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見境なし精霊王と呼ばれた俺の成り上がりハーレム戦記 ~力が正義で弱肉強食、戦争内政なんでもこなして惚れたお姫様はみんな俺の嫁~  作者: 浦和篤樹
第五章 トロルと決戦で忙しいので密偵令嬢はハーレムにいりません

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117 精神の精霊キリ 1

◆◆



 自分は我が君に『精神の精霊』という属性の名前と、『キリ』という個体を表す名前を貰った。


 属性の名前の通り、自分は生命の精神活動に影響を与える力を持つ存在だ。

 そして個体を表す名前は、我が君のイメージで、戦乙女ヴァルキリーという伝承上の存在が元になっている。


 だから自分は、我が君の思い描く戦乙女らしい衣と、甲冑と、兜と、槍と、長い髪と、凛々しい女性の容姿とを具現化した姿となった。

 自分は、その具現化した姿を時折満足そうに眺めてくる我が君の眼差しに、戦乙女らしく誇り高く思っている。

 だから、我が君の思い描く戦乙女らしい振る舞いをするのもまた、誇らしい。


 そう、ある出来事を境に、自分からより一層らしく振る舞うことを心がけている。



 自分達精霊が、いつ、どのようにして生まれるのか、自分でも分かってはいない。

 ただ、気づけば、我が君や人間が野良の精霊と呼ぶ、小さな精霊力の塊のような状態で、そこに存る(・・・・・)ことを意識する。

 それが自分という存在の始まりだ。


 だから、気付けば自分は我が君の生まれ故郷、トトス村を漂っていた。


 先日、我が君と共にトトス村へと戻った時に、ふと思ったものだ。

 我が君と契約出来て、本当に良かったと。


 野良の精霊の状態では、意識も自我も希薄だ。

 なんなら、小動物の赤ん坊程度のそれしか持っていないと言える。


 存在そのものが精霊力の塊である自分達は、人間から自分達の存在を構成する精霊力を貰える事が嬉しい。

 自分を構成する精霊力を全て失ってしまっては、自分という存在が消滅してしまうのだから。


 だから、そのお礼に頼まれ事を魔法で実行する。


 土を動かす、水を出す、火を付ける、風を吹かす、光を付ける、闇を生み出す。


 自分が影響力を行使できる存在を魔法として動かして、人間を喜ばせてやるのだ。

 そうすれば、人間はますます、精霊力を渡してくれるようになっていく。


 ただ、精神の精霊や生命の精霊は、ほぼそのような機会は得られない。


 詳細な原因は不明だが、我が君の考察によると、生物はそれぞれ精神活動、生命活動を行っているから、普段自身の心臓の鼓動や自我を意識することがないように、それらを意識する機会が多くないから、精神の精霊や生命の精霊が見えづらいのではないか、とのことだった。


 確証はない。

 同時に、否定する材料もない。


 結果、詳細は不明だ。


 しかし、事実として、人間は土水火風光闇の六属性しか存在しないと思っている。


 だから精神の精霊や生命の精霊は、人間から精霊力を貰える機会は皆無に等しい。

 それを、我が君は気づき、契約してくれたのだ。


 そんな我が君から貰える精霊力は、属性ごとに分別された結果、純粋で、濃密で、あまりにも素晴らしい。


 我が君が精霊と契約したいと言い出したときは、優に百を超える精霊達が、こぞって契約してくれと集ったものだ。

 我が君の家の近所でそれだったのだから、もし村中を回って募っていれば、数百を超える精霊達が集まってきていただろう。


 普通の人間であれば、分別されていない、全ての属性の交じり合った精霊力を、無駄に撒き散らすように渡してくるから、一体の精霊で独占しなければ、満足ゆくまで精霊力を得られない。


 しかし我が君は違う。


 一属性につき一体ずつ。

 属性ごとに分別されているからこそ、一体のみで独占せずとも、一属性につき一体が満足ゆくまで精霊力を得られるのだ。


 そうして、契約した瞬間、世界が変わった。

 そう、これまで感じていた世界の在り方が全て変わったのだ。


 我が君と絆で結ばれ、大量の精霊力で自分達は強い意識と自我とを獲得した。

 我が君が魔法を使う時にもたらされるイメージ、過剰なまでに貰える精霊力、それを内包することで、急速に自分達は成長していった。


 特に我が君がもたらすイメージは、世界の根源、在り方、構造について、深く切り込み、まるで世界の謎を解き明かした答えのようなものが多い。

 それがまた、自分達の知識となり、成長の糧となる。


 自分は我が君の願いしか聞き届けたことがないから実感に乏しいが、同様のユニを除く六体は、トトス村で他の村人達の願いも聞き届けたことがあるから、よりその実感が強いようだ。


