105 待ち遠しいフィーナシャイア
◆◆
「フィーナ姫なんかご機嫌ですね? いいことありました?」
ふと目が合ったエメル様にそう言われて、口元が緩んでいたことに気付きます。
「ええ、エメル様が軍部にまでわたし達の関係を認めさせて下さいましたから」
知らず声が弾んでしまい、わたしを見たエメル様が少しばかり目元を赤らめて、照れたように微笑みました。
もうそれだけで、わたしも頬が熱くなって、自然と口元に笑みが浮かびます。
エメル様。
三つ年下の男の子。
わたしの大切な、とても愛しい人。
普段はわたしより年上に思えるような、大人びた考えや落ち着きを持っている理性的な方です。
ですが時折、浮かれてはしゃいだり、ムキになって怒ったり声を荒げたり、年相応に子供っぽい一面が顔を覗かせます。
でも、そんなところも、エメル様の魅力です。
なぜなら、浮かれてはしゃぐのは、わたしやアイゼを愛しく思って、喜んで下さっているから。
ムキになって怒ったり声を荒げたりするのは、不敬な貴族達に臆することなく立ち向かうためで、わたしやアイゼを大切に思って、守ろうとして下さっているから。
今も処理済みの書類を手に、熱心に国王としての仕事を学んでくれています。
普通、ただの貧乏農家の次男坊は、国王になろうなんて考えません。
恐れ多いと、そんな発想は端から出てこないのです。
それなのに……ふふっ、エメル様ときたら。
わたしとアイゼを、王族の姉妹を同時に妻に娶りたいがために、国王になると言い出すなんて。
ましてや実行に移すなんて、なんて大胆不敵な方なのでしょうね。
それもこれもわたしとアイゼを愛すればこそ。
これほどの殿方が、二人といるでしょうか?
いいえ、いるわけがありません。
エメル様だからこそです。
そう思うと、胸が高鳴り、知らず頬が緩んでしまいます。
いけませんね。
緩んだ顔ばかりしていたら、エメル様に締まりのない顔だと思われてしまいます。
「アイゼ様、この南方の領地の復興計画なんですけど」
「どうした、何か不備でもあったか?」
「街道整備が含まれてませんよね?」
エメル様は疑問に思われたことを放置せず、こうしてちゃんと質問されます。
その意図や目的を正しく知って、適切な対処法を吟味検討されるためです。
一見すれば、実に当たり前のことですが……。
処理すべき案件が膨大で、その責任と重圧が強い国王の仕事ともなれば、各貴族家が提出してくる書類は、よほどの不備やおかしな点がない限り認可してしまいます。
いちいち事細かに突っ込んでいては、なんのために裁量を持たせて領地を任せているのか分からなくなりますし、場合によってはその貴族家と対立する面倒が発生してしまいます。
ですから、その当たり前を当たり前にするのは、実は思いの外難しいのです。
ですがエメル様はご自分が学ばれている立場だと言うことをよく理解されているので、細かなことも見逃さずに質問されるのです。
真面目で誠実でひたむきな向上心をお持ちで、とても素晴らしいと思います。
「そのことか。街道はあまり積極的に整備はされぬ。安定した時世が長く続くのであれば、その限りではないのだが」
「他国の進軍に街道を利用されないため、ですよね」
「さすがエメル様です。わたしも先日疑問に思って初めて知ったのに、すでにご存じだったのですね」
「ま、まあ、たまたま」
いつ、どなたから学んだのか、時折このように曖昧な態度で誤魔化される事がありますが、わたしもアイゼも、もはやそれを問おうとは思いません。
考えるまでもなく、エメル様がその知識を使われるのは、常にわたしとアイゼのためなのですから。
「でもここは、街道整備に着手しちゃっていいと思うんですよね。いや、王家が音頭を取って、やらせるべきですね」
「と、仰いますと?」
「ちょっと興味が湧いたんで、ロクでひとっ飛びして見てきたんですけど、トロルにとって街道ってあんまり意味がなかったみたいなんですよ」
「それはどういう意味だ?」
