2, 流れ星
「航〜!起きなさ〜い!」
下から聞こえて来る母の声。
「もう起きてるよ」
うざったく思いつつも、これがないとないで何か物足りなく感じてしまう気持ちを誰かと共感したい。いや、マザコンなわけじゃないんだけど。
そうこうしつつ着替えを済ませ、自室である二階からリビングのある一階に降りる。焼けた目玉焼きの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、自然と頬が緩む。
「おはよう」
「おはよ。そこに置いてあるから食べてさっさと行きな。遅れるよ」
「はいよ……」
朝食をかじりながらニュース番組を見る。最近また新しいアーティストが出て来たらしい。歳は20にもいかないガールズバンド。勢いのある強い声で失恋ソングを歌っていて、まさに今流行り、と言った感じだ。
「今日はサークルで飲み会だったっけ?美羽ちゃん家泊まる?」
「わかんないな。その時になったらまた連絡するよ」
「帰らない時はちゃんと連絡しなさいよ?」
「わかってるって」
暖かいレモンティーをすすり、洗面台へ向かう。整髪料は最近面倒でサボってしまっているが、せっかくの飲み会だ。今日くらいはつけておこうか。
「はは……」
鏡の向こうの冴えない顔をした青年に曖昧に笑いかけた。なんて顔だ。こんなにも嬉しそうだなんて。いつまで経っても、僕は音楽からは離れられないんだな。
そばに転がっているアコースティックギターを手にして、玄関の戸を開く。
「行ってらっしゃい」
「行って来ます」
昨夜の冷え込みはどこへやら。本日は暖かな晴天で、鳥のさえずりが心地いい朝であった。
時間が早いこともあって地元の小学生がランドセルを背負い、新しく出たゲームの話などしながら元気に駆けて行く姿が見える。普段は閑静な住宅街には、一番活気がある時間だと言っていいだろう。
最寄りである桜下駅に着き改札を抜け、ホームに立つ。電車が来るまでの時間、イヤホンに繋いだスマホに入っている音楽をゆっくりと聞く。この時間が、僕は嫌いではない。今朝は特別聴きたい曲もないし、シャッフルで流そう。
この駅は小さく、人気もあまりない。大学からはそれなりに近いが、同学年同大学の人と一緒になったことはない。そのまま一人で電車に乗り込み、偶然空いて居た席に座る。
今日は寝過ごすまいと気を張って流れる音楽に集中し、しばらくすると白嶺大学前駅に到着した。
さすがに大学最寄りとまでくれば学生の数も多く、改札から出るのにも苦労した。
学校までは歩いて十分近くかかる。白嶺大学前というくらいなんだからもう少し近くに駅を置いて欲しいものだ。
「あ、おはようございます先輩」
「ん?ああ、八島か」
学生達の群れの中から僕に声をかける、高身長で体格のいい短髪の好青年。サークルの後輩、八島徹だ。
「あれ、今日は美羽一緒じゃないんですか?」
「美羽ちゃんは今日2限から。それにしても八島が1限に出るなんて珍しいな」
「そっすか?最近は俺もちゃんと出てるんですよ?それより今日のニュース見ました?」
「見たってほど見てないけど、なんだ?」
「なんで見てないんですか!?レイライの特集やってたんですよ!?」
「レイライ?なんだそれ?」
「最近売れ出したロックバンドです!今度の大晦日フェスにも出るんですよ!?」
「へぇ……」
今朝見たあのバンドの事か。
「いやぁ、最近聴きたいバンドが多すぎて困るんですよ。航さんも今度フェス行きましょうよ!」
「そだな、金があったらな」
「マジすか!?じゃあ今度誘いますね!」
「ああ、ありがとう」
