ミスター・アンドリューと部屋の遺体 1
時間軸すら前後してしまって大変申し訳ないのだが、これを置いて他に語るべき事件はなかったので、少し前の話をさせてもらいたいと思う次第である。
夢浮橋紫音
これは私が『シャーリィ・ホームズ』と呼ばれるようになる前の話だが、その頃から私は人助けを何度もしていた。あの名前は、あくまでも名のある人を助けたことで魔術連盟支部内で私の名が広まった事によって付けられた名前だからであって、それが初めてではない。私の人助けは暇潰し以外の何物でもなかったのだが、それでも困っている人には有難かったのだろう。
その頃私は、つまらない授業に退屈していた。そもそも、魔術連盟の本部は日本にあるのに、何故私はロンドンまで来たのだろうか。しかも私の師は他でもない魔術連盟の長である。なのに何故来てしまったのだろう。あの人は反対していた。なのに私は先生─こちらは学校の先生─に進められたからと言って強行してしまったのである。白状すると、日本以外の国に行ってみたかったのである。
確か今回の事件は、こんなところから始まった。
「ねえ紫音、アンドリュー先生がちょっと話があるって言ってるんだけど」
唐突にデイビッドが私を呼んだのである。私はその時まだ寝ていた。
「話があるっていうなら聞くけど、何の話か聞いてないの?」
私は寝惚け眼を擦りながら尋ねた。
「いや、聞いてないよ」と彼は答えた。
どうかしていると言わざるを得ない。そもそも、寝起きで無防備な女子中学生の部屋へ入ってくる時点で、この男はどうかしている。
「そう。じゃあちょっと待って貰って。着替えたら行くわ」
私は言った。今から着替えると暗に言ったつもりなのだが、デイビッドはまだそこにいる。
「ちょっと、貴方がそこにいると着替えられないのだけど」
「あ、ごめん。すぐ退くよ」
私が苦言を呈すと、デイビッドは大人しく出て行った。彼が立っていた辺りの壁を見てみると、やはりと言うべきか、何かの魔術陣が薄く小さく書いてあった。大方碌でもないことだろう。私は男子から見ればそれなりに魅力的な体つきをしているそうなので、何となくそういう気配には敏感なつもりではいる。そのせいで、いつの間にか探偵扱いされるようになったが、理由が理由なのであまり嬉しくはない。
「Erase」
私はそう呟きながら魔術陣の表面を軽く撫でた。すると魔術陣は跡形もなく消え去り、後にはただの壁が残された。
ササッと着替えて下に降りると、アンドリュー(訳者注:イギリス英語的な発音ではアンドルーの方が表記としては近いが、彼はアメリカ出身なので、アメリカ英語的にアンドリューで間違いない)先生が座って私を待っていた。彼は私の変身魔術の授業を受け持っている。一流の魔術師なのだが、真面目すぎて融通がきかないのが欠点である。
「何か話があると伺いましたが、重要な話ですか?」
「重大な問題だ。少なくとも私にとっては」
あと、彼は利己主義者だ。
「詳しく聞きたいところですが、もしかしてここではまずいですか?」
「そうだな、場所は変えたい。実を言うと、私はここに君を迎えに来ただけだ。出来ればこのまま現場へ向かって貰いたい」
現場?何の現場だろうか。私は尋ねた。
「無論、事件現場だとも。殺人かもしれんし、自殺かもしれん。私としては、殺人だと思うのだがね」
人死にか。これはまた物騒な、と私は心の中で言った。また同時に、面白そうだとも思った。どちらも、それで困っている様子のアンドリュー氏に申し訳ないので口には出さなかった。
「では行きましょうか。その前に朝食をとっても?」
「構わないとも。流石に朝は食べた方がいい」
急いでいるのか急いでいないのかよく分からない様子だ。こういう人なのだ。自分が急いでいるときでも、他人を優先してしまうような人。
お言葉に甘えてすぐに朝食を平らげる。今朝はどう見ても手作りのパンだった。
本当ならゆっくり味わいたいところだが、状況がそれを許してくれないので、仕方なく急ぐ。
「食べながらで申し訳ないですけど、場所はどこですか?」
アンドリュー先生は少し言いにくそうにした。私は首を傾げた。
「…私の部屋だ。今朝早くに発見された」
「I see…」
言いにくくするのも当然である。殺人事件かもしれないのに、その現場が自分の部屋となれば、当然の反応といえるだろう。
私は最後のパンを飲み込んだ。
「分かりました。では向かいましょう。ご自分の望まない結果になったとしても、どうか恨みませんようお願いします」
私達は事件現場へ向けて歩を速めた。
この事件だが、もしも私の書いた他の記録を読んだことがあれば、私が先を語るまでもなく『結果だけは』分かるはずである。気が向いたら探してみるのも良いかもしれない。もっとも、この事件において結果はさほど重要ではないのだが。
夢浮橋紫音