第1話 氷の洞窟:『破滅の幻獣ルシエル』
ーー村長の家で、少しゆっくりと時間が流れた様な気がした。
私は手が震えていた事を、知った。
こんな……手が……。
魔物に出遭い……慣れていない時に、震えた感覚。
恐怖と高揚が入り混じり、興奮した震えとは違う。
絶対的な恐怖から来るものだった。
何故なら……もう黒い人影はいないのに、まだ……私は心臓が、バクバクしていたからだ。
「瑠火よ。今日も民の為に狩りをしてくれたのか?」
白いローブ。
樫の木の杖。
長めの白髪に顎から生やした白髭。
賢者の様な姿をしている老人。
魔法を使えないのにこの格好をしているのは、“魔道士”に憧れているから。らしい。
この人が、“月雲の民の長”だ。
「白雲村長。」
私は手に持っていた白い皮製の袋を持ち、側にある丸い木の小型テーブルに向かう。
高さのある物置に使ってたりするテーブルだ。
テーブルの上には、ランプ。
火を灯し明かりにするものだ。
今もランプの中で、オレンジの炎は揺れる。
「ワシのもか? いつもすまんな。」
白髭を触り撫でるような仕草。
この優しい眼差し。
相変わらず……“真紅の眼”は健在で、強く煌めく。
歳を重ねると黒髪は、白髪に変わるらしい。
その眼も本来なら、薄くなってくる筈だが、この人は変わらない。
里の“風子ばぁ”と呼ばれる老女は、白髪に真紅の眼がだいぶ薄くなっている。
煌めきが濁ってきていて、白色が混じっている。
他の者たちもそうだ。皆、歳と共にその眼の強い煌めきは薄まっている。
「今日は大物だった。少し“凍ってる”。皆のを用意している間に、凍ってしまった。」
私は布袋をテーブルに置いた。
持ち運びには凍らせるのが最適だ。
血も零れないし、保存も効く。
だが、今日は意図的ではない。
普通に用意していたら凍ってしまっただけだ。
「構わんよ。それよりも……“旅”に出たい。と、申していたな。その“幻獣”を見つけた時に。」
白雲村長は、私の腰元に視線を向けた。
“破滅の幻獣”とは、ついこの前……出遭ったばかりだ。
✣
そう。私はーー、旅に出るつもりでいる。
この里を出て、雪や氷の中でも育つ“食材”を探す為だ。
草木、花、樹木。果実。
何でもいい。
植えて育つもの。
この地に根付くものの存在を、探しに行くつもりでいる。
それが、民の希望になる。
食糧を自分たちで“育て確保”する。
それがきっと……“生きる糧”になる。と、思ったのだ。
その為に……こんな樹氷の世界だ。
“樹氷の幻獣”が、いるかもしれないと、私は一人……氷の山に向かったのだ。
“召喚士”の話は聞いていた。
召喚獣となる幻獣の存在も。
その力が欲しいと思っていた。
複数の魔物を相手にする時に、必要だと思ったのが切欠だった。
世界は広い。
どれ程の魔物がいるかはわからない。
魔物だけではないかもしれない。
見た事も聞いた事も無い様な者達が、存在しているかもしれない。
生きて帰る為に……必要な力が欲しかった。
氷の山に名前はない。
ただ、里の近くで一番大きな山に昇った。
樹氷の山だ。
雪すらも薄れ氷山が頭角現す、見るからに難所ばかりの山だろうと、思えた。
険しい氷の岩石を登り、中盤まで来ると洞窟があった。
吹雪に煽られながらの登山は、思ったより苦しく……半ば、避難する様に、私はその洞窟に入ったのだ。
洞窟の中は一面……氷だった。
地面も壁も天井すらも。
厚い氷に囲まれた空洞。
氷柱が地面から無造作に突き出し、鋭く尖る。
ただ、蒼白い光に包まれていて外よりも明るく感じた。
「氷が光を放ってるのか? 不思議な場所だ。」
宝石のようだった。
まるでクリスタルの煌めき。
氷の結晶が華の様に咲いている。
そんな洞窟の奥……一枚岩の様な、壁が出てきたのだ。
何処までも続いていそうな高さ。
冷たく煌めく氷の壁だ。
少しゴツゴツしているのは、氷の持ち味だろうか。
分厚い……。
ここならいるかもしれない。
大きな氷柱が辺りを囲んでいる。
幻獣がいる様な気がしたのだ。
「ん?」
その氷の壁に近づいた時だった。
中に影が見えたのだ。
黒っぽい影だ。
目を凝らす。
ひんやりとした空気が顔に押し迫る。
氷の中に、黒い毛が見えた。
何よりもその大きさにも驚いた。