 そうして得られた知識、意識、自我、自分という存在を構成するエネルギー、もはやそれらを失うことなど考えられない。

 人間だって、幼児退行して、小動物並みの知識と意識しか保てなくなる恐怖に耐えられる者がいるだろうか? そんな者、いやしないだろう。


 だから、自分達は我が君を敬愛し、従い、失いたくないと強く願うのだ。



 そんな我が君と契約した自分達は、我が君の持つイメージに、自身の存り方を強く影響されている。


 例えば、人型のイメージを与えられた自分、エン、デーモは、知性や感情、振る舞いが人間により近い。

 魔物のイメージを与えられたモス、サーペ、レド、ロク、ユニは、それより動物的本能が強い。


 その中でも、レッドドラゴンとユニコーンのイメージを与えられたレドとユニは、それらの魔物が高い知性を持つと我が君がイメージしていたためか、モス、サーペ、ロクより知性が高い。


 しかし、レドの場合は、その血の気(?)の多さから、とにかく攻撃魔法を飛ばして、燃やして、我が君の敵を殲滅出来ればそれで満足という、せっかくの知性の高さを生かせない性格をしている。

 我が君が揶揄して言う、脳筋というものなのだろう。


 何しろ、我が君が精霊と契約したいと言い出したとき、真っ先に喧嘩を始めて他の同属性の精霊を蹴散らして勝利を掴み取ったのが、レドなのだから。


 対して、我が君のイメージとしてそれほど知性が高いわけではなかったモスは、土、金属、などの元素の結合、分離……我が君曰く化学反応に関する魔法を頼まれることが多く、八体の中で最も知識があり、世界の構造について詳しく、穏やかで理知的だ。


 もちろん、我が君の敵を殲滅して我が君を守ることは絶対の使命と思っているようだが、自身の興味は、それら様々な化学反応を担う魔法を使うことにあるようだ。

 それを我が君からとても頼られているモスは、非常に羨ましい。


 残念なのは、サーペントという存在はかなり知性が低い魔物として我が君に認識されていたのか、サーペが一番動物的で本能に従いやすい。


 普段は特に攻撃的な衝動を見せるわけではないが、我が君と我が君が大切に思っている存在……謂わばテリトリーと群れを守るという一点において、防衛本能として攻撃的な衝動を強く見せる。

 理性によるブレーキが利かないため、サーペに攻撃魔法を使わせるときは、やり過ぎないように我が君が一番気を使っているようだ。


 でも、だからと言えるのか、第二次王都防衛戦においては、アイゼスオート殿下とフィーナシャイア殿下の守りを任され、恐らくお二方に害をなそうとした者達を容赦なく殺して見せしめにする意図があったのではないかと思う。

 幸いにして、そのような事態にはならなかったが。


 それに比べて面白いのがロクだ。

 我が君以外の村人達には、用途や目的の違いはあれど、風を吹かせる以外の頼みをほぼされたことがなかったようだ。


 しかし我が君は、音の伝搬、真空を生み出し攻撃、航空力学を用いて空を飛ぶ、などを頼む。

 それがどうやら非常に面白かったらしい。

 攻撃魔法には特にこだわりがない代わりに、我が君が最も喜んだ空を飛び移動する、その一点に並々ならぬプライドを抱いているようだ。


 我が君がフィーナシャイア殿下、そしてアイゼスオート殿下を乗せてレドで空中散歩を楽しんだときは、選ばれなかったことに葛藤を抱いたようだったが、結局は速度の一点を追求することに決めたらしい。

