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16 エメルの評価

◆◆



「ふぅ……疲れた……」

 エメルを下がらせて、僕は大きく溜息を吐くと、ぐったりソファーに身体を預ける。


「お見事でした、アイゼ様」

 労いの言葉と共に、クレアが新しい紅茶を淹れ直してくれる。

 果たしてこれで何杯目になるのか、ちゃぽちゃぽのお腹に構わず、緊張でカラカラに乾いた喉に紅茶を流し込んだ。


「……こんなに嬉しくない褒め言葉は生まれて初めてだ」

「エメル様はかなり機嫌がよろしいようでしたが?」


「あれは機嫌がいいなどと言うレベルではないだろう。浮かれているとか、舞い上がっているとかでも生易しい。もはや自分で何を喋っているのか分かっていないのではないかと思うくらいの、はしゃぎっぷりだったぞ?」

「つまり、それほどまでにエメル様はアイゼ様の虜になられたと言うこと。大変効果的だったという証拠でしょう」


 認めたくないけどクレアの言う通りなんだろうな。

 僕だって男だから、エメルの気持ちも分からないわけじゃない。


 王太子としての僕の周りには、貴族のご令嬢達が集まってきていた。

 本人の意思なのか、親に言われてなのか、王太子妃の座を狙い、ささやかでさりげなくから大胆で露骨にまで、色々な方法で僕の気を引き、(たぶら)かし、歓心を買おうとアプローチを仕掛けてきた。


 小さい頃は無邪気に浮かれていた僕も、年を重ねるごとにさすがに透けて見えてくる意図に気付いて、うんざりするばかりになったけど。


 それをまさか、ドレスを着て仕掛ける側になる日が来るなんて……。


 エメルはこういうことに慣れていなくて、しかも初心なんだろう。

 調子に乗って触れてくることも、好色そうな目で見てくることもなかった。

 ただただ純粋に、嬉しくて舞い上がってはしゃいでいただけ。

 ある意味で、非常に共感と好感を持てる反応だったよ。


 ただその反面、男ってなんて単純で馬鹿なんだろう……って、同じ男としてちょっと悲しくなってしまったけど……。


 かつての僕もあんな風に見えていたのかな……?

 仕掛けてきた大人達からしてみれば、さぞや手玉に取りやすかっただろうな。


 仕掛ける側になって初めて知る女の子の裏側に、軽く女性不信になりそうだよ。


 そんな僕の複雑な内心には全く気付いていないようで、クレアは策の手応えを感じているからか、普段より少し熱の籠もった声と表情で新たな献策をしてくる。


「次回からは、さり気なく手や太股に触れたり、肩を触れ合わせたりなど、もう少しスキンシップを増やしましょう。真っ直ぐに目を見て微笑むことも忘れてはいけません」


 なるほど、確かにどれもされたことがある。

 ご令嬢の手が自分の手に触れている、たったそれだけで最初は随分とドキドキしたものだ。


 だけど、女の子にされるならともかく、僕が男にしないといけないのか?

 一国の王子がドレスを着て化粧をして姫の振りをして、男の手を取りドキドキさせて手玉に取る……想像するだけで、何やら背徳的でいかがわしい気がするんだけど。


 だから明言を避けて、話を逸らす。


「そういえば、まだ詳しく報告を受けていなかったな。護衛を頼んだとき、エメルの反応はどうだった?」


 エメルは僕を助けたとき、近衛騎士達が身を挺して僕を守って散っていったのを目にしている。

 護衛に任じて僕の側に居させるってことはつまり、いざという時にはエメルもそうしろと命じるも同然だ。


 普通、ただの平民にそんなことを言えば、尻込みしたり嫌がったりして当然だろう。

 エメルをただの平民と言い切るのは無理があるし、事実、こうして護衛を引き受けてくれたんだから、今更の話だけど。


 それでも、間に合わせの騎士服を着せて、既成事実を積み上げて、僕達の都合で囲い込もうとしていることに変わりはない。

 それどころか、少なくとも王都と王城を奪還するまで、給与も、僕を助けた褒賞金すら渡せる状況にないんだ。


 だから、エメルを説得する材料として、例えば騎士爵に叙爵するとか、精霊魔術師部隊の重要なポストに任じるとか、国に平和を取り戻した暁には必ず報いると、今はそれらを上乗せで確約するくらいしか提示できるものがない。

 つまり、どれもこれも口約束の空手形だ。


 さらには、エメルを繋ぎ止めるために、彼の憧れる姫様の振りをして騙している。

 命の恩人に対して、実に恥知らずな真似をしていると思う。


 でも、本当に今は余裕がないんだ。

 だから、果たしてそれでエメルが納得してくれるかどうか、賭けの部分があった。


 それなのに、エメルは引き受けてくれた。

 感謝してもしきれないし、空手形にしないためにも、エメルの希望はちゃんと把握して最大限叶えられるように努める必要がある。


 幸いなことに、はしゃいだエメルは僕が尋ねるままに、生い立ちやこれまでの生活、さらには家から独立し『立身出世、貧乏脱出、お嫁さん探し』ってスローガンを打ち立て王都にやってきたことまで、色々と重要な情報を教えてくれた。

