13 アイゼスオートという名の姫君
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私は――僕は、マイゼル王国の第一王子アイゼスオート・ジブリミダル・マイゼガントとして生まれた。
僕は幼い頃から小さくて、鍛えてもあまり逞しくなれなくて、どうやら顔だけじゃなく体質まで、母上や姉上と似たらしい。
それが少々コンプレックスで、男らしさや威厳を出したくて、いつの頃からか公務だけじゃなく人前では自分を『私』、口調も『そなた』とか『そうは思わぬ』とか、偉そうで大人びた喋り方をするようになった。
第一王子で王位継承権第一位だった僕は、幼い頃からそう教育されたこともあって、いずれ国王になるものだと幼心に自覚を持っていた。
だから、勉強も武芸も努力を重ねて身に着けた。
公務も早くからこなして、未熟ながらも自分の意見はしっかり持って、各地の視察や内政をこなし、外交にも積極的に取り組んだ。
父上からも母上からも、将来は立派な国王になるだろうと褒められて期待されていて、それがとても嬉しかったから、日々の努力は欠かさなかった。
そんな僕の唯一の安らぎは、国も公務も関係ない、『私』から『僕』に戻って素顔を見せられるただ一人の、敬愛する姉上と共に過ごす時間だ。
姉上は、弟の僕から見ても、とても愛らしいお姫様だった。
「見てアイゼ、この新しいロマンス小説はとっても素敵だったのよ。国王を騙して国を乗っ取ろうとする大臣が、お姫様を無理矢理自分の物にしようとするの。それを勇敢な騎士が救い出して、二人は結ばれるのよ」
「ねえアイゼ、このロマンス小説はね、妖魔に襲われて滅びそうになった国のお姫様を、一人の旅人が燃え盛るお城の中から救い出すの。二人は恋に落ちて、旅人はお姫様を救った英雄としてお姫様を娶って、生涯幸せに暮らしたのよ」
「わたしもいつか、こんな素敵な出会いをして、わたしを助けてくれた方のお嫁さんになりたいわ」
姉上は第一王女として、政治の道具として、いずれ政略結婚し他国の王族か国内の有力貴族の元に嫁がなくてはならない。
だからなんだろう、恋物語にとても熱を上げて憧れていた。
「一度でいいから、こんな物語みたいな恋をしてみたいわ」
恋に恋する乙女。
そんな顔で、愛おしそうにロマンス小説を胸に抱いて夢を語る姉上は、たおやかで可憐で愛らしく、僕にとっての理想のお姫様だった。
「僕もいつか、そんな風に格好良くお姫様を助けられる王子になれるかなぁ?」
ゆくゆくは僕も、他国の王族の姫君か国内の有力貴族の令嬢か、政略結婚して王太子妃として迎えなくてはならない。
だから、僕も夢を見て憧れた。
いつか姉上みたいな可憐なお姫様を救って結ばれる、そんなロマンスに。
でも夢は夢、憧れは憧れ。
その気持ちは胸の奥にしまって、『僕』は『私』に戻る。
王太子として擁立されてからは、自覚も新たにさらに努力を重ねた。
父上から直轄地の一つを任されて、税収がわずかながらも上がったときは跳び上がるほど嬉しかった。
数字として、目に見える形で結果を出せた意義は大きい。
だから僕は、次期国王として貴族はもとより民達から期待され、歓迎され、尊敬を集めていると、信じて疑わなかった。
でも、どうやらそれは僕の思い上がりだったみたいだ。
エメルと名乗る一人の農民の息子。
彼は僕のことを顔や名前どころか、存在すら知らなかった。
彼の出身だというトトス村はディーター侯爵領の片隅にあって、王都から北方に遠く離れた領地ではあるけど、国境を守る辺境伯の領地ほど遠いわけじゃない。
確かにトトス村には立ち寄っていないけど、ディーター侯爵領の視察になら行ったことがある。
なのに彼は何も知らなかった。
視察に出向いた領地の貴族が、わざわざ民を動員して僕を歓迎させているって話は、どうやら事実だったらしい……。
結局、第一王子なんて言っても、僕の知名度なんてそんなもの。
僕がそれまで取り組んできたことも、僕自身のことも、そして何より王家そのものが、民にはなんら期待も関心も持たれていなかったんだ。
そしてそれは、いずれ僕が国王に戴冠しても変わらないんだろう……。
だから僕の中で、王太子としてのプライドは脆くも崩れ去った。
数多いる民の中で、たまたま出会ったエメルが何も知らなかっただけで崩れ去るほど、僕のプライドは軽くも柔でもない。
彼に出会った時にはとっくに、僕のプライドは大きく傷ついてボロボロだったんだ。
トロルの侵略。
王都、そして王城の陥落。
わずかな供を付けての逃避行。
積極的に外交に取り組んでいたはずなのに、隣国のトロルの国家、ガンドラルド王国が我がマイゼル王国に野心を抱き、これほどの侵略の準備をしていたなんて気づきもしなかった。
ガンドラルド王国が他国の国境を侵犯し、国境付近の村々から村人を誘拐して奴隷にする。そんな小競り合い程度の戦争は度々起こしていたから、今回もその程度だろうと、そう思っていた。
その程度なら、辺境伯の兵力と裁量で処理すべき案件だ。
だから国を挙げての戦争の準備はしていなかった。
その油断を突かれたんだろう。
まさか、王都まで攻め入るほどの大規模侵攻を企てていたなんて。
我が国でも稀にエルフやドワーフや獣人などの民を見かけるように、人族陣営の人間やエルフ、ドワーフや獣人などの多くの国家とは国交があるから、諜報員を潜入させて情報を集めるのは比較的容易い。
