168 エメル帰還
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書簡から顔を上げたグルンバルドン公爵が、忌々しそうな顔で吐き捨てた。
「アーグラムン公爵が動いた。領軍およそ五万を率いて王都を占領したそうだ」
「なっ!?」
そんなのデルイット伯爵の反乱の話どころじゃない!
「アイゼ様とフィーナ姫は!?」
「そこまでは書いていない。筆が乱れているところを見ると、不意を突かれたのだろう。急ぎ事態が起きた事だけをまず伝えるために早馬を走らせたようだ」
それってかなり切羽詰まった状況ってことなんじゃないか!?
トロルに襲われた姫様、囚われていたフィーナ姫、破壊された城内や王都の町並。
かつての光景が脳裏に浮かんで血の気が引く。
「これだけでは状況が分からないが、続けて早馬が来れば少しは状況も――待て、どこへ行く」
「今すぐアイゼ様とフィーナ姫を助けに行くんですよ!」
「待て、すぐに両殿下の身に危険があるとは限らない。近衛騎士が守り抵抗を続けている可能性や、落ち延びた可能性もある。もちろん囚われた可能性もあるが、恐らくアーグラムン公爵もすぐさま処刑するような真似はしないだろう。状況が分からず動いては、それこそ両殿下の身に何があるか分からない」
「だから少しでも早く状況を知るために、今すぐ戻るって言ってるんだ!」
「少しは落ち着け。卿が真正面から乗り込めば、目立って騒ぎが起きる。それより、まず手の者を王都へ潜入させて情報収集をし、慎重に事を進めるべきだ。何より五万もの兵がいては、迂闊に手を出すことも出来ない」
「早馬が来るのに二日も掛かってるのに、その準備に何日掛けるつもりだ!? その間に二人に何かあったらどうする!? そんな常識的な手段なんて、相手だって考えてるだろう!? 俺はトロル五千匹に占領された王城に忍び込んで、トロルに気付かれずフィーナ姫を助け出した事だってあるんだ。今すぐ俺が戻って、敵の虚を突いて救い出した方が、安全確実で早い!」
「しかし――」
こんな話をしてる時間すら惜しいんだよ!
「そっちはそっちで好きにしてくれ。俺は俺で二人を助けに行く!」
グルンバルドン公爵の制止の声を無視して、執務室を飛び出す。
真っ直ぐ中庭に向かって走っていると、途中でエレーナと鉢合わせた。
「男爵様、そんなに慌てて何かあった? 砦の中が何か騒がしい」
「ああ、アーグラムン公爵が反乱を起こして、五万の兵で王都を占領したって早馬が来たんだ!」
「公爵様が……!?」
「だから俺は今すぐ王都に戻る!」
「ま、待って男爵様、私も連れて行って!」
正直、足手まといだ……だけど、すごく真剣な目で見てきて……。
ああ、エレーナも、ゲーオルカだったか? 心配なのか。
王都に着いてからエレーナがどんな行動に出るか分からないから正直不安もあるけど……引き下がりそうにないし、問答してる時間が惜しい!
