189 シャーリーリーンの敵
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「失態よのぉ」
「はっ……申し訳ございません、陛下」
シャーリーリーンは広く煌びやかな謁見の間で、遥か壇上の玉座に座る父親、フォレート王国国王シャルルードース・エアレディオー・フォレティエートの前で跪き、畏まって頭を下げる。
シャルルードースが肘掛けに凭れて頬杖をついた怠惰な姿勢で、呆れを隠さない言葉と眼差しで見下ろしてくるのを、甘んじて受け止めるしかない。
シャルルードースは見た目こそ人間で言えばまだ三十代後半に見えるが、すでに二百歳近い。
大国フォレート王国の国王として、百年以上君臨し、シャーリーリーンの実母である第一王妃を始め七人の王妃を娶り、王子王女の数は二十人を超える。
そして、才能ある王子は元より、才能さえあれば王女であっても国政に関わることを許し、重要な役職に就けている王子、王女は数名にもなり、ゆくゆくはその中で最大の功績を挙げた者に王位を譲ると公言して、その競争を煽ることで王国を発展させてきた。
そのように、貴族議会よりも王族の一族による国家運営を重要視し、他の貴族達の頭を押さえ付けて独裁的に強権を発動できるのは、シャルルードースがそれだけの『力』を持っているからだ。
政務は当然、武芸、精霊魔法、文学、歴史学、絵画と様々なジャンルに精力的に取り組み、特に精霊魔法においては、国内随一の実力者である。
その契約精霊である火の精霊は、炎の毛皮を纏った三つ首の狼の魔物を模しており、その体長は一.五メートルと、国内はおろか近隣諸国でも群を抜いて最大のサイズを誇っていた。
武力、知力に優れ、絶対的なカリスマを発揮し、辣腕を振るう王、それがフォレート王国国王シャルルードースである。
シャーリーリーンはそんなシャルルードースを、父親として以上に、為政者として、国王として、敬愛し、尊敬し、畏怖していた。
だからこそシャルルードースに認められたかった。
最も王太子に近いと言われている同腹の兄である第一王子との関係は非常に良好であり、心から慕っているので、その兄を蹴落としてまで王太女の座を狙うつもりはない。
しかし、第一王子が失態を犯して王太子の座を逃したときには、他の兄弟姉妹に玉座をくれてやるつもりはなく、自身が女王として君臨するつもりだった。
だからこそ、マイゼル王国の一件を『失態』と評されたことは、敬愛する国王と第一王子の手前許しがたい汚点であり、自身の不甲斐なさと悔しさが、原因であるエメルに対する恨みと憎しみと殺意に変わるのは当然だった。
「お前がマイゼル王国程度の小国を相手に兵を引かなくてはならぬ程に、その者の精霊は脅威であったか?」
「はっ……憚りながら、フォレティエート王家の総力を結集して、ようやく互角。よしんば倒すことが出来ても、相応の被害は覚悟しなくてはならないかと……」
「そうか、その者は幻の二属性をも含めた八属性の精霊を従えているのであったな。不愉快よな。たった一人の人間とその契約精霊が、我が王家の総力に匹敵するなど」
シャルルードースは怠惰な姿勢のまま、声音も表情も、言葉通り不愉快を隠さない。
最初にエメルに関する報告を受けたときは、あまりにも眉唾な情報に、報告を上げてきた者を厳しく叱責したが、複数のルートを通じて同じ報告が、そして時を経るごとにさらに耳を疑う報告が多数上げられるに至っては、それを信じざるを得なかった。
加えて、目をかけている愛娘の敗北と失態である。
これを不愉快に思わず、なんだと言うのか。
「恐れながら陛下、思い違いをされておいでです」
「思い違いだと? 余が何を思い違いをしていると?」
トーンが下がり威圧感の増した声音に、シャーリーリーンは背中に冷たい汗をかきながらも、シャルルードースの大きな思い違いを訂正しないわけにはいかなかった。
「特務騎士エメルとその契約精霊達が、我が王家の総力に匹敵するのではありません。その精霊一体一体が、我が王家の総力に匹敵するのです」
絶句するシャルルードースに、さらに冷や汗を掻きながらも、シャーリーリーンはエメルの脅威を訴えようと、顔を上げて視線を逸らさない。
