122 ご令嬢達の事情 1
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「君がパティーナ・クエルトスか」
お父様に呼ばれて応接室へ顔を出すと、そこには派閥の長、クラウレッツ公爵がいらっしゃって、思わず目を見開いて、挨拶をするのが遅れてしまった。
「お、お久しぶりです公爵様」
なんとかカーテシーをして深く頭を下げる。
「そう畏まらなくていい。今日は君に頼みがあってやってきた」
「わたしに頼み……ですか?」
額の汗をハンカチで拭うお父様に促されて、お父様の隣に座る。
そうして公爵様から聞かされた話に、唖然としてしまった。
「そのような事情で、アイゼスオート殿下、もしくはメイワード男爵となったあの平民……元平民のエメル・ゼイガー、どちらかを口説き落として貰う。本気になる必要はないが、もしその気になったのなら、結婚を視野に入れて本気になって貰って構わない」
まさか王太子のアイゼスオート殿下が、褒賞として、最近何かと噂になっている救国の英雄、元農民の直臣、特務騎士のエメルと言う男性と、女装して結婚しようと考えていたなんて……。
お父様へ目を向けると、汗を拭きつつ、ばつが悪そうに目を逸らしてしまう。
お父様はわたしの結婚に、あまり熱心じゃなかった。
わたしを溺愛しすぎて、もう十二歳になるのに、婚約者すら決まっていない。
それをまさか、殿下が間違った道に進まないように、男性としての自覚を促すために、わたしが殿下と恋仲になれなどと……。
もしくは殿下の目を覚まさせるために、その新興貴族となったエメル様の心を奪い取るなどと……。
上手くいったら将来は王妃様になれる、上手くいったら救国の英雄と縁が結べる、なんて浮かれられるほど、わたしはもう子供じゃないし、脳天気でもない。
「万が一、本当に殿下とそのような関係になったら、今までの婚約者候補の方々や、その家の方々が……」
想像もしたくない嫌がらせをされるに決まっている。
殿下の婚約者ともなれば、公爵家や侯爵家の名だたるご令嬢ばかりのはず。
うちのように吹けば飛ぶような男爵家程度、簡単に潰されてしまう。
「それに関してはクラウレッツ公爵家が全力で守ろう。それに、その婚約者候補を出していたそれぞれの家は、王都を失陥した王家に見切りを付けて、殿下との関係を切ろうとしていた。そのことに殿下は不信感を持たれて、その婚約者候補のご令嬢方には見切りを付けている。今更グダグダ言わせん」
もしかして殿下はそれがショックで、同性愛に走ろうとされている?
だとしたら、それはとてもお可哀想だとは思うけど……。
お父様は政治的野心をあまり持たず、うちのリエッド男爵領を発展させることこそ面白いと思って、政治に関わることなく領地経営に取り組んできた。
だから、仮にわたしが殿下を射止めて王太子妃、そして王妃になったとしたら、胃に穴が空くだけで喜ばないはず。
「それに救国の英雄などと呼ばれる方とそのような関係になったら、派閥の内外問わず、大変なことになりそうで……」
そちらを選んでも、想像もしたくない嫌がらせをされるに決まっている。
「それに関してもクラウレッツ公爵家が全力で守ろう。何より、本気であの元平民が君に惚れれば、わたくしが何もしなくとも、全力で君を守り、それが周知の事実となれば、君はもとより、リエッド男爵家に手を出す者は誰もいなくなる」
それは……とてもすごい話なのでは?