「分かった、付いてこい!」
「うん!」
中庭に出て、目に付いた騎士に王都へ戻るってだけ伝えて、すぐさまレドに乗って飛び立つ。
「レド、燃費は無視だ、例の奴を全力でいくぞ!」
『グルゥ!』
「男爵様、例の奴って――ひゃああああぁぁぁぁぁーーーーー!?」
レドの足の裏から爆炎を噴き出して、ジェットエンジンの要領で急加速する。
多分高速道路で車が走るより速く、普段の三倍くらいの速度が出てるはずだ。
風圧で息が出来ないから、キャノピー代わりに風のシールドを展開しないと駄目なんで精霊力の消耗が激しいけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
帰りの方向はもうバッチリ分かるから一直線で迷うこともないし、エレーナに気を遣った速度で何度も休憩を入れながらじゃないから、これなら半日近く掛かったところを、休憩なしでぶっ飛ばせば三時間かそこらで行けるはずだ。
「怖いなら降りるか!?」
「い、いい! 一緒に行く!」
エレーナも王都やアーグラムン公爵のことがよっぽど気になるんだな。
そんな感じで飛び続けてると、やがてエレーナもその速度に慣れてきたんだろう。苦しいくらいに俺にしがみついてた腕の力が、徐々に抜けていった。
そして、ポツリと漏らす。
「ねえ男爵様……公爵様とゲーオルカ様……どうして反乱なんて起こしたのかな……」
どうしてもこうしても、明らかだろう。
「それだけ王様になりたかったってことだろう? 終戦の知らせは届けてないんだから、まだトロルとの戦争中だって承知の上で、俺が王都に不在で、デルイット伯爵の反乱鎮圧に将軍達が動いたタイミングで、五万もの兵で王都を攻めて占領したんだ。どう見たって周到に計画した反乱だ」
第二次王都防衛戦の時、遅刻して戦場に到着したのは、多分防衛部隊とトロルが戦ってる隙を突いて王都を占領しようとしたんだろう、それで何もせずに兵を引いたのは、戦場跡を見て俺の実力を知って、武力に訴えるのは愚策だって気付いたからだろう、ってのが軍部との共通見解だ。
それで俺の排除に切り替えて、エレーナやサランダを送り込んで搦め手に出た。
だから、俺の排除に成功するまでは、武力に訴えるような真似は恐らくしない、そう思ってたのに……!
わざわざエレーナを護衛として連れて来たのだって、エレーナが戻るまで暗殺の成否が分からないから、迂闊には動けないだろうって思惑もあったからだ。
それをこんな強攻策に出るなんて、完全に読みを間違えた!
「火事場泥棒して王位を掻っ攫おうって魂胆なんだ、よっぽど権力欲が強い奴らなんだろうな」
「それは違う! 公爵様もゲーオルカ様も、この国のことを考えて、素晴らしい国にしたいって理想を掲げていた! 権力欲で動くような方達じゃない!」
「そりゃあ、末端には聞こえのいい大義名分だけ聞かせて、本音の権力欲なんて見せないだろうさ」
「そんなことは……!」
「ならどうして、第二次王都防衛戦の時、前日までに防衛部隊として参加してなかったんだ? 援軍に来るって連絡もなしに、戦闘が始まった後からノコノコ姿を現すなんて、何かよからぬ狙いがあってのことだろう?」
「そんなことはない! あれは、トロルと戦うための出撃で……!」
エレーナも参加してたのか?
多分、末端の騎士や兵士達にはそう説明されてたんだろうな。
「トロルと戦ってこの国を守る気が最初からあるなら、どうして第一次王都防衛戦で兵を出さなかったんだ? どうして王都陥落したとき、王都奪還に兵を出さなかったんだ? 第二次王都防衛戦も言った通りだし、どうして第三次侵攻部隊迎撃に兵を出さなかったんだ?」
確かに俺は、アーグラムン公爵ともゲーオルカとも会ったこともないから、詳しい人となりは知らないけどさ。
それでも、この国のことなんてどうでもいい、自分が王様になれさえすればそれでいい、そんな考えが透けて見えるだろう。
「力ずくで奪うってんならそれでもいいさ、それがこの世界のルールなんだから。暗殺しようが騙し討ちしようが欲望で釣ろうが、腹は立つし報復もするけど、綺麗事を言うつもりもないよ。でも、人の上に立つんなら、それ相応の義務や責任ってもんがあるはずだ。アーグラムン公爵は本当にそれを果たしてるのか?」
「それは……」