「……黒い狼犬? まさか……コイツが、“樹氷の幻獣”?」
氷の中にいるのだ。
想像していた身体の色とは違うが、それでも疑いは無かった。
まさか“別物”とは思わないだろう。
よく見ればその狼犬は、氷のなかでフセたまま眠りについている様だった。
頭の上のトサカはツンツンと、剣山の様に立っていて金色だ。黒い毛だけかと思ったが、丸まってる背中を見れば所々に、紅い毛も混じっている。
不思議な者。
それが第一印象だった。
「とにかく……これだけデカいんだし。幻獣で間違いなさそうだ。来て良かった。」
私は早々に剣を取り出した。
二本構える。
この分厚い氷を溶かすには、火煉では意味が無いな。
「“火炎焦”!!」
“火の発動”
この技は、火炎放射。
紅い炎の火柱は、竜巻の様に真っ直ぐと氷の壁にぶつかる。
パリ……
と、上の方から音がした。
今の衝撃で少し氷の壁が亀裂でも、入ってくれたのだろうか?
見上げれば少しではあるが、氷の破片がぱらぱらと落ちてきた。
ふぅ。
息が零れた。
本来なら標的を焼き尽くしてくれるものなのだが、上手くはいかなかった。
失敗だ。
火炎放射は氷に一切のダメージを与えることなく、消えた。
私は壁に近寄る。
焼けた跡すらもなく、傷一つもない。
氷の中では黒い狼犬が、眠りについていた。
「“火炬”じゃないとダメか。」
私は両手を壁に向けた。
私の使う“聖霊術”は、魔法や魔術とは少し違う。
私達の力の源は、“聖霊力”と、呼ばれる精神力が左右する。
大技と呼ばれる術は、やはりそれなりに'“負担”が、来るものだ。
それでも、私は“火炬”と呼ばれる火の発動のなかで、“最強”の技を使うことにした。
私が知るなかでは最強だ。
ここまで来たら手ぶらで帰りたくはない。
その思いが強かった。
「火炬!!」
氷の地面から一気に炎の火柱があがる。
狼犬のいる氷の壁を炎が包み燃え広がる。
炎の嵐のように大きな氷の壁を包み、業々と焼く。
この技は焼き尽くすまで消えない。大技だ。
ふぅ。
やっぱりしんどいな。
久々だ。こんな大技を使ったのは。
膝に手をつき息を吐く。
暫くこのままにしておけば、溶けるだろう。
だが、それは意外にも……自分からやって来てくれたのだ。
ミシッ……
音がした。
氷の割れる音……。
私が視線を向けると炎に包まれた氷の壁が、突然。
目の前で粉砕したのだ。
バラバラと氷の破片が、岩のように落ちてゆく。
まるで向こう側から殴りつけた様に、壊れたのだ。
「おお。人間か? 俺様の眠りを解いたのは。」
炎に包まれた氷の壁。
そこに巨大な穴が開き、中からゆらりと出てきたのは、さっきの黒い狼犬だった。
のしのしと、雄然と歩いて出てきた。
炎を潜りその姿を現したのだ。
私は手を向けた。
「“解除”」
❨これが“発動解除”。目標を焼き尽くすまで消えない技だからだ。勿論、解除方法もきちんと持っている。でないと、“聖霊力を使い切ってしまう。❩
間近で見ると大きい。
炎の消えた氷の壁の前で、立つ狼犬は遥かにデカい。
私などこの前足で踏みつけられたら、一溜りもないだろう。
壁の半分ぐらいまではありそうだ。
氷の洞窟の中での対峙。
これが“破滅の幻獣”との出逢いだった。
「お前……“樹氷の幻獣”じゃないよな? どう考えても……」
私は紫の鋭い眼を見つめた。
獣顔のこの狼犬は、なかなか凛々しい顔をしている。
顔は真っ黒な毛だ。
そこに煌めく紫色の眼。
頭の上のツンツントサカが、どうにも気になる。
「アウラス? 一緒にするな。俺様は破滅の幻獣様だ。」
姿はなかなか勇ましく……いい感じだが、性格に問題アリだな。
「そうか。何でもいい。私に力を貸してくれ。旅に出る。」
すると、その狼犬は鋭い牙を見せながら笑った。
ガハガハと笑った。
そりゃーもう高らかに。
頭まで天を向いて。
「力を貸せだ? ようやく“眠り”から覚めたのに、そんなバカげた話に乗ると思うか? どうしても貸して欲しいなら、俺様をねじ伏せてみよ。その剣で。」
頭を低くして臨戦態勢を取るルシエル。
はぁ。
そうなるか。
私は剣を構えた。
逆手持ちだ。
「私はどうしても……“力”がいる。」
幻獣……。遭遇したのははじめてだ。
未知の者だ。
先手必勝!