だけど、妖魔陣営のトロルやオークなどの国家となると、話が違う。
人族は奴隷で、国交もあってないようなもので、諜報員を潜入させること自体が非常に難しく、情報を集めるのはさらに困難だ。
しかも宣戦布告もなしの夜襲だったんだ。
だから、大規模侵攻に気付くのが遅れて、後手に回ってしまったのは仕方がない。
でも、民達にとって、そして死んでいった兵達にとって、そんな言い訳になんの意味があるだろう。
夜襲による電撃作戦で、辺境伯の兵力はほぼ即日壊滅。
人族の倍もある身の丈と無尽蔵とも言えるスタミナに飽かせた昼夜を問わない進軍速度は、僕達人間の優に三倍にもなる。
王城に知らせが届いたときには、すでに手遅れだった。
王都にいた貴族達は、こぞって王家の責任を追及した。
これまで僕の王太子としての仕事を褒め称えてくれていた貴族達が、手の平を返して僕達王族を詰った。
もちろん、王家の味方をしてくれる貴族達もいるにはいたけど……。
会議はいかに王家の責任を追及するかで紛糾して、打開策を話し合うどころじゃなかった。
そして、領地貴族達は王都を逃げ出して領地へ帰っていってしまった。
領地で兵をまとめて王都へ派遣してくれるならいいけど……それも期待出来ない。
会議にも出ず、早々に領地へ逃げ帰った貴族も少なくなかったから。
結局、状況を挽回する策を打つ間もなく王都に迫られ、民達を逃がす暇どころか、自分達王族が落ち延びる暇もなく防衛戦が始まってしまった。
そして、三日と保たずに陥落。
僕はあまりにも無力だ……。
王族として、王太子として、僕は何も出来なかった。
明日の再起を託されて落ち延びても、途中でトロル兵に発見され、抗う術もなく恐怖と情けなさに泣きそうになりながら逃げることしか出来なくて、希望も繋げないまま殺されるところだったんだから。
そこをエメルに助けられて、僕は九死に一生を得たというわけだ。
トロルは、人間と比べれば無尽蔵とも言えるスタミナを持っていて、膂力も軽く数倍を超える。
その力を生かして振るわれる巨大な棍棒やメイスの一撃をまともに食らえば、近衛騎士ですら一撃で命を落とす、そんな化け物だ。
そんな化け物のトロルを、無造作に数メートル蹴り飛ばし、赤子の手を捻るように両断する、稀代の精霊魔術師エメル。
「お姫様、大丈夫ですか?」
そんな彼に手を差し伸べられたとき、状況も忘れて見とれてしまった。
まるで姉上から借りて読んだロマンス小説の、騎士や英雄の登場シーンみたいだったからだ。
みすぼらしい平民の服を着ていても、視察の時に領主が動員したただの平民達とは違う、貴族や騎士でもないのに知的な眼差しと丁寧な物腰。
それはそのまま、物語の中に登場する英雄となった旅人を彷彿とさせた。
「すごい……格好いい……」
思わずそう呟いてしまったくらいに。
僕は彼のその強さに憧れ、魅了されてしまっていた。
そんな彼は、僕が侍女に扮していたせいで、僕を女の子と……姫と勘違いしてしまったようだ。
しかも、お姫様という存在に何かしら憧れでもあったのか、僕を『姫様』と呼んで慕って、純粋な憧れの眼差しを向けてきた。
だから……彼の手を借りて立ち上がろうとして、情けなくも膝が震えて倒れそうになってしまい、僕を守るように優しく、だけど力強く抱き留められたとき、思わずドキリとしてしまったのは勘違いだと思いたい。
しかも軽々とお姫様抱っこをされてしまったとき、不意に姉上の言葉が甦った。
『妖魔に襲われて滅びそうになった国のお姫様を、一人の旅人が燃え盛るお城の中から救い出すの』
それに気付いたとき、まるで自分が、そのロマンス小説の登場人物、助け出されたか弱いお姫様であったかのように、錯覚してしまった。
だから……顔が熱くなって胸の動悸が激しくなってしまったのは、思い違いだと思いたい。
なのに彼は、まるで僕を宝物でも扱うように守って、物語の主人公のように格好いい姿を次々と見せてきた。
「ずっとしがみついてていいんですよ?」
「つまり和平交渉で少しでも不利な条件を覆すため、すぐに戦術的勝利が必要なんですね」
「大丈夫ですよ。言ったでしょう、姫様には指一本触れさせないって」
優しく、機転が利いて、頼もしい。
男として、憧れのお姫様に格好いいところを見せたいっていうのもあると思う。
僕だって男だ、その気持ちはよく分かる。
でも、彼のそれは、どれも薄っぺらいただの格好つけなんかじゃない。
心から、憧れた姫様を守ろうとしてくれている。
その証拠が、トロルに殺されかけた親子を助けた時だ。
彼の言葉に甘えて、トロルに追われる親子を助けてくれと頼んだ後、彼の思惑に気付いて、しまったと思った。
これでもし襲われる民を見捨てて逃げたとしても、それは僕の責任じゃない。
僕が救うように頼んだ……いや命じたのに、それを無視して見捨てた彼の責任だ。
追い詰められていた僕の負担を軽くするために、彼は自ら泥を被ったんだ。
自分の命だって危ない状況で、なんでそんな格好いいことを、咄嗟に、しかもさらっと出来てしまうんだろう。
いくら姫と勘違いしたとはいえ、出会ったばかりの、国も民も守ることが出来なかった僕なんかのために。
彼は、僕が想像も出来ないほど、とても強くて、優しくて、格好良くて……。
もしかしたらこの時にはもう、気付かぬ間に僕の中で歯車が狂い始めていたのかも知れない。