 今回もトトス村へ戻ってくるときに、以前より速く戻れたことに我が君が喜んでいるのを見て、非常に満足したようだった。


 こうして比べて考えると、最も穏やかで理性的なのはユニだろう。


 ユニコーンという魔物が癒やしの力を持っているという、我が君のイメージが強く影響を与えてるからに違いない。

 何より我が君がユニの魔法を、実験を除いて攻撃や危害を加えることにほぼ使わず、怪我や病気を癒すことばかりに使っていることも関係しているだろう。


 狩りをすれば怪我をする、農作業をしていても怪我をする。

 そうして傷口から入った病原菌が原因となり、傷口が化膿したり、体調を崩したり、破傷風にかかれば最悪の場合は死に至る。


 だから我が君は村人達の健康や体調に気を配り、ユニはそれをよく補佐していた。

 特に老人、子供、女性には、優しく労りの心を持って、ユニは癒やしを与えている。


 さて、それに対して、人型のイメージを与えられた自分達はどうだろうか。


 デーモは悪魔という存在をイメージされたためか、慈悲は無く、意地が悪く、我が君以外の人間の願いや命などどうでもいいと、軽く考えている。

 特に我が君に敵対する者達には、恐怖と苦しみを報いとして与えて、追い詰め、苦しめ、屈服させ、心が折れる様を眺めることを、ことのほか喜ぶ。


 という振る舞いをしている。


 自分が見るに、我が君以外の人間を軽く考え、どうなろうとどうでもいいと思っているのは本当のようで、我が君に敵対する者達にそれらを与えることを使命と考えているようだが、それをことのほか喜んでいるという性格の悪さはないようだ。


 そう演じると、我が君が抱く悪魔のイメージに近いから、我が君にそのイメージ通りの振る舞いを喜んで欲しくてやっている、というのが本当のところだろう。

 だから、悪魔的にやり過ぎて我が君に止められると、我が君のイメージ通りに振る舞えたことに満足して、素直に大人しく止めるのだ。


 それほどまでにデーモは我が君を敬愛している。


 人間が認識している六属性の中で、闇の精霊が最も人間に頼み事をされない。

 契約精霊にも選ばれない。


 人間も他の動物と同じで、闇を恐れる。

 だからその恐れる闇に頼み事をする機会自体が非常に少ないためだ。


 その数少ない頼み事も、闇への恐怖を利用した悪意のあるものがほとんどになる。

 だから、我が君の恐怖や悪意のない、闇や影というただの自然現象という認識で魔法を使ってくれることが、ことのほか嬉しいようだ。


 我が君のイメージがそうだったから、容姿が悪魔的で妖艶な女性の姿をかたどっているが、実は八体の中で一番ピュアなのではないかと、自分は思っている。


 それに比べてエンは天使という存在をイメージされたためか、慈愛の微笑みを浮かべ、優しく、穏やかだ。


 本能的に恐怖を抱く闇を払い、明るく照らし出す光は、人間に救いや希望のイメージを抱かせるらしい。

 だから、我が君のイメージでもそれが多分に反映されていて、エンを見る者達は、その容姿に見とれ、癒され、救いと希望を見出す。


 ただ……その多くの人達の抱くイメージとエン自身の解釈とに、若干のズレがある。


 闇を払い光で満たし、希望と安心を抱かせるのは、魔法の行使を願った我が君にそれを集めるため。

 そう、我が君こそが希望であり、人々に安心を抱かせる存在なのだと、アピールしたいのだ。


 そして、自身が我が君以外の人間にどう思われようと、気にしていない。


 だから我が君が大切に思っている存在には、イメージ通りに優しく慈悲深く接するが、我が君に敵対する者達への接し方はその真逆で苛烈になる。

 人々の希望となるべき存在の我が君を脅かす者達は、その愚かさを心の奥深くまで傷が残るほどに刻み込み、我が君に敵対することがどれほど愚かな行為であったのかを骨の髄まで分からせる、それこそが敵対する者達への慈悲である、そう考えているのだ。


 我が君のイメージ、天使という存在へのイメージが、他の七体と比べてことのほか強く影響しているようで、まるで我が君を創造神のように崇拝しているせいだろう。


 本来の個性が、エンとデーモが逆であった方がしっくりくると思うが、もしそうだとしたら、我が君が手を焼くほどに、それぞれのイメージ通りに躊躇なく振る舞っただろうから、我が君の心の安寧を考えると、これで良かったのかも知れない。


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