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7, area wind

「うるさい」

 1人そう呟いて、俺はスマホのアラームを止めた。時間は朝の9時。決して早いとは言えないが、まぶたは非常に重いままだ。

 今日することは、そう、ライブに行くだけ。一緒にいる後輩の女の子がちょっと可愛くて趣味が合うだけの、なんでもない日常の一コマだ。決してデ……ではない。そう自分に言い聞かせ続けていたのに何故か今朝の四時まで目が冴えたまま寝付けず、結果4時間と少し浅い眠りに就いただけで本来の起床時間を迎えてしまったのだ。なんとまぁ情けないことだろうか。

 さて、とりあえずシャワーを浴びよう。そうすれば目がさめるかもしれない。朝シャワーを浴びると健康に悪いとか禿げるとか、またその逆も聞くけど真相は結局どちらなのだろう。そんな他愛のないことを考えつつ熱いシャワーで強引に目を覚ます。だが、かえってそのせいで誤魔化しきれないほど今日のデ……だから違うってライブだって……を楽しみにしている自分を強く自覚するようになってしまった。不安だ。俺は光をうまくエスコート出来るだろうか。くそ、美羽ちゃんならこんなことを考えずに自然体でデートできるのに。いやだから今日のはデートじゃないって。

「何やってんの?洗面台の前でうずくまらないでくれる?邪魔だから」

 くだらない自問自答を繰り返していると、洗濯物を取りに来た母さんに邪魔者扱いされた。

 用意してくれていた朝食を食べ、一度自室に戻り服を何枚か抱えて再び洗面台の前に立つ。

 12月に入り、季節はもう冬へと完全に移行したと言っていい。ここで好印象なのはセーターだろうか。洗面所に広げた床を見る。白セーターは俺のスタイルで着こなせるか?身長は……許容範囲のはず。 そもそも光はどんな格好が好きなんだろうか。いや、ここは彼女の好みは気にせず、嫌いなファッションを避ける方針にしよう。あいつが嫌いなもの……ってなんだ?逆に好きなものも冷静になれば浮かんでこない。

「ああああっ!!」

「うっさいなぁ……」

 再びの母上。呆れた様子で俺の後ろを洗濯物を抱え通って行った。

 そうだ、服なんていつもそんなに深く考えていないじゃないか。さっと決めればいいんだ。これとこれとこれ。はい終わり。

「……あんた、それはないわ……」

「お母ちゃん服選んでくれよ〜〜〜」

 その後情けなく母さんに泣きつき、何回かファッションをチェックしてもらうという謎の儀式を通過しら結果服装はセーターにロングコートというそこそこオシャレ感漂う風に仕上がった。髪を少しだけ立てて仕上げ完了、俺はようやく家を出た。ライブの開始は17時からだが、その前に待ち合わせることとなっている。物販に並び、その後昼食、どこかで時間を潰してからライブ、終わった後は帰宅の流れだ。だからデートじゃないって。え、聞いてない?

 外に出ると朝日、というほど朝ではないが、日の光が眩しく良い冬晴れと言えた。駅に到着し、一度トイレに入って自分の身だしなみを確認。よし、かっこいい。異論は認めない。

 10時55分発、約束の車両に乗り込む。それなりに混んでおり、今から座るのは厳しそうだ。あたりを見渡す。すると俺と同じようにキョロキョロしている1人の女の子が、座席にに座っているのを見つけた。

「ふぅー、よし」

 何が良いのかわからないが、とりあえず彼女の前まで移動しよう。その過程で俺に気づいたようで、どこかホッとしたような優しげな笑みを浮かべてきた。心臓が跳ねる。だって、今日の彼女はいつもと全然違った。おしゃれなベレーを被って、栗色のセーターにふわふわしたグレーのコートを着ている。情けなくも俺は作詞家なのに、そんな彼女のことを可愛い以上の言葉で形容できない。早まる心音。緊張を悟られないように、俺は努めていつも通りの笑顔で声をかけた。

