179 侵攻の第二王女と立ちはだかる精霊 2
クスクスと小馬鹿にしたように笑うデーモを、きつく睨み付ける。
「それが事実と言う確証はないわね。それに、だからどうだと言うの? 言ったでしょう、私はフォレート王国第二王女シャーリーリーン。私に手を出せば国際問題になるわ。マイゼル王国程度の小国、簡単に潰せるわよ」
大国であるフォレート王国の横暴に、文句を言える小国はない。
フォレート王国の機嫌を損ねれば、小国ごときいつでも簡単に滅ぼされてしまう。
だからこそ、王族に手を出すなど、自殺行為だ。
仮に、内乱が終結しており侵略になってしまったとしても、情報伝達の遅さから、知らぬ存ぜぬで武力を行使し、『力』を存分に見せつけた後で、抗議などそれがどうしたと無視してもいいし、賠償金をちょっと支払って黙らせ終わりにしてもいい。
大国フォレート王国の王女たるシャーリーリーンには、それだけの権限と権力と武力という『力』があった。
だから、デーモの脅しは、ハッタリだと判断する。
「あなた達が退かなければ、押し通るまでよ? 分かるでしょう? こちらには六千人もの精霊魔術師がいるわ。それも、人間なんか足下にも及ばない、優れた力を持つエルフの、ね。あなた達を消滅させるなんて、造作もないわ」
『フフッ、そうね。馬鹿正直に真正面からやり合ったら、さすがのワタシ達もちょっと危ないかしら。でも、レドもワタシも、消滅させられるまで大人しくしているなんて思わないことね』
「あらあら、闇の精霊が随分と強気ね。そちらの火の精霊はともかく、闇の精霊のあなたに何が出来ると言うのかしら」
『あらあら、エルフの王女様ともあろうお方が、闇の精霊の「力」を何もご存じないのね。驚いたわ』
精霊の意趣返しに、驚きと共に怒りを覚える。
精霊の知能など、育ったところで賢い動物程度と言うのが常識だ。
しかし、目の前の精霊は、人と全く変わらない。
からかい、馬鹿にし、煽ってくる。
そんな経験は初めてだった。
精霊の言うことだからと大目に見るのが常だが、目の前の精霊に限っては、精霊とは言え看過できるものではなかった。
シャーリーリーンが咎めようと口を開くより先に、デーモが不敵に笑う。
『いいわ、ワタシの「力」を……我が主の闇という存在に対する造詣の深さを、その叡智を、今から蒙昧なるあなた達に見せてあげるわ』
その不敵な笑みに、シャーリーリーンはわずかに悪寒を覚える。
闇の精霊を戦場で使うのなら、闇を張って敵の視界を奪うとか、夜襲の時に闇を纏って監視に発見されにくくするとか、おおよそその程度だ。
しかし、恐らくそんな程度のものではない、もっと恐ろしい何かがある。
そんな予感がして、その実力の一端を確かめずにはいられなかった。
「いいわ、それほど言うのなら、見てあげましょう」
『フフッ、それじゃあ……ねえ、どなたか剣を一本貸してくれないかしら? 宙に高く投げ上げてくれればいいわ』
「あら、どんな大道芸を見せてくれるのかしらね?」
そんな真似をして、果たして何を見せるつもりなのか。
予感とは別に興味が湧いて、部下に予備の剣を持ってこさせると、要求通りに投げさせた。
クルクルと回転しながら、数メートルの高さに剣が舞う。
『シャドーブレード』
デーモが宙を舞う剣を指さして、シャーリーリーンはおろか、エルフの誰一人として見た事がない魔法を行使する。
地面に転がる石の、草の、その影から数メートルの高さに伸びた、八本の影の刃。
シャドーブレードが滑るように走り、一瞬で交差する。
そしてシャドーブレードが駆け抜けた後、宙を舞う剣は九つに切り裂かれて、バラバラと地面に落ちてきた。
一瞬の静寂。
そして上がる悲鳴じみた怒号。
闇属性の精霊魔法が直接攻撃力を有するなど、前代未聞だった。
しかも、シャーリーリーンを始めとした指揮官達は、目の前に落ちたその剣だった物の、あまりにも滑らかな断面に、思わず生唾を飲み込んでいた。
一瞬で駆け抜ける影の刃から走って逃げるなど不可能。
それも、金属の鎧ごと両断されて、簡単に命を落とすだろう。
その事実に、冷たい汗が背筋を流れ落ちた。
シャーリーリーンの脅しは、直接攻撃魔法が使える火の精霊レド一体を相手取った場合の話だ。
二体同時にこれほどの攻撃魔法を使われては、片方に攻撃魔法を集中させても、消滅するまで精霊力を削りきれるか分からない。
仮に一体を消滅させたとしても、その間に自軍に出る被害は甚大となるだろう。
『お借りした剣、お返しするわ』
クスクスと、見下し嘲るように笑うデーモ。
その笑い声に我に返ったシャーリーリーンは、飲まれてしまっていた自分に気づき、その屈辱に、憎々しげにデーモを睨みながら歯ぎしりする。
『レド』
『グルゥ』
デーモとレドが高く舞い上がり、後方へと下がっていく。
次は何をするつもりかと、問うかどうするか悩んだわずかの間に、答えは出た。
『グルゥ!』
レドがやる気の漲った顔で大きく口を開くと、真っ赤に燃える火炎球を生み出し、丘陵の頂上へ向かって高速で放った。
ドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!!!!!!
