20 愚かな平民の勘違い
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「じゃ、じゃあ、姫様、俺のお嫁さんになって下さい!」
なんでも望みのままに褒美を取らせる。
それは、ただの口約束。
王都を奪還し、トロルを全て国外へ追い払い、戦争に勝利して国が平和と安寧を取り戻さない限り、褒美を取らせる余裕などありはしない、ただの空手形だ。
その口約束の空手形に、それを理解しないまま本気の褒美を願った、空気の読めない馬鹿な農民の息子が一人、空の彼方へと飛び去っていった。
誰もが唖然として、しばらく口がきけなかった。
エメルがトロルを一撃で屠れる程の精霊魔術師であることは、ラムズはアイゼスオートとクレアから伝え聞いていたし、ただの平民が客人待遇で持て成されている疑問と不満解消のために、その場の兵達にも説明されていた。
だから、エメルが精霊と契約していたところで、それは驚きに値しない。
しかし、そのサイズがあり得なかった。
十四歳で成人して間もないエメルの身長は平均程度。
そのエメルより頭二つ分も大きな精霊など、前代未聞である。
精霊魔法に特に秀でていると言われるエルフの王族でさえ、そのように巨大な契約精霊を持っているなど聞いたことがなかったからだ。
契約精霊が持つエネルギー量は、そのままその精霊が扱える精霊力に等しい。
それほどの精霊が繰り出す攻撃魔法が果たしてどれほどの威力を秘めているのか、想像すら出来なかった。
しかし……それだけと言ってしまえばそれだけの話である。
トロル兵を十数匹も倒せばエメル本人の精霊力が底をつくだろう。
どれほどの威力の攻撃魔法を放とうと、たった一人でトロル兵五千を敵に回して勝てる道理はなく、トロルロードを討つどころか、囚われのフィーナシャイアの元へ辿り着くなど不可能と言っても過言ではない。
そう……そう考えるのが普通だ。
しかしアイゼスオートは、エメルが無知で世間知らずであっても、自分の実力も弁えていない愚か者には見えなかった。
自信たっぷりに手立てと勝算があるとも言っていた。
だから、もしかして……そう思ってしまう自分がいる。
だからこそ、フィーナシャイア救出を託したのだが……。
「エメル……いったい、あやつは何者なのだ……」
前代未聞の契約精霊を持つ、どれほどの力を秘めているか分からない精霊魔術師。
それがただの農民の息子で、これまで在野に埋もれて名前すら知られていないなど、あり得ない話だった。
「エメル様……空を飛んで行かれましたね…………人って空を飛べるのですか?」
クレアもまた茫然と呟くが、それもまた前代未聞の話だ。
契約精霊に乗り、馬が疾走するような速度で人が空を飛ぶ。
誰もが今見たばかりの光景を、すぐには信じることが出来なかった。
それでもなんとか、各人は気を取り直していく。
「殿下からも、かなりの使い手とはお聞きしていましたが、まさかあれほどの大きさの契約精霊を持っていようとは……本当にただの平民なのですか?」
「……本人はそう言っていたがな。信じられぬのは私もだ」
「しかし、いくらあれほどの契約精霊がいようとも、フィーナシャイア殿下の救出、ましてや王都の奪還など無理でしょう」
まだ驚愕覚めやらぬ感じに声が浮ついてしまっていたが、ラムズは急ぎ腹心の部下を呼び出し指示を出す。
「潜入工作に長けた者を集めよ。大至急、フィーナシャイア殿下をお救いするための部隊を編成するのだ」
指示を受けた部下は、すぐさま命令を伝えに執務室を出て行く。
「ラムズ、それはエメルと連携し事に当たると言うことか? そうであれば、エメルを支援する部隊の編成もしなくては」
「殿下、これより編成するのは、あの愚かな平民と連携するための部隊ではありません。よって、あの愚かな平民を支援する部隊の編成も必要ありません」
「……どういう意味だ?」
ラムズは言葉を選び、丁寧に説明していく。
「恐れながら殿下、あの愚かな平民が、あの恐ろしく巨大な契約精霊を持っていようとも、トロル兵五千が相手では多勢に無勢でしょう。さりとて、ただの平民が敵地へ潜入する技術を持っていようはずがなく、結局は正面切っての突入しか手はありますまい」
それは、アイゼスオートも危惧するところだった。
近衛騎士を軽々と蹴散らすトロル兵を物ともせずに真っ二つに切り裂く、それほどの精霊魔法を使えたところで、五千という数は驚異だ。
正面切って戦えばすぐに精霊力が枯渇し、撤退を余儀なくされるだろう。
「であれば、騒ぎが起きるのは必定。その騒ぎに乗じ我が手勢が潜入し、フィーナシャイア殿下をお救いするのです」
「それは、エメルを囮にするということか……?」
「これも連携と言えば連携でしょうな」
連携はしないと断言しておきながら、平然と連携と嘯く。
直接明言しないだけで、囮として使う気は明白だった。
「エメルは、私の願いを聞き届けようと単身敵地へと向かったのだ。それを囮にするなど……!」
「いくらあの愚かな平民でも、勝てぬと思えば死ぬ前に引き下がるでしょう」