「よ、おはよう」

「はい、おはようございます。そんなに早くないですけどね?」

 でも、ちょっといたずらっぽく笑う彼女は変わらない。その違いが、どうしようもなく俺を揺さぶった。

「…………」

「……………………」

 なぜだか気まずくなって話せない。光も何だか俺の顔を見て目を合わせたら少しはにかんですぐに逸らす。そのまましばらく窓の外を見ていた光は、三駅過ぎたあたりの時点で不意に俺のコートの裾を引っ張ってきた。

「ねぇ、航さん」

「な、なんだ!?」

 やばい、なんか急に裾を引っ張られ、その上可愛いらしい上目遣いに動揺したせいで無駄に大きな声が出てしまった。これは恥ずかしい。

「ね、アルバム聞いたでしょ?」

「アルバム?聞いたけど」

「何が良かった?私はね、SUNDAYがすごい好きなんだけど、航さんはどう?」

「ああ、あれいいよな。エリアってハード系が多いのに、その曲は家に帰って彼女を待ってるって感じがすごいリアルで……」

 そこまで言って気づいた。そうだ、こんな会話を、俺たちはいつもしていたじゃないか。いつも通りでいいんだ。なんで変な緊張してしまったんだろう。こんな風に気を遣わせてしまうなんて、これじゃ最初の不安通りじゃないか。

「ん?」

 笑顔で俺の話の続きを待つ光。これを見てしまえば、やっぱりいつも通りというわけにはいかない。いちいち心臓が締め付けられるような感じがするし、緊張も消えない。面白い話をできるのか不安になってしまう。

 でも、だからって自分のありのままを出せない関係が本物だなんて言えない。彼女には、本当の自分を知ってほしい。自分のままで、彼女と話したい。

 新鮮だった。こんなごちゃ混ぜの感情で、誰かと会話した経験がなかったから。

「でもせっかくだから今日はインディーズの時の曲もやってほしいなぁ」

「わかります!林檎とか初期の歌詞が激しくて弾けてた時のもいいですね!卒論おわらねぇみたいなふざけた感じのも聴きたいなぁ……」

 ゴチャゴチャすぎて判断がつかないけれど、きっとこの感情全部を合わせたら、楽しいって名前がつくんだろうな。

 こうして俺たちは移動時間を終えた。時間が流れるのが早かった。物販で長蛇の列に並んだ時も、くだらない話をしながら待っていたらすぐに買えたように思えた。そう思っていたのは光も一緒だったようで、実はもう15時になっていたと気づいた時は2人して焦った。同時に空腹を思い出し、近くにあったファストフード店に駆け込んで、クーポンがあるハンバーガーセットの中で一番コスパがいいのは何か、なんてことを話し合って、結局別のものを頼んで分け合うことにした。オシャレなカフェとか目星をつけて来たのに、なんて展開なんだろうって頭を抱えたけど、彼女はそんなことに対しても楽しそうだった。楽しそうな彼女を見るたびに俺も嬉しくなって、もっと笑わせたくなった。

「あ、もう開場だよ!」

「まじ?そろそろ行くか」

「会計はよろしくね、せーんぱい?」

「あ、お前汚いぞ!」

 そう言いながら結局お金を出してくる。女の子に対して奢ると言えば大抵の人が断ってくるが、あの真意が読みづらいと常々思っていた。その点光はわかりやすい。そういえば美羽ちゃんなんかは付き合い始めた時にそういうのは嫌いってきっぱり断られたな。

「行きますよ?」

「お、おう」

 美羽ちゃんのことを思い出してちくりと心が痛んだが、これからせっかくのライブだ。楽しいままに行こう。そうして会計を済ませ、ついにライブ会場である武道館の中に入った。何度か来た武道館。いつかはこの舞台で歌うことを夢見ていたこともある。昔は一人で見ていた夢だけど、今はきっと、4人が同じ夢を見ている。

「指定席は……ここか。すげぇな……」

「すごいなんてもんじゃないよ!アリーナはやばいって!!」

 光は随分とエキサイトしている様子だ。目の前の舞台。距離にすれば20メートルと言ったところ。走ればほんの数秒でたどり着く距離なのに、本当は果てしなく遠い。良い位置どりに嬉しいのもあったが、それ以上に胸の奥が熱くなった。もしかしたらこれからここに立つバンドは、俺たちのライバルだったかもしれないのだ。

