144 反乱
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「緊急事態にございます。デルイット伯爵派の複数の貴族家が挙兵、王家直轄地に進軍を開始した由にございます」
「なっ……!?」
思わず立ち上がってしまった僕に、ゲーオルカが笑みを深めていた。
やっぱり、知っていたんだ。
その理由をゲーオルカに問い質すより前に、詳細を確認しないと。
「状況はどうなっている!?」
「反乱軍の規模はおよそ二千から三千とのこと。軍部は詳細な状況を確認中で、後ほど報告に上がるとのことです」
侍従長が恭しく頭を下げる。
どうやら現時点では、これ以上の情報は分からないらしい。
よりにもよってエメルが不在の時に……。
いいや、きっとエメルが不在だから、このときを狙ったに違いない。
小さく吹き出す声に、ゲーオルカを睨み付ける。
「何を笑っているのです」
姉上がきつく咎めても、どこ吹く風で笑みを崩さない。
「笑わずにいられないだろう? 反乱を起こされた現王家には、統治能力も貴族を従える『力』もないと露呈したんだから」
歯がみする。
言い返したい、けれど、そう非難されても仕方ない状況だ。
姉上も僕も、エメルのおかげで状況が好転してきて、気が緩んで目を曇らせていたのかも知れない。
時が経てば経つ程、王家は『力』を取り戻していく。
王家に不満を持つ野心家達が動くなら、一刻も早く動かないと、どんどん状況が不利になっていくんだ。
そんな貴族達が、エメル不在のこの機を逃すわけがない。
なのに、それに思い至れなかったなんて。
「あの張り子の英雄がいないと、なんにも出来ないのか? そうだろうな、もうお前達にはなんの力もないんだから」
「っ……!」
姉上がドレスのスカートを皺が残りそうなくらいに強く握り締めている。
そのエメルを害するために、何か工作をしているお前がどの口で。
そう咎めたいけど、証拠がない。
「やはりお前達ではこの国を治めることなんて出来ない。さっさと僕達に王権を委譲することだな」
ゲーオルカが笑いながら、リビングを出て行く。
悔しい……。
何一つ言い返せないなんて……。
でも、今はゲーオルカなんかに構ってる場合じゃない。
「フィーナ様!?」
レミーの焦った声に振り返ると、姉上が青い顔でぐったりして、レミーに支えられていた。
侍女達が悲鳴を上げて、主治医を呼びに走る。
「姉上、大丈夫ですか!?」
「ええ……ごめんなさいアイゼ、大丈夫よ。ちょっと目眩がしただけ」
レミーの手を借りてソファーに楽な姿勢で座り直して、背にクッションを当てて背もたれに身体を預ける。
そしてクレアが手渡したカップから少しだけ水を飲むと、小さく吐息を漏らした。
「エメル様がいらっしゃらないと、なんてわたし達は無力なのでしょう……」
「姉上……」
「エメル様……きっとご無事ですよね?」
「ええ、二万以上のトロルを相手に一歩も引かない男なのです。どのような企みがあろうと必ず撥ね除け、無事に私達の下へ帰ってきてくれます」
姉上の手をしっかりと握り締める。
それで安心出来たとは思わない。
けど、姉上は気丈に微笑む。
「殿下……」
「ゲーオルカ・アグラスのことは今はいい。そなたに任せる。それより反乱の状況と対処だ」
侍従長が一礼して下がる。
エメルはすでにトロルと交戦している頃合いだ。
エメルを害するなら、そこが絶好の機会。
だけど、もしそれでエメルが命を落としたら、トロルの主力部隊を倒せず、終戦どころか我が国が滅亡しかねない。
ゲーオルカが、アーグラムン公爵が、王位を欲する以上、そこまで愚かな真似はしないと思いたいけど……。
「クレア、砦にエメルへの注意喚起と安否確認の早馬を大至急頼む」
「大至急手配します」
一礼して、急ぎリビングを出て行く。
もしエメルに何かあれば手遅れだろう。
エメルが無事なら、早馬が到着するのは作戦通りエメルがガンドラルド王国の王都へと進発した後になる。
