ミスター・スペンサーの宝石
親愛なる読者諸氏へ
これは私がロンドンへ留学していた時の手記の一部である。元々は私が英語で書いたものだが、日本の読者諸氏のために私が日本語に訳し、日本語として読みやすく改変したものが本書である。元々私が書いたものなのだから、権利的には問題ないものと思う。
夢浮橋紫音
私の姓は日常的に呼ぶには長過ぎる。なので皆ただ紫音とだけ呼んでいたのだが、今は専らシャーリィと呼ばれている。これについてはさる高貴な人の名誉を汚すことになるので詳しくは書けないが、その人が困っていたのを見事に解決させた事によって、皆からそう呼ばれるようになったのだ。これは、ホストファミリーの一人で陽気な少年、デイビッド・ノックスが名付けてくれた。その際彼は、
「シャーロックの正しい女性形かどうかは分からないけど、綴りは似てるし、何より君に似合っているよ」
などと言っていたが、意味的には多分似合っていない。それにしても、シャーロック・ホームズを元にした渾名を付けてもらえてその時は嬉しかったのだが、まさか翌日から皆にそう呼ばれることになるとは思ってもみなかった。
その思いがけない待遇について考えて(誤解のないように言っておくと、私はこの待遇を気に入っていた。私が考えていたのは、そう呼ばれるに足る人物にならなくては、という極めて前向きなものだった)いると、件のデイビッドが私の部屋へ駆け込んできた。何事か喚いていたが、英語が母語ではない私には上手く聞き取れなかった。
「デイビッド、テンパらないで。何を言っているのか分からないわ」
「シャーリィ、これは重大な問題だ!」
彼は息を切らして早口に叫んだ。今度は聞き取れたが、私は首を傾げた。何かが深刻なのは伝わったが、残念ながらその内容が全く理解出来なかった。
「何が言いたいのか分からないわ。頼むから落ち着いて、私に分かるように話して」
私は再度そう言って、彼に向き直った。デイビッドは深呼吸して、事情を説明しだした。私も彼も魔術師なので、大方魔術関連の話だろうと思っていたが、やはりそうだった。
「支部長が呼んでるんだ。なんでも、彼が大切にしていた宝石が、宝石箱ごと盗まれたそうなんだ。その捜査を頼みたいって。で、ここからが問題なんだけど、それが出来ないなら日本へ帰れって言うんだ!」
私としては、これ以上ロンドンにいても私にとってなんの得にもなりそうになかったので、帰れと言われれば喜んで帰るのだが、いきなり厳しい条件を突き付けてきたことに興味を持ったので、「今すぐで良ければ行くわ」と答えた。
「今呼んでるんだ。すぐ行かないと強制的に帰らされるぞ!」
「そう、じゃあちょっと行ってくるわ」
そう言って立ち上がり、引き出しからピストルを取り出してポケットにしまった。
「支部長と会うのに、ピストルなんか持っていくのか?」デイビッドが尋ねた。
「当然よ。何の思惑があって私を脅して呼びつけるのか分からない以上、用心するに越したことはないわ」
そのままコートだけ着込んで出発すると、後ろから「気を付けて、シャーリィ!」と叫ぶ彼の声がした。
魔術連盟倫敦支部はロンドンの地下深くに存在する。地下鉄よりも更に下だ。ここでは英国中の著名な魔術師が集まり、英国魔術界を纏める仕事に就いている。また、教育施設も兼ね備えており、実を言うと私はそこへ留学しているのだ。中学一年生の夏休みから、中学二年生の夏休みまでの一年間をここロンドンで過ごし、日本のそれよりも進んだ魔術を学ぶというのが大方の目的だったのだが、既に学ぶべきものは無く、退屈しのぎに魔術師相手に探偵紛いの仕事をしていた。
あと三ヶ月で帰る予定なのだが、退屈なだけのそれを早めることを脅しに使うなど、支部長もよくよく間抜けだと思いながら地下へ降りる。一見すると何の変哲もない扉が、魔術師だけが開けることが出来る、倫敦支部への入り口になっているのだ。
真っ直ぐ支部長室へ向かい、極めて静かにノックすると、「どうぞ」といつも通りの、無愛想な声が聞こえた。
私はドアをそっと開け、「お呼びですか、ミスター・スペンサー」と尋ねた。
ハーヴェイ・ロナルド・ジョシュア・スペンサー支部長。いつも無愛想で低い声でぼそぼそと喋るが、魔術の腕は一流で、炎と水を操る事が出来る。
