174 覆る戦局
◆◆
「将軍、急ぎ外に! あれをご覧下さい!」
「何事だ?」
天幕の前で見張りをしている騎士が、突然天幕に飛び込んでくる。
そのただ事ではない慌てぶりに、問答するよりも先に自分の目で見た方が早かろうと思い、天幕を出て、騎士の指さす空を仰ぐ。
「あれは……!?」
俺達の上空に、そして王都北側に布陣するアーグラムン公爵領軍の上空に、王都の四方に、そして恐らく王城の四方にまで、鏡のような水の板が忽然と現れ浮いていた。
見間違いようがない。
第二次王都防衛戦で、トロルとの戦闘や両殿下のお言葉を映し出した『すくりーん』なる魔法。
この魔法を使えるのはただ一人。
「エメル殿がガンドラルド王国より無事戻ったか!」
さほど時を置かず、『すくりーん』にアイゼスオート殿下のお姿が映し出された。
『聞け、全ての兵士、そして王都の民よ!』
そして始まる演説。
エメル殿も映し出され、無事な姿を見せてくれたどころか、遂にトロルを降伏させて戦争を終わらせたと、大々的に発表された。
王都から、そしれ我が軍からも、大歓声が上がる。
「本当にやってくれたのだな……」
散っていった部下達の姿がよぎり、思わず目頭が熱くなってしまう。
これで本当の意味で、彼らを慰めてやることが出来ると言うものだ。
『しかし、トロルとの戦争が終わっても、平和は未だに遠い。トロルの再来のごとき振る舞いをする逆賊アーグラムン公を討たなければ、この国に真の平和は訪れないのだ! 兵よ、民よ立て! 私に、救国の英雄エメルに続け! 自らの手で逆賊を排し、真の平和を勝ち取るのだ!』
そうだ、その通りだ。
せっかくトロルどもとの戦争が終わっても、このままではアーグラムン公爵のせいで、せっかく掴んだ平和も台無しにされてしまう。
『反撃、開始せよ!!』
その力強いお言葉に、心が奮い立つ。
「全軍戦闘準備! 目の前の逆賊どもを討伐し、この国に真の平和を勝ち取るのだ!」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーー!!!」」」」」
◆◆◆
王都の北側に布陣していたアーグラムン公爵派の貴族と兵たちは、パニックに陥っていた。
「なんだ今の空に浮かび上がった殿下のお姿と声は!?」
「あれが噂に聞いた『すくりーん』なる魔法か!?」
「いかん! 王国軍が、将軍が動く!」
「ひいぃ!? 今すぐ逃げるのだ!」
「馬鹿者! 逃げてどうする! こうなれば、た、戦うしかあるまい!」
弱腰、逃げ腰な貴族達から戦闘準備の伝令が走らされるが、その弱腰、逃げ腰な空気は兵達にも伝染し、あからさまに士気が落ちていくのだった。
そうなればもはや、何倍の兵数を擁していようと、士気高い将軍率いる王国軍の敵ではなかった。
◆◆◆
「おのれ! いつの間に殿下を奪い返されていたのだ! しかも張り子の英雄が何故王都にいる!? 仕留め損なったと言うのか!?」
アーグラムン公爵は王族の執務室で、怒りのあまり手にしていた書類を握り潰していた。
すでに王位に就いたつもりで、執務を始めようと重要な書類に目を通し、また悦に入りながら閣僚人事についてまとめている最中の、不意のアイゼスオートの演説だった。
『反撃、開始せよ!!』
その号令に従い、王城の各所から鬨の声が上がり、戦いが始まった気配が伝わってくる。
玉座にはすでに手が届いていた。
もう片手で掴んでいた。
しかしそれが今、手の中で崩れ去りこぼれ落ちようとしている。
「儂が何十年掛けてこの時を待っていたか! ようやく至高の座に就くというところで、いつもいつも邪魔しおって!」
エメルさえ現れなければ。
その怒りは憎悪に変わり、執務机に拳を叩き付ける。
自らの手でくびり殺してやらなくては、その怒りと憎しみは消えそうになかった。
廊下がにわかに騒がしくなり、伝令の兵士が執務室へと飛び込んでくる。
「報告します! 殿下を奪還され、残った王国軍およびクラウレッツ公爵領軍が各所で再び反攻に出ました!」
「そんなことは分かっている! 数で勝っているのだ、全軍を上げて徹底的に叩き潰してこい!」
「はっ!」
アーグラムン公爵の勘気に触れ、這々の体で執務室を飛び出して行く伝令兵。
言ってどうにかなるなら、とっくに王城の制圧は完了しているだろう。
だから、自ら指揮を執るために動く。
「会議室に集めさせろ!」
ドアの前で護衛をしていた騎士を怒鳴りつけ、臨時の司令部として使用していた会議室の一室に、ゲーオルカおよび前線に出ていない派閥の重鎮たる貴族を集め、情報を集中させる。
「武装解除し軟禁していた王城守備隊および近衛騎士団を解放されました!」
「各所の防衛線が次々と突破されていきます!」
「先ほどの演説により敵の士気は高く、逆にこちらの士気は落ちております! 敵の勢いを押しとどめられません!」
