100 説得攻勢
たっぷり十秒経ってから、宮内大臣がまるで耳が遠いお爺さんみたいに、耳に手を当ててアイゼ様の方へ身体を傾ける。
「…………申し訳ありません殿下、もう一度その者のお名前を仰って戴けませんか?」
まあ、宮内大臣はすでに五十を過ぎてるし、この世界だとかなり高齢なおじいさんなんだけど、ここまで話してて、そこだけ聞こえなかったなんてことあるわけがない。
おかげで、アイゼ様は苦笑を堪えきれないみたいだ。
「だから、その事業計画の発案者は、このエメルだ」
「……聞き間違いではないのですな?」
「聞き間違いなどではありませんよ。わたしとアイゼがしたことは、概算でどの程度の人員や資金が必要なのか、どの省に話を通すべきなのかなどの、事業に落とし込むための実務にまつわる簡単なアドバイスだけです。冒頭の概要に記されている通り、その目的から手法まで、その書類に記された策は全てエメル様お一人で考案なさいました。最後に報告が載っている通り、すでにグーツ伯爵の積極的な協力の下、事業は動き始めています」
再び静まり返る執務室。
宮内大臣が茫然と手元の書類を見つめて、副大臣と高級官吏達は、信じられないとばかりに茫然と俺を見つめる。
それから、ややあって、副大臣が俺からアイゼ様とフィーナ姫へ顔を向けた。
「恐れながら、決して両殿下のお言葉を疑うわけではありませんが、本当にエメル殿お一人で考案されたのか、幾つか質問をして確かめさせて戴いてもよろしいでしょうか」
アイゼ様が俺に目を向けるから、目で頷く。
「よかろう、好きにするといい」
「ありがとうございます。それでは早速」
副大臣が書類をめくりながら、結構細かい突っ込みや、ちょっと意地の悪い状況設定での対処法なんかを質問してきた。
書類に書いてない内容ばかりなんで、補足説明や見解を交えながら、俺も可能な限り答えていく。
一部で、この国の政治制度や慣習で分からないところがあったから、そこは素直に質問して説明を聞いて、それを踏まえて考えて答えた。
時間にして十分くらいかな?
副大臣は小さく溜息を漏らして書類をローテーブルに置いた。
「……よく分かりました。結構です」
「これで、それが俺の発案だって理解して貰えましたか?」
「信じがたいですが、間違いないようですな……」
どうやら俺は副大臣の試験を無事パス出来たらしい。
高級官吏達がざわつくけど、どうやら悪い意味じゃなさそうだ。
「……確かに、会議での数々の発言を見れば、農民らしからぬ知恵が働く者であろうことは、薄々感じていましたが……」
「まさかこれ程とは思わなかった、ですか? なら、してやったりってことで」
隠しきれない困惑で顔を歪めながら、宮内大臣がようやく俺に目を向けたんで、ニヤリと笑みを返してやる。
「コルトン伯、そなたは先ほど、発案者を宰相に取り立て姉上の婚約者にするよう進言してきたな」
「それは……ですがあれは――」
「エメルをただの平民と侮る愚かさは理解しただろう。その知識と知謀は上級貴族に匹敵する。形振り構わず、私がエメルを取り込もうとしている理由の一端くらいは理解して貰えたと思うが?」
言葉に詰まった宮内大臣に、ここぞとばかりにアイゼ様が畳み掛けていく。
「理由はそればかりではない。今、王家に擦り寄ってきている王室派のほとんどが、飽くまで一時的に王家に付いただけで、信頼関係などないに等しい。旗色が悪くなればすぐに手の平を返すだろう。しかも王太子たる私に付いたわけではないのだ。王都失陥の責を誰かが取らねばならぬ以上、私が王位継承権を返上し姉上が戴冠する流れは、やはり止められぬだろうな。それはそなたも感じていよう?」
「しかし……」
答えることを憚るように、またしても宮内大臣が唸る。
宮内大臣としてはその流れを、なんとしてでもひっくり返したいんだろう。
でも、それがどれほど困難な状況かちゃんと分かってるから、さっきまでの勢いがないんだ。
「姉上が女王として戴冠した後、もし私がいずれかのご令嬢と婚姻を結び男児を授かった場合、姉上に付かず政争に敗れた者達がその子を正統な後継者であると担ぎ出そうとするやも知れぬ。そうなれば、無用な争いや混乱を生み出すことになる。であれば、むしろ私がエメルの下へ降嫁する方が、そのような争いを起こさずに済む」
その言葉を吟味した上で、宮内大臣がチラリと俺に目を向けてから、アイゼ様に目を戻した。