これは非常に簡単に見えるが、実際には『四大元素魔術』といって最難関のものであり、火、水、土、風の四つのうち一つ使えれば優秀、二つ使えればもはや天才、というような代物であるが、私は四つとも難なく使えるのでその凄さがイマイチ分からない。
「ああ、デイビッドを呼びに行かせたが、彼はどこだ?」
「彼は部屋にいると思いますが」
その返事を聞いて彼は深く溜息をついた。
「彼も来るように言ったのだがな。まあ良い、彼には君から伝えてくれ」
「わかりました。では、詳しい話を伺いましょう」私は頷いた。
「気が付いたのは今朝だ。昨夜私が帰る時には確かにこの金庫の中にあった。それは確認している。私の日課だ」支部長は机の上に置かれた金庫を叩きながら言った。
「よく承知しています。この支部の末端まで、それを知らない人はいないでしょう」
「黙って聞きたまえ。私は話の途中で口を挟まれるのが大嫌いだ」
「それは失礼しました。では続けてください。」私は肩を竦め、先を促した。
とても無礼な態度だが、お互いに相手を敬ったりはしていないので、彼は見事にスルーした。
「昨日の時点では金庫の戸が閉めてあったにも関わらず、今朝来てみれば金庫は見ての通り開け放たれている。当然、中身は空だ。一番大事な宝石はおろか、それを入れておく安い宝石箱すら無くなっている」
「貴方以外にこの部屋へ入れる人はいますか?」私はまた口を挟んだ。
「いない。だがこれはただの鍵だ。魔術師なら誰でも開けられるだろう」
「何故そんな施錠で満足を?」
「信用だ。まさかこのロンドン支部内に人の物を盗むような不届き者がいるはずがないだろうとな」
私は指先を突き合わせながらしばし沈黙した。
「……それで、私にその犯人を見つけろと仰るのですね?」
「その通りだ。出来ないなら、日本へ帰って貰う。聞きたいことはそれで全部か?」さも出て行って欲しそうにしているので、一つだけ聞いて帰ることにした。
「では一つだけ。出来なければ帰れというのは何故ですか?」
「簡単なことだ。これ以上君がロンドンにいるとして、一体私に何の得があるんだ?」
これ以上なく単純な答えだった。
足早に家に戻ると、デイビッドは居間でスナック菓子を頬張っていた。
「ちょっとデイビッド、貴方も来るように言われてたんじゃないの?」私はちょっと怒って言った。
「え?そんなことを言われた覚えはないけどな」
「貴方が聴いてなかったんでしょ。ミスター・スペンサーから苦言を頂いたわ」
彼は飛び上がって、「成績を下げるとか言ってなかったよね?」と尋ねた。
「言ってないわよ、そんなことは。ただ、詳しい話を私から聞けとは言ってたけど」
「詳しい話?」
「宝石が盗まれたって話よ。忘れたの?」
「いや、忘れてはいないけど。それとオレに何の関係があるんだ?」
それは私も考えたが、思い付かなかった。有り得ないと思うが、私一人でやらせるのが心配だったのかもしれない。
「知らないわ。とにかく、聞けと言ってたんだから聞きなさい」
私は簡潔に要点を伝えた。
「へえ。じゃああれは誰でも盗めたんだな」
「そういうことになるわね」
「でも、それが出来なかったからって、どうしてシャーリィを追い出すことに繋がるのさ」
「彼も色々必死なのよ。主に自分の地位を守るのにね」
彼は顔をしかめた。
「あまりここでそういうことを言わない方がいいよ。どこで誰が聞いてるかわかったもんじゃないから」
「別に、もうじき日本へ帰るんだから、今更誰に何と思われようが関係ないわよ」私は少し不機嫌だった。
「とにかく、これを貴方に話せっていうのは貴方と協力しろって事なんでしょうから、手伝って貰うわよ」
「オレが?それは君の足を引っ張るだけだよ」
「そんなことはどうでもいいの。私としては謎が解ければそれでいいんだし、ミスター・スペンサーとしては私一人じゃない方がいいんだろうから、これがベストよ」
「そんなもんかなあ」デイビッドは未だに不服そうだった。
先行きに不安以外の要素が見当たらなかったが、ともかくこれで晴れて捜査開始となったのだ。
私にとって「シャーリィ・ホームズ」という呼び名は非常に意味深いものだった。何故なら私はシャーロック・ホームズのファンだからである。もっとも、私がシャーロックに及ぶ名探偵であるとは露ほども思ってはいないが。
夢浮橋紫音