12, 大好き
あれから俺がカラオケに戻ると部屋はすでに撤去されており、慌てて俺が部屋代を支払おうとすると、店員から全額美羽ちゃんが払って行ったと告げられた。一人で忙しそうに働く店員さんに申し訳なく思いながら聞くと、光は一年前からずっとこのカラオケ店でアルバイトをしており、真面目に働くいい子だったらしい。内容は流石に言わなかったが自分のせいなのであまり責めないでやってくれ、なんていうことを言うしかなかった。そして、その際に渡されたのが、一つのスマートフォン。美羽ちゃんのものだった。パスワードがかかっており中を見ることはもちろんできないが、ロック解除画面に俺とのツーショットが写されており、俺はもう一度泣いた。
そして一睡もせずに1日明けて朝、少しだけ積もった雪が溶けてから俺は大学前……第二の家とも呼べた、美羽ちゃんの独り住まいにやってきた。携帯がなくて困っているだろうし、あの状態でけじめがついたとも言えないだろう。だから、もう一度会って話がしたいのだ。
覚悟は決めてきた。それでも、緊張で吐きそうになる。
美羽ちゃんの家は二14階建てマンションの5階、廊下の一番奥から二番目の部屋だ。深呼吸してから、ゆっくりと階段を上がり、廊下を歩く。そして、インターホンを押そうとした時、いきなり扉が開いた。
「す、すみません……って、あ」
「……八島……?」
驚いたような顔をする八島。一方俺は完全に混乱しきっていた。
どうして八島がここにいる?美羽ちゃんの家に朝から?いや俺はもう彼氏じゃないんだからとやかく言う権利はなくて、でも昨日ってまだ当日じゃ……
「航さん……?」
口を開きかけては閉じる行為を繰り返していると、部屋の奥から美羽ちゃんが出てきた。
「ごめん、なんか、俺……」
とにかくこの場は一時撤退だ。足を後ろに出す。
「待ってくださいよ」
だが八島の太い声で、その撤退は塞がれる。
「これ見て、もう何も思わないんですか?もう光にぞっこんだから、美羽がどこで誰と何してようが関係ないって、そう思っているんですか?」
「ちょっと八島!?」
美羽ちゃんは八島の予想外の発言に困惑している様子だ。もちろん俺だって困惑している。
「そんなことない。正直に言えばすごく気になるさ」
「……でも、航さんにそのことを聞く権利も、怒る権利もないですよね?」
その通りだ。だから俺は、黙るしかない。そんな俺を見て、八島は舌打ちをする。
「くそ、そんなに本気なのかよ……」
「え?」
「前、俺が光のこと好きだって言いましたよね?それに対しても何も思わないんですか?」
「……思わないわけない。けど、もうどうしようもないんだ」
「そうですか……」
八島は空を見上げ、大きくため息をついた。
「美羽の家には、ここ最近毎日のように来てましたよ。航さんが来る日以外は、ね」
「え……」
「でも、勘違いしないでください。美羽は浮気なんてしません。それは俺にドラムのレッスンをつけてくれるため。前にインディーズで活躍していた時のノウハウを叩き込んでもらうためでした」
「なっ……」
「隠してたのは、航さんに無駄な心配をかけないため。それに最初は美羽も断っていたんです。けど、航さんの夢のためには俺のスキルアップが必要だからって、俺の練習に付き合ってくれていたんです。実家暮らしの俺じゃ厳しいから、一人暮らしで防音もしっかりしてるここで、電子ドラムを叩かせてくれたんです」
「っ……」
そのあまりにもの健気さに、俺はまた泣きそうになる。彼女の愛に気付くたびに、後悔の念に襲われる。
「この際だから、全部言います。多分二度と機会はないと思うから」
八島は目を伏せ、それから俺をまっすぐに見据えた。
「俺が光が好きって言ったのは、嘘です。俺が本当に好きなのは……美羽なんですよ」
「なっ!?」
「ええっ!?」
俺が驚くのはもちろんのこと、美羽ちゃんは心底驚いたように八島を見た。
