第3話 よそ者
「あー、うめえ」
「おっさん臭いな……」
「なーに言ってやがる、俺ら何歳だと思ってんだ? とっくに四桁越えてんだろうが」
東一がギルドカードをひらひらと見せびらすのを、慌ててやめさせる。俺たちの年齢欄はバグっていた。
17歳とかかれた数字に被るようにして、%×■8歳と書かれているのだ。設定的には、17歳だが、確かに“あなたたち”と過ごした時間を加算すればそれくらいになるのだろう。
「お陰で龍人と勘違いされて、大変なことになったの、もう忘れたのかよ。たったの十年前だぞ?」
「ッチ、年寄りで悪かったなぁ」
そういって東一はジョッキを煽った。心配げなウェイターへと「こいつ、明日から仕事が始まるんで、現実逃避してるんスよ」と言い訳する。
「――んで、例の噂、だっけか。あれなあ、さすがに、嘘だろ」
「……そう、思うか?」
「テメェが言いたいこともわかるぜ。確かに最近、妙に他の世界の話が耳につく」
俺がこの噂を信じたのも、それが理由だった。
通常なら――Cランクの管理者権限ならば、二つの世界を行き来することしかできない、はずだった。だというのに、俺は最近、この剣と魔法の世界で、やたらと他の世界の話を聞くのだ。
やれ、剣と魔法の世界に似た、神官と悪魔の世界がある、だの。
やれ、どこぞの世界では、行き来できる先が平和な牧場であるから人気だ、だの。
やれ、そこでの『ボーナス』は、学業の到達度に寄るのだ、だの。
こんなものは序の口で、街の外れで見たこともない、背中に番号の書かれた服を着た人間が数名居たとか、森の中に二頭身のふわふわした生き物が居たとか、その噂は多岐に渡っていた。
「でもな、学業の到達度で『ボーナス』を貰えるって噂は、信ぴょう性が高いと思うんだよ。『ボーナス』の内容なんて、自分の世界の奴は生まれた時から知ってるのに、他人にわざわざ話す奴なんて、居ないだろ?」
そして、この世界に訪れる別世界の住民は、俺たち乙女ゲームの世界の住民だけのはずだった。
俺たちの『ボーナス』は、“あなた”と過ごした時間に比例する。学業が関係するなんて、絶対他の世界の奴に違いない。
「……ふぅん、面白くなってきたじゃねぇか。他の世界にも行けるようになるってのは、悪くない話だ」
焼き鳥を咥えながら、東一は思考に耽っているのか、視線を中空へ投げ出した。
「けどよ、管理者権限が、ゲームクリアで与えられるとして、だ。……なんで、こんなに急激に、クリア者が現れ始めた?」
確かに、聞いたところによれば、あらゆるゲームキャラは、それぞれ違う世界出身のようだった。二頭身のふわふわとか、独特にもほどがある。
「それは、少し……気になるな。……そう、いえば」
顎に手を当てて考える。そういった来訪者たちは、なぜか自身のことを――。
「『異端者』」って名乗るらしい」
眩暈がする。視野の端の方があやふやで、頭痛でくらくらした。
思わず壁に手をつくと、なし崩し的にそのままズルズルと肩を擦りながら座り込んでしまう。ああ、寮の書類を職員室に届けなければならないのに、こんなところで。
手足がじんじんしているところを鑑みるに、貧血だろうか。ううん、このまま失神したらどうなるんだろうか。風邪引いたら、今月大会あるんだが、練習休まないと駄目になるのか……。
目を閉じてじっとしていると、遠くの方からぱたぱたと足音がする。耳を澄ましていると、その足音の主は自身に近づき、慌てて屈みこんだようだ。
「だ、大丈夫ですか!? 保健室、行けそうですか?!」
「……だ、いじょうぶ、だ……。すこし、じっとしてれば……よく、なる」
こうしている間にも、だんだん眩暈が楽になってくる。何度か瞬いて、目の前の人物の顔を見ようとすると、彼女はしばらくの逡巡の後、『けんこうスポーツドリンク』を取り出す。
「これ、よかったら、飲んでください」
「……ん」
我ながら危うい手つきでそれを受け取ると、彼女は手伝うように手を添えてくれた。青ざめているだろう顔で、ありがたく親切心を享受しながらスポーツドリンクを飲むと、体調は大分よくなった。
「ありがとうな、きみ、一年生か?」
「あ、はい! 昨日入学してきて……あ、私も、寮に住むことになってるんです」
彼女は書類を見て取って、そう言った。
「そっか。俺は寮監をやらせてもらってる二階堂陽太だ。何か困ったことがあったら、なんでも言ってくれ」
俺はゆっくりと立ち上がると、書類を拾う。それから、その内重要ではない書類に電話番号を走り書きした。
「これ、俺の番号。お礼がしたいから、連絡させて欲しいんだ。非通知でも無視しないでくれよ?」
最後、ほんの少し茶化すように笑うと、“あなた”は小さくはにかんで、頷いた。
「じゃあ、ごめんな。俺、本当は急がないと駄目だったんだ」
「え、そんな……体調が悪いのなら、休んだ方が……」
「いや、この書類を職員室に届けた後、風紀委員長に今月の予定表を貰って、サッカー部で練習しないといけないんだ」
「えっ、えっ」
「はは、倒れるのも納得、だな。うん……改めて、助けてくれてありがとうな。今度はもっと気を付けるよ」
苦笑しながら手を振ると、“あなた”は反射的に手を振り返してくれた。
俺はそれに乗じて、制止の声を振り切って廊下を進む。今日もまた、やるべきことがたくさんある。
“あなた”は――東雲 瑞樹はニンマリと笑っている自身に気づき、慌てて口を引き締める。
乙女ゲームをやるのは久しぶりだが、中々、うん、素晴らしいではないか。
最新のグラフィック、嘘みたいなリアリティ。今では当然となった、脳波を読み取り、精神をゲームサーバーにダイブさせるタイプのVRゲームだが、まるで、本当にキャラクターが目の前に居るかの如く真に迫っていた。
二階堂陽太、という名前の好青年は、爽やかかつ、優しい人間のようだった。入学式の日にイベントがある幼馴染の宗三 弘も悪くはなかったが、彼もまた、瑞樹のストライクゾーンを刺激する攻略対象だった。
途中選択肢がいくつか出て、『けんこうスポーツドリンク』か、『スタミナえいようドリンク』かを迷ったが、反応から見て、正解だったらしい。
青ざめた彼が、弱弱しく手を伸ばしている瞬間はかなり萌えた。ギャップ萌えというやつだろうか。明らかにスポーツ男子だというのに、少し弱った様子を見せてくるのが、まだ芽生えるには早い母性を刺激する。
今後仲を発展させれば、彼のサッカーをする姿も見られるのだろうか。普段が健康であればあるほど、初期のこのイベントが輝くだろう。
ギャラリーに保存されたイベントを確認し、瑞樹はワクワクしながら就寝の準備をする。
(か、かわいい……やっぱめちゃくちゃかわいいよ二階堂陽太……。うう、久々に悶える。マネージャーでも雑用でも、なんでもやっちゃうってこれ……)
明日ゲームの続きをする未来を描きながら、彼女は目を閉じる。仕事に疲れた彼女の精神を癒してくれるには、十分すぎるコンテンツだった。