 すると開演の時間が迫ってきたからだろうか。会場のほとんどに人が埋まり、雰囲気が高揚して行く。この空気感は、いつになっても刺激的だ。

「そろそろですね!」

「ああ!!」

 エリア・ウィンドは誰しも認める近年最高のバンド。もちろん俺もその虜になった1人。確かにいざここに立つと複雑な思いが込み上げてくるが、今はただ純粋に、この時間を楽しもう。

 時計を見る。それと同時に、会場の照明が一気に落ちた。女性ファンの悲鳴にも似た歓声が、男性ファンの地響きがごとき雄叫びが、この武道館に満ちる。緊張の瞬間。

 そして――――




 ――――圧巻。

 ただそれに尽きるライブだった。ファーストアルバム発売ライブなので有名曲ばかりということもあってかファンは毎曲ごとに熱狂していたし、舞台演出の点でも激しく上がる炎、プロジェクションマッピングなどの使い方が斬新で、視覚の面でも飽きさせない工夫があった。また彼らのトーク技術も非常に高く、正直そこらの芸人よりも断然面白い。全てにおいてハイクオリティであるにも関わらず、何よりも圧倒的なのが……

「―――――――――――――!!!!!!!」

 そのパフォーマンス力。バンドの顔であるボーカリストは男性では出ないような声域を自在に歌いこなす上に声が非常に太く、情熱的で、正確。一度だって彼が音程を外すことはなかった。ギターは非常に複雑なカッティング、スラップ等の技術を使いこなし、譜面に求められているものを遥かに超える演出力を持っていた。ベースは技術が高いのは当然として、何よりも正確無比。ベースという名前にふさわしいバンドの根幹となる基礎としての役割を全うしていた。最後にドラム。ハードロックを主体とするエリア・ウィンドにおいて、ドラムの役割は非常に重要だ。それだけに難易度も非常に高い。スティックの動きは速すぎて追うことは叶わず、それでいて全てに無駄がない。決して調和を崩さないその様は、むしろドラムがバンドの秩序を支配しているように感じた。

「じゃあ、これで最後の曲にするよ!!みんなとお別れするのは寂しいけど、俺たち絶対また会える!!だからそのために……CD買ってください!」

「結局販促かい!」

「ばれたか!それはともかくとして、今日は本当に楽しかった!こんな大きなところでワンマンできたのはここに来てくれたみんなと、俺と一緒にここまでバンドをやって来てくれたエリアウィンドの4人のおかげだ!!みんな本当にありがとう!!夢を叶えてくれて、ありがとう!!!!」

「え?」

「ちょ、みんな、祐樹くんがなんか言ってるみたいなんだけど、もう一回だけ聞いてみようか!!今日、なにが叶ったのかな!?」

 ボーカルとベースによる壮絶な茶番。それがすっごく楽しい。それにファンの多くは、この時点でなんの曲が来るのか察しがついたはずだ。そう、その曲は俺が一番嫌いだった曲。

「恥ずかしいな……でも聞いてくれ!!『夢』」

 イントロだけでぶわりと鳥肌が立った。この曲、『夢』は子供の頃抱いた夢を諦められずに目指し続ける青年のストーリーを歌い上げるもの。夢に破れた俺は、エリアファンにも関わらずこの曲を毛嫌いして来た。でも、今は……

