17 雌伏の日々
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次期公爵の屋敷に来て、五日が過ぎた。
その間、次期公爵が手の者を放って王都の様子を偵察したり、姫様が手紙をしたためて周辺の貴族達に早馬で連絡を取り、王都奪還のための兵力や糧食を集めたり、着々と反攻作戦の準備を整えてるらしい。
姫様はそのために、朝から執務机に座りっぱなしで、手紙の返事を読んだり、新たに手紙を書いたり、上がってきた報告書を精査したり、書類に埋もれて忙しくしてる。
ただ、姫様の表情は優れない。
忙しくて疲れてるってだけじゃなくて、どうやら状況は芳しくないらしい。
特に、貴族達からの返事に関して。
どうやら、こんな状況だっていうのに貴族達の足並は揃ってないようだ。
「やっぱり俺が一人で行って、トロルを殲滅してきましょうか?」
「……いや、そなたが強いことは知っているが、いくらそなたでも一人でなど無謀に過ぎる。大丈夫だ、必ず兵を集めて、近日中に王都奪還の道筋を付けてみせる」
気丈にそう言い切るけど、最初のわずかな間に姫様の疲れと本音が漏れ出てる。
それで本当になんとかなるなら、国難に際して足並みを揃えられない貴族どもの相手なんかしないで済むのに……って、顔に書いてあるよ。
実は姫様、俺より一つ年下の十三歳だそうだ。
てっきり、エフメラと同じ十一歳かと思ってたのに。
でも、十三歳でも十分にビックリだよ。
国とそこに暮らす大勢の民の命運が、その小さな肩に掛かってるんだから。
すごいプレッシャーだと思う。
なのに、泣き言一つ言わず頑張ってる横顔は、愛らしくも凛々しくて、そんな場合じゃないって分かってても萌えるって言うか、心から応援せずにはいられないよ。
「エメル、そのようにじっと見つめられると気が散るのだが」
姫様が手元の書類から顔を上げて困ったように俺を振り返る。
「あっ、済みません。だって今日のドレスもすごく似合ってて、つい見とれちゃうって言うか、しっかり目に焼き付けとかないともったいないって言うか。髪に花を飾ったら、きっともっと似合うと思うんですよね。そうだ、後で休憩の時に庭に行きましょうか、それで姫様に似合う花を探しましょう」
思わず身を乗り出して力説すると、恥ずかしそうに顔を赤らめる姫様がまた萌えるんだこれが!
本当に、なぜこの世界にはスマホがないんだろうな?
精霊魔法を駆使したら、スマホ、作れないかな?
勢い込んだ俺に、姫様は椅子を引いて身体ごと俺の方に向き直った。
「しかしそなた、何故そこまで私にこだわる? そなたには格好の悪い所ばかり見せていると思うが……」
「格好悪い所? 格好悪い所……格好悪い所…………うーん、可愛い所しか見たことないですよ?」
格好悪い所なんていくら考えても思い付かないだけど。
代わりって言ったらなんだけど、可愛い所なら両手の指で数えられない程上げられるんだけどな。
「例えば、姫様の――」
ここが可愛い、そこが可愛い、って列挙してみたら、姫様、真っ赤になって照れちゃって、これがまたもう可愛くて!
まさか俺を萌え死にさせるつもりなんじゃ!?
「あまり可愛いを連呼してくれるな、その……どのように振る舞えばいいのか分からなくなる」
「そのままでいいと思いますよ。だって俺にとって、姫様はもう最高の女の子ですからね。そりゃ目も離せなくなりますよ」
ふと、姫様の照れていた表情が翳ってしまう。
「私は……最高などとは程遠い。なんの力もないのだから……」
目を伏せて自嘲なんて、そんなの姫様には似合わな過ぎる。
事が上手く運ばずに、落ち込んじゃってるのかな?
「でも、姫様は自分の命が危ないときでも、民を思いやり心を痛めて、自分の命よりも先に民のために手を差し伸べてたじゃないですか」
「そのようなこと、何も特別なことではないだろう……」
「そうですね、支配者なら考えて当然のことで、何も特別なことじゃないと思いますよ。でも、ささやかなことかも知れないけど、それってすごく大事なことじゃないですか? だって自分達のことを考えてくれない支配者を、民が歓迎するわけないんだから。今だって、国を思い、民を思い、自分の立場や責任から逃げ出さずに頑張ってるでしょう? そんな姫様が最高の女の子じゃなくてなんだって言うんですか?」
そうじゃなかったら、ここまで肩入れして助けようなんて思わない。
仮にゲームの悪役令嬢みたいだったら、見捨てた方がこの国のためになるしな。
「もし姫様が自分に力が足りないって思うなら、俺がそのための力になりますよ。なんのために俺がこうして側に居ると思ってるんですか。むしろ甘えて欲しいくらいです」
「エメルそなた……」
姫様が伏せていた目を驚いたように上げたから、心からそう思ってるんだって、力強く頷いてみせる。
「俺、姫様が治める国ならきっとすごくいい国になると思います。だから姫様は自信を持って、自分が信じる道を突き進んで下さい。そのための露払いは全部俺がしますから」
「っ……そ、そうか……」
照れてる!?