 お嫁さん探しはともかく、立身出世、貧乏脱出なら、僕でもなんとかなる。


「それで、エメルは何か望みを口にしたか?」

「それが……」

 一転して表情を強ばらせ、らしくなく口ごもるクレア。


「エメル様は私が説明をする間もなく、二つ返事で快諾されました。何一つ要求されていません」

「二つ返事で快諾? しかも、なんの要求もなかったのか?」

「はい。もしかしたらエメル様は、こちらの意図も状況も全てを察した上で、敢えて話に乗られたのかも知れません」


 その時の様子を詳しく説明されて、絶句してしまう。

 クレアが、失態を犯したみたいな苦い顔をするわけだ。


 囲い込もうとしていることも。

 提示できる報酬になんら保障がないことも。

 本当に全て察した上で、なんの要求もしなかったのは間違いない。


 たとえ空手形でも、立身出世、貧乏脱出を叶える絶好のチャンスだったんだ。

 王族である僕が相手なんだから、普通は到底無理なことでも叶う可能性があるし、それこそ望むままに社会的地位や恩賞を手に入れるチャンスだと、あの聡いエメルが気付かないわけがない。

 そして、それを願えるだけの力を持っているんだから。


「もしかしたら王家に反する貴族達の横槍で反故にされてしまう可能性まで、理解されておいでだったのかも知れません。その上で、アイゼ()様のお側に居られる利を取ったのではないかと」


 そこまで純粋に、(姫様)の力になりたい、と……。


 胸が苦しくなる。

 この胸の痛みは罪悪感……か?


「愛されておりますね、アイゼ()様」

 微笑ましそうに言われても、それで僕にどんな顔をしろと言うんだ。


 確かにエメルは命の恩人だし、ロマンス小説の英雄のように強くて格好良くて、僕のためを思って自ら泥を被ってくれる気遣いを見せてくれて、しかも何を望むことなく僕を守ろうとしてくれている。

 そんな高潔な姿に憧れてしまうけど……。


「……ん? 全てを承知の上ということは、もしかして私が姫ではなく王子だと……男だと気付いている上でのことなのか!?」

「いえ、それはないと思われます。アイゼ()様が隣に座られたときの、あの舞い上がり振りからすると、全く気付いておられません」


 ……そうか、気付いていないのか。

 良かったような、悪かったような……。


「それにしても、抱き留められたり抱き上げられたり、今日も何時間隣に座って話していたと思うのだ。政治的な話には驚くほど聡いのに、何故そこだけそのように鈍い? それとも思い込みが激しいのか? いくら姉上に似ているとは言え、普通男だと気付くだろう。そうは思わぬか?」

 ……クレア、どうしてそこで口を閉ざして答えない?


「しかしアイゼ様、そうであれば、益々、エメル様にどのように報いるかを考えなくてはなりません」

 話を逸らしたな?

 でも、それを突っ込んでいる場合じゃなさそうだ。


「そうだな、借りばかりが増えて……本当にどう報いればいいのか……」

「やはり、アイゼ様がスキンシップを増やして報いるのが一番ではないでしょうか」


 どうして話が元に戻ってしまうんだ?



 次の日の夕食後、一日ソワソワ落ち着かない様子だったエメルを呼び出した。


「何か欲しい身分や役職はないか?」

 一人でいくら考えても分からない以上、直接本人に聞いてみるしかない。


「こうしてそなたに護衛を任せることにしたが、実質、騎士服を着ただけのただの平民であることには変わりない。今後、貴族達に横槍を入れられると面倒だ。私で与えられるものであれば、なんでも与えるが」

「身分や役職ですか……」


 給与と権利には、相応の義務と責任が伴う。

 実際にはその逆で、義務と責任を果たすから、相応の給与と権利が与えられるわけだけど。


 僕の側に居るためには、今はその義務と責任が邪魔、とでも言いたげな顔だ。

 本人が欲しがっていないものを無理に与えても僕の自己満足でしかないから、返答は保留していいと伝えようとしたら、エメルが何かを閃いたようにポンと手を叩いた。


「じゃあお言葉に甘えて、身分は平民のままでいいですけど、地位と役職は特務騎士で、新しい部隊を創設してそこに俺を配属して下さい」

「ふむ、新しい部隊を創設して、特殊な任務に従事する騎士になるというわけか。それはどのような部隊で、どのような任務に従事するのだ?」


「名前は、王家直属特殊戦術精霊魔術騎士団即応遊撃隊です。団員は俺一人で」


「王家直属特殊……なんだ?」

「まあ、名前はなんでもいいんですけどね、敢えて大げさに聞こえるような言葉を並べただけなんで」

 それから語って聞かせてくれたその中身に、思わず噴き出してしまう。


「王家直属、つまりこの場合は姫様ですね。俺の上には姫様しかいなくて、姫様の命令しか聞きませんよってことで、公然と他の貴族達の命令を無視出来るようになります。で、普段の任務は姫様の護衛ですけど、姫様が、あいつらを殲滅してこい、こいつらを助けてやれって言ったら、即座に俺が飛んでって精霊魔法でドカンとやってやるんです」

