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18 姫様の心からの願い



 七日目の昼過ぎ、最悪の凶報がもたらされてしまった。


「トロルロードだと!?」

 姫様が執務机を両手でバンと叩いて椅子から立ち上がり、顔面を蒼白にする。


 その前で、直立不動で報告したのは次期公爵が放った偵察兵だ。


「はっ! 昨夜遅く、トロルロードが三千のトロル兵を率いて王城へ入城。早朝、国王陛下、王妃殿下は処刑され、その……み首級(しるし)を城門前に……」

「そんな……父上と母上が……」

 小さな唇を震わせて、しばし茫然とした姫様が、やがて力なく腰を落として俯いてしまう。


「姫様……」

 俯いたまま肩を震わせる姫様に駆け寄って、その場に跪いてその手を握る。

 俯いた姫様は、涙こそこぼしてなかったけど、懸命に泣くのを堪えるように小さな手が震えていた。


「エメル……大丈夫だ、落ち延びたときより、このような事態があるやも知れぬと覚悟はしていた」

 一度俺の手を強く握り返すと、手を放して立ち上がる。


「策の見直しが必要なようだ。一時間後、会議を開く」

 短くそれだけを言うと、早足で執務室を出て行ってしまう。

 いくら覚悟していたからってショックを受けないわけがない。


 すぐに追いかけようとして――クレアさんが俺の手を掴んで引き留めた。


「今はお一人にして差し上げて下さい」


 そっか……。

 為政者として、人前で泣くわけにはいかないんだ。


「分かりました、姫様の邪魔はしません」

 その場は一旦解散で一時間後再び集まることになったから、俺も執務室を出る。


 キリに姫様の気配を追って貰ったら、私室に籠もってしまったらしい。

 姫様の私室のドアが開いたとき、真っ先に姫様の姿を見られるように、ドアの正面になる壁際に腰を下ろした。


 さすが公爵クラスの屋敷で、王族を持て成す私室ともなると壁もドアも厚くて、中からはなんの気配も漏れてこない。

 これ以上気配を探るような無粋な真似はしたくないから、そのままじっと待つ。


 ……なんだか、悔しくてもどかしいよ。


 こんな時、胸の中で存分に泣かせてあげられるくらい、もっと姫様に近づきたい。

 いつでもあの愛らしい天使の微笑みを浮かべていられるよう、俺が守ってあげたい。


「こんなことになったのは、全てあのトロルどものせいだ……」

 姫様を泣かせやがって……絶対に許さないからな!



 そしておよそ一時間、ようやく姫様が私室から出てきてくれた。


「エメル、そなたまさか、ずっとそこに……?」

「どうしても姫様の側にいたくて」

 立ち上がって姫様に近づく。


 目が赤い。

 涙の跡は拭って綺麗にしてるけど、少し目が腫れてるみたいだ。


「こんな時、俺、なんて言ったらいいか……さっさと俺がトロルを倒しに行って、王様と王妃様を救い出してればこんなことには……」

「そなたのせいではない。国王陛下も王妃殿下も、そして私も姉上も、トロルどもが攻め込んで来たあの日から、もしもの時の覚悟は決めていた。そなたが責任を感じることなど、何一つない」


「姫様……」

「そなたは優しいな」

 微笑んで、俺の手を取り両手で包み込む。


 俺に心配をかけまいと、無理して微笑んで……。

 なんだか、すごく胸が痛い。


「俺が仇を討ちます。王様と王妃様の……姫様のお父さんとお母さんの仇を。トロルもトロルロードも、絶対に許しません」

「ありがとうエメル。そなたがそう言ってくれて、どれだけ心救われることか」


 本当に心から喜んでくれてるのが伝わってきて、嬉しいやら切ないやら、こんな時、どうしたらいいのかさっぱり分からない。


 ただ一つ、なんかもう、今すぐ抱き締めてしまいたい、それはもう思いっ切り!


 姫様を胸で泣かせてあげられない俺には、その資格がないのかも知れない。

 でも、それでも……!


