130 合流と作戦会議
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「ひゃああああぁぁぁぁぁーーーーー!?」
「俺にしっかり掴まってたら落ちないから、暴れず騒がず落ち着いて」
奇声を上げるエレーナが背後から力一杯抱き付いてくるのをそのままに、レドに乗ってまだ太陽が地平線から出きっていない早朝の空へと飛び立った。
第二次王都防衛戦の戦場になった、あちこち焼け焦げた地面が剥き出しの草原を眼下に見ながら一路南へ、国境線から少し手前のマイゼル王国の砦を目指す。
「だ、だ、だ、男爵様ぁっ!? そ、空っ、空っ、空飛んでっ、飛んでぇっ!?」
普段は表情筋がほとんど仕事をしてなくて、淡々とした喋りばかりのエレーナでも、引きつって泣きそうな顔で取り乱し、感情がたっぷり込められた悲鳴を上げることも出来るんだなって、悪いなぁとは思いつつ、ちょっと感心しちゃったよ。
「精霊は普段から浮いてるし、触ることも出来るようになるんだから、そりゃあ大きければ乗って飛べて不思議はないだろう?」
「ひっ、ひっ、ひじょっ、非常識っ、ですっ!」
「そんな固定概念に凝り固まった頭してたら、俺の護衛なんて務まらないぞ?」
なんて話をしてる間に、あっという間に戦場跡を越えて、普通に草原が広がっている地帯を飛んでいく。
レドはロクに比べて六割程度の速度しか出せないから、早馬と併走したらまだ早馬の方が速いけど、当然、街道も地形も無視な上に、疲れて速度が落ちるとか馬を交代させる必要とかないから、街道沿いに早馬を走らせるより圧倒的に早く目的地へ行ける。
さらに馬車とも違って、車輪が轍に嵌まって動けなくなるとか、車軸が折れるとか、対向馬車とすれ違うのに道の脇に避けて手間取るとか、そういったこともない。
暴れずしっかり掴まって落ちないよう気を付けてさえいれば、実は単調な空の旅だ。
だからしばらくするとエレーナも落ち着いて、景色を楽しむ余裕が出てきたらしい。
「こんなに高い所を……もう王都があんなに遠くに……あんな遠くまで見渡せて……本当に鳥みたいに飛んでる……」
怖々だけど下を見たり、地平の彼方を見たり、段々と楽しくなってきたみたいだ。
「馬や馬車とは違って、空の旅もいいもんだろう?」
「はい!」
うん、声が弾んでる。
とはいえ、しっかり俺の身体に腕を回してしがみついたままだ。
騎士として完全武装してるせいで、胸当てや肩当てや籠手なんかがゴツゴツ当たって痛いから、もうちょっとしがみつく力を緩めて欲しいんだけどね。
「男爵様は、いつもこんな景色を見ているの?」
ふと、いつもの淡々とした喋りに戻って、何気ない話題とは違う、何かを問いかけるような口ぶりで聞いてくるから、前方のうんと遠くへと目を向けながら、真面目な声で答える。
「まあね。でもまあ、何度飛んでも、世界って広いなって思うよ」
「……」
「エレーナ?」
「……うん、そう、かも……世界って広い」
小さくクスリと笑う声が、耳をくすぐった。
よく分からないけど、問いかけには答えられたのかな?