もともと僕がそんなに話す方じゃないため、彼のようにきさくに話しかけてくれる存在はありがたい。それにバンドの話は嫌いじゃない。僕の知っているマイナーなバンドも勧めれば聴いてくれるし、いい後輩だ。
と、こんな感じで楽しく会話しているうちに学校に到着し、俺と八島はそれぞれの教室に向かった。
***
「それではここまで。来週までにレポートを書いて来るように」
教授の一言でようやくこの日の四限目が終わる。
文学部に所属している僕だが、正直大抵の授業は興味深いと言えるようなものではない。うとうとしながら受けていたのでノートも不十分だ。だがそれでもなんとかなってしまうことこそ文系大学生の業というべきかなんというか。
「じゃあな航」
「ああ、じゃあな。明日もよろしく」
「はは、わかったよ」
同期の野田隆が軽く肩を叩いてから教室を出て行く。彼も彼でフットサルサークルに所属しているため、その練習に行くのだろう。
二度目になるが、僕は文学部。故に男女比では圧倒的に少数派である。男の学友は人間関係的な問題以前に単位取得のためにも欠かせない存在なのだが、それができにくい現状だ。何が言いたいかというと、僕は友達が少ない。こうして声をかけてくれたり挨拶をして言ってくれる友達は本当にありがたいのだ。
「さて、行こう」
いつまでもここにいるわけにはいかない。五限目の授業を受けに来た人がすでに教室に入って来て居るのだ。
外に出る。この白嶺大学はそれなりの敷地面積があり、種類までは断定できないもののたくさんの樹木が植えられている。地面にはそれらが落とした枯葉がカサカサと音を立てながら転がり、秋、そして冬の訪れを感じさせた。部室への道を歩くと、中でも大きな木が嫌でも目に入る。広場にはたくさんの学生がたむろしており、その中央にある木には毎年クリスマスに華々しい装飾が為されるため、冬あたりにはかなり人気のスポットだ。キリスト教、プロテスタント系大学なこともあり、そう言った西洋の行事にはやたらと力が入るのだ。
そしてクリスマスといえば、もう一つ。そのことについてもこれから準備を進めていかなければならない。今日のミーティングは三限終わりから始まっているから大幅に遅れてしまっている。急がなくては。
部室棟は授業などが行われている棟とそれなりに距離がある。近づいていけば行くほど人通りは減って行き、部室前に着く頃には誰も人がいなくなって居た。こうさっきまで騒がしかったのに急に静かになると落ち着かない気にもなる。少々緊張しながら、我がサークル、『アコースティックギター愛好会』の扉を開いた。
「お、西井じゃん」
「こんにちは荒川さん。すみません遅くなって。話は進んでいますか?」
部長の荒川さんにまず出迎えられる。三年生で、アコ愛(このサークルの略称である)の主将をしている。ただ、その顔は明るくない。何かあったのだろう。渋い顔をして彼女は答えた。
「うん、今日決めるのは12月の学園祭公演の調整だよね?ただ、ちょっと特殊なことがあって、今揉めてるんだ」
「特殊なこと?」
部室を見渡してみる。
アコースティックギター愛好会の部室は一般的な大学の教室の半分くらいの大きさで、中には15人程度の部員が各々話し合いをしている。
その中には、美羽ちゃんもいる。彼女は水曜日に二限と三限しかないから僕より早く会議に参加していたのだ。隣には八島がいるのも見えた。そこで、その隣にいつもは見ない一人の少女の顔が見えた。
「荒川さん、彼女は?」
「ああ、まぁ気付くよね。彼女、入部希望らしんだけどさ、今から入れるバンドがないんだ」
「今、入部ですか」
