134 エレーナの使命
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私はダークムン子爵家の三女として生まれた。
「エレーナは愛想がないわね」
父と母を始め、兄と二人の姉にも、小さい頃からそう言われて育った。
私だって笑うし、怒るし、悲しむし、人並みに感情はある。
ただ、どうやらそれが表情の変化として出にくいみたいだった。
そのせいで、家族にそんな風に言われながら育ったものだから、多少捻くれて、素直じゃないところがあったと思う。
だから八歳になっても、十歳になっても、十二歳になっても、どこからも婚約の話が来なくて、家族はますます私の愛想がないせいだと言った。
そんな家族に辟易してたのと、しがない子爵家の三女って立場から将来は不安しかなくて、なんとか自立してやっていけないかと色々なことに挑戦してみた。
そうして色々と挑戦した結果選んだのが、女だてらに騎士になる道だった。
騎士に挑戦しようと考えた切っ掛けは、ダークムン子爵家が近年身を寄せて派閥入りしたアーグラムン公爵家の直系の孫、ゲーオルカ様の噂を聞いた時だ。
なんでも、アーグラムン公爵領では男ばかりでなく女も騎士や兵士として広く採用しているらしく、それを提案し推し進めているのが、なんとゲーオルカ様だと言うのだ。
騎士や兵士は男の仕事。
それが常識だったのに、そんな常識に囚われずなんて開明的な人なんだろうと、とても驚いたことを覚えてる。
物は試しで、ダークムン子爵家で雇ってる兵士に無理を言って剣を持たせて貰って試したところ、どうやら私には剣術の才能があったらしい。
詩を読むことも、刺繍をすることも、貴族のご令嬢らしいことは何一つ上手に出来た試しがなかったのに、剣術の腕だけはメキメキと上がっていった。
十二歳になってから剣を握るのは遅いとハッキリ言われてたけど、たった数年で同年代の男の兵士には負けなしになって、なんとそれが認められて、アーグラムン公爵領軍の騎士団への入団が許された。
しかも入団式の時――
「貴族の令嬢でありながら、周囲の雑音にも負けず、よくこれほどの力を付けたね。僕は君の努力を尊敬するよ」
――そう、ゲーオルカ様直々にお声をかけて貰えるなんて思いもしなかった。
知的で凛々しくお優しいゲーオルカ様にそんな風に言って貰えるなんて、舞い上がりそうだった。
もちろんそれで勘違いするような私じゃない。
ゲーオルカ様は、慣例を無視して父親を飛ばし次期公爵になるのではないかともっぱらの噂の、国内で最大の力を持つアーグラムン公爵家の直系の孫。
対して私は、しがない子爵家の三女だ。
本来なら、声をかけて貰えるどころか視界に入ることすらあり得ない身分差がある。
ただ、女の身で騎士や兵士になった人は決して少なくなかったけど、貴族のご令嬢で騎士になったのは私しかいなかったせいか、そういった身分差を本当の意味で分かってる人はいなかった。
だから、そんな彼女達のほとんどがゲーオルカ様に熱を上げていた。
「今の王家はあちこちの国から戦争を仕掛けられては負けて、領土を奪われる一方なんだって」
「王家に『力』がないから、国内の貴族達をろくにまとめられないそうよ」
「いっそアーグラムン公爵家が王位に就いた方がいいんじゃない?」
「これは噂なんだけど……実はそのために男女問わず兵を集めてるんじゃないかって」
「じゃあもしかしてあたし達、ゲーオルカ様を王様にするために戦えるってこと?」
「やだ、素敵!」
「その戦いで活躍したらゲーオルカ様の親衛隊に取り立てて貰えて、お手つきになるチャンスかも!?」
そんな浮かれた話はともかく、兵を集めてる理由はなるほどって思った。
それほどまでに王家が不甲斐ないなら、ここ数十年で領地を豊かに発展させたアーグラムン公爵が王様になった方がこの国のためかも知れない。
ゲーオルカ様ほど聡明で女性が働くことにも理解を示される方が王様になったら、きっと素晴らしい国になる。
そのお手伝いを出来たらいいな、そう思った。
それから二年ほどが過ぎて、トロルとの戦争が始まった。
王都が陥落した、奪還された、って情報が錯綜して、詳しい戦局は不明だったけど。
開戦からおよそ四ヶ月、遂に出陣することになった時は死ぬかも……って怖かった。
だけどそれもアーグラムン公爵を、ひいてはゲーオルカ様を王様にするために必要な戦いだって噂が流れて、それなら命を賭けて戦うしかないって思った。
結局、何故かトロルと戦うことなく領地へ引き返して、拍子抜けで終わったけど。
それからしばらくして、急に私は実家に呼び戻された。
理由は、救国の英雄と呼ばれてる農民が、その功績を称えられて貴族に叙されることになったから、退団してその護衛として雇われろ、というものだった。
農民が救国の英雄?