「恐れながら、その理屈で言えば、今、王家に擦り寄ってきている者達は、エメル殿のお力に擦り寄ってきている者達ばかりです。アイゼスオート殿下とエメル殿が前例にない婚姻関係を結ばれた場合、慣習的にそれを認められない貴族達が離反していくことは確実です。それも、エメル殿の策で甘い汁を吸い力を付けた者達ともなれば、再び王家は力を失い、今以上の窮地に陥ることでしょう。それが分かっていながら、そのような婚姻を認めるわけには参りません」
「そなたの危惧は分かる。では次にこれを見るが良い」
アイゼ様が再び書類の束を取り出して、全員に行き渡らせた。
「まさかこれも……?」
俺に視線が集まったから、頷いてみせる。
「その通り、俺が考えました。読んでみて下さい」
そうして読み始めてすぐ。
「こっ、これは!?」
「このようなことが可能なのですか……!?」
「もし可能であれば、我が国はとんでもないことに……!」
後ろの高級官吏達まで騒ぎ出す。
後出しのインパクトは上々のようだな。
「その腹案は、すでに軍務大臣と将軍から内諾を貰ってます。軍部に対する正式なプレゼンはまだですけど、すでに将軍が根回しに動いてくれてるんで、間違いなくプレゼンは通ります」
輪をかけて驚いた顔で俺を見る。
そう、これで俺はトロルとの戦争のみならず、他に二つも功績を打ち立てる事が、ほぼ確定したわけだ。
「だからまあ、別の派閥に鞍替えしたければどうぞご自由に、ですね。その時は、そこに記した甘い汁は吸えずじまいになりますけど」
「ですが、その上で裏切り敵対されたら、先ほどの比ではない窮地に陥ることになりはしませんかな?」
「なら、その次の策の甘い汁は吸えなくなる、ってことですね」
「なっ……まだ策があると……これらの策に匹敵する策がまだ他にもあると、エメル殿はそう申すのか!?」
「ありますよ、他に幾つも」
自信たっぷりに言い切ったら、絶句されてしまった。
お年寄りには、少々刺激が強すぎたかな? なんてな。
そんな絶句した宮内大臣に、アイゼ様が苦笑する。
「この通りだ。エメルにはまだまだ腹案があるらしい。書類にまとめたのはその二つの策だけで、残りは私も詳しく聞いていないがな」
「王室派から離反する事がどれほど利益を損なう事か、それが分かる者は決して裏切る真似はしないでしょう。ですから、その間に地盤を固めれば良いのです」
言葉を継いだフィーナ姫に、宮内大臣はまたしても唸る。
さっきから唸ってばかりだけど、大丈夫かな?
「それが分からぬ愚か者は、むしろ早々に裏切ってくれた方がいいだろうな。そのような者が他派閥で重用されるとも思えぬし、むしろそこで足を引っ張ってくれた方が私としてもありがたい」
「時が経てば経つほど、王家の権威、そしてエメル様の策略の影響力は広く深く広がり、いずれ何者であろうとその恩恵を手放せなくなっていくでしょう。そうであるなら、今からでもエメル様には最高の待遇と便宜を図り、そのお力を存分に振るって戴ける環境を作っていくことこそが、最も国益に適うと信じています」
アイゼ様とフィーナ姫の御前だってのに、高級官吏達は小声……のつもりなんだろうけど、結構大きな声で、あれこれ吟味したり話し合ったりして、俺を値踏みしてる。
本人を前にどうかとも思うけどね。
でも、アイゼ様もフィーナ姫も、敢えてそれを咎める真似はしないし、宮内大臣も副大臣もそれを注意するどころじゃなさそうだ。
何しろその値踏みの話を聞く限り、天秤が一気にこちらに傾いてるんだから。
これまでの功績と今見せた策略に、副大臣や高級官吏達は、俺が望むのであればアイゼ様が俺のお嫁さんになるのもやむなし、って雰囲気だ。
宮内大臣はやっぱりおじいさんだから、メリザさんみたいに、男の娘になってお嫁さんになる、ってのを受け入れがたいんだろう。顔に刻まれた皺が深くなってる。
でも、もう一押しか二押しで、押し切れないかな?
「……む、お待ちください。アイゼスオート殿下、フィーナシャイア殿下、何やら話がおかしくありませんかな?」
不意に顔を上げた宮内大臣が、すごく訝しげな顔をして、俺達三人の顔を見回した。
「今、話していた本題は、アイゼスオート殿下とエメル殿の婚姻の是非についてだったはずです。ですが先ほどのフィーナシャイア殿下のお言葉は、まるでフィーナシャイア殿下とエメル殿が婚姻を考えておられるとしか思えないものでしたが」
おっと、それに気付かれたか。
チラッとアイゼ様とフィーナ姫に目を向けると、二人とも小さく頷いた。
じゃあ、俺から言わせて貰おう。
「その通りです。俺は第二次王都防衛戦における褒賞として、フィーナ姫を俺のお嫁さんに貰います。だからお爺様、お孫さん達を俺に下さい」