 そっと、手が触れた。隣には興奮した様子で上を見上げる光の横顔。でもその目はアーティストに酔いしれるだけの、ただのファンのものではない。


 憧れ。


 いつか同じ場所に登ってやる。消えることなく燃える炎が、その双眸で揺らめいていた。

 落ちる涙。潤んだ瞳が俺を見つめる。それを見て俺は再び強くあの舞台へ……この子と一緒に、あの場所に行きたいと願った。

 触れた手は離れない。いつしか絡み合い、俺たちは手を握り合いながら、最高のバンドによる最高のパフォーマンスを全身に焼き付けた。

 いつか一緒にあそこに行こうねと、言外に誓い合って。




『次は〜花本〜花本〜、お出口は左側です〜』

「……………」

「………………………」

 帰り道、俺たちは一言も話さなかった。話す必要もなかった。感じたこと、思ったことは全て同じ。だって俺たちの手は、ライブからずっと繋がれたままだったから。

 流石に時刻が10時を回っていることもあってか、花本駅は閑散としていた。マフラーをして来てよかった。今日は、とても寒いから。

「今日は、流石にここまでで平気ですよ」

 久しぶりに聞いた彼女の声は大人しく、疲労もあってか元気がなかった。送って帰ってもギリギリ終電はあるが、今は別れた方がいい気がする。

「じゃあまた明日。今日は楽しかった。ありがとう」

「はい。私もすごく楽しかったです」

 その言葉に嘘はないだろう。その表情に曇りはない。

 話は終わった。いつまでも改札にいるわけにもいかないし、そろそろ次の電車が来る頃だ。だから、別れなきゃいけないのに……繋いだ手が、離れなかった。

 どちらかが諦めて離そうとすると名残惜しそうにしたもう一つの手に引き止められる。そうしているうちに、二つの手はより固く結ばれてしまっていた。

「〜〜〜〜〜〜っ!!!!」

 先に心を決めたのは、光の方だった。手を離すと、笑顔を作ってじゃあねとその手を振った。空を彷徨った手をポケットに突っ込んで、俺は笑顔を返した。別れの言葉すら、出なかった。

 振り返って改札に向かう光。帰ろう。なんだか今日の俺はおかしい。少しでも油断すれば、俺という器に入れるにはあまりに多すぎる量の感情が、胸を破って出て来そうになる。

 改札を出る光の後ろ姿を見送って、俺は再びホームのある階段を上った。もう、手は離れているのに、どうしようもなく心がざわつく。どうすれば落ち着くのかわからない。今も残る手の温もりが、今も俺を落ち着かせない。

 ……美羽ちゃん。美羽ちゃんに、会いたい。そうすれば、きっと……。

 思案に耽る間も無く、ホームに着くと同時に電車は来た。中はスカスカで座れそうだ。

 もし今から大学前駅に行ったら、美羽ちゃんはどんな顔をするだろう。俺のことを……受け入れてくれるだろうか。

 とにかく早く電車に乗ろう。この場所から離れよう。扉が開いた電車に向かって足を踏み出す、その瞬間。

「っ……」

 背中に、小さな衝撃。でもそこに害意はない。背中に感じる熱い体温。まさか、と思った。でも小さく聞こえる荒い呼吸を聞いて確信した。

「ごめん……」

 本当に小さな、密着していなければ聞き逃してしまうような小さな声で、彼女は謝罪を告げた。

「光、俺は……っ!」

 俺は振り返り、震える彼女の肩を掴んで、それで……。

「っ!!」

 手が背中に回る寸前、トン、と胸を押され、よろけながら体は電車の中に収まった。それと同時に扉は閉まる。締まりゆく扉の向こうに、耳を真っ赤にして走り去る小さな女の子が見えた。




「航さん、電話こないな……」


「…………もう、寝ちゃおうかな」


「……本当に、寝ちゃうんだから」


「っ、もしもし!?ってなんだ、真由美かぁ……ああごめん、なんでもないよ。え?航さん?もう家に帰ってるはずだけど……」


「花本駅で……航さんと光が……?」


「あ……そう。うん、大丈夫だよ?航さんも電車乗ったんなら何かあったってわけじゃないだろうし。それに今日2人でライブ行くことは知ってたし、何か事故とかあったんだよ。だから真由美は気にしないで?あと、このことは誰にも言わないで欲しいの」


「いいの。お願いだから、言う通りにして」


「ううん、心配してくれてありがとう。それじゃあ切るね。うん、おやすみ」


「…………」


「……………………っ」


「航さん…………お願い。お願いだから、出て……」


「出て……よぉ……」


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