農民が貴族に叙される?
アーグラムン公爵領軍の騎士団に所属してる私が、わざわざ退団してまで王家が囲ってる英雄の護衛?
意味が分からなかった。
だけど、父に内情と密命を聞かされて、納得すると同時にひどく不満だった。
なんでもその農民はそれなりの実力がある精霊魔術師らしいけど、落ち目の王家が威信を取り戻すために戦果を盛りに盛って祭り上げた、張り子の英雄だそうだ。
しかも、仮にも王家が認めた救国の英雄だから誰も無下には扱えないってだけなのに、それを自分の実力と勘違いして、無礼で横暴な振る舞いが目立つらしい。
挙げ句には、自らの異常性癖を満たすために、恐れ多くも王太子殿下に王女様の格好をさせて嫁に寄越せと無茶な要求を迫ったり、事業を始めるって名目で金をせびったり、王家も持て余す傍若無人ぶりだそうだ。
このままじゃ落ち目の王家とその農民の英雄のせいで、国が傾きかねない。
だからそうなる前に、貴族になって益々増長するだろうその農民の懐に潜り込み、機を窺い暗殺しろ、との話だった。
もし関係を迫られて無体を働かれそうになったら、それこそ切って捨てていい、と。
騎士がそんな暗殺なんて真似、誇りが穢れるから嫌だった。
でも、それがこの国のため、ひいてはいずれ国王になられるゲーオルカ様のため。
もしこの密命を果たせば、表立って表彰は出来ないけど、ゲーオルカ様の親衛隊に入る道が開けるかも知れない。
そう父に説得されたら、断れなかった。
そうして出会った、勘違いし増長した傲慢な元農民の男爵様は……聞いていた話と、なんだか違った。
私より四つも年下で、人に傅かれるのも女の子にも慣れてなくて、気遣いが出来る優しい子だった。
それなりの実力がある精霊魔術師と聞いていたけど、城仕えしてるメイドや下働き、騎士や兵士達の話を聞くと、それなりどころかデタラメな実力者みたいで、とても信じられなかった。
王太子殿下に王女様の格好をさせて嫁に寄越せと無茶な要求をしてるのは事実だったけど、自らの異常性癖を満たすためと言うより、純愛っぽい。
しかも相思相愛っぽい。
そうなった経緯を小耳に挟んで、男同士で理解しがたかったけど、納得はした。
恋は勘違いから始まる……ってどこかで聞いた言葉だけど、その通りかも知れない。
無礼で横暴な振る舞いは、どうやら王家を軽んじる貴族達や、男爵様をいいように操ろうとする腹黒い貴族達へ向けてばかりで、礼を以て接すれば礼を以て返してくれる、とても元農民とは思えない知的で聡明でちょっと変わった、でも普通の男の子だった。
しかも、王家に金をせびってるんじゃなく、王家の権威を取り戻すために事業を立ち上げて、利権に食い込もうと多数の貴族が暗躍するくらい、その経過は順調らしい。
さらに筆頭侍女のメリザさんの話によると、目が飛び出るほどの多額の褒賞金を貰ったその場で、王都復興のためにって気前よく全額寄附したそうだ。
おかげで、王都の市民の人気は高く、事業の部下にも慕われてる。
……どうも、噂とは当てにならないらしい。
でも、新たに見えて来たこともある。
王家に『力』がないのは本当だった。
男爵様がどれほど頑張っても、今更王家が権威を取り戻すことも、力を付けて貴族達を従えることも、きっと不可能。
貴族はおろか、城内の使用人達すら、王太子殿下は王位継承権を返上し、王女殿下もいずれかの貴族に王権を委譲することになる、そんな噂話を平気でしてるくらい、統制が取れてない。
しかも、その王権を委譲する最有力候補が、アーグラムン公爵だ。
アーグラムン公爵は隣国で大国のフォレート王国との関係が良好で、領地も豊かで、最も王様になるのに相応しい貴族家だと思う。
そしてゆくゆくは、ゲーオルカ様が王様になるんだ。
可哀想だけど、男爵様の頑張りはその流れに逆行してて、報われそうにない。
