第6話 火種
「良いものを持ってきてくれたわね」
地面に突き立てられたままのサーベルを抜きながら、ガブリエラは言った。
杯鬼も蜥蜴人の所業は噂で聞いている。おどらく商人から奪った武器なのだろう。刀身は泥に塗れ、持ち手に埋め込まれた宝石は物悲しく光っている。
「路銀の足しにするのか?」
「蜥蜴人がまともに管理していればね」
そう言うなり、ガブリエラはサーベルを真上に放り投げた。
「何を……!?」
「見てなさい」
すぐに異常が起きた。サーベルが空中に浮いたまま、落ちてこないのだ。
杯鬼が目を凝らすと、少しずつ横方向に動いているのが分かった。どうやら彼女は真上ではなく、やや斜め上に投げたようだ。その挙動は、まるで“落ちる”という概念だけが物理法則から消失したように見える。
これも魔法か、と杯鬼は思った。先ほどの彼女の戦闘を思い出す。炎の印象が強かったがが、初めに彼女は風を繰り出していた。おそらく風の力でサーベルを浮かせ続けている、というより動かしているのだろう。
路地裏で荒くれに石をぶつけた時も、こうして位置を調整していたに違いない。
「解除するわ」
サーベルは解き放たれたかのように落下を再開し、真下にあった枝を切り落とす。そして、勢いそのままに刃元まで深く、地面に突き刺さった。
「雑すぎないか?」
「加減が難しいのよ」
「なるほど」
繊細な動きを追求して集中するよりも、荒々しく大雑把にした方が魔力の節約になるのかもしれない。杯鬼はそう思った。
「グ……ギ……!」
「あっ!リエラ!!」
「何よ?」
杯鬼が呻き声に振り向くと、そこには傷口を押さえながら立ち上がる蜥蜴人の姿があった。
思わず身構える杯鬼だったが、ガブリエラは素っ気なく言い放つ。
「逃げたければそうしなさい。あなたに興味は無いわ」
「グガ……?」
殺さないのか?杯鬼には、蜥蜴人がそう言っているように聞こえた。
「杯鬼くんはどうする?手にかけるのもまた特訓よ」
「……言っただろ。俺のステータス補正なんて、たかが知れている」
「グルルル……!」
困惑の表情を浮かべたまま、蜥蜴人は呆気なく立ち去っていく。
「今思えば……あいつが襲いかかってきたのは、身の危険を感じたからかもしれないな」
「今の彼らにとって、人間はそう見えているのよ」
ガブリエラは切り落とされた枝を地面から拾い上げて言った。
「私にとってはは、あんな小さな命よりもこっちの方がよほど大切だけどね」
枝の先端には、一センチほどの小粒な果実がビッシリと生っている。ブドウのような密集度だが、色は鮮やかなオレンジだ。
「見たこと無い果物だな」
「杯鬼くん、あなたの固有スキルを使ってみて」
「え?でも……」
「いいから」
言われるがままに念じる。やがて落ちていた物と同じ、枝付きの果実が杯鬼の手に生成された。
「これでいいのか?」
「えぇ、見せて」
ガブリエラは杯鬼から受け取ったそれを手に取ると、じろじろと色々な角度から観察し始めた。続いて実を一粒取って手の中で転がし、口に含む。
そして……唇を大きく曲げて満面の笑みを浮かべた。
「そんなに美味しいのか?俺は味なんて知らないけど」
「違うわ、加工しなければ酸味と渋味で口に合わない。でも、そうじゃないの。最も重要なのは、あなたがこれを“知らない”ことよ」
「……?それってどういう……」
「グギャッ!!」
杯鬼の質問は声に阻まれた。その声が聞こえたのは、蜥蜴人が逃げた方向だった。
何がと顔を向けるよりも早く、それは目の前にやってきた。
「ひっ!!」
なんて情けない声を出しているのだ、と杯鬼は思った。
視界の端には不動の姿勢を保つガブリエラが映っている。一体どうして彼女は、こんなものを見せられて動揺せずにいられるのだろう?