それから、何時間かおきに下に降りて食事やトイレ休憩を挟みながら、ロクに先行して貰って方向を確認しつつ、およそ半日後、太陽が西の地平に差し掛かる頃になってようやくグルンバルドン公爵が待つ砦の中庭へと降り立った。
「馬車でも五日は掛かる距離を……本当に一日足らずで着いた……信じられない……」
茫然と呟くエレーナが可笑しくて、つい笑っちゃいそうになったけど。
慌てて砦の中から大勢の兵達が飛び出してきて、武器こそ抜いてないものの警戒して俺達を取り囲む中、ちゃんと話は通ってたんだろう、その兵達を掻き分けて隊長格らしい立派な体格のおじさん騎士がやってきた。
「ようこそメイワード男爵エメル・ゼイガー様。自分はグルンバルドン公爵領軍守護騎士団副団長、グルンバーテン侯爵家前当主の三男、ラグモンド・プルツと申す。第二次王都防衛戦の折り『すくりーん』なる魔法でお姿を拝見していましたが、いやはや本当にまだお若く、このように巨大な契約精霊を従えておられるのですな」
そう名乗った副団長は、特務騎士の制服の左胸を飾る四つの勲章を、眩しそうに目を細めて羨ましそうに見つめてきた。
兵達も、レドにも目を奪われてるけど、俺の胸元の勲章も気になって仕方ないって視線をチラチラと向けてくる。
……なんかちょっと照れるな。
功績を示すことはもちろん、贈った者の感謝と信頼そして期待の証であり、見る者の尊敬と羨望を集め、いつか自分達もと奮起を促す。そういう意味があるから、可能な限り公の場では身に着けていて欲しい。
そう言われたから今回は着けてきたけど、兵達の俺を見る顔を見ると、なるほどって納得だよ。
それはそれとして、どうやら見学組に参加してた人らしいな。
これなら話が早くて助かるよ。
手順として、護衛のエレーナが先に降りて、続けて俺が降りる。
「改めて、王家直属特殊戦術精霊魔術騎士団即応遊撃隊所属特務騎士、メイワード男爵エメル・ゼイガーです。こっちは俺の護衛でエレーナ・ラグドラ。今回は共同作戦と言うことで、よろしくお願いします」
副団長と握手を交わす。
さすがグルンバルドン公爵配下の兵士達って言うか、レドの姿に恐怖と好奇の視線を向けてるけど、変に騒ぐような奴はいない。
副団長自ら案内してくれるって言うんで、レドの姿と気配を消して、グルンバルドン公爵が待つ執務室へと向かう。
「閣下、メイワード男爵エメル・ゼイガー様をお連れしました」
「卿がメイワード卿か」
砦らしい重厚なドアの向こう、執務机に着いて俺を待ってたのは、中年でガッシリとした逞しい体格の渋い美形のおじさんだった。
「私がグルンバルドン公爵ジョナード・オフコナーだ」
同じ挨拶を繰り返して、握手を交わす。
他の貴族達とは一線を画するって言うか、眼光が鋭くて、存在感って言うか威圧感って言うか、ただ目の前に立ってるだけで圧を感じる。
エレーナなんて、チラッと視線を向けられただけで身を固くしてたし。
俺も、もし前世のままの俺だったらビビってかなり逃げ腰になってたかも。
今世じゃあ、何十って盗賊やゴブリンを始め、万を超える巨体のトロルやトロルロードにまで本気で殺すって殺気をぶつけられてきたからな。
相手が公爵だろうが威圧感があろうが、それらに比べたらただ会って話をするだけで、必要以上に気圧される理由はないな。
「殿下と卿がトロルどもに宣告した、降伏勧告返答の期日となる二ヶ月後は明日だ。時間もないことだし、早速話し合いに入るが構わんな」
それは確認って言うより命令だけど、俺の方も異存はないし頷いておく。
執務室にはどうやらこの挨拶のためだけに案内されたようで、すぐに軍議室に場所を移して、グルンバルドン公爵配下の貴族や騎士達と共に、今回の作戦について話し合う。
諸々説明してくれるのは、騎士団団長ってこれまたごついおっさんの騎士だった。
