元旦に結婚について考えてみる
今年初めてがエッセイかぁ、とか思いつつ。
やるならこのネタだぁよね、という感じでちらりとお付き合いいただければ何よりです。
婚姻。日本国憲法24条によって、
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」
こう規定されています。
つまり、現在においては男と女を結び付け、公的書類でそれを保証することにあります。
その他、結婚することに寄っての税の優遇措置などがあります。
扶養者控除だったり、手当てがついたりだとかもあるわけです。
現在共働きで、お互いにMAXで働いているのならば、恩恵は少ないわけですが、これは昭和の「夫は外で働き、妻は家を守る」という古い習慣から繰り越された習慣であり、「養う相手がいるなら、支援しようよ」というような考えでよいかと思います。
(金額に関しては各自で調べておくれませ!)
さて、結婚の価値というものは、家同士のものだとかつては言われていましたが、現在では好き同士で一緒にいるよっていう約束をし、さらにその約束を法律の鎖によってがんじがらめにしたものだと思うのです。
結婚式を神の御許でやるのも、「神の前に夫婦でいることを誓う」意味合いがあるとかないとか。
私なら、くそ神の元ではなく、星空の下でお互いの信念に対して誓う感じがよいのですが。
私が思うのは「夫婦生活を維持し続けるということはそれほど大変なことなんだな」ということだったりするわけです。
結婚率が下がり、さらに離婚率も上がり。あー、別れたのかぁー! なんていう感じとでもいいましょうか。
子はかすがいといいますが、かすがいをかけないと夫婦関係が維持できないというのも、「結婚というのはとても脆弱なものなのだな」としみじみ思うところです。
じゃあ、なんで昭和ではそんな結婚家庭が維持できたのかということなのだけど。
昭和の結婚の形というのが「稼いでる方が偉い」システムが有効だったため、女が一歩下がるという男尊女卑社会だからこそ成り立ったものでもあると思うのです。
妻が気に入らなかったら、三年目の浮気くらい大目に見てもらおうなんて時代ですからね!
(そして夫の定年退職を機に、熟年離婚するんだってサ!)
それが今では、共働きで収入差で男女の差が出るということが、あんまりないのです。
あ、今の若い人と言うべきか。現在五十代となると賃金の男女差はありますしね。
また、旦那の収入>妻の収入であっても、時短で妻が家のことをやっているなんていうご家庭も多くあります。
旦那は家事や育児を「協力」しても、あくまでも主体ではないわけです。
そうなってくると、権力差によっての寛容というものがなかなか難しいところです。
理想的なところでは「お互いが寛容であること」が一番な家族形態を作れるものなのだろうなと思うのですが、一緒に生活をするというのは、いろいろな差異があって、いろいろずれていることを許しあうことは難しいのかもしれません。
そんなわけで、結婚生活を維持することというのは、「かなり難しいこと」であって、人とともに暮らすこと、というのはかなりの幸運と、かなりの努力が必要なことなのではないか、と考えるばかりです。
結婚を考える方。結婚できないと悩む方は。
結婚って大変なんだよ? っていうことを頭の片隅に入れておけばいいのだろうと思います。
さて。結婚率が低いよ! とか、結婚できない人が増えたよ! という話を昨今聞きますが。
私の働いている職場では、実は私以外みんな既婚者です。左手のおててに指輪はまっとるんですよ。
年下の子もばんばん結婚します。
これは、私が働いている場所が今のところ安定しているというのが大きいことだろうと思います。
あとは、ほぼ女子だしね、ってところですね。
女性であるだけで、結婚の率は上がりますしね。特に若いうちに結婚しなきゃっていうのはあるわけですよ。
殿方は五十歳でも子供作れますが、女子はな……。それ考えると三十代いっぱいくらいまでには結婚しとかないとって感じなわけですよ。
しかし。
結婚できん結婚できんって話ばっかり聞くわけですけど、結婚できた人はどうやってるんですかね? っていうのがちょっと気になりました。
私が結婚できないのは、たんに面倒くさいだけなんですけれどね。
一般的に子供できない年齢になったら、結婚すりゃいいやぁーくらいな感じです。
相手……そう。エア彼氏ね。そうなのねって、頷いたみなさん! あんまりなのだぜ!
・学生期に付き合っていたからの。
昔、一緒に働いていた同期はこのパターンでした。
学生時代から付き合ってて、仕事も安定してきた三年目ってところで結婚。
そういや、去年結婚した後輩ちゃんもこのパターンか。
早めに同棲していて、結婚しよっかー、そだねー、くらいな感じでのお付き合い。
となると、学生期にある程度異性と交流がないと、なかなかこういう展開にはなりづらいわけですね。
例えば、学生期にいじめられたり、モテなかったりすると、このパターンにはなかなかなりにくいところです。
・会社で知り合いました。
これは会社の規模と出会いのチャンスというの次第だと思います。
いつも触れ合う人が多いのならば、出会いのチャンスはあるもしれません。
ようは、出会いのチャンスがあるかないか、というところでしょうか。
場所によっては、人と絡まない、周りはみんなおばちゃんや、おじちゃんだった! なんてところもあるかもしれません。
・婚活に行きました。
さっきまでのは受け身な出会いを求めてましたが、出会いのチャンスがなければハンティング! というのがこちらです。
私は残念ながら、婚活パーティーとかにいって、サーチしたことがないので、詳細はわかりません。
っていうか、同僚に婚活パーティー行かねば! っていったら、大爆笑されましたしね。あんたにゃ無理だってな具合でwww
まぁ私、人怖いですし、そんなパーティーとか出れないですしね。会社の忘年会ですら行ったら気持ち悪くて吐くもの。
・結婚あっせん所。
昔昔の大昔。昭和の時代には、近所のおばちゃんからのあっせんというのがあったそうです。
口利きですね。
今の時代は、マッチングしてくれる会社があるのだそうです。
好みを入れて、ボタンを押すと「貴女の理想は高杉wwww」とか言われるんですかね?
