのは分かっている。しかし、これを断ることになれば、フォレート王国との緊張は一気に高まるだろう。もし今、東の国境線を越えられたら、東の領地は壊滅しかねんのだ」
「確かに……代官を送ってても領主は不在ですし、領軍もかなりの戦力を失ってますもんね。組織的な抵抗は無理ですね」
「しかもこれ以上戦争が続けば、トロルの次は反乱に次ぐ反乱で、さらに今度はエルフと戦争をするのかと、国民の王家への不信感も高まり、国民の負担も大きくなり過ぎる」
それは確かに、アイゼ様としては許容できないか……。
「かといって、その時もまたエメル様に出て戴くことになりますと、王室派の貴族達からも、さすがにエメル様の功績が大きくなりすぎる、重用しすぎると、不満が噴き出すでしょう。反王室派であれば、言わずもがなです」
それは今回の褒賞決定会議を見ても、地方の反乱軍掃討を遠慮してくれって言われたのでも明らかだ。
さすがに俺も、これ以上戦争で派手に目立って功績を挙げるのは遠慮したいもんな。
王室派まで俺の排除に乗り出してきたら、王様になって二人をお嫁さんにする目的が遠のいちゃうし。
「それならば自分達で戦い功績を挙げなさいと言っても、彼らの多くが疲弊しており、トロルと同等の脅威であるエルフの軍勢を相手に戦えるだけの力は残っていません」
「その場合、アーグラムン公爵派の領地一帯を奪い取られるだけで済めば、御の字となるだろうな」
「つまりフォレート王国はそんな事情があるって分かってて、こっちが断れないと踏んでるから、親善大使を送り込んでこようってわけですか」
もはやそこまでいくと、大胆を通り過ぎて図々しいだろう。
もういっそ今からフォレート王国の王都に飛んでって、瓦礫の山に変えてやろうか。
「済まぬな、こうまでフォレート王国に好き勝手されてしまう不甲斐ない王太子で」
「そんな、アイゼ様が謝ることじゃないですよ」
よくも『俺の嫁』にこんな苦労をかけてくれたな!
フォレート王国、許すまじ!
「ともかく、そのような理由から、親善大使を受け入れざるを得ません。あちらも準備があるでしょうが、こちらも受け入れのための準備が必要ですから、恐らく、早くても来年の春以降の話になると思われます」
「分かりました。注意しておきます」
「うむ、済まぬがよろしく頼む」
ひっくり返らない話なら、それ相応の対応をしてやるだけだ。




