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11, 二人

「…………光、来ないね」

「そうだね」

「練習、始めようか」

「……うん」

 ライブハウスでのライブから、三日が経った。

 翌日は休みにしたので、今日で二日間、光は学校での練習を無断欠席していることになる。

「そんなにこの前の失敗が堪えたのかな……やっぱり私が……」

「美羽ちゃんのせいじゃ、ないよ……」

「でも……」

「やめようぜ。もう、今日は」

「八島?どこ行くの?」

「帰って自主練する。こんな状態で練習したって意味ないだろ」

 八島はそう言うと俺の前に立った。その顔は電球による逆光でよく見えない。

「航さん、この前俺が言ったことでそうなったなら、すみません。でも、先輩がそれだと何も動かないんですよ?」

「っ……」

「失礼します」

「あ、ちょっと!もう……」

 もう、悔しさも湧いて来なかった。美羽ちゃんに顔を合わせられなくて、光と顔を合わせたくなくて、それでもこの場所に来ないわけにはいかなくて。でも、来たところで俺は完全に腑抜け切って使い物にならない。完全に八島の言う通りだ。

「今日は帰ろう。俺もなんか……疲れた」

 疲れた?何にもしていないのに?いい加減にしろこの腑抜け野郎。俺はいつまで嘘をつき続ける。いつまで引き延ばす。

「あ、ねぇ、それならさ、デートしようよ」

「デート?」

「そう、カラオケとかどうかな?」

「カラオケ……」

「デートの定番なのに私たちほぼ行ったことがなかったでしょ?せっかく時間あるなら行きたいなぁって」

 俺たちがデートでその場所に行ったのは、少なくとも3年前だ。俺が歌うことを辞めたから、彼女なりに気を遣ってくれていたのだろう。一度もその場所を提案されたことはない。

「今はそう言う気分じゃ……」

「私、バンドの練習リーダー、頑張ったんだけどなぁ〜」

「う……」

「他にも色々手続きとか面倒ごともやったんだけどなぁ〜」

「わかった。わかったよ」

「やった!」

 今まで迷惑かけ続けて来た分、俺たちのパワーバランスは完全に傾き切ってしまったらしい。それにしても、美羽ちゃんのこんなに嬉しそうな笑顔を見るのはいつ以来だろう。それと同時に、心を締め上がるのを感じた。




「ああー、こんなに寒くなるなんて聞いてないよ!でもここはあったかいねぇ」

「今日は雪になるかもって天気予報で言ってたよ?」

「ええー!それじゃあもっと厚着すれば良かったなぁ……」

 コートを脱いでハンガーにかける。大学前駅にある比較的安いカラオケボックