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紫の手記  作者: 竜山藍音
3/4

ミスター・スペンサーの宝石 3

何事も、予想もつかない形で終わることはある。

この事件もそうだった。予想がつくならそれに越したことはないが、そうでないならそれはそれで現実として受け止めなければなるまい。

実際これは私に対する自戒である。

夢浮橋紫音

 爽快な朝だった。ただし、一般的には、である。

 私は昨晩何も食べずに寝たので、空腹で爽快感など微塵も感じなかった。私はハムエッグ─私の希望で作って貰った─を頬張りながら昨日のことに思いを巡らせた。調べたいことが多過ぎて、とても一人では出来そうにない。だが部屋の中を調べるのは私しか出来ないだろう。デイビッドでは簡単に見つかってしまう可能性がある。それでは本末転倒だ。私は部屋の主すらもある意味では疑っているのだから、気付かれずに捜査したいのだ。ではデイビッドには聞き込み調査でもやらせようか。そう考えた時、ようやく当のデイビッドが起きてきた。

「やぁ、おはようシャーリィ。昨日は心配したぞ。夕食もとらずにいきなり寝るとか言い出すから」

「心配には及ばないわ。一食くらい抜いたって、別に死にやしないから」

 実際、三日くらい抜いても死なない。魔術師というのは、余分な魔力のある限り、そうそう死にはしないのだ。例外として私の知り合いに魔力が無くなっても死なない、というか死ねない人物もいるが。死ななくなったらそれは生き物と呼んでいいのか怪しいものである。生き物の定義は生きていることだが、私達のそれを死に対する生、生に対する死だと考えると、死の存在しない生とはどのようなものなのだろう。

 閑話休題。どうでも良い話だった。

「さて、そろそろ行くわ」

 食事を終えてスっと立ち上がった。今日も今日とて調べなくてはならない。残念ながらデイビッドには仕事がない。さっきは聞き込み調査でもと言ったが、別に聞き込みして欲しい訳ではない。そんな必要は全くない。せいぜいして欲しい事といえば、大人しくしていることくらいだ。

 なので私は結局彼には何も頼まずに出掛けた。外は寒くなかったが、スプリングコートを着込んで出てきた。癖のようなものだろうか。無くて七癖とはよく言ったものだ。私の癖など、七つでは済まないだろう。

「こうやって無駄な事を考えるのも、こうして独り言を言うのも癖といえば癖なのかしらね」

 珍しく日本語で独り言を言った。ロンドンに来てからは独り言でも日本語は使わなかったのだが。

 何にせよ、無駄が多いとしても何も考えないよりは遥かにマシだろう。そう言い聞かせて私は現場へ向かった。

 連盟支部には学校設備も含まれている。魔術学校というヤツだ。私はそこに留学している。サボタージュすることは少ない、というかほとんど無いのだが、他に優先すべきやる事があれば躊躇いなくサボれる程度の授業内容だった。

 当然今日はサボって支部長室へ行く。サボタージュも偶にはいいだろう。

「おい、お前」

 後ろから声をかけられた。何かと思って振り向くと、昨日支部長と共に歩いていた、ジョン・クロフォードとかいう男が立っていた。顔は見ていなかったが、私は音を扱う魔術師として聴覚に絶対の自信を持っているので、声でそう判断出来た。

「今は授業中のはずだ。何故お前のような子供がここにいる?」

 そのくだらない質問に私はこう答えた。

「やらなければならない仕事と聞く価値もない授業とだったら、貴方はどちらを優先しますか?」

 彼は顔をしかめて唸った。

「お前が夢浮橋紫音という奴だな。ハーヴェイがよく話していた」

「それはどうも。では、やることがありますので。さようなら」

 私は素っ気なく返した。そのまま支部長室の方へ歩き続けたが、クロフォードも私の後を付いてきた。どうやら彼も支部長に用があるらしかった。

 私は支部長室に着く前に踵を返し、元来た道を戻った。そして、コートの左ポケットから紙の人形(puppet)を取り出し、目玉を描き込んだ。それをクロフォードに向けて投げつけながら、「Watch(見てて)」と呟いた。

 この人形は私が好んで使う使い魔だった。手抜きみたいな手足に手抜きみたいな顔が付いているだけの、一枚の紙だ。平面なのに意思を持っているかのように飛んで行く。

 私はこの人形のことをpuppetと書いたが、本来これは日本古来のものなので、英語にするとどうなるのか実は知らないので、私の想像で英語にした。少なくともdollではあるまい。

 本来は日本において神社でお祓いをする時に使うこともある人形なのだが、何しろ紙なので嵩張らない事を利用してこっそり使っている。私の師匠─実は神様の一人─も同じ事をしていたし、実を言えばこの手法は彼女から習ったものだった。