それは言外に、むしろ死ぬまで戦いトロルの数を一匹でも減らしておいてくれた方が手間がなくてよい、そんなニュアンスが含まれていた。
「ラムズ、そなた……!」
「しからば殿下、仮にあの愚かな平民が、フィーナシャイア殿下をお救いし、国王陛下、王妃殿下の仇を討ち、トロルを一匹残らず我が国から叩き出したらどうなさいますか? まさか本当に『嫁』に行くわけにもいきますまい」
「それは……そうだが…………」
「まったく、あの愚か者には呆れるばかりですな。いったいどれだけ世間知らずの田舎者なのやら」
あまりにも愚かしすぎて、反吐が出ると言わんばかりだった。
ラムズが吐き捨てるように言ったのも当然である。
マイゼル王国の臣民であれば、知っていなくてはならないのだ。
王家には、第一王女フィーナシャイアと第一王子アイゼスオートの姉弟二人しかいないことを。
囚われの身が姉姫フィーナシャイアであれば、そのフィーナシャイアを姉上と呼ぶのは、弟王子であるアイゼスオートしかいないということを。
それを知らないとなれば、世間知らずの田舎者と呼ばれ、愚か者扱いされても致し方ない話だった。
それどころか、不敬罪に問われてもおかしくないのである。
だから、アイゼスオートもクレアも、エメルをフォローしようがなかった。
「ともかく、我が手勢がフィーナシャイア殿下をお救いし、なんの手柄も立てないままあの愚かな平民が戻ってくる方がよろしいでしょう」
そうなれば、アイゼスオートと約束した褒美はご破算だ。
それで、いずれ兵を集め本格的に王都奪還へ打って出るときに、エメルを部隊に組み込んでいいように使い倒し、それを手柄としていくらか金を握らせてやればよい。
そういう筋書きだった。
それはエメルの勘違いとは言え、アイゼスオートへの好意に付け込み、騙して利用するに等しい行為だ。
だが、所詮は平民との口約束の空手形。
事が成った暁であろうと、決して王位継承権第一位の第一王子を農民の『嫁』に出すわけにはいかないのだから、本気にする方が愚かなのである。
そこまで考えて、ラムズは余裕を取り戻し肩の力を抜いた。
「……」
「殿下、難しい顔をされて、どうかなさいましたか?」
「ラムズよ、もしかしたらあの者は……エメルは、本当に全ての条件を達成し、姉上をお救いし戻って来るやも知れぬ……」
「まさかそのようなこと――」
「あの者の契約精霊だが、もう一体いるのだ」
「――は? 失礼、殿下、今なんと仰いましたか?」
「もう一体、身の丈があの者を越えるほどの巨大な、牛の魔物の姿をした土の精霊とも契約をしているのだ」
「まさか……!? あの大きさですらあり得ないものを、さらに契約精霊を二体もなど聞いたことがありませんぞ!?」
「私もだ」
しかもだ、とアイゼスオートは続ける。
「姿を見せなかったから契約精霊なのかは分からぬが、この館までの道中、光の精霊にも魔法を使わせて、道をまるで昼のように明るく照らしていた。そう、道中ずっと、一晩中だ」
「……!?」
王国で最も優れた精霊魔術師でも、長くて十五分ほど維持するのがせいぜいで、一晩中精霊魔法を使い続けるなど不可能だった。
しかも、精霊に精霊力を渡すのを止めると、さほどの時を置かず精霊は魔法を使うのを止めてしまうのだ。
それを一晩中である。
「あの者は常識の埒外にある。我らの物差しなど、なんの役にも立たぬかも知れぬぞ」
「……救出部隊の編成を急がせます」
さすがに嫌な予感を覚え、ラムズは直々に指揮するため部屋を出て行く。
そこでようやくクレアが口を開き、深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんアイゼ様。全ては私の責任です」
これまでのエメルの言動、つまり貴族的な発想と理解力を見ていたから、多少礼儀がなっていなくても、身分差はちゃんと理解して弁えていると思っていた。
だから、エメルがどれほど想いを募らせようと、それを直接アイゼスオートへ口にすることはないだろう、そう思っていたのだ。
それが、まさかの愛の告白、そしてあろうことかプロポーズだ。
完全に誤算である。
「……いや、クレアの責任ではない。全ては私の責任だ」
確かに、王都から脱出する際、エメルの勘違いを正そうとしたときクレアがそれを遮った。
その後もラムズに進言してドレスを用意させ、エメルのモチベーションを維持し戦力として組み込もうと画策したのもクレアだ。
しかしアイゼスオートはそれを察しておきながら、エメルの勘違いを放置し積極的に訂正しなかった。
むしろ、七日間ドレスを着続けエメルの望む姫を演じ、勘違いを助長させたのだ。
その責任を、他の誰かに押しつける真似はしたくなかった。
やがて潜入工作部隊、そしてアイゼスオートの強硬な主張によるエメル支援部隊の編成が終わり、エメルに遅れること一時間、王都へ向けて出立する。
「済まぬエメル……せめてどうか無事に戻ってくれ」
アイゼスオートには、もはやそう祈ることしか出来なかった。