 衝動的に動こうとしたその時、廊下の向こうからコツコツと響いて来た足音に、思わずブレーキが掛かる。

 姫様は慌てて俺の手を放すと、背筋を伸ばして態度を改めた。


 足音のする方を振り返れば、クレアさんがタオルと陶器の洗面器を手に、こっちへ歩いてきていた。


「王都奪還の戦いは、国王陛下と王妃殿下の弔い合戦にもなる。より厳しい戦いを強いられるだろう。エメル、私に力を貸してくれるな?」

「もちろんです、姫様」

 厳しい表情を浮かべる姫様に、俺は力強く頷いてみせた。



 しかし、運命は残酷だ。

 トロルロード対策のための会議の最中、さらなる凶報が届けられてしまった。


「フィーナシャイア殿下の行方が判明致しました。落ち延びる際にトロルに捕えられ、今は王城に幽閉されているご様子」

「姉上が……!?」


 一瞬表情を強ばらせはしたものの、姫様は小さく安堵の溜息を吐いた。


「そうか……アーグラムン公爵はおろかどの貴族からも姉上を保護したとの報告がなかったから、もしやと思っていたが……姉上はご無事だったのだな」

「殿下、それが……」

 希望を見出した姫様に、偵察兵が歯切れ悪く口を挟む。


「トロルロードは、囚われのフィーナシャイア殿下を妻に(めと)るとの布告を出しております。我らがマイゼル王国の正統後継たる立場を確たる物にする、と」

「姉上を妻に娶る!?」

 姫様の顔が真っ青になる。


 妻に娶るとは名ばかりで、欲望のままに(けが)され(なぶ)られる。

 トロルやオークなどの妖魔が異種族を奴隷にするっていうのは、そういう意味も含まれるって、行商人のおじさんが言っていた。


 沈痛な面持ちで顔を逸らすクレアさん。

 屈辱に顔を歪める偵察兵。

 執務室を重たい沈黙が支配した。


 そんな中で、表情を曇らせながらも平静を保とうとしている次期公爵がポツリと呟いた。


「トロルどもは我が国を乗っ取り、奴隷を産ませる人間牧場にでもするつもりかも知れませんな……」


 奴隷を産ませる人間牧場!?

 トロルって腰巻きに棍棒なんて装備してて、蛮族の脳筋にしか見えなかったけど、トロルロードってのはそんな(たち)が悪い政治的な知恵が回るような奴なのか!?


 占領地の王族と婚姻を結んで、その支配の正当性を占領地の国民に訴えるって政策は百歩譲って分からないでもないけど、それが人間を飼って奴隷を産ませて増やすためだなんて……!

 このままじゃ、俺の大事な家族も、トトス村のみんなも、奴隷にされてトロルにいいように弄ばれてしまうってことじゃないか!?


 青ざめた姫様が、険しい表情で次期公爵を振り返る。


「これ以上、我が国でトロルに好き勝手な真似をさせるわけにはいかぬ! ラムズ、大至急――」

「罠、ですな……落ち延びられた殿下をおびき寄せようと、手ぐすね引いて待っていることでしょう」

「――っ!? しかしそれでは姉上が……!」

 蒼白になった姫様が、次期公爵へ(すが)るような視線を向ける。


「王都を占拠したトロル兵二千に加え、トロルロード配下の精鋭が三千。彼我の戦闘力の差は三対一でありますれば、我が軍は最低でも一万五千……いえ、王都に籠もるトロルロード配下の精鋭を相手にすると考えれば、五万以上は必要かと」

「五万以上……」


 なんかの作品で読んだけど、城攻めには籠城する敵の三倍の兵力が必要、とかなんとか書いてあった気がする。

 さらに戦闘力に三倍の開きがあるから、それだけの戦力が必要になるのか。


「先の王都防衛戦で我が領地も兵のほとんどを失い、王都奪還のために掻き集めております兵も未だようやく三千を数えるばかり。至急近隣の貴族に打診して兵を集結させても、一万に足りるかどうか……それも、少なくとも三日はかかります」

「三日…………それでは間に合わぬ、姉上は今夜にも……!」


 七日かかってやっと三千なのに、たった半日で五万を集めて王都を奪還なんて、いくらなんでも無茶ぶりが過ぎる。


 って言うか、そもそも他の貴族達は何をやってるんだ!?

 国家存亡の危機だっていうのに、いくらこの国が小国でも、すでに国境を越えられてから半月以上経つんだから、もっと早く多く兵は集まるだろう!?


「ならばラムズ、少数で王城へ潜入し姉上をお救いして差し上げるのだ!」

「それには王都と、何より王城内が現在どのような状況にあるのかを調べ、侵入経路、脱出経路など、入念に検討し準備しなくてはなりません。万が一救出に失敗した場合、フィーナシャイア殿下の身の安全の保障は出来ませんので、決して失敗は許されません。その準備に十日……せめて五日は最低でも必要でしょう」


「そんな………………なんとかならぬのか?」

 次期公爵は静かに首を横に振った。


 姫様の目から涙がボロボロこぼれ落ちて……!?