──蜥蜴人の頭部が血を撒き散らしながら転がってきたというのに。
「こんな所で何をしている?」
草木を分けて歩いてきた男の手には、鋭利なナイフが光っていた。滴り落ちる血は新鮮そのもので、彼が犯人であることは誰の目にも明らかだった。
「僕らに構わないように言ったつもりだったけどな、駒島杯鬼くん」
「兄後……勉太……!」
「あなたが噂の勇者様ね」
勉太はすぐにナイフを構える。その視線には明確な敵意がこもっていた。
「お前は誰だ?そこの役立たずを担当する介護士か?」
「私はただの旅人よ」
「そうだろうな、一般人がこの危険地帯に足を踏み入れるはずがない。その一方で、冒険者ならここに来るのも頷ける。お前も蜥蜴人を狩りに来たのか?」
「……はぁ、あなたもそれを聞くのね」
露骨に面倒がる態度に、勉太は女の目的は他にあるのだと察した。だが、見当もつかない。魔物の経験値よりも貴重な物があるのか?
「勉太、回収したよ」
近藤が『貨物運搬』の側で、刺さったままだったサーベルを引き抜いていた。
なんという速さだ、と杯鬼は思った。勉太に意識を向けていたとはいえ、全く接近に気づかなかった。
「なるほど、火事場泥棒か。確かにそういう可能性もある」
蜥蜴人が奪った装備品、中には価値のある物もあるだろう。それを目的とする可能性も、勉太には否定できない。
「蜥蜴人の盗んだ物は全て僕らが回収する。中古品に成り下がってはいるが、クレム王国に納めればさらなる信頼の増加に繋がるだろう。お前たちは何も持ち出すことなく、今すぐここから去れ」
「これくらいは?」
ガブリエラは、杯鬼の生成した果物を見せびらかす。
「勉太、何あれ?」
「僕も実物は初めてだが、シーバックソーンだな。ビタミンやアミノ酸、鉄分を含めた二百種類以上の栄養素が含まれる健康食品で、ジュースを絞った後に残る油脂は化粧品にも使われているらしい」
「マジで!?あたしたちも持って帰ろうよ!!」
「自分で加工できるならな」
近藤はがくりと腰を落とした。
「別にいいさ、それくらいは。そんなゴミのような量に、ムキになるのも馬鹿らしい話だ」
「私にとっては価値のある物よ、あなたたちの拾う武器よりもね」
「ははっ!ゴミ拾いの得意な女に、物の価値が分かるとは思えないな」
勉太は杯鬼を一瞥する。
「くす……行きましょうか、杯鬼くん」
「リエラ……」
「ふん、何も言い返さないのか」
「この世界じゃ口喧嘩に意味は無いのよ」
「あぁ、そうかい」
シュッ!
風を切る音がした。
「じゃあこうすれば僕の勝ちなんだな」
勉太の声は先ほどと正反対の方向から届いてきた。
何をした、と聞く前に杯鬼は左の頬に痛みを感じた。思わず擦った指を見ると真っ赤に濡れていた。
それはガブリエラも同じで、彼女の白い頬に一筋の紅が刻まれているのが見えた。
「今から蜥蜴人を根絶やしにする。せいぜい巻き込まれないように、早めに逃げ出すんだな。行くぞ近藤!」
「了解!勉太が優しくて良かったね」
杯鬼にできるのは歯噛みだけだった。勉太の動きが目で追えなかった。あれほど憎い相手だった勉太は、今や雲の上の存在なのだ。
「……くそっ!」
「行きましょう」
どうして?杯鬼は思った。どうしてガブリエラの声色は変わらない?悔しくないのか!?
「種は蒔かれた」
……違う。変わらないのは声だけだ。
「火種という争いの種が……!」
ガブリエラは笑っていた。これから起こる何かが楽しみでしょうがない、そんな無邪気な表情だった。
そんな表情を見て、杯鬼は初めて彼女に対して恐怖を感じた。