今は11月。サークルに入るといえばあまりにも遅すぎるように見えるかもしれないが、大学のサークルではあまり珍しいことではない。それまで所属していたサークルからなんらかの事情で抜けなくてはならなくなったり、それまでとは別のことがやりたくなったりと事情は個人によって異なるが、遅い時期で入部すること自体は悪いことではないのだ。
ただ、あまりにも時期が悪かった。学祭が近く、もうみんなそれぞれバンドを結成し、練習を始めているところがほとんどだ。今からだと、諦めてもらうしかないだろう。
「ちょっといい?」
「航さん、やっと来てくれた!」
「美羽ちゃん、今どういう状況なの?」
「ごめん、ちょっと揉めちゃって……」
美羽ちゃんの視線の先には、茶色いコートを着た女性が小さくパイプ椅子に座り、その前に二人の女性が壁のように立って何やら話している様子だった。美羽ちゃんと同じ2年の柳真由美と葛城優だ。美羽ちゃんの友達でもあるが、キツイ性格と知られる彼女らが新入部員に話しかけているなんて、もうそれだけで揉めていることがわかるというものだ。嘆息を抑え、彼女らに近づく。
「ねぇ、柳さん、葛城さん、どうしたの?」
やんわりと話しかけたつもりなのだが、睨まれてしまった。まず最初に口を開いたのは派手な金髪にウェーブをかけた後輩その一、葛城だ。
「西井さん。この子、美羽が連れて来た一年生なんだけど、どこのバンドに入れてあげようか相談していたんです」
「なるほど」
相談、ね。そんな優しいものじゃなかったことくらいは萎縮した新入部員の様子を見ればわかる。それに今の言葉の端々に僕への敵意があることを感じる。なるほど、美羽ちゃんと揉めたのか。まぁとばっちりとは言うまい。美羽ちゃんが紹介したとのことだし、責任を感じて彼女らと『色々』話したのだろう。そう言うところが、僕が彼女のことを好きな理由でもあるのだから。
「で、葛城さんたちグループは?一年生だけで構成されているバンドは葛城さんたちのバンドだけだし、良ければそこに入れて欲しいって言うのが本音なんだけど」
「無理です。追加で入れる楽器ならまだしも、ボーカルは決まってしまってますし。他の先輩たちのバンドもボーカルで入れるところなんてないんですよ?」
そう答えるのは黒髪ストレートにきつめの化粧をした葛城である。しかし彼女たちのバンドに入れてもらうと言うのはもう無理そうだな。そもそもそんなに人数の多いサークルじゃないし、バンドの数も四つ。内二つは三年生のバンド、一つは二年生と一年生が混じったバンド、最後に柳らの一年生バンドしかないのだ。葛城の言っていることは厳しいようだが、否定はできない。あとは本人の意見を聞いてどうにか穏便な流れにできないか模索してみることにしよう。
「じゃあ、君の名前を教えてもらっていいかな?」
マスクとキャップをしていて、髪は茶色のセミロング。見えにくかった顔を僕の一言でようやくこちらにゆっくりと向けてくれた。
横顔にかかる髪を除けて、目が合う。
「え……?」
「君は……花本駅の……?」
俺は、彼女を知っていた。忘れるはずもない。昨日CDを渡して来てくれた彼女だ。確か名前は……。
「暮野、光さん?」
「え、航さん、光と知り合いなの?」
「いや、知り合いっていうか……」
「ぜ、全然知らない!」
「……うん、まぁ」
そんなに全力で否定されると少し悲しくなるのだが、彼女は僕のことを覚えていないのだろうか。それにしては随分と驚いたような顔だった気もするけど。
「この子は私の友達で暮野光っていうの。前まではサークル入ってなかったんだけど、この前一緒にカラオケ行ったらすっごく歌が上手くて、だから一緒にできないかなぁって思って連れて来たの」
「でも美羽、もうどこにも入るところなんてないよ」