「素晴らしい国って理想は、誰にとって素晴らしい国で、誰にとっての理想なんだ?」
「っ……」
黙り込んでしまったエレーナの、俺に掴まる腕に痛いほど力が込められて、はっと我に返る。
「えっと……ごめん、エレーナを責めるつもりじゃなかったんだ。そもそも、こんなことエレーナに言っても仕方ないよな」
駄目だ、余裕がなさ過ぎだな、俺。
エレーナも本当の主君のアーグラムン公爵とゲーオルカの言葉と理想を信じて騎士として仕えてきたんだから、それを今俺が頭ごなしに否定してもな……。
王都に着くまで半日近く掛かるんだ。
それまでに一旦頭を冷やして、どう立ち回るか作戦を考えておかないと。
目を閉じて、大きく深呼吸を繰り返す。
うん、少し頭が冷えた。
「ロク、先行して王都の様子を探っておいてくれ」
『キェェ』
予想通り三時間程で、ようやく王都が見えてきた。
目立たないよう爆炎の噴射とシールドを切って、通常の飛行に戻る。
遠目からじゃよく分からないけど、王都周辺で戦闘が行われた形跡はないな。
『キェェ』
「あ、ロクどうだった?」
『キェ、キェェ』
「なるほど……」
「男爵様、ロクはなんて?」
「ああ、えっとだな、今王都は――」
言いにくいけど、エレーナに状況を説明する。
「そんな……!」
「信じたくない気持ちは分からないでもないけど、事実だ」
ロクが見てきた王都の様子は、大混乱、ってことだった。
市民と兵士達が衝突して、暴動と鎮圧と、各所で戦闘が起こってるらしい。
いや、多分戦闘って言うより、兵士達による一方的な虐殺だろう。
なんでそんな事態になったのか分からないけど、この混乱を利用しない手はない。
「エレーナ?」
「……っ!? な、何、男爵様?」
「これから俺は混乱に乗じて王城に潜入して、アイゼ様とフィーナ姫を救出する。エレーナはどうする? このままここで降ろしてもいいけど」
「……付いて行く」
「それは……それでもいいけど、アーグラムン公爵やゲーオルカの所になんか連れて行けないからな? 隠密行動をするんだから」
「……分かってる。男爵様の邪魔はしない。道中、あれから男爵様と色々いっぱい話をして……どうしていいか、何を信じていいか分からなくなった。だから男爵様と一緒に行って、今度は王家や男爵様側の視点から、自分の目で確かめたい」
「それは……いや、分かった。一応言っとくけど、もし邪魔をしたら敵ってことで、今度こそ容赦できないかも知れない」
「分かってる、だから邪魔はしない」
「ならいい」
エレーナがこうまで言うなら、事態を自分の目で確かめさせてやるべきだよな。
「じゃあ行くぞ」
「うん!」
レドに言って、一直線に王城へと向かう。
「男爵様、このまま空を飛んでいったら目立ちすぎない? 隠密行動には向かない」
「大丈夫。みんな、完全隠蔽を頼む。ただ、俺とエレーナとお前達だけはお互いに認識できる状況をキープで」
と言うわけで、フィーナ姫を救出する時に使った完全隠蔽を俺とエレーナにかける。
エンには光学迷彩の要領で姿を。
デーモには影を。
ロクには声や俺達が立てる音を。
サーペには熱感知されないように俺達の体温を。
ユニとキリには生命感知や精神感知をされないように気配を。
完全に知覚出来ないよう隠してしまう。
王城へ潜入したら、恐らくまた戦闘が起きた後で荒れてるだろうから、モスには足下に落ちてる物や瓦礫なんかを蹴って音を立てたりしないように、俺達の周囲だけ一時的に地面や床に固定して貰う。
そしてレドには熱源探知で周囲の監視と、姫様とフィーナ姫を探して貰う。
「すごい……男爵様はなんでもあり過ぎて、非常識過ぎて、なんて言えばいいか分からない」
それ、褒めてないよな?
程なく、王都の防壁を飛び越える。
王都の市民もアーグラムン公爵の兵も、俺達には気付かない。
そして、兵達が市民を追いかけ、包囲し、武器を振るってる。
市民も逃げながら、時に石を投げたり応戦して、王都は大混乱だ。
「……」
エレーナはそれを痛ましそうに見下ろしてて、言葉もないって感じだ。
そのまま飛び続けて、すぐに城壁を越える。
「レド、熱源探知を」
王城の上を旋回しながら、レドが首を巡らせて……。
『グルゥ』
「よくやったレド! 大至急向かってくれ! 絶対無事に助け出すぞ!」