「航さんが光にどんどん惹かれて行っているのに気づいて、最初はチャンスだと思いましたよ。これで二人が別れれば美羽は俺のものになるかもしれない、なんて思ったりもした。けど、ずっと見て来たから……美羽がどうしようもなく航さんのことが好きなんだって、わかったから……だから俺は、美羽を諦めたんです。それでもせめてこんな風に泣かないで済むようにしたかった。だから航さんを牽制しようと、あんなことを言いました」
八島は美羽ちゃんを見て、自虐的に笑いかけた。
「ごめん八島……私、全然わかんなくて……でも、私……」
「いいよ、言わなくて。別にいいんだ。お前と俺じゃ釣り合わないしな。はは……こうなること知ってたから、言いたくなかったんだ」
彼は荷物を持ち上げ、俺にまっすぐ向かい合った。
「航さん、俺はここまでです。グリーナーズを脱退します」
「っ……」
「全部ぶっ壊す役割は、俺が持ちました。だから、ここまでにしましょう。全部全部、ここまでに」
それは八島がここでバンドをやめるという意味だけではない。俺たちの夢を……The Gleanersを、終わらせようという意味も持っている。
「美羽はどうするんだ?別れた元恋人のいるバンドに残って、3人で仲良くやっていけるって言うのか?お前の目の前で航さんと光が仲良くやってるのを見せつけられて、お前は耐えられるのか?」
「そんなの……っ」
あまりにも残酷で、辛いことだろう。俺にはできそうもない。けれどそれは八島が俺と美羽ちゃんを見てずっと感じて来たことなんだ。だからこそ、この質問は重みが違う。
「俺に言えるのはここまでです。今までありがとうございました。短かったけど、楽しかったです」
軽く頭を下げて、八島は去って行った。無愛想だけど、あいつが今この話をしてくれた意味はわかる。ここでけじめをつけるきっかけを、あいつはくれたんだ。
「……美羽ちゃん」
「これ……」
俺は昨日美羽ちゃんがカラオケボックスに忘れて行った携帯を差し出す。そして開いた画面に映る楽しそうな二人を見て、昨夜の俺と同じように、彼女も泣いた。
「っ……私たち、どこで間違えちゃったのかな……」
「…………」
「どうすれば、一緒にいられたのかな?もっと束縛すればよかった?もっと突き放してみればよかった?……光を、連れてこなければよかった?」
「……違うよ」
「そうだよね。だって私、もう一度バンドやれて楽しかったもん。航さんが歌ってくれて、泣けるくらい嬉しかったもん。みんな、光が航さんを変えたから……私が3年かけても変えられなかった航さんを変えてくれたから……そのことに、間違いなんてなかった」
「美羽だって俺のこと支えてくれた……美羽がずっと一緒にいてくれたから、今の俺があるんだ……っ」
ああ、くそ、ダメだ。絶対泣かないって、決めたのに。
「そうかな?三年前、みんながいなくなっちゃったのはね、航さんの才能に自分があまりにも足りてないって思っちゃったから。航さんに見捨てられたら生きていけない未来が怖かったから。私はあなたの彼女だったから、それが怖くなかっただけ。ただ、ズルかっただけなんだよ……」
「そんなことない……俺がどれだけ感謝してるか……」
「……泣いてるの?昨日も……泣いてたね」
「ごめん……ごめん、俺……っ」
「ありがとう。それだけで私、十分報われた。あなたのことが大好きだったこと。今も大好きなこと、きっと後悔しない」
「ぁ……っ……ぁぁぁっ……」
「バンドは……ごめん。流石にちょっと辛いかな」
「ぃぅっ……ぅぁ…………」
「もう、航さんが振ったんでしょ?泣かないでよ」
「ごめ……ぃぅっ……」
「でも、そうだな。もし申し訳なさを感じてくれるんだったら…………歌を、やめないでほしいな」
――――私、あなたの声、大好きだから。
最後に見た彼女の顔は、泣き顔じゃなかった。
俺を励ましてくれる、4年間ずっと見続けた、いつも通りの笑顔だった。