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3, 秋桜

『にっしーお触りだから今度ひかぴーに奢りな!』

 いっくんがこんなくだらない投稿をツイッターに流したことが、全ての始まりだった。僕は必死でそれを否定していたのだが、つい最近繋がったばかりのひかぴーが返信で『今度奢りですね♡』なんて返して来たものだから、僕は完全に酔うと女の子にお触りを働く不埒者という、大変不名誉な称号を得ることとなってしまったのだ。

「はぁ……」

 なんだか面倒なことになりそうな気しかしないが、いつまでも扉の前に立っていても仕方ない。部室の中に入る。

「あ、お触りマンだ!」

「お触りだー!」

「……こんにちは」

 今まで割と硬派なイメージを与えていた反動だろうか。柳たちを始めとする後輩の女の子からの視線もどこか冷たく感じた。多少ネタ混じりであることはわかってくれていると信じたい……信じていいよね?

 僕は部室の奥の方へ歩いて行く。そこで手を振るのは二週間前の飲み会からLINEなどでたまに話すようになったひかぴー。その隣に美羽ちゃん、そして八島だ。最近のサークル活動ではなんとなくこの後輩三人と一緒にいることが多い。後輩の方が気が楽、というのもあるのかもしれないが、一緒にいて一番楽しいのがこの四人だから、というのが最大の理由だ。

「はい、じゃあみんな揃ったし始めるよー!今日の議題は来るべき学祭のバンドメンバー最終決定になるんだけど……」

 荒川さんがみんなに向かって話している中、僕らは小声で今日のこれからについて話す。不真面目に見えるかもしれないが、八島以外はみんな学祭に出る予定はないし、迷惑をかけなければ問題ないだろう。いや、なら八島は聞けよ。

「航さん予約しましたか?」

「ああ、しといたよ。八時からで四人」

「さっすが航さん!……って、あ」

「航さんでいいよ、ひかぴー」

「そのあだ名はやめてくれないんですね、このお触りさん?」

「ちょ、お前がそういうこと言うな!」

 変化があると言えば、ひかぴーは一週間前から正式にアコ愛に入部した。ぎこちなく縮こまっていたのも最初だけで、徐々に明るくてお調子者の本性を現しはじめた彼女は、元来のビジュアルの良さもあってか最近部内でも人気者になりつつある。いっくんも彼氏いるのかな、なんてことを呟いていた。僕としても少し気になることではあるが、さすがに聞こうとは思わない。彼女持ちの身としては、変な噂をこれ以上立てるわけにはいかないのだ。

「ねぇ航さん、今日なんだけど……今日、私パスでいいかな……」

「え?どうして?」

 今日は前回のお触り(僕は認めたわけではないが)のお詫びとして焼肉を奢ることとなっていた。だがさすがに色々な点で二人きりというわけにもいかない。よってひかぴーと仲のいい八島と、やっぱり色々な点で呼ぶに相応しい美羽ちゃんと一緒に行くこととなっていたのだ。だが、ある意味肝心な美羽ちゃんが来れないと言う。

「バイトで急病の人が出ちゃって、私以外出れそうな人がいないんだ……ごめんね」

「そっか……美羽ちゃんのとこ結構混むからね。別の日にする?」

「ううん、航さんやみんなだって他に用事あるだろうし行って来てよ。それで中止にされてもなんか申し訳ないしさ」

「そんなこと気にしないって。ね、八島?」

「そうだよ。また今度一緒に行こうぜ美羽!」

「うん、今度みんなで行こ?でも今日は三人で行って来てよ。ね?」

 これ以上は平行線だろう。この程度で色々話し合うのも馬鹿らしいな。

「じゃあ今日は三人で行こう。美羽ちゃんは次予定合ったら絶対行こう。な?」

「まぁ……」

「航さんがそれでいいなら……」

「うん、ありがと航さん」

 美羽ちゃんのバイト先は白嶺大学前駅にある少し高めの居酒屋で、学生は来ないものの多くのサラリーマンなどで賑わっている。僕も一度だけ招待され割引してもらいつつ入ったことがあるが、料理も美味しいし店員も気のいい人たちばかりで美羽ちゃんも働きやすそうだった。それ故に救援要請を断れなかったのだろう。

「ちょっとそこ、ちゃんと話を聞く。一応の十二時までバンドの申請は受け付けるから、もし気が変わったら私に連絡すること。いい?」

「わかりました」

 まぁ、もちろんそんなことにはなり得ないのだが。するとそんな僕の思考を読み取ったのか、荒川さんはため息をついて頭を抱えた。

「まったく、どうしてこんなにやる気ないのこの二年生は。去年はしっかり頑張ってたじゃない」

「あれは荒川さんや木梨さんが無理やりギターやらせるから仕方なくですよ」

 この話題はあまり出したくない。下手を打てば言いくるめられてしまうかもしれないからな。去年はそれで痛い目を見た。

「それで、今日のミーティングはおしまいですか?」

「ああ。これからは自主練習とする。みうみうは今日バイトだから早めに抜けるんだっけ?」

「荒川さぁん?」

「美羽は、今日早く抜けるんだよね?」

 みうみう?荒川さんがついに美羽ちゃんにもあだ名をつけたのか。だがこの反応からしてお気に召さなかったらしい。しかしあの荒川さんを黙らせるとは美羽ちゃん、さすがだ。

「じゃあ、練習開始。にっしーとひかぴーは手伝いを求められたら手伝ってあげるように。帰る時間は適当でいいけど、遅くても六時には帰ってね?」

 全員が了解の返事をする。

「二人はそんなにやることはないだろうし八島くんが帰るときに一緒に帰っていいよ」

「了解です」

 話聞こえてたのか。地獄耳な先輩である。

「よし、練習開始!」

 荒川さんがそう言うと、みんな練習を開始する。僕らは手伝いと言われたが、さすがに先輩である俺を気軽に扱き使えるほど肝が座っている一年はそういないし、認知度や人気は上がって来たものの入部して間もないひかぴーにも声はかけづらかったのだろう。せいぜい同期や先輩から備品を持って来てほしいと頼まれることが三回ほどあっただけで、基本的に僕らは暇だった。