「だから優のところに入れてくれればって……もともとボーカルの押し付け合いでこの前揉めてたんでしょ?だったら光を入れれば全部解決じゃない!?」
「そういう問題じゃなくて、それでも決まってこれでいこうってなったことを変えるのは嫌なの!ねぇ真由美?」
「うん、そうだよ。そんなに言うなら美羽と組んでやればいいじゃん」
「そこまでだ。もうやめよう」
見てられない。これじゃあんまりにも暮野さんが可哀想だ。しかし結構強い心を持った子だ。こんなに言われても表情に変化がないなんて大したものである。というか俺の方を見て呆けているだけに見えなくもないけど、そんな理由もないしきっと違う。
「とりあえず柳さんと葛城さんはいつものメンバーで練習して大丈夫だよ。彼女のことはこっちでなんとかするから。美羽ちゃんもみんなの練習見てあげて。こんな空気のままじゃこれからせっかくみんなで飲み会なのに、お通夜になっちゃうよ」
「わかった……航さんありがと」
「西井さん、お願いします」
「おねがいしまーす」
三人の一年女子は各々の場所に行く。
「私、帰ったほうがいいですか?」
「いや、どんな感じか見て行きなよ。先輩も話したさそうにしてるしさ」
見れば、荒川さんを初めとした二、三年の先輩たちが暮野さんを手招きしている。彼女ら二人の勢いが少しキツイだけで、いつもはみんな仲がいい良いサークルなのだ。嫌いなままにしていてほしくない。
「な?」
「……はい。ありがとうございます」
少しだけ笑って、暮野さんは荒川さんたちの方へ歩いて行った。さて、どうなることやら。せっかく今年は裏方なのに、心労は尽きないな。
部室にギターの音が響く。窓から差し込む夕日は徐々に徐々に、消えて行く。
***
大学最寄駅から徒歩十分ほどで着く中華居酒屋、香港広場にある大和室で、アコ愛の飲み会は盛大に行われていた。
「にっしー飲んでなくね!?」
「うぉううぉ!」
「よっしゃあ!!」
瓶ビールを直でラッパ飲み。ああ、こういう風に救急車で運ばれて死ぬ大学生が出てくるんだな。僕も限界をすでに迎えつつあったが、場の空気さえあれば人は容易に限界を超える。いや怖すぎるだろ。
荒川さんを初めとする先輩や、同期の部員とコールで飲ませ合う、というなんともまぁ大学生らしい飲みをしながら夕方の悪い雰囲気を流し出す。見れば柳も葛城も楽しそうに先輩たちと談笑していた。
ちなみにこれらの話は僕が今、後悔とともに思い出している飲み会の回想だ。記憶とは残酷だ。僕も他の何人かと同じように記憶をなくせればよかったのに。
「にゃあ〜」
「八島ぁ、もっと飲めよぉ〜!」
足元には猫のような声をあげながら転がる八島の姿があり、俺はそれを容赦なくバシバシと叩く。だが完全に潰れてしまった様子の八島は起きあがる気配もない。
「航さぁん、私にもかまってよぉ〜」
「美羽ちゃんだぁ!おいでおいで〜」
「うん行く〜」
「あの、先輩……?」
「あ〜、えっとなんだっけ名前〜」
美羽ちゃんの隣には、少し困惑したような苦笑いの暮野さんが立っていた。顔が全く赤くなっていなかったし妙なテンションでもない。アルコールを飲んだわけではなさそうだ。いや当たり前だろこの子一年生。未成年だから。対し美羽ちゃんは顔を真っ赤にしてニッコニコ。彼女は酒を入れると大分豹変するから、きっとそれに驚いているのだろう。
「光だよ〜、覚えなさい〜!」
「美羽ちゃん来たぁ〜」
「ちょ、ちょっと美羽!?」
美羽ちゃんはあぐらをかいた僕の膝に頭を乗せ、その様子を見た暮野さんは驚いた様子で美羽ちゃんを引き剥がそうとする。すると八島がゆっくりと起き上がり、暮野さんの肩を叩いた。
「いいんだよひかぴー。美羽は航さんの彼女だから」