爆発炎上する、十数発の六十四倍ファイアボール。
横一直線に上がる爆炎は、まるで炎の壁だった。
吹き荒れる熱風と響く爆音に兵達から悲鳴が上がり、思わずシャーリーリーンも悲鳴を上げてしまっていた。
舞い上がった土埃と熱風を、突風を吹かせて払ったシャーリーリーンは、眼前の光景に声も出なかった。
爆炎が収まったその跡は、焼け焦げた地面が剥き出しになり、地面が抉られて出来た浅いクレーターが横一直線に十数個並んでいた。
あり得ないほど巨大なファイアボール。
精鋭の精霊魔術師が放つファイアボールと比べ、優に十数倍の威力を秘めていた。
もし今の攻撃が全て自軍に降り注いでいたら、一千人以上が消し炭になり、渦巻く熱風でさらに数百人以上が大火傷を負って戦闘不能になっただろう。
その上で、先ほど見せられた闇の刃が縦横無尽に乱舞すれば、切り裂かれるのは数百人か、一千人か。
しかも、これほどの攻撃魔法を使っておきながら、目の前の火の精霊がその内包する精霊力を大きく減じた様子はなかった。
目の前の精霊を消滅させるのが先か、全滅するのが先か。
それは、非常に分の悪い賭けだった。
『その線を誰か一歩でも踏み越えたら侵略とみなして、戦争開始よ。もちろん、ワタシ達に攻撃を仕掛けてもね。どちらが生き残れるか、試してみる?』
翼を大きく広げ、先の尖った尻尾を大きくしならせ、まるで死神のように無慈悲に、そして獰猛な笑みを浮かべるデーモ。
『グルゥ!』
掛かってこいとばかりに大きく吼えるレド。
兵士達は怯えを隠せず、シャーリーリーンを見た。
もしシャーリーリーンが戦うと決めたのなら、直属の嵐撃騎士団は元より、精鋭の精霊魔術師部隊も命懸けで戦うだろう。
自慢の攻撃魔法で精霊の精霊力を削り消滅させるために。
しかし、そのためにはどれほどの屍が積み上がるか分からない。
シャーリーリーンは高く浮かぶ二体の精霊を、射殺さんばかりに睨み付けた。
仮に賭に勝って目の前の精霊達を消滅させたとして、残るのは壊滅的な打撃を受けた自軍だ。
そのまま侵攻し、王都マイゼラーまで攻め上がって、マイゼル王国軍および王室派の貴族達の領軍を退け、アーグラムン公爵を解放し反乱を成功させることが可能か否か。
恐らく、相当に厳しいだろう。
さらなる兵力を投入しなければ、王都を制圧し、アーグラムン公爵の新王朝を安定させることは不可能だ。
もしそこまでするのであれば、もはやアーグラムン公爵など無視して、マイゼル王国を侵略し支配してしまった方が手っ取り早い。
しかしそれは、フォレート王国の方針とは異なる。
マイゼル王国は裏から操り、ガンドラルド王国およびゾルティエ帝国との緩衝地帯、そして戦時には援軍として利用できなければならないのだ。
シャーリーリーンは奥歯を噛みしめ、全軍に命令を下す。
「全軍転進!」
それは事実上の撤退命令だった。
指揮官達の指示が飛んで、転進のために隊列が変更されていく。
「殿下……よろしかったのですか?」
嵐撃騎士団の騎士団長が、常になく怒りを抑え込んで平静を保とうとしている主人に、そっと控え目に尋ねる。
「いいわけがないでしょう」
その声音には、抑えきれなかった怒りが滲み出ていた。
フォレート王国の王女として、ここまでコケにされたのは初めてだった。
しかも相手が、たかが人間、それもたった一人の人間と、その契約精霊にだ。
圧倒的に格上の実力を持つ人間、しかもこの場に現れもせず、使いに出されただけの契約精霊相手に、プライドはズタズタだった。
それでも、激昂して二体の精霊達を消滅させるまで戦う、などという選択を採るほど愚かではなかった。
「ここで戦っても、あまりにも得る物が少なすぎるわ」
それどころか、失う物の方が多すぎた。
自分に忠実な騎士達、精鋭の精霊魔術師達。
引き続き投入される兵力と物資、および戦費。
王家の威信、国王陛下からの信頼。
国際的なフォレート王国の立場。
これらと引き換えにしても、マイゼル王国に傀儡政権を打ち立てることすら危ぶまれ、確実にゾルティエ帝国とガンドラルド王国との緊張が高まる。
その代償に得られる物が、たった二体の契約精霊の消滅、それだけだ。
意趣返しのためだけに引き換えていいものではない。
「はっ……急ぎ準備を進めます」
嵐撃騎士団の騎士団長も、それらが理解出来るから、それ以上は何も言わずに引き下がった。
『あら、お帰りになるのね。フフッ、それが賢明ね。それではご機嫌よう、王女様』
クスクスと笑いながら、敢えて余計な一言を言って神経を逆撫でしてくる精霊に、胸中に怒りが荒れ狂うが、グッと堪える。
「次も引き下がるとは思わないことね」
『ええ、あなたこそ、次も我が主が見逃してあげるとは思わない事ね』
『グルゥ!』
しばし互いに睨み合い、そしてシャーリーリーンは馬首を巡らせた。
「全軍前進!」
隊列の変更が終わったのを見届けてから号令を下し、国境線を後にする。
そして、振り向かず、手綱をきつく握り締めた。
「特務騎士エメル…………絶対に許さないわ、いつか必ず殺してあげる」