「馬鹿な……と言いたいところではあるが、お前が言うのだ、事実なのであろうな」
叱責されず、むしろ自分が何も出来ずに引いた理由を納得したような口ぶりに、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし、叱責されなくて良かったで終わっては、第二王女の名が廃る。
「陛下、メイワード男爵エメル・ゼイガーは我が国にとって脅威となり得ます。速やかに暗殺し、マイゼル王国王家の求心力を失わせ、新たな傀儡となる新国王候補を選定し、擁立のための工作に入るべきだと具申いたします」
これまで王家の権力基盤を盤石にするために、様々な工作活動を行ってきた。
その活動は王国内に留まらず、外交や他国への諜報にまでおよび、数々の成果を上げてきたのだ。
その勘が告げている。
エメルを早く始末しなければ、取り返しの付かない事態になる、と。
傀儡にすべきアーグラムン公爵を失い、マイゼル王国への影響力が格段に落ちてしまった失策を挽回するためのチャンスを欲しているのも事実だが、次々に上がってくる報告に焦燥感を募らせていたのだ。
曰く、ガンドラルド王国との戦争に勝利し終戦した。
曰く、その決定打となったのが、ガンドラルド王国の王都にまで単騎で攻め入り王城と王都を半壊させ、無条件降伏をさせたことだ。
曰く、アーグラムン公爵派の領地は、そのことごとくが王室派の貴族家に褒賞として与えられるか現王家の直轄地とされ、現王家が『力』と権威を取り戻しつつある。
曰く、アーグラムン公爵派のナンバーツー、外務大臣ブラバートル侯爵が王室派に寝返り、ガンドラルド王国と国交を結び、外交交渉の準備に入った。
曰く、農政改革の実験が成功し高品質の、フォレート王国産に匹敵する品質の作物の栽培に成功した。
いずれも、フォレート王国として歓迎できない事実ばかりだった。
特に、ガンドラルド王国と国交を結び不戦条約を結んだことが脅威だ。
まだ辺境伯の一派が対処出来る範囲で収まっているが、ただでさえオークのグドゥブーフ王国の侵攻が本格的な戦争へ拡大しそうな雰囲気がある。
ガンドラルド王国はその隙を突くようにちょっかいをかけてきて、国境付近で頻発する小競り合いの規模が拡大する一方だったのだ。
これで、ガンドラルド王国の矛先がフォレート王国へ向きやすくなった。
今後どのような条約を結ぶかによって、さらに状況が悪化する可能性がある。
その条約の内容に干渉したくとも、肝心のブラバートル侯爵が王室派に寝返り、宮廷貴族のアーグラムン公爵派も処刑される可能性が高いことから、干渉が難しかった。
加えて、農政改革の成功が、中長期的に悪影響を及ぼす可能性が高かった。
アーグラムン公爵と言う窓口を失った以上、一時的にマイゼル王国への作物その他の輸出量は減るだろう。
むしろ、それはマイゼル王国自身が苦しむことだ。
それとは別に、今回の意趣返しに、輸出量を絞って報復とすることも決まっている。
そしてそれは、新たに調略した貴族を傀儡とすれば、再び元に戻すことが可能だ。
しかし、農政改革が成功し、今後高品質の作物がマイゼル王国内で広がれば、新たな傀儡を用意しても、作物の輸出量が元に戻らない可能性が高い。
ひいては、マイゼル王国への影響力が恒久的に低下することになる。
だからこそ、今その中心にいるエメルを暗殺しなければ、フォレート王国の未来に影を落とすことになりかねない。
そのことは、シャーリーリーンだけでなく、シャルルードースも気付いていた。
「暗殺を認めることは出来ぬな」
だから、シャルルードースの溜息交じりのその言葉に、シャーリーリーンは絶句してしまった。
「っ……それはいかような理由からでしょうか?」
雪辱を果たすことを許されない屈辱を押し隠し、ようやくその言葉だけを搾り出す。
「お前の言わんとすることは分かるが、今その人間を即座に殺すことは得策ではない」
続きの言葉を待つシャーリーリーンにシャルルードースは、やはり怠惰な姿勢を崩さず理由を教える。
「農政改革は潰せばいい。しかしその前に、土壌改良の魔法の秘密を暴くことこそが肝要だろう」
秘密を暴いた上で潰し、利用できるならフォレート王国内で利用し、脅威であれば知識を持つ関係者を根絶やしにして闇に葬る。