まあ、今の時代年収500万以上、って条件でも結構きついでしょう?
多くを求めず、チャレンジを繰り返しながら、相手を探す、というような感じになるのでしょうか。
ちなみに私がこれに登録すると、子供できない、が結構ネックになるような気がします。
か、彼氏いるから、別に登録する気はないのだけれども。
どの方法にしろ、「本人のやる気」がどれだけあるのかっていうのが大切なのかなと思います。
生活に余裕がないと、なかなかどうして、やる気というものはでないもので。
生き延びるだけに必死になっていると、結婚をする余裕はないのよね、と思うばかりです。
なので、仕事漬けにならずに、プライベートも充実させていけるような余裕があるとよいのかと思います。
そうじゃないと、学生のころからの相手がいないと結婚できなくなってまう。
しかし、結婚するにも気力をつかって、家族を維持するのにも最大限の努力を払わなければならないとか、既婚者さんってとっても頑張ってるんだなぁーと、しみじみ痛感するばかりです。
と、こんな感じで、まとまりは悪いですが……え。まだ語ってないことがあるだろう? って?
LGBTと結婚についてですか!?
お前なら絶対しゃべるだろうって?
え、いや……うん。まずバイの人は、その、同性愛になるなら大変ね、だし、異性愛になるなら、お相手が浮気しないかかなり慎重にならねばならないのが大変かなーとか、ざっくり思います。
同性愛に関しては、法律上婚姻は今のところできないので、そこはなんとかしてほしいところかなと思います。
でも、私が思うのは、「パートナーシップ制度」を使っている人も、別れるときは別れるんだなぁって感じたことでした。
そりゃ、普通に結婚している人でも別れるんだから、それは当たり前だよなって頭では理解できるんだけれども。
あれだけ、困難を乗り越えてできたパートナーシップ制度を使って、「でさえ」別れちまうのか……と、正直愕然としたのです。
100年の恋って言葉があるけれども、私の中では、「相手との生活を楽しむこと」と「色欲」との二つに分かれると思っているのですよ。
そんなもん、男なんだから肉欲はあってしかるべきだろー! 勘弁してよー! 可愛い女の子見たら浮気くらいしちゃうよー! もーまってー! っていう言い分はわからなくはないのです。
最近旦那があんまりかまってくれなくて、さみしいから別の男のところに行っちゃったのー、ってのもわからなくもない。
我々は「動物的な結婚」と「人間的な結婚」をある程度分けて考えるべきだと思うのです。
男女の結婚観がずれるのは、これの影響もあるんだろうなと思うのです。
男性は、動物的な、いわばホルモンに引きずられるようにして、エロいことを考えてしまうわけです。
「ご、ごくり」なわけです。
女性は、その影響が少なくて、きれー、かっこいー、って思っても「あいつふん捕まえて! あたいのペットにするっ!」みたいなアマゾネス女子はそこまで多くは居ないと思います。(肉食系女子はいるだろうけれども)
それを考えると、同性愛の人の方がここらへんの感覚はあうのかなぁとか思ったりもするわけなのだけれども。
そこらへんは、二丁目とかに通い詰めて、コイバナができる関係になってからリサーチしないと、本当のところはわかりませんね!
ただ、私が同性愛に傾倒しているのは、「子供ができないでいても、恋愛関係が続く」ことについて、かすがいがなくても一緒にいられるって素敵なことね、と思ったことが原因でもあります。
「一緒にいたい」の中に「こいつうまそうだな」という感情がまったく混じらないことはないとは思うのだけど。
それでも、関係の維持というのが「形のない愛というもの」で作られているのなら、素敵だなぁと。
まあ、実際のところ、本日流れている、きのう何食べた、のシロさんの言い分では「また、別れたら別の人と付き合うの面倒」っていうのも多大にあるとは思うのですが。
そういう意味合いでは、私が同性愛に興味を持った理由というのはきれいごとだったんだなとは今では思っています。
でも、こう、「尊い」と思っちゃうのはしょーがないじゃん! 腐ってるんだものっ。
あとはなにか、いい題材がないか……ですが、私としては「老後に朗らかに仲良くやってる夫婦」なんかは、人間的な結婚してるんだろうなと思うのですよね。
関係が動物的なものだけになってしまうと、そこに至れないように思うのです。
母親、父親という関係性だけではなく、夫婦がお互いのことを思える関係というのが理想に私は思います。
肉体的ではなく、精神的な関係だけであるならば、異性愛も同性愛もなく、性差というものに侵されることがない人間関係が営めるのにな、と私は愚考いたしますが、世の中がそうなるまでにはまだまだ時間が必要かと思います。
そういう世界が来るかどうかはわかりませんが、なによりみなさん。
今年一年も、しっかり書いて、しっかり休みましょう、ということで。