私は、駆け出していた。
何が来るかはわからない。
先に仕掛ける!
「“火煉”!!」
紅い火の玉を出す。
これで爆破しつつ様子を見る。
幾つも浮かぶ紅い火の玉を従えながら、ルシエルに向かっていく。
デカいから“飛翔”がいる。
碧色の光が私の足元を包む。
だんっ!
この跳躍力で、ルシエルの頭上まで跳ぶ事が出来る。
だが、今はルシエルのその大きな顔の前に浮かんだ。
「ほぉ。なかなか珍しい“技”だな。」
ルシエルの余裕そうな声が聴こえた。
どうやら試す気でいるな。
ルシエルのその余裕そうな口。
鼻下辺りを切り裂いてやろうと、剣を振るう。
ザシュ……
と、鼻先に切り傷が走る。
同時に火煉で爆破。
ルシエルの紫の左眼が瞑った。
ガードされてる訳ではなさそうだ。
剣先も走った。
これなら傷をつけられる。
私は直ぐに、その鼻元に剣を突き刺そうと試みた。
くるっと柄を反転させ、持ち手を変える。
貫く。
だが、その大きな頭で払いのけられた。
「っ!」
ガンッ!!
氷の壁まで吹き飛ばされた。
「今のはちょっと痛かったぞ? 人間。そうか。お前は“月雲の民”か? 忌々しい民族だったな。」
ぎろっ。
紫色の眼が噴煙あがる顔をこちらに向けながら、睨みつけてきた。
「……大きなお世話だ。」
氷の地面に立つと、仕切り直しだ。
火の発動は効きそうだ。
だが、物は試しだ。
「“風刃”!!」
私は次にルシエルの身体めがけて、碧色の風の刃を幾つも放つ。これは切り裂きだ。
手裏剣の様に風の刃が敵を切り裂く。
威力はそんなに高くないが、多くの傷をつけるには丁度いい多動攻撃だ。
ルシエルの身体に無数の風刃で、血が飛ぶ。
全身を風の刃が斬りつけていくのだ。
「小賢しい!!」
カッ!!
血を飛ばしながらも、ルシエルの口が開きそこから“黒い波動”が、放たれた。
私は咄嗟に腕を交差し、
「“守護の盾”!!」
“守護の発動”を使う。
これは身を護る為の術だ。
防御の為の力。
自分の前に白い光に包まれた盾が、現れる。
これで力を防ぐのだ。
だが、ルシエルの黒い波動はその大きな白い光の盾を粉砕した。
くらう!!
盾にぶつかってもなお、弱まらないその波動に、私は直撃した。
全身を焼かれる様な痛みが走る。
まるで……光熱の電流を浴びせられているかの様だった。
これはやばい!!
「“旋風”!!」
私は風の発動。
波動を巻き込む風の竜巻を放った。
この竜巻で波動を吹き飛ばす。
波動は消しされたが、私の身体は焼けた様な痛みが残る。
ごほっ。
口から血が吐き落ちた。
氷の地面に吐血が広がる。
どうにか耐えたが、並の力じゃない。
あのまま波動に飲み込まれていたら、この身は朽ち果てただろう。
焼き尽くされ消え失せたはずだ。
「ほぉ? 俺様の“破滅の力”を抑えたか。なかなかやるな。」
くそ!
またあの波動を撃つつもりか!
そうはさせるか!
ルシエルの口元を、黒い光が照らす。
私はーー、駆け出した。