その秘密を秘匿するのは自分達だけで十分。
そのためには、まずより詳細な情報収集が先決。
そう判断したためだった。
「何より、我らエルフの王族たる余ですら知らぬ、幻の二属性との契約、複数の属性の精霊との契約、そして余を凌ぐほど強力な精霊への育成方法、その秘密を暴かなくてはなるまいよ」
その秘密を掴み、フォレティエート家がその知識を独占すれば、より支配は盤石になる。
そしてそれほどの強力な『力』を手に入れれば、エメルなど敵ではなくなる可能性が高い。
であれば、無理に暗殺する必要もなくなる。
「それに、今は間が悪い」
「……と、仰いますと?」
「マイゼル王国の外務大臣ブラバートル侯爵の名で、トロルどもの侵攻部隊に同行されていた奴隷達の中に我が国出身の者達がおり、帰国事業により、帰国を希望する者達を奴隷より解放して我が国へ引き渡したい、との打診があった」
「っ……それは…………まさかその帰国事業を立ち上げたのが?」
「その通り、そのメイワード男爵なる人間だ」
再び絶句するシャーリーリーン。
奴隷と言えば、獲得した者の所有物になる。
それが世界の常識だ。
それを、わざわざ事業費を持ち出してまで、奴隷から解放して敵対した国へ送り返そうなどとは、酔狂としか言えなかった。
それこそ、そのまま奴隷として危険な鉱山で使い潰すなり、その者達が見目麗しいのであれば、伽をさせればいい。
普通は、そのように扱われる。
同胞をそのように扱うことは許しがたいことではあるが、特にエルフは見目麗しい者が多いため、特に寝所で侍らせるために奴隷を買い求める他種族は多かった。
オークのグドゥブーフ王国が侵攻してくる本当の理由も、そこにあるのだ。
「我が王国民がトロルどもに拐かされ、ガンドラルド王国で不当に奴隷として扱われていた。それを救出して解放し、我が王国民の尊厳を守った……とあれば、無下に扱うわけにはいくまいよ」
一度奴隷にされ、エルフとしての誇りを、身体を穢された可能性のある者達など、エルフの、ひいてはフォレート王国の品位が落ちるため、迷惑だからいらない。
ましてや調略され、フォレート王国を裏切った密偵として送り込まれてくる危険性があるのだから、受け入れられない。
そう突っぱねるのは簡単だ。
しかしそれをしては、国民の王家への不信感を招くことになってしまう。
前線で戦う兵達も、救出と帰国を王家が拒否するとあれば、士気が落ち、離反すら招きかねなかった。
よって、この話は受けるしかない。
そして、話を受ける以上、帰国事業を立ち上げたエメルを暗殺することは、国民どころか国際社会において、フォレート王国への不信感を抱かせ、恩知らずだと侮蔑されることにも繋がり、外交上の損失は計り知れなかった。
すぐにそれに気付いて、シャーリーリーンは歯がみする。
まさかエメルがそこまで見越して、己の身の安全のために帰国事業などと言う酔狂な、そして効果的な手を打ってくるとは考えもしていなかったのだ。
だからシャーリーリーンは認識を改めた。
下級人族の分際で、自分達エルフの王族を遥かに上回る精霊魔術師という許しがたい存在である、というだけではない。自分が本気になって叩き潰すべき敵である、と。
「畏まりました陛下。今は仕込みだけに留めておき、情報の収集を優先します」
シャルルードースは頷くだけに留めた。
シャーリーリーンの胸の内を悟り、当面は好きにさせることに決める。
エメルがいかにして複数の精霊と契約出来る秘密を知り得たのか、そしてそれを様々に応用する知謀の源はなんなのか、元々それらに興味を抱いていた。
そこへきて、プライドの高い愛娘シャーリーリーンが、下等な人間を対等な敵と認めたのだ。
双方がどこまでやれるのか、一層興味が湧いていた。
「うむ、報告を楽しみにしている」
「はっ、必ずや秘密を暴いてご覧に入れましょう」
シャーリーリーンは畏まって、頭を下げる。
しかし、シャーリーリーンは知らなかった。
帰国事業が、保身のためどころか、ただ単に、可哀想だから帰りたい人には帰れるようにしてあげたいよね、程度の考えでしかなかったことを。
エメルの身の安全を考えてこのタイミングで打診してきたのは、ブラバートル侯爵の判断であることを。




