12 逃避行の最中に
姫様をお姫様抱っこで抱えたまま、クレアさんを乗せたモスと一緒に西門へ向けて大通りを走る。
日はすっかり落ちて、王都は夜の闇の中だ。
でも、あちこちから上がってる火の手のせいで、大通りは赤く照らされて薄明るい。
しかもだ。
空から俯瞰して眺めたときと、こうして実際に町中を走るのとじゃ、状況が全然違って見えた。
「…………」
俺に運ばれ始めて、すぐに表情を翳らせて押し黙ってしまった姫様。
その視線の先には、トロルに殺されたらしい市民の死体が転がっていた。
夜だけあって、建物の影になってる部分が大半で目立たない。
だけど、火の手に照らし出された部分だけでも、かなりの数が転がってる。
思った以上に悲惨なことになってて、正直、あんまり直視したくない。
でも、姫様は目を逸らさない。
「済まぬ……私に力がないばかりに……」
痛ましそうに表情を歪めて、そう小さく呟いたのが、微かに聞こえた。
……辛いだろうな。
民を守れず、落ち延びないといけないんだから。
「姫様、俺が必ず安全な所まで連れて行きますから。そこで再起を図って、犠牲になった人達の仇を討って、安らかに眠れるよう弔ってあげましょう。姫様に力が足りないのなら、その分、俺が全力で力を貸しますから」
「そう、だな……頼むエメル、そなたの力を貸してくれ。私はこのまま引き下がるわけにはいかぬ」
「はい、任せて下さい!」
グンと走るスピードを上げて、モスもそれに追従して走る速度を上げる。
ただ、すんなりと脱出させてはくれないらしい。
「人間、まだいタ」
「殺セ、殺セ、グフフッ」
交差する大通りや脇の路地から、トロルどもが湧いて出てきては、俺達目がけて襲いかかってくる。
まったく、どいつもこいつも弱者をいたぶって遊ぶのが楽しくてたまらないって顔しやがって。
「エアカッター!」
連発してザクザクと真っ二つにしながら、速度を緩めることなく走り続ける。
トロルごとき敵じゃないし、こうなるとモグラ叩きみたいなもんだな。
「大丈夫ですよ。言ったでしょう、姫様には指一本触れさせないって」
トロルが現れるたびに、服が皺になるくらい力一杯しがみついてくる姫様。
これはちょっとしたトラウマになっちゃってるかな。
姫様まだエフメラくらいで小さいし、あんな目に遭えば無理もないか。
「なんだったら俺の胸に顔を埋めて、目を瞑ってていいですよ?」
「なっ……そのような恥ずかしい真似をしてたまるか!」
からかい気味に言うと、真っ赤になって言い返してきて、からかわれたのが分かったのか、ちょっと唇を尖らせる。
ちょっとは元気出たかな?
それにしても、美少女はどんな表情でも美少女って、マジだったんだな。
こんな時じゃなかったら、もっと色んな表情を見せて貰うために、あれこれ話しかけるのに。
「その……エメル、重くはないか? 辛いのであれば無理をせず、私を下ろして構わぬからな?」
「大丈夫ですよ姫様。こういういざって時に家族や女の子を助けられるようにって、常日頃から鍛えてきたんで、超余裕ですよ」
その甲斐あって、姫様一人抱えて走ったところで、息切れどころか汗も掻かない。
「超余裕、なのか。そなたはすごいのだな。このような契約精霊を従え、あれほどの精霊魔法を使える上に、騎士のように逞しく鍛えているとは」
おおっ、姫様に褒められた!
「お姫様抱っこって、やっぱり女の子の憧れなんですよね? ほんと、このくらい超余裕なんでいつでも言って下さい。姫様がして欲しいとき、いつでもお姫様抱っこしてあげますよ」
「そ、そういう話をしたわけではない! まったく、私が気を遣ってやったというのにからかいおって」
照れたのか、ぷいと向こうを向いちゃう仕草もたまらなくキュートだ!