「トロルのでかさだと街道は狭いみたいで、平地だと街道からはみ出して隊列を組んで歩いてきてたみたいで、あれじゃあ街道の意味がないなって」
「でしたら、街道は整備されてもされなくても同じなのではありませんか?」
街道を利用されたくないのは、他国の軍だけではありません。
貴族同士で揉め事を起こしたとき、相手の貴族の兵にも利用されたくないのです。
ですから、どの領地の貴族も、街道整備は積極的に行わないのです。
わたしとアイゼの疑問に、エメル様は言葉を選ぶように少し考え込まれてから、ご自身の考えを教えてくれます。
「普通に人間相手なら、整備した街道を進軍に使われたら、進軍速度が大幅に増しますよね。それこそ十日掛かってたところが七日で済むとか、下手したら五日で済むとか。でもトロルって、十日掛かるところを三日で来るでしょう? それが数時間や半日早まったところで誤差でしかないじゃないですか」
「それは……確かにそうだが、その数時間や半日が命運を分ける場合もあるだろう? 特にトロルどもの進軍の知らせを受けてから到着まで、あまりにも日がない」
「でもそれは、事前に準備を済ませておけば十分に間に合いますよね。むしろそれを間に合わせるために、偵察と連絡を密にする体制を整えて、情報がいち早く届くように街道は整備されてた方が良くないですか?」
「ふむ……」
そう言われると、そう考えることもできますね。
「それに、街道が整備されても、結局トロルどもの進軍速度は街道からはみ出た奴らに合わせないと駄目で、もし整備された街道の上だけを進軍してくるなら、隊列が伸びて余計に時間が掛かりますよね。だから、街道の整備はトロルにあまりメリットを与えずに、俺達に大きなメリットがあるんじゃないかって」
言われてみれば、確かにトロル相手であればその通りです。
「では、貴族同士の争いの場合はどうでしょう?」
「そもそも、領地貴族同士が武力で争うことを前提に街道を整備しないってのが、おかしいんですよ。他の領地貴族と戦争するかも知れない。いつ自分が、隣が、他国に侵略されて敵に回るかも知れない。いつ誰が反旗を翻し、国が瓦解したり、内戦になるかも知れない。そんなことを考えて備えないといけないから、国への帰属意識や愛国心が育たないんですよ」
「国への帰属意識と愛国心ですか……」
「街道を整備することで兵の進軍速度が上がるってことは、人の交流や物の流通がしやすくなるってことじゃないですか。そうして各地と強く結び付き、共に発展していく運命共同体。そういう意識を持つことで、一つの国としてまとまれるんじゃないですか? それがないから、トロルに攻め込まれても自分の領地さえ無事なら他人事で、兵を出して国を守ろうともしないんだと思いますよ」
「ふむ、そのように考えることも出来るか……」
言われて振り返れば、王家が国をまとめていると言っても、その実、貴族達は強い権限と裁量を持ち、国境線も頻繁に変わりますから、バラバラの小さな国がただ寄り集まっているだけと言えなくもありませんね。
「だから、街道整備はするべきだって思うんですよ。南方の領地復興のための資材を輸送するにしても、その後の経済的な発展を考えても」
「それでは、グルンバルドン公爵派だけに力を付けさせることになりませんか?」
静観の構えを見せているとは言え、グルンバルドン公爵もまた、王位を狙っているのです。
そのような貴族に力を付けさせるのは得策ではありません。
さらに、一地方の街道を整備したとしても、エメル様の仰る国全体でまとまることや、国への帰属意識や愛国心を育むことには繋がらないでしょう。
それが分からないエメル様ではないはずです。
そこをどうお考えなのでしょうか。
「だからそれ以上に王家が、そして中央が力を付ければいいんですよ。そのために、南だけじゃなく、北と西の街道も整備しちゃいましょう。王都を中心とした流通の大動脈を作り上げて、国中で経済の活性化を図るんです」
まるで国中を包括するように、エメル様は両手を大きく広げて、成功を確信した笑みを浮かべます。