もしかして姫様照れてる!?
顔を赤らめてモジモジしながら視線を泳がせて、可愛すぎるんだけど!
「エメル様、楽しいお喋りの途中で申し訳ありませんが、これ以上はアイゼ様の政務が滞ってしまいます」
「あっ、済みません俺、つい姫様に夢中になっちゃって」
いかんいかん、そういえばクレアさんも側に控えてたんだっけ、すっかり忘れてたよ。
「こちらには私がおりますし、元気と暇を持て余していらっしゃるようですから、少し屋敷の周りの見回りでもしてきてはいかがですか?」
「うぐっ……そうします」
すごすごと執務室を出る。
追い出されちゃったか。
仕方ない、本当に少し足を伸ばして周辺一帯の見回りでもしてくるか。
◆◆
すごすごと執務室を出て行ったエメルを見送り、ドアが閉まったところで、つい小さく溜息が漏れていた。
「エメル様の姫様への熱の上げようは、日増しに高まっていらっしゃいますね。側で聞いていて、私の方が赤面してしまいそうでした」
そう……エメルの僕を見つめる瞳は、これまでの誰とも違う光が宿っている。
お姫様への憧れとか羨望とか、もうそれでは済まされない、本気の色だ。
「……嬉しそうですね?」
「なっ、何を言っている、そんなことあるわけがないだろう」
思わず心拍数が上がってしまったのは、少しばかり心が弱っていたところを励まされて嬉しかっただけで、それ以上の意味なんてない。
確かにエメルはロマンス小説の英雄のように強く優しく格好いいけど、僕は男で王太子なんだから、エメルがどれほど僕を想ってくれても、ハッピーエンドはあり得ない。
「良い傾向ではあるので、アイゼ様にはこのままエメル様の気を引き続けていただきたいですが、くれぐれもお二人きりにはなられませんように。もし告白でもされたら、後々面倒なことになってしまいます。エメル様も、告白した相手が本当は男だったなど、お可哀想ですし」
「ああ、分かっている」
エメルの純粋で真っ直ぐな瞳を向けられると、気恥ずかしさと同時に、日に日に後ろめたさが大きくなっていく。
もし本当の事を知ったら、エメルは僕のことをどう思うだろう。
恨む? 憎む? 嫌う?
想像しただけで、ズキリと胸が痛む。
どう考えても、あれほど純粋に慕ってくれているあの瞳は、もう二度と見られなくなるだろうな……。
「認めたくはないが、我が国は存亡の危機に瀕している」
改めて言葉にしたことで、空気が重くなり、ずしりとその責任がのしかかってくる。
「かかる事態を招いたのは、しばし続いた平和に気を緩め、隣国の野望を看破できなかった王家の失態だ。王家の権威は地に落ちたも同然だ」
王家のせいだ。
どう責任を取るつもりだ。
そう詰られてもおかしくない状況なんだから。
事実、貴族達ですら陰でそのように口さがないことを言い、本格的な侵攻を受けた責任の全てを王家に被せようとしている者達は多い。
王都防衛のための兵を集めることを口実に、王都の屋敷からそれぞれの領地へ逃げ帰り、兵を出さなかった貴族がなんと多いことか。
そして今も、トロルの動向を窺って積極的に動こうとしない。
僕の派兵要請にものらりくらりとした返事しか寄越さず、トロルどもが王都周辺を切り取って満足してくれれば、自分達に火の粉は掛からない、和平交渉で割譲して戦争を終わりにすればいいと、愚かなことを考えているのが丸分かりだ。
その割を食うのは、無辜の民だっていうのに。
だけど、エメルは違った。
動機こそ、憧れた僕に入れ上げてという、実に不純なものだけど。
たとえそうであっても、命を賭けてトロルと戦い僕を守ってくれた、その事実は変わらない。
王家を支えて国を守るべき貴族達のほとんどが、王家を見捨てようとしているのに、それでも僕の側に居てくれる。
「仮に王都を奪還しトロルどもをこの国から追い出したところで、王家の権威が元に戻ることはないだろうな。なのにその王家の一員たるこの私を、エメルはあのように好意的に捉えて支えてくれている」
むしろ今王家に付くことは、貧乏くじを引くと言っても過言じゃない。
「私の治める国ならすごくいい国になる、自信を持って自分が信じる道を突き進んでいい、か……」
王城から落ち延びて以来、ずっと自分を責めるばかりだった。