「え?そうなんですか?」
「まぁ、そうだよ?」
そう聞くと暮野さんは美羽ちゃんを引き剥がすのをやめ、ため息をつきながらその場に座った。
「なんだよひかぴー、航さんのこと狙ってたのかぁ?」
「そんなわけないでしょ!?それに八島、その呼び方やめてって!」
「光……ひかぴー。なるほど」
「先輩も納得しないでください!この酔っ払いたち!」
「いいじゃんひかぴー。ねぇひかぴー?」
「美羽までやめてよもう!」
みんなにおかしなあだ名で呼ばれ始め、暮野さんは顔を赤くして怒っている。大学、特にサークル内では変なあだ名をつけられやすい。僕だって西井だからにっしー、だなんて安直にもほどがあるあだ名をつけられている。まぁ、アコ愛のあだ名の半数以上は主将である荒川さんが付けたものだけれど。こんなやり取りをしていると八島がグラスにビールを注いで彼女に差し出した。
「いいから飲めって〜」
「八島、あんた……まぁ、もういいや、ちょうだい」
「おお、ひかぴー飲むの?」
飲まない人だと思ったので、少し驚いた。
「ううん、光さっきまで全然飲んでなかったよ〜?」
「なんか今はそういう気分だから……止めませんよね、先輩?」
「……はは、いいよ、飲もう飲もう」
僕と暮野さんは乾杯して、ビールを喉に流し込む。彼女の家は、深夜に路上ライブしていたことから大方花本のあたりだろう。ならば、送って行くこともできる、だなんてこの時の僕はそんな上から目線の考えを持っていたりする。
「おお、にっしー後輩に飲ませるなんて最てごほっ、ごほっ!!」
そこへビールの入ったグラス片手にやってきたのは同期の一橋。通称いっくんである。名前だけではなく顔がエブ◯ーリトル◯ングスのいっくんに似ているから、という理由でつけられたあだ名だ。
「むせるなよ。まぁ水でも飲めって」
「おう、ありがぶはあっ!!これ日本酒じゃねぇか!?」
「水だって〜」
僕はいっくんから透明な液体(もう説明は不要だろう)の入ったグラスを奪い、一気に飲み干す。
「す、すげぇ……」
「あーあ、航さん知らないよぉ〜、あたし家入れてあげないからねぇ?」
美羽ちゃんの呆れたような声。正直今日はそれを当てにして飲んでいたからそれは困る。
「あれぇ……」
しかし美羽ちゃんの方に向こうとしたつもりが平衡感覚に不調を来していたせいで、隣にいた暮野さんの方に倒れてしまう。
「ねぇ、ちょっと西井さん!?」
「ん〜あ〜」
起き上がる力もなく、またふわりと香る暮野さんの甘く優しい匂いに包まれ、起き上がる気すらなくなっていく。酔っていたからだろうか、酔ったことにしてもうしばらくこのままでいていいかな、なんて最低な思考が過ぎる。
「おいにっしー何お触りしてんだよ!美羽ちゃんこいつ浮気してるぞ!」
「ずるい航さん!あたしも光とくっつく〜!」
「え、そっち?」
いっくんの質問は本来僕がしたいところだったのだが、そんなこと言う資格もないだろう。そもそもそんなところに頭が回らない。こうして暮野さんを挟んで三人くっつくと言う、奇妙な状態が完成した。いっくんが少し羨ましそうにこちらを見ているのが少し心地よかった。
「せっかくだから写真撮ろう!」
「ひかぴーノリノリじゃん!」
スマホを取り出してインカメ起動。先ほどまで元気がなかったのが嘘のように、彼女は明るくなった。
「もうなんか楽しくなってきちゃった!」
「っ……」
ただ、彼女の無邪気な笑顔を見ただけだ。けど、それだけで俺は鼓動が早まるのを感じた。
確かに僕は酔っていたけれど、彼女がすぐそばにいるんだ。暮野さんを間に挟んでいるけれど、すぐそばにいるんだ。けど、そうだというのに、僕は。