しかもさ、子供が背伸びして大人びた口調で喋ってるみたいで、微笑ましくてマジ最高だし!
怖いのに震えを我慢して、上に立つ者として懸命に動揺を隠そうとしてるのも、健気で誇り高くて、保護欲掻き立てられまくりだよ!
「誰か! 誰か助けて!」
ニヤニヤ姫様を眺めてたら、不意に悲鳴が聞こえてきた。
思わず足を止めて振り返ると、丁度通り過ぎようとしてた十字路を右へ曲がった通り、三十メートル程向こうの路地から、小さな子供を抱えた若い母親が飛び出してきた。
しかも、そこらに壊れた馬車の残骸が散乱してて、それに足を取られたのか転倒してしまう。
そしてわずかに遅れて、メイスを担いだトロルが一匹、のっそりと現れた。
トロルは母親と子供が悲鳴を上げるのを見て、下卑た笑い声を上げている。
「エメル、あの親子を――!」
「いけません! 今はアイゼ様の身の安全を確保することが第一です!」
同じく足を止めたモスの上でクレアさんが、俺に向けてか、姫様に向けてか、ことさら感情を殺した冷たい声で言い放つ。
多分、そうしないとクレアさんも、その親子を見捨てて逃げるなんて出来ないんだろう。姫様を守ることが何よりも優先されるから。
俺の腕の中で、姫様が俯いて拳をきつく握り締める。
さっきの市民の死体を見たとき以上に辛く悲しそうだ。
このまま助けに行けば、西門から遠ざかることになる。
あの親子だけを助けるのならいい。
でも、さらにその向こうの路地から、同じように助けを求める人が逃げてきたら?
さらに通りの向こうでトロルに襲われている人がいたら?
一人助けたのなら、他の人も助けないわけにはいかなくなるに決まってる。
そしてどんどん門から遠ざかってしまうんだ。
「さあエメル様早く、トロルに気付かれる前に! 万が一アイゼ様のことが知られてトロルに門を封鎖されたら、逃げ道がなくなってしまいます!」
間違いなく、クレアさんの判断が正しい。
際限なく助けてたら、絶対逃げ損なう。
俺としては、もし姫様が望むのなら一匹残らず虱潰しにしてっていいんだけど。
さすがに一匹ずつ相手にしていたら精霊力が足りるか怪しいけど……まあ多分なんとかなると思うし。
でも、問題はそこじゃない。
もし王様や王妃様を人質に取られて投降するよう脅されたら?
姫様が見捨てて逃げるなんて思えない。
それでも見捨てて逃げたら、その後の姫様のメンタルが心配だ。
かといって、ここであの親子を見捨てたら、それこそ姫様は自分を責め続けてしまうに決まってる。
なら……俺が取るべき選択は一つだ。
「姫様、俺、言いましたよね。『姫様に力が足りないのなら、その分、俺が全力で力を貸します』って」
「エメル、そなた……」
「いけませんエメル様! 早く逃げないとアイゼ様をお守り出来ません!」
クレアさんが正しい。
でも、どれだけ正しくても、姫様が辛く苦しそうな顔をして笑えないなら、そんな正しさなんかクソ喰らえだ!