むしろ、今の王家の治世を長引かせることは、無駄に国を傾かせていくことに他ならない。
悪い子じゃないし暗殺までしなくても……そう思うけど、この国の明るい未来の、何よりゲーオルカ様の邪魔者にしかならないなら、いっそ私の手で……。
――そして、本当にその機会が訪れた。
トロルの第三次侵攻部隊の迎撃作戦のため、男爵様が単独で敵本隊を迎え撃つことになった。
だから、単独でって意味が分からないけど、護衛として同行することに志願した。
それまでほとんど親しくしたことはなかったのに、同じアーグラムン公爵派のサランダがさり気なくフォローしてくれて、同行の許可が貰えた。
しかも、同行者は私一人だけで、目撃者は皆無の状況。
千載一遇のチャンスだ。
そう思ったのに……。
「だ、だ、だ、男爵様ぁっ!? そ、空っ、空っ、空飛んでっ、飛んでぇっ!?」
空を飛ぶなんて非常識だ。
「まあね。でもまあ、何度飛んでも、世界って広いなって思うよ」
たかが元農民が遥か遠くまで、誰も見た事のない景色を見て、世界を見渡して、国のために様々な事を考え、戦う……なんて非常識だ。
そして……。
初めて見たトロルとトロルロード。
その巨体と重厚な筋肉、そして巨大な武器。それらから繰り出される破壊力は、私なんか一瞬で肉塊に変わるのは見ただけで分かった。
そんなトロルロードの攻撃を物ともしない、人を遥かに超える大きさの契約精霊を八体も従えてるなんて、非常識だ!
しかも、男爵様を、私を、殺そうと血走った目で襲いかかってくるのに、顔色一つ変えないなんてもっと非常識だ!
それどころか、攻撃魔法と言えば火、土、水の三属性が当たり前なのに、同じ水でも氷じゃなくてどうしてただの水で鎧まで両断できる?
風だって、風で鎧まで両断なんて見たことも聞いたこともない。
光と闇なんて明かりの操作がいいところなのに、どうして攻撃魔法として使える?
そして、それほどの敵一万四千匹を相手に、五分と経たず一方的に虐殺しておきながら、まるで雑用を済ませただけみたいに、事も無げに平然としてるなんて……あまりに非常識過ぎる!
「もしかして、怖かった?」
「は、い……あ、いや、そんなことは……」
怖かった……。
だってこんなの、人間技じゃない。
もう人間の姿をした化け物だ。
これほどの力が、自分に、何よりゲーオルカ様に向けられたらって思うと……震えが止まらない。
しかも男爵様の非常識はそれだけで終わらない。
「ぁ……あの男爵様……?」
「うん?」
「これは……?」
「ああ、便利だろう? ゴーレムって動く人形だな」
鉄の鎧が、盾が、武器が、精霊魔法で形を変えて、トロルに負けない巨体の人型になったと思ったら、勝手に動き回って死体の後始末をし始める。
もう、非常識にも程がある!
これは……駄目だ……。
「これ……戦えるんですか?」
「あ~~……やってやれないことはないかな? でも、実戦に耐えられるレベルじゃないんだよね」
こんなの駄目だ……。
男爵様一人でもその『力』は非常識で、もし戦うことになったらアーグラムン公爵領軍でも勝てない、みんな殺されてしまう。
その上こんなゴーレムだなんて、騎士が何人いても倒せそうにない鉄の巨人が何十体もだなんて……もう誰も男爵様に逆らえない。
王権を委譲どころか、男爵様と王家にこの国は食い潰されて滅んでしまう……。
ゲーオルカ様が王様になって、素晴らしい国を作れなくなってしまう……!
そんなのは絶対に駄目だ!
私がなんとかしないと!
幸いなことに、男爵様はトロルに圧勝して気が緩んでるのか、死体の処理をさせるために精霊達に指示を出して、私のことを完全に意識から外してしまってる。
ごめんなさい男爵様、あなたは悪い人じゃない……でも!
即座に抜刀し、私は背を向けて立つ男爵様へとその剣を全力で振り下ろした。