「あの精霊どもは化け物です! 術者の指示もなしに勝手に動き魔法を使い、こちらを攻撃してきます! 魔法が強力過ぎて手に負えません!」
「アイゼスオート殿下に続き、フィーナシャイア殿下も館ごと奪還されました!」
「王都での市民の反乱も規模を拡大しております!」
次々にもたらされる凶報に、アーグラムン公爵は怒りに顔を歪めて、テーブルに拳を叩き付ける。
「おのれ! おのれ! おのれ! なんたることだ!」
計画は、多少の誤算はあれど順調だった。
アイゼスオートとフィーナシャイアの身柄を押さえ、他派閥の取り込みも時間の問題で、今更王室派がどう足掻こうとすでに勝敗は決し、もはやこの局面をひっくり返すことなど不可能だった。
それが、なんたることか。
エメルが生きて王都へ入ったなど報告はなかった。
それなのに、いつの間にか王城へと舞い戻っていた上に、ほんのわずかの時間でひっくり返され、窮地に立たされてしまっている。
エメルを甘く見ていた。
それを認められず、罵声と共に矢継ぎ早に指示を出していく。
「予備兵も全て投入しろ! 中枢は政務に関する部署以外は一時放棄して構わん! その部隊を別働隊として回せ! 愚民どもの鎮圧に出ている部隊も半数を呼び戻せ!」
「お爺様、僕も兵を率いて出ます。守りを固め、一度勢いを押しとどめなくては。この会議室へ雪崩れ込まれては勝てる戦も勝てなくなります」
「許可する。ゲーオルカよ、アーグラムン公爵家の力を存分に見せつけてくるのだ!」
「はい!」
維持すべき防衛線と放棄すべき防衛線での、援軍の投入と新たな防衛線の構築。
前線に出てきている敵部隊と、解放された王城守備隊との分断。
フィーナシャイアと館の再奪取のための突撃部隊の派遣。
城門を死守するための援軍派遣。
城外に出ている部隊を呼び戻しての、城内での集中運用。
老いても王国最大派閥の領袖である。
状況に対処する指示は的確だった。
敵に将軍が不在で、兵数に勝る以上、この局面でもさらに巻き返し、勝利を掴むことが出来ただろう。
ただしそれは、相手がアーグラムン公爵の知る普通の貴族や軍であったならだ。
規格外。
非常識。
そのように揶揄されてきたエメルが相手では、指示が的確なだけでは足りないのだ。
「あの張り子の英雄が精霊に乗って空を飛び、王都各所において空から一方的に我が軍を魔法で攻撃しております! 被害甚大です!」
「捕らえていた王都守備隊が次々と解放され反攻に出ており、我が部隊の王城への帰還が難航しております!」
「ダークムン子爵領軍、ディエール伯爵領軍が反旗を翻しました! 我が軍を攻撃しており、部隊は混乱! 統率が取れておりません!」
「張り子の英雄が上空より王城へ戻り、城門前へ魔法を雨のごとく振らせて防衛部隊は半壊! 敵兵が集中してきており、さらなる援軍を求めております! このままでは城門を奪い返され、城外の兵と分断され王城内で孤立します!」
全ての策が潰されていった。
どれほど適切に兵を配置しようと、どれほどの兵力を投入しようと、鎧袖一触で潰されエメルの暴威を止められなかった。
「ええい……なんたる理不尽な存在なのだ!」
認めたくはなかったが、エメルの精霊魔術師としての実力はまさに規格外だった。
しかし、逆を言えばたった一人の精霊魔術師でしかない。
力尽くで玉座を奪おうとしてはいるものの、本質的には政治での戦いだ。
いかに貴族どもを従え最大派閥となり玉座を押さえるか。
いかに息が掛かった配下で固め、政治の中枢を奪うのか。
武力行使はそのための取っ掛かり、ただの一手段にしか過ぎない。
だから、どれほど救国の英雄と持てはやされようと、所詮は一兵卒。
多少知恵が回ろうが農民の小せがれでしかない、どれほど武力を誇ろうと政治の手駒にしかなり得ない張り子の英雄に、魑魅魍魎が跋扈する貴族社会、政治の世界を何十年と生き抜いてきた自分が負けようはずがない。
そう確信していた。
それがどうだ。
アイゼスオートという最大の政治の駒を奪い返され。
報告で知ってはいたものの半信半疑だった『すくりーん』なる魔法で、アイゼスオートの演説という、今最も効果的な政治の一手を打たれ。
あまつさえ、ガンドラルド王国を降伏させ終戦し、戦争を勝利で終わらせたという、決して自分では打つことの出来ない極大の一手を打たれてしまった。
自分では、フォレート王国の力を借りてしかそれを成し得ない以上、王家が独力でそれを成し得た意味は、何をしても覆せない程に大きい。
これでは、『力』のない現王家に統治能力なしと掲げた大義名分が、失われてしまったも同然になる。
たった数時間。
事が起こってたった数時間で、全てがひっくり返されてしまっていた。
もはやこれまでの戦争の常識など通用しない。
逆賊の呼び名が、単なる敗者の負け惜しみから、事実とされてしまう。
「おのれ……そのようなこと断じて許さんぞ!」