「けどここアコースティックギター愛好会ですよね?なんでエレキとかで普通にバンドしているんですか?」

「それは触れちゃいけない約束なんだよ。細かいことは気にしない。それに中にはちゃんとアコギでライブする人もいるんだぞ?」

「へぇ……あの、航さん。ちょっとだけ弾いてもいいですか?」

「ん?まぁいいんじゃないか?なんか言われたらやめればいいし」

 と言ってもこの部室ではすでにいろんな楽器が掻き鳴らされている。そもそも気づかれない確率の方が高いだろう。

 ひかぴーはアコギを片手に軽くチューニングし、弾き始めた。まただ。また、あのバンドの曲だ。これは確かバラードで、曲名は『秋桜』だったか。

「だから泣いていいよ。笑っていいよ。古びたノートは捨てていいよ。だっていつも思い出せるから一面咲くコスモスのようなあなたを」

「ははっ……」

「何笑ってるんですか、人がせっかく頑張って歌ったのに。なんかすごく恥ずかしい人みたい」

「いや、ひかぴーの歌が笑えるとかそう言うんじゃないよ。ただちょっと、心がかゆいって言うか」

「あー、まぁこの歌詞ってちょっと痛くて恥ずかしいですもんね」

「お、おう……ずいぶんはっきり言うね」

 好きなんだと思ってたから、こんなはっきり痛いなんてと言うとは思わなかった。いや俺も痛いとは思ってるけど。

「でも、それが好きなんです。ありふれた言葉なんだけど、ありふれ過ぎていてあまり使われない。そんな素直な言葉を、隠さないで伝えてくれる。嘘じゃないんだなぁって、言われなくてもわかる」

「子供っぽいとも言わないか?」

「そうですね。だから精神が幼い私には合ってたのかも」

「よくわかってんじゃん」

「うるさいなぁ」

「自分で言ったくせに」

「本当にうるさい」

 拒絶の言葉にしては、ずいぶんと温かみのある声音。歌でも普通に話しているだけでも、彼女の声を聞くと、なんだか安心する。

「なぁ、もっと歌ってよ」

「航さん、私の歌大好きですね。初めて会った時もCD買ってってくれたし」

「あ、あれは気の迷いとかそういうので好きとかそういうんじゃないわ!」

「はいはい、ツンデレ〜」

「こ、この……」

 まさか年下の女の子にここまでおちょくられるとは。まぁ別に嫌ではないんだけれど。それになんだかんだ言いつつひかぴーも満更ではなさそうにギターを奏で、歌い出す。今度は別のバンドだったが、僕が中学生の時好きだったレジェンド級ロックバンドの名曲だ。もちろん知っている。地面に座り、横目で彼女を見つめながら、僕はゆっくりともう一本のギターを鳴らす。軽いセッションのようなものだ。

 ひかぴーは少し驚いたような顔をしたが、今まさに沈みゆこうとする夕日のように優しい笑顔を見せた。

「私とユニットでも組みませんか?」

「何でだよ……」

「結構いい感じだと思うんだけどなぁ」

 ギターは優しく歌い続ける。

 歌うことをやめた、俺の代わりに。




「荒川さん、時間なんで私、帰りますね」

「わかった。今日もありがとう美羽」

「…………あ」

「気になる?彼女だもんね?」

「いいえ、航さんのことは信じてるんで大丈夫です。でも……気になるのは、確かかなぁ」

「よくわからないが……しかし二人ともうまいな」

「はい、とっても。ふふっ、楽しそうで優しい音だなぁ」

「そんないつもと違う?」

「違いますよ。もともと静かな曲が好きな人だから。光わかってるなぁ。聞いてくださいよ、前なんか酔っ払っていたとはいえあの航さんが歌ってたんですよ?さらにはカラオケに行きたいって言い出したんです!」

「あー、それは確かに珍しいな。サークルのみんなでカラオケに行った時も頑なに断って来たのに」

「それ、私と一緒の時もなんですよ?まぁ、それはよかったんですけど、ちょっと羨ましかったなぁ」

「羨ましい?」

「私と一緒にはもう、歌ってくれないのになぁって」

「やっぱりめちゃくちゃ気にしてない?本当は今日、止めたかったんじゃない?」

「まぁさかぁ、そんな重い女みたいなこと、私には似合いません。それに二人きりってわけでもないし」

「へぇ〜そうなんだぁ〜」

「荒川さぁん?」

「はいはい睨まないでって。引き止めてごめんね」

「いえ。少し気が楽になりましたもん。じゃあお疲れ様です」

「お疲れ〜」




「……やっぱめっちゃ気になってるよなぁ」

「そですね」

「ま、今日多少何かあっても美羽には余計なこと言ってやるなよ?」

「航さんが?美羽とは結構仲よさそうだし、何もないと思いますけど」

「だからこそだよ。どうせ壊れないなら、余計な心配させて亀裂入れる必要もないでしょ」

「……そういうもんですかねぇ」

「そう言うもんだよ。ほら八島、練習しないならとっとと帰りな」

「もうちょっとしてからにしますよ。予約まで時間あるし、あの二人も楽しそうだし」

「へぇ。ま、学祭まで時間あるし、私も頑張るか」

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