「敵はトロルロード率いる主力部隊一万四千匹、輜重部隊二千匹、奴隷輸送部隊二千匹。全軍で一万八千だ」
「主力部隊が第二次王都防衛戦の二万一千匹に比べると三分の二って、数的には少ないですね」
俺の他愛ない感想に、数だけを見て油断するなと、団長が眉を吊り上げた。
「数こそ少ないが、先の二万一千匹と伍するのにこちらの兵力は六万三千人……いや、トロルロードの精鋭部隊五千匹が含まれたから六万八千人に比べ、今回の主力部隊一万四千匹と伍するためには、こちらの兵力は十四万から二十万人は必要になる。その戦闘力の差は段違いだ」
まあ、俺にしてみれば、いくらトロルが鎧を着込んで盾を構えようが、騎士並みに戦闘訓練を積んでようが、やることは一緒で結果も変わらないから、数が少ない方が早く終わって手間がなくていいんだけどね。
「それで、グルンバルドン公爵の軍の兵数と作戦は?」
「当方の領軍の総数は一万六千、内訳は――」
まあ騎士と民兵の数、歩兵、騎兵、弓兵、魔法兵の内訳なんかは興味がないんで、軽く聞き流しておく。
「――それで作戦なのだが……」
そこで団長が言い淀んで、何かを堪えるように厳めしい顔をして言葉を続けた。
「当方の領軍は敵主力を迂回して国境を越え敵後方へと回り込み、メイワード男爵が正面より敵主力と戦闘開始後、後方の輜重部隊および奴隷輸送部隊を急襲しトロル兵どもを殲滅。物資の鹵獲と奴隷を解放する」
ああ、なるほど。
主力部隊を俺一人に任せて、自分達は戦力的に弱い後方の支援部隊を襲って物資と奴隷を分捕るだけなのを、恥じ入ってるわけか。
その場にいる貴族は表情を変えずに内心を隠してるけど、団長のみならず、騎士達はみんな恥じ入ってるみたいな顔だ。
「私も本来であれば、敵主力部隊の殲滅という戦場の花形を譲りたくはないが、領軍は未だに再建途中で、今回の一万六千もかなり無理をして集めた数だ。この数では、後方の四千匹を相手にしても、相応の被害を覚悟しなくてはならなくてな」
本心はどう思ってるか分からないけど、グルンバルドン公爵は配下達に恥じ入る必要などないと言うように、自分達の及ぶ力の精一杯で今回の作戦に参加してるんだと、胸を張って堂々とした態度だ。
なんて言うか、武人って感じだな、この公爵様は。
「せっかく再建中なんだから、無理に被害を出す必要はないし、全部俺に任せてくれてもいいんだけど……って言うのは、やっぱり余計なお世話なのかな?」
「当然だ。卿の言い分も尤もではあるが、この私、グルンバルドン公爵ともあろう者が、己が国を守るための犠牲を惜しむような真似など出来るか。身の安全と平和を他者に委ねて何もせずのうのうと生きる程、恥知らずではない」
今回の戦争が起きるまでは、十数匹程度の小規模な部隊だけど、国境線沿いの村をトロルどもに襲われて、人や物資を奪われる小競り合いがちょくちょくあってたって話だからな。
自分達派閥の領地で戦いが起きてたわけだから、自分達で対処するのが当然で、プライドがあるんだろう。
それにどういう形であれ、勝って終戦を迎えるに当たって、王都の市民と同様に、グルンバルドン公爵派の領地の人達も一度は戦闘で勝利を収めて、多少なりとも溜飲を下げておく必要があるからな。
勝ったからってトロルを支配しろとか皆殺しにしろとか、そういう意見が主流にならないようにしないと、トロルどもだって降伏を受け入れられないだろう。
だから俺も、今回の作戦にグルンバルドン公爵の領軍が参加するのをオーケーしたし、軍部とグルンバルドン公爵が立てた作戦を受け入れるって決めたんだ。
「じゃあ、細かな手順を決めちゃいましょうか」
こうして、およそ一時間ほど掛けて細かな打ち合わせをして、その日は貴人待遇で砦に世話になった。
そして明けて翌日、第三次侵攻部隊迎撃作戦が開始された。