「南のグルンバルドン公爵だけじゃない、北のディーター侯爵派も力を付けるけど、それと同時に、王室派の西のクラウレッツ公爵派にも力を付けさせて、大貴族の派閥のバランスを取ればいい。輸送に時間と費用が掛かってたせいで流通量が少なかった、西の特産物を南と北へ、南の特産物を北と西へ、北の特産物を南と西へ、相乗効果でどの領地も経済を回すんです。当然、王都周辺や直轄地から、西南北へもですね。そして王都を流通の中心地、集積地にすれば、大貴族の派閥を上回る勢いで王家に力が付いていきますよ」
思わず、身体がゾクゾクと震えてしまいます。
自信に満ち溢れたエメル様の顔に、胸の鼓動が早くなり、顔が火照ってしまいます。
もし本当にその構想が実現すれば、我が国の在り方は大きく変わるでしょう。
滅亡寸前にまで衰えたこの国が、一つのまとまった力強い国に生まれ変わるに違いありません。
「意図は分かるが、東のアーグラムン公爵派はその構想には含まないのだな」
「北のゾルティエ帝国領のレガス王国とは現状特に問題は起きそうにないですし、仮に突然進軍してきたら、まず辺境伯とディーター侯爵が足止めくらいはするでしょう。そうして時間を稼いでる間に、整備された街道で早馬が届けば、俺が飛んでってドカンとやっておしまいです」
西側も、クラウレッツ公爵が反旗を翻す可能性は限りなく低く、同様に同盟国のナード王国が突然裏切る可能性は低いですし、仮にそうなったとしても、クラウレッツ公爵が足止めして、後は北側と同様です。
むしろ街道を整備して、クラウレッツ公爵の落ちた力を早急に回復させる方が重要でしょう。
「東は、アーグラムン公爵がフォレート王国の兵を引き入れたらかなりの大軍になるだろうし、整備した街道を使われるのは面白くないですからね。それに、いずれフォレート王国からの食料の輸入量は減らせるだろうし、当然、街道整備の重要性は他より低くなるわけですから、無理に街道整備をする必要もない。相対的に、アーグラムン公爵には力を落として貰うってことで。それで力を付けた王家と中央には勝てないって恭順の意を示したら、その時初めて街道整備をすればいいんじゃないですか?」
「直接力を削るわけではなく、か。それならば、アーグラムン公爵も表立っては文句も邪魔も出来ぬだろうな」
本当に、既存の価値観に囚われない、なんて大胆な提案なのでしょう。
エメル様でなければ、この構想は実現しません。
他国からの軍事的脅威に逸早く対処出来るのは、エメル様だからこそです。
農政改革で育てた野菜と穀物を輸送しやすく、また農地生産改良室の職員を派遣しやすくなるからこそ、より品質の上がった特産品の流通に期待が持てるのです。
本来であれば軍事的な問題で賛同を得にくく、また工費と期間を考えれば投資分を取り戻すのに何十年と必要で、誰も積極的に着手しようとしません。
ですが、利にさとい貴族達であれば、それを見逃すはずがありません。
勝利を確信したエメル様の自信溢れる笑みに、胸は高鳴る一方です。
そう、これらは全て、わたしとアイゼを妻として娶るため。
これほどの大胆な政策を打ち出せる殿方に、ここまで愛されていると思うと、衝動的にその胸に飛び込み、抱き締められたくてたまらなくなります。
ですが淑女として、王女として、はしたなくて自分からは出来ません。
感極まったエメル様から大胆に抱き付いてこられるのを待つしかありません。
それがとてももどかしい。
「ではすぐに、クラウレッツ公爵、グルンバルドン公爵、ディーター侯爵に書状を送りましょう」
「姉上お願いします。私は、内務大臣、財務大臣、軍務大臣など、主立った者達を集め会議を開くための準備をします」
とてももどかしいですが、あと少し、あと少しの辛抱です。
王室派の主要な貴族達の説得は進んでいます。
貴族達の頭を押さえる政策も順調です。
あと少し……あと少し辛抱すれば、わたしはエメル様の妻になれるのです。
ああ……その日が今から待ち遠しくてたまりません。