無力さに打ちひしがれない日はないくらいだ。
それなのに、エメルだけは僕を認めてくれている。
優しい言葉で励まして、力になると約束してくれている。
あんな嬉しい言葉をかけてくれるなんて、思ってもみなかった。
なのに僕はそんなエメルを騙している……。
「……せめてあの者を失望させぬ為にも、なんとしてもこの局面を乗り切らねばな」
そして僕のために、ことさら冷たく割り切ろうとして、彼に対する罪悪感を胸に秘めているだろうクレアのためにも。
気分転換をしてくると断って、私室になった客室へと戻って一人きりになる。
姿見の前に立つと、姉上そっくりの僕が映っていた。
「まだ五日なのに、この姿も見慣れてきちゃったな」
ラムズが上手く差配して、兵士達にも使用人達にも、信用できる一部の者だけにしかこの姿を見られないようにしてくれている。
しかも彼ら彼女らも事情を承知して、ちゃんと協力してエメルの前では姫として扱ってくれていた。
おかげで、起きている間はほとんどエメルを護衛として側においているから、姫扱いされている時間の方が長いくらいだ。
こんな風にドレスを着て姫として振る舞って、エメルの想いが籠もった憧れの眼差しを向けられると、なんだか段々と、自分が本当は王子じゃなく姫だったんじゃないか……なんて錯覚を起こしそうになる。
「所作も、板に付いてきた……よね?」
エメルに見せているように、姉上の微笑みを意識して微笑んでみる。
「っ……僕はいつもこんな顔をエメルに見せてたんだ……」
つい自分で自分に赤面してしまうくらい、姉上にそっくりの……女の子っぽい微笑みだった。
男の僕が見せていい女の子っぽさじゃないと思う。
けど……。
ドレスの裾を摘まんでその場でクルッと回って、姉上を真似して色々とポーズを取ってみた。
「……僕、こんなに女の子っぽく振る舞えたっけ?」
最初に比べて、随分と姉上にそっくりに……僕が理想とする可憐で愛らしいお姫様っぽい振る舞いに近づいてきている。
なんだろう、この変な気持ちは……。
ドキドキするような、どこか後ろめたいような……。
「…………あっ、そうか、きっと完成度が低いのがいけないんだ」
姉上とかなり似てきている、けど、やっぱりどこか姉上と違う。
姉上っぽく見えるように振る舞っているのに、その洗練された動きを真似出来ないなら、真似た姉上の評価を落としてしまう。
それにエメルを騙すのなら、エメルが最後まで僕が男だって気付かないくらい、完璧に騙し通してあげるべきなんじゃないだろうか。
そこが中途半端だから、後ろめたく感じたのかも知れない。
つまり、やるからには、もっと可憐で愛らしく、姉上と見間違うほどにならないと、きっと本当の意味でエメルを繋ぎ止めて囲い込んでおくことは出来ないに違いない。
「身分も役職も結局お礼にならなかったから、もっと姉上そっくりになるよう、一からちゃんと所作を学ぶべきかな?」
ラムズに頼んで、令嬢の礼法を教えてくれる教育係を付けて貰うとか。
そうすれば、少しでも僕が理想とするお姫様らしくなれて、エメルに報いて喜ばせてあげることが出来るだろうか。
ポーズを取るのを止めて姿見に近づき、そこに映る自分をじっと見つめてみた。
隣に騎士服のエメルが立っているところを想像してみる。
二人並べば、姉上から借りたロマンス小説の登場人物そのものみたいだ。
僕は同年代の男に比べて小柄だから、平均程度の身長のエメルと並んでも、そう見栄えは悪くないと思う。
なんだろう……なんだか変な気持ちだ。
「花、か……」
そっと、ウィッグの前髪に触れてみる。
もっと可愛く着飾れば、エメルは喜んでくれるだろうか。
クレアも言っていた通り、これほどまでにあの姉上とそっくりなのだから、やはり生半なご令嬢達よりよっぽど……。
「っ……いやいや、何を考えているんだ僕は」
強く頭を振って、おかしな考えを振り払う。
男の、王太子の僕が、そこまで女の子っぽくなる必要はない。
昔はあれほど男らしくなりたくて鍛えていたのに、令嬢の礼法を学ぶなんて、そこまでする必要は絶対にないはずだ。
今ので乱れてしまった髪を手ぐしで整えて、一度大きく深呼吸して、乱れた鼓動を落ち着かせる。
「早く王都を奪還して、男に戻らないと」