「さあ姫様、どうしたいのか俺に聞かせて下さい」
逃げる母親が俺達に気付いて目を見開いた。
「助けて!」
悲痛な助けを求める叫びに、姫様の手が縋るように俺の腕を掴んだ。
「エメルよ頼む! あの親子を助けてやってくれ!」
「はい姫様、仰せのままに!」
力強く頷いて、両手が塞がってるからそのままトロルを睨み付ける。
「レーザーショット!」
分別した精霊力を光の精霊エンに渡し、エアカッターより速く、三十メートルの距離を一瞬でゼロにして、イメージを描いたとおり一筋の閃光がトロルの頭部を貫く。
親子に振り下ろそうとメイスを振り上げかけてたトロルの身体がぐらりと傾くと、地響きを立てて真後ろにひっくり返って、そのままピクリとも動かなくなった。
「お母さん、もう大丈夫ですよ。今の内に急いで西門から逃げて下さい」
「は、はい! ありがとうございます」
母親は泣きじゃくる子供を抱えたまま俺達にペコペコ頭を下げて、俺達の前を通り過ぎると西門へと走って行った。
それを見送って、腕の中の姫様を見る。
「あの親子、助けられて良かったですね。これも姫様のおかげですよ」
「私は何もしていない。あの親子を助けたのはエメル、そなただ」
「でも、あの親子を助けるって決めたのは姫様でしょう?」
「エメル、そなたまさか……」
「姫様、俺にはなんでも言って下さい。俺の力が及ぶ限り、姫様の剣と盾になって、どんな我が侭でも、願いでも、全部叶えますから」
今の姫様は、自分の身を自分で守ることすら出来ず、俺にお姫様抱っこされて逃げるので精一杯の状況だ。
そんなのもう、他人の命を気にしてる場合じゃない。
それがただの一般市民なら、立場上なおさらだ。
だから自分が助かるために誰を見捨てたところで、それを責める人なんて誰もいないだろう。
でも、見捨てることが出来ない。
騎士達の犠牲の上に助かった命だって分かってても、こんな自分の身が危うい状況でも、この国の姫として民を助けたいと願う、そんな優しさを失ってないんだ。
それを愚かだって、自分の立場が分かってないって、口さがないことを言う人はいるかも知れない。
でも俺はそんな姫様を、姫の中の姫、王族の鑑だって思う。
だから、姫様が取りこぼさないといけない命も、望みも、全部俺が掬い上げるって決めた。
俺がそうしたいから、そう決めた。
だって、そんなにも優しい姫様の笑顔を守りたいから。
「さあ行きましょう姫様。もし他にも叶えたい願いがあったらなんでも言って下さい。俺が全部叶えますよ」
格好付けて、再び走り出す。
「エメル様、あなたは……」
「えっと、ごめんなさいクレアさん。それが姫様の望みなら叶えてあげたいんです。でも大丈夫、姫様の命が最優先。それは間違えないですから」
万が一の時は、どれだけ姫様が望んでも見捨てて逃げる。
それなら姫様は悪くない。
見捨てて逃げたのは俺なんだから。
「……分かりました、エメル様、あなたを信じます」
やがて近づいてくる西門。
「エメル! あっちに追われている者達が! あの者達も救ってやってくれ!」
姫様が通り過ぎかけた路地の向こうに、数人の市民と、それを追い立てる三匹のトロルを見つける。
「了解です姫様! エアカッター三連発!」
「エメル!」
さらに、門の前に集まってきている市民を虐殺しようと、トロルが八匹迫ってくる。
「レーザーショット八連発!」
全て一撃で蹴散らし、遂に西門に到着する。
「その……エメル、そなた大丈夫か? トロルを一撃で倒す程の強力な精霊魔法をそのように何発も放って。つい追われる民を見かけるたびに頼ってしまったが、私の我が侭のせいで、そなたに無理を強いているのではないか?」
ああ優しい……俺のことまで心配してくれるなんて、姫様最高! マジ天使!
こんな素晴らしい姫様には、もう一生付いて行くしかないんじゃないか!?
だから、最高に格好いい笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ姫様。この程度なんてことないんで。むしろ姫様が頼ってくれるのが嬉しくて、力が湧いてくるくらいです」
「そ、そうか。頼もしいのだな」
姫様が一度俯き、意を決したように顔を上げる。
「エメル、今更だが一つ訂正をしたい。私は――」
「さあアイゼ様、急ぎ門をくぐりましょう。せっかくここまで来ておきながら、追っ手のトロルが押し寄せてきては事です。一刻も早くクラウレッツ公爵領へ」
「――あ、ああ、そうだな」