「ひかぴーは……可愛いなぁ」
「はいは……って、え!?」
顔が火照るのをアルコールのせいにして、楽しそうに笑ってみせる。カシャリという音が写真を撮り終えたことを伝えてきた。
「ああ、西井さんのせいで写りが……」
「ちょっと航さんなに光口説いてるのー!?」
「ごめん美羽ちゃんー!!」
だめだ、ふざけて誤魔化しては見たが内心結構動揺している。これは凄く良くない。どうにか体を動かし、暮野さん……いや、もうひかぴーでいいだろう。彼女から離れる。
「航さん……これはお触りですよ?」
「え?」
一息ついて水でも飲もうとした時に、僕の足を掴む男、八島。いつの間にか目を覚ましていたらしい。虚ろな目で日本酒の徳利を差し出してくる。
「先輩!航さんひかぴーにお触りしてました!!」
「八島、お前っ!?」
「なんだとぉ〜にっし〜なんてことを〜!!」
荒川さんを初めとする三年生たちが反応してこちらに寄ってくる。まずい、この集団はすごくまずい。
「俺も見た!こいつ大胆にも彼女のすぐそばで別の女にお触りを働いていました!!」
「いっくん、裏切るのか!?」
「いい思いしたんだ、クイっといけ」
僕はあっという間に包囲され、徳利を手に持たされる。そして始まる大合唱。
「おさわり〜おさわり〜おさわり〜お〜さ〜わ〜り〜、おさわり!!」
「ぐああああっっっっ!!」
この空気で断れるはずもない。徳利を口元で逆さにし、一気に流し込む。良い子の皆さんは絶対に真似しちゃだめだぞ。本当に命に関わるからな。やった僕が言っても説得力ないかもしれないけど。
こうしてなんとか一合空け、徳利をどんどんとテーブルに叩きつける。FOOOOなんていう賞賛の喝采を浴びても全く嬉しくない。僕が飲んだのを見て満足した様子の一同はまたさっきまでいた場所に戻って行く。
「あの、にっしーさん?大丈夫ですか?」
「う、うぇ……」
「あ〜もう航さんったらぁ〜。八島、一緒に航さんトイレ連れてくよ」
「え?俺も?」
「ここで吐いたら処理してくれるって言うならいいけど」
「わかったよ、怖いなぁ」
美羽ちゃんと八島に手を引かれ、立たされる。非常に気持ち悪いし、焦点が定まらない。
僕はそのままトイレに運び込まれ、ひとしきり腹の中にあったものを放出した。それから少し楽になったもののさすがにアルコールは控え、飲み会の行く末を端っこでうとうとしながら眺めることとなった。
***
「あ〜、楽しかったぁ〜!」
「もう本当に馬鹿なんだから……」
「歌っていい〜?」
「だめだって。ねぇここあたしの家近いんだからね?近所に迷惑かけたらあたしが責められるんだよ?」
夜の冷気が酔いを適度に覚まし、なんだか少しいい気分での散歩。
「ってか航さんとひかぴーはいいけどどうして八島もうち来ようとしてるわけ?」
「しょうがないじゃん終電終わっちゃったし金もないんだから。それになんだかんだ泊めてくれるんでしょ?」
「……警察に補導でもされたらサークルが危ういんだもん。しょうがなくよ、しょうがなく」
「ありがとみうみう!」
「そのあだ名広めたら追い出すからね?」
美羽ちゃんが八島の肩を殴る。いってぇ!なんて大げさに言ってはいるが、八島はガタイがいいし、そもそも本気で殴ってもいないだろう。八島が言っていた通り店に居座り続けた結果一部の賢い部員を除いて皆終電を逃し、各々ネットカフェに泊まるなり大学周辺に住んでいる友人の家に泊まるなりして夜を明かすこととなったのだ。だが悪酔いした状態で女の子の一人暮らしの家に何人も押しかけるのは良くない。よって少し散歩して酔いを覚ますことにしたのだ。ひかぴーまで巻き込んでしまったのは先輩として申し訳ないことこの上ない。だが当の本人は笑顔で楽しそうに歩いている。この子も多少酔っているようだ。