だけどもしその道中を狙われたら、もはやエメルの安否を確認する手立てがなくなってしまう。
全てが後手後手だ……。
再び廊下が騒がしくなって、侍女が主治医を連れて来てくれたみたいだ。
「わたしは平気です。アイゼ、あなたはあなたのすべきことをなさい」
まだ顔色はよくないけど、僕が姉上に付いていても、何も事態は好転しない。
「はい、姉上」
頷いて、姉上の手を放し立ち上がる。
今は確認の取りようがないエメルの安否については考えないようにする。
僕まで取り乱して倒れるわけにはいかないんだから。
とにかく、まず反乱の詳細を把握し、万が一に備えて各地に早馬を走らせないと。
◆◆
アイゼがリビングを出て行った後、主治医の診察を受けます。
急な極度の緊張による脈拍の乱れと貧血で、しばらく安静にしていれば大丈夫とのことでした。
なんとも情けない話です。
ゲーオルカの前では気を張っていましたが、エメル様にもしものことがあったらと思うと、気が遠くなりかけました。
命を落とす可能性があるのは、戦場に立つ者に必ずついてまわります。
ですから、万が一でもトロルとの戦いで命を落とす可能性がある以上、その覚悟は決めておかなくてはなりません。
正直言えば、覚悟が出来ているとはとても言えませんが……。
もしそのような事態になれば、いずれ受け入れなくてはならないとは思っています。
ですが、何者かの企みで害され命を落とすなど……。
悪意によって、突然エメル様を奪われるなど……。
もしそのようなことになれば、わたしは生きていられません。
もはやエメル様のいない人生など考えられないのですから。
「フィーナ様、エメル様は絶対に大丈夫ですよ」
レミーが優しく労るように声をかけてくれます。
ああ、侍女の前で取り乱して倒れ、心配をかけてしまうなんて。
「……そうですね。エメル様なら絶対にご無事です。つまらぬ悪意や罠などに負けるような方ではありませんね」
「ええ、その通りですよフィーナ様」
無理に微笑むと、それでもレミーは安心したように微笑んでくれました。
「まったく。フィーナ様にこんなご負担をかけるようなことをするなんて、そんな人達はあたしが絶対に許しません」
意気込んで拳を握るレミーに、しおれかけていた心が奮い立ちます。
そうです、わたしは何を弱気になって倒れているのでしょう。
もしエメル様に万が一のことがあれば、そのような真似をした者達を、のうのうとのさばらせてなどおけません。
ましてや、エメル様が望まれた王位をその者達に奪われるなど、決してあってはならないのです。
そのような者達には、わたくしがこの手で必ず報いを与えなければ。
でなければ、エメル様に合わせる顔がありません。
エメル様の後を追うのは、その後でも十分に間に合うのです。
そこまで考えて、心の中で自嘲してしまいました。
エメル様は絶対に無事帰ってきて下さいます。
そのような覚悟を決める必要は絶対にありません。
「レミー、わたしに出来ることは、何かないでしょうか。アイゼばかりに負担をかけてはいられません」
アイゼだって、エメル様のことが心配で倒れてしまいたいでしょうに。
同じエメル様の妻となる身で、わたしだけが何もせずにいるなど、自分で自分が許せませんから。
起き上がろうとすると、レミーの手がわたしの身体を押さえてしまいます。
「今は身体を休めて、心を落ち着かせることがフィーナ様のすべきことです。身も心も万全になってから、何が出来るかあたしも一緒に考えますから」
「……ありがとう、レミー」
そうですね、ここで無理をしてまた倒れては意味がありません。
意気込みだけで、まだ何をすればいいのか分かりませんが、エメル様の妻となったとき、この王城の女主人となるのです。
きっと今ごろ、反乱の報は城内を駆け巡り、使用人達は激しく動揺していることでしょう。
せめてこの混乱に際し、王城を取り仕切り動揺を落ち着かせるくらいはしなくては。
それはわたしの最低限の責務。
さらにそこから、出来ることを考えましょう。