 私は正直この時点でクロフォードを疑っていた。彼の役職は支部長補佐だそうだが、私を追い出す理由は十分にあると思われたからだ。支部長とその補佐、つまりこの支部のトップ2が二人とも留学生である私より格下だということになると、彼等の威厳のようなものは無くなるので、私が邪魔なのである。魔術師である私達にとって宝石自体に大した価値はないので、別の動機があると考えなければおかしいのだ。スペンサーは非常に大事にしているが、それは母親の形見なのだと聞いたことがある。

「それを立証出来ないこと、これが問題ね」

 また独り言を言いながら今度はクロフォードの部屋に入った。鍵はかけてあったのだが、やはり私にとっては無いも同然だった。

 二分と経たずに、左目の裏に映像が見えた。使い魔と視覚を共有したのだ。直後、私は支部長室に向けて駆け出した。支部長室の扉は閉まっていたが、予めそれを予期していた私によって吹き飛ばされるという方法で開放された。

 部屋に飛び込むと、そこではクロフォードがスペンサーに馬乗りになり、今にも刺し殺さんとばかりに魔術が施された大振りのナイフを振りかぶっているところだった。扉を吹き飛ばされた事に驚いたのか、その状態で固まってこちらを凝視している。

「そこまでだよ、クロフォード。貴方は私に見張られていたんだ」

 彼は長い沈黙の後、

「何故俺を怪しいと思った?一心同体の補佐官を演じてきたつもりだったが」

 と言った。

 私は嘆息した。

「どうして私がいなくなるまで我慢出来なかったのかしらね。昨日からずっと怪しいと思っていたのよ。貴方が補佐官とかいう役職に就いていると知った時からね」

 右手をポケットに入れた。クロフォードの部屋から持って来た()()を握りしめ、一歩踏み出す。

「貴方が宝石を盗った犯人だとしたら、そこには私を追い出すという動機がある。でも私は貴方の事を知らなかったし、貴方は私に会ったこともなかった。それだけ考えると、貴方に私を追い出したい理由があるとは思えない。けれど支部長自身は敢えて追い出そうという気があるようには見えない。それに、昨日貴方達の会話を偶然聞いちゃったからね。それでピンときたわ。私を追い出すように唆したたのは、貴方でしょう?」

 彼はまた唸った。

「残念でした。こうなってはもう全て丸わかりよ。要するに、貴方は支部長になりたかった。そのために宝石を盗み、私を追い出した上で探偵役のいない殺人事件にしようとした。でも、貴方達がさほど仲良しには見えないし、どこかでバレたでしょうけどね。結局我慢出来なかったみたいだし」

「アアアアアア!お前さえいなければ!お前さえ!!お前さえいなければ俺は──」

 クロフォードは立ち上がり、熊のように大きな体で私に襲いかかってきた。私は一切の躊躇なく左手をポケットから引き抜き、人差し指を軽く曲げた状態で彼の胸に押し付けた。

「貴方がその魔術強化(エンチャント)ナイフで私を刺すのと、私がこの魔術強化(エンチャント)拳銃(ピストル)の引き金を引くのと、どっちが速いと思う?」

 大男は硬直した。

「仲違いはいいけど、私がいなくなるまで待つことね。とは言っても、貴方にもうチャンスは無いけど」

 私は引き金を引いた。弱い電流が彼の体を駆け巡り、動きを封じられたクロフォードは後ろ向きに倒れた。

 私は使い魔の人形を燃やし、新たなそれに今度は口を描き込んだ。

Tell(伝えて)。夢浮橋紫音より、保安部隊長に報告です。支部長補佐官が支部長を殺害しようとしました。私の方で捕らえましたので、引き取りをお願いします。Go(行け)

 人形は音もなく飛んで行った。

 さあ、これで私の仕事は終わりだ。規定の日よりも早く帰ろうものなら父さんになんて言われるかわかったもんじゃない。上手くやり過ごせて良かった。

 それにしてもやりがいの無い仕事だった。まともに解けた謎は無く、手に入るものも何も無い。結果的に解決したからいいものの、知らない人を容疑者には出来ないもんね。あそこで偶々会話を盗み聞きするようなことにならなかったらどうなってたことか。でもま、私にとっては得がたい失敗の経験くらいは貰えたかな。後でデイビッドに謝らなくちゃ。

 そんなことを思いながら、私はずっと右手に握り締めていた宝石を、空の金庫の中に放り込んだ。

手記の初っ端を飾る事件が失敗だというのは些か恥ずかしいものがないではないが、私自身に対する自戒の意味を込めて、敢えてこのままにしておく。

夢浮橋紫音

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