誰も手が出せなくなるなんて、救国の英雄とは、一体どんな人なのか……ちょっと怖くなる。
でも、一つ分かったことがあった。
「公爵様はその新しい男爵様を、とても信頼して評価されているのですね」
言って、しまったと思った。
何が悪かったのか、公爵様の表情はほとんど変わらないのに、怒らせてしまったみたい。
「い、いえ、その……公爵様、とにかくわたしには荷が重いと思います」
「殿下、あの元平民とも年回りも近い。それに同年代のご令嬢達より聡明なのが分かった。君なら上手くやれるだろう」
それは遠回しな命令で、わたしにはそれ以上、嫌とは言えなかった。
「ご主人様、大人しく諦めてください。ご主人様のお着替えをお手伝いするのが、侍女としてのわたしの役目です」
「わ、分かった、分かったら、そんな泣きそうな顔しないで」
救国の英雄……わたしのご主人様となったその方は、思っていたような怖い人じゃなかった。
年の近いわたしのような女の子に触れられることに、とても戸惑って、緊張して、着替えの間中、身じろぎ一つ出来ないような、純朴な人だった。
それに元農民だと聞いていたから、どれほど礼儀知らずで粗野だろうと思えば、立ち居振る舞いこそまったく貴族のそれを身に着けていないけど、優しく、思いやりがあって、とても知的で聡明だった。
しかも、救国の英雄と呼ばれて持てはやされているのに、それで調子に乗ったり、殿下方の覚えがめでたいことを笠に着たり、横柄に振る舞ったり、いやらしい目でわたし達を見たり、そんな鼻につく嫌なところが全然ない。
どちらかと言えば可愛らしい人、そんな感じがする。
決して見目麗しいわけではなく、むしろ凡庸な容姿をしているのに、これまで見てきたどの男性とも、どこかが、何かが違う、そう思わせる人だった。
それは殿下も同じだった。
「そなたがラムズの紹介でエメルの侍女となったパティーナ・クエルトスか。エメルのことをよろしく頼む」
「わ、わたしのような者の名を覚えてくださるなんて……身に余る光栄です。ご主人様には誠心誠意お仕えさせて戴きます」
吹けば飛ぶような男爵家のわたしの名前を知っていてくださるなんて、とても恐れ多いことだ。
でも、そのお顔は愛らしく美しく、姉君のフィーナシャイア殿下とそっくりで、噂通りの見目麗しい方だった。
そして、とてもお優しく、この国の未来を憂えて熱心に公務に励まれている。
わたしは詳しくは知らないけど、多くの貴族家が王家に見切りを付けてよからぬことを考えているそうなので、実はどうしようもない方なのでは……などと失礼なことも考えてしまっていたのに。
それにも負けず、王太子としての責務を果たそうとされている、とても素敵な方だった。
でも……。
やっぱり殿下にお近づきになるなんて恐れ多いのは変わらない。
ご主人様、アイゼスオート殿下、フィーナシャイア殿下とお三方でのお茶会に侍女として同行したときは、場違いな自分に目眩がしそうだった。
そうは言っても、公爵様のご命令だから逆らう事も出来ず……。
だから自分なりに精一杯やるつもりだけど……。
「今ふと思ったんですけど、アイゼ様も紅茶を淹れられるんですか?」
「いや、私は淹れたことがないな。何故そんなことを?」
「この前、フィーナ姫が手ずから紅茶を淹れてくれて、それがとても美味しかったから。アイゼ様の淹れた紅茶も飲んでみたいなって思って」
「そ、そうか……では、練習してみるか?」
「本当ですか!? 楽しみにしてます!」
なんて、同性同士でイチャイチャされて、それがなんと言うべきか、二人だけの世界みたいで、とても間に割って入れる気がしなかった。
しかも……。
「あら、エメル様は、わたしの淹れた紅茶ではご満足戴けませんでしたか?」
「いやいや、そんなこと全然ないです、とっても美味しかったですよ。フィーナ姫みたいな綺麗なお姫様に淹れて貰えて、最高の味わいでしたから」
「ふふっ、エメル様ったら。いつでも言って下さいね、またお淹れしますので」
「本当ですか!? 是非!」
なんて、ご主人様はアイゼスオート殿下のみならず、フィーナシャイア殿下にまで気がある様子で、フィーナシャイア殿下もご主人様に気がある様子。
こんな状況で、わたしにどうしろと?
ここに割って入って、このお三方の関係を壊せと?
下手をすれば、殿下方に恨まれて目を付けられてしまう。
そんな恐ろしい真似出来るわけがない。
公爵様……これは、わたしにはとてもとても荷が重いです。
2020/09/17に投稿した短編「イジメられたくない私が悪役令嬢を全力で助けたら」なのですが……。
2020/09/19にジャンル異世界(恋愛)で、気付いたら日間4位を戴いていました!
初挑戦のジャンルと題材の上、思いつきを衝動的に書いた短編だったので、正直かなり驚いています。
流行りの悪役令嬢が主役でもありませんし、反応がいまいちでも仕方ないと思っていましたので。
こちらの連載より多くの方に評価を戴いており、心中複雑なものが、なきにしもあらずですが……やはり嬉しいものは嬉しいですね。
読んでいただいた皆様、ブックマーク、評価、感想を戴いた皆様、ありがとうございました。
まだ読んでいない方で、ご興味がある方は是非読んで戴けると嬉しいです。
「イジメられたくない私が悪役令嬢を全力で助けたら」
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