「あ〜、歌いたい〜!」
「ひかぴーまで航さんみたいなこと言わないでよ」
「カラオケ行きたい〜」
「航さんだってそんなにお金ないでしょ?我慢して。って、今なんて?」
「確かに今だと2000円はしますね〜」
意外と高い。というか、よく知ってるなひかぴー。こうなったらお金を借りるしかない。
「美羽ちゃん〜〜」
「はぁ、聞いてないし」
「枯れる声も〜連れて行って欲しい〜♪」
「空へ〜♪」
「何歌い出してるの二人とも!もう!」
僕とひかぴーは肩を組んで二人して楽しく歌い出す。少しだけみんなより冷静な美羽ちゃんは口では怒っているが、なんだかんだ笑顔でその光景を見つめている。
「ってか航さん、歌めっちゃ上手いですね!ひかぴーが上手いのは美羽から聞いてたけど」
「そりゃあ西井さんは上手だよぉ〜当たり前!」
「そうかな?へへへ〜」
僕はみんなに褒められ、少しだけ調子に乗ってしまった。だから、不意に浮かんだメロディーを歌い始めても、仕方ないんだ。
「流星〜その瞬き写し〜♪」
「航さん、それ……」
美羽ちゃんが驚いたような顔をしていたのが横目に見えた。でも、なんだか今はこの曲を歌いたい気分だったのだ。
「浮かぶ船、夢渡し、語りかける〜♪」
すると、すぐ側から歌の続きが聞こえる。ひかぴーが歌っているのだ。
「これ、有名なの?俺知らないんだけど?」
「有名なのかな?ちょっと前に少しインディーズで流行ったバンドの『流星』っていう曲なんだけど、まさか光が知ってただなんて思わなかった」
「へぇ、なんてバンド?」
「それはえっと、フィー……って、ちょ!」
美羽ちゃんの叫ぶような声が聞こえる。目の前から車が来ていたのだ。僕が足を止めるが、離れていく肩。歌うのに夢中になっていたひかぴーは気づいていなかったのだ。
「おい、ひかぴー!」
肩を掴み、自分の方に引く。
「ひゃ、あ……」
僕が引き寄せ、半ば抱きかかえるような形になった彼女がとても柔らかかったことや、思ったより華奢で折れてしまいそうだ、なんてことにももちろん意識は向くのだけれど。
それ以上に、頬を流れていた流れ星のような涙が、僕の視線を釘付けにさせる。さっきまで真横にいたから顔なんてちゃんと見ていなかった。そもそも顔が髪で隠れていたから、彼女の方を向いても良く見えなかったんだろうけど。
でもどうしてだろう。軽くクラクションを鳴らして目の前を通り過ぎていった車が怖かったのか?それとも実は泣上戸だったのか?僕が抱き寄せたのが嫌だったのか?色々な考えが脳裏を過ぎっては、流れ星のように消えていく。そのうちに考えるのをやめた。
だって彼女は、綺麗すぎたから。その瞳は星空で、宇宙で……つまり結局のところ、俺なんかにその涙の理由わかるはずないって、わかってしまったから。
「大丈夫?航さん気をつけてよね?」
「ごめん。ありがとう美羽ちゃん」
「ひかぴーは大丈夫か?」
「うん、大丈夫。さんきゅ八島」
さっき見た涙はすでに消えていて、何事もなかったかのようにただ笑うひかぴー。気にはなるけど、多分聞いても彼女は誤魔化すだろう。なら、なかったことにしておこう。
「そろそろ家行っていい?寒いんだけど……」
「あー、まぁもういっか。じゃあ行こう」
美羽ちゃんの許しを得て、僕らはようやく泊まり場に移動する。時刻は深夜の二時を回り、さすがに眠かったのもあって、そこからまた賑やかに話すということはもうなかった。
閑静な住宅街に四人の足音がこつりこつりと響く。いつもならちらちらと曖昧に点滅する電灯は鬱陶しいのに、不思議と今日は気にならなかった。