 一応平民だからこの場は遠慮して黙ってたけど、もう知ったことか!


「姫様、俺に行かせて下さい!」

 拳を握り締め、姫様の前に進み出る。


 姫様が泣いてるのに、次期公爵も他の兵士達も、何も出来ないなんて不甲斐ない!

 それより何より、姫様のお父さんとお母さんを殺した挙げ句、お姉さんまでだなんて、姫様を泣かせるトロルどもは絶対に許さない!


「エメル……そなたの気持ちはありがたい。しかし私の我が侭で、そなたを無謀な戦いに(おもむ)かせるわけにはいかぬ」

「俺、言いましたよね。姫様のどんな我が侭でも、俺が全部叶えるって。そのために用意して貰った役職でしょう? 姫様のためなら俺、命懸けで叶えてみせます! だって俺、姫様が――」


 勢いで何を言おうとしてるのかに気付いて、ストンと腑に落ちた。


 そうか……うん、そうだ、ようやく気持ちに自覚が追い付いた。

 俺、姫様にガチで一目惚れしちゃってたんだ。


 こんな気持ちになるの、前世と今世を通しても生まれて初めてで……自分でも気付いてなかったよ。

 これが俺の初恋、なんだな。


「だって俺、姫様が好きだから!」

「っ……!?」


 周囲からどよめきが上がるけど、そんなん無視だ無視!

 俺の人生初告白の瞬間なんだぞ!


 真っ直ぐ目を見つめながら、姫様の手を取って両手で包み込む。


「惚れた女のために命を張る。俺、男として何か間違ったこと言ってますか?」

「エメル、そなたそこまで……」

 姫様は(すが)るように俺を見て、だけど躊躇い、辛そうに首を横に振る。


「そなたも聞いていただろう、以前にも増して状況は厳しい。そなたがどれほど強かろうと一人では無理だ。そなたほどの人材を、無為に失うわけにはいかぬ」

「心配してくれてありがとうございます姫様。でも大丈夫です。手立ても勝算もあります」

「手立てが……本当なのか!? いや、しかし……」


「よいではありませんか殿下。この者がこうまで申しているのです。その手立てとやらを試させてみては。微力ながら、このわたくしめもお力添えを致しましょう」

 いきなり割り込んできて、ウザいなこの次期公爵。


 って言うか、失敗は許されないとかなんとかあれだけ言ってたのに、急に手の平返したな。

 普通なら姫様以上に俺を止めるところだろう?

 ……なんかよからぬことを企んでるんじゃないだろうな。


「ラムズ、そなた……」

 厳しく咎めるような目を次期公爵へ向ける姫様。


 でも今は、次期公爵なんてどうでもいいから、俺だけを見て望みを言って欲しい。

 そう自己主張するように、姫様の包み込んだ手を強く握り締める。


「っ……」

 姫様は俯き、迷い、躊躇い……顔を上げて俺の目を見つめる。


「……本当に、姉上を助け出せるのか?」

「はい、絶対に。五日も十日もかけてウダウダやらなくても、今日中に必ず、無事に救い出してみせます」


 姫様はじっと俺の目を見つめ続けるから、俺も真っ直ぐに見つめ返す。

 長い葛藤の後、姫様はまるで恥を晒すように俯き俺に頭を下げた。


「……エメル頼む、姉上を助けてくれ!」

「もちろんです俺に任せて下さい!」


 やばい! やばいやばいやばい滅茶苦茶嬉しい!

 次期公爵でも不可能なその願いを、他の誰でもないこの俺に託してくれた!

 惚れた女の子にこんな風に頼られるなんて、男としてこんな名誉なことないって!


「俺の持てる力の全てを駆使して、お姉さんを必ず救出してみせますからね! トロルロードだかなんだか知らないけど、お姉さんには指一本触れさせませんから! 大船に乗ったつもりで、安心して待ってて下さい!」

 俯いた姫様が、顔を上げて、小さく苦笑する。


「そなたは本当に……」


 本当に、なんだろう?

 結局、姫様はその続きを言ってくれなかった。


「今はそなただけが頼りだ……事が成った暁には、私に出来ることであればなんでも望みのままに褒美を取らせよう。そのようなことでそなたの献身に報いることが出来るとは思わぬが、今はそなたに甘えさせてくれ」


 姫様が……なんでも望みを叶えてくれる!?


「じゃ、じゃあ、姫様、俺のお嫁さんになって下さい!」



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