「つまり、今と何も変わらないと言うわけだな」

「そういうことです」


 これぞ名案とばかりに、得意げな顔をするエメル。

 本当に、よくそんなことを思い付くものだって感心するよ。

 昨日聞いた話の限りでは、文字の読み書きや算術は独学で修めたようだけど、政治向きの勉強をしたような様子は全くなかったのに。


「騎士団と銘打てば、少なくとも他の騎士団と同格で、共同作戦の要請もしやすくなるだろう。考えたものだな」

 それはつまり、軍部の決定で動く騎士団に、より僕の意思が反映しやすくなるってことでもある。

 結果的に、組織の改革が不要のまま、僕の影響力と権限の強化に繋がるんだ。


 もし本当にそこまで計算した上でのことだったら……。

 思わず、ゾクゾクと鳥肌が立ってしまう。


「まあ、そこはついで程度ですけどね。一番の目的は、あれこれ言われるのを突っぱねることですし」


 肩を竦めておどけるエメルに、苦笑が漏れる。

 それにしても、本当に大したものだよ。

 負った義務と責任は、自分がやりたい(姫様)の望みを叶えることで、それにちゃっかり給与と権利を手にしているんだから。


「いいだろう、その部隊を創設しよう」

「ありがとうございます」


 むしろ、ありがとうは僕の方だよ。

 これじゃあ、借りを返すどころか、借りが増えてしまったな。


「じゃあ姫様、初任務ってことで、これから王都に行ってトロルを倒して、王様や王妃様を助けてきましょうか?」

「待てエメル、そなたはいきなり何を言っている?」


 いや、本当に。

 ちょっとそこまでお使いに行くみたいな顔をして、突然何を言い出すんだ?


「だってほら、こっちも夜襲を仕返して王都を占領し続けられないくらい戦力を減らしてやれば、撤退するしかなくなるでしょう? それでも十分、戦後の和平交渉の不利を減らせますよね?」

「それはそうだが……よもや、功に(はや)っているわけではないだろうな?」

「まさか、全然そんなことないですよ。ただ、せっかく名前だけでも姫様の直臣になったんだし、その判断は正しかったって、姫様のために何か実績を上げといた方がいいかなって思っただけです」


 確かに、それだけの戦果を上げれば、新部隊の創設について、とやかく言われることはなくなると思うけど。


「気持ちはありがたいが、今、ラムズに兵を集めさせている。私が指揮して打って出るから、それまでそなたの力は温存しておいて欲しい」

「ああ、そっか、そうですよね……気付かなくて済みません」

 もっと言い募るかと思いきや、本気で反省……している?


「……何に気付いたのだ?」

「やっぱり王族の姫様が直接指揮して王都を奪還しないと、戦後の復興と統治が上手くいかないですよね」


「……そなた何者だ?」

「え? ただの貧乏農家の次男坊ですけど?」

 これがただの平民の発想と理解力だとでも?


 これで礼法を学んでいれば、貴族の嫡男って言われた方がよっぽどしっくりくる。

 いや、貴族ですら、すぐにそれに思い至れる者が果たしてどれだけいることか。


 しかもそれに気付けるのに、なんで僕が男だって事にだけ気付けないんだ?


「でも状況が変わったらいつでも言って下さい、すぐに飛んでいくんで」

「うむ、そのようなことはないと思うが、もしもの時は頼む」

「はい、任せて下さい!」


 まったく、知れば知るほど、どういう人物なのか分からなくなっていくよ。


 もしどこかに仕官していれば、近隣諸国に名が轟くほどの人物になっていたはずだ。

 それなのに、ただの貧乏農家の次男坊で、生まれてから一昨日まで故郷の村から出たこともなく、畑仕事をしていただけなんて。


 家族が大好きで、『立身出世、貧乏脱出、お嫁さん探し』を標榜(ひょうぼう)しながら、その実、野心なんて人並みの幸せを望むくらいにしかない、人畜無害と言ってもいい程だ。


 もし邪まな野心を持ってその力を無制限に振るえば、国が一つ……いや、周辺諸国を巻き込んで、幾つもの国がひっくり返りかねないと思う。


「姫様?」

「いや、なんでもない」


 今も、観察するようにじっと見ていたら、頬を染めて照れ臭そうに微笑む。

 本当に、無邪気というか、他愛ないというか、可愛らしいというか。

 もし悪い女に騙されたら簡単に引っかかってしまいそうで、ちょっと心配になる。


 ……今の僕が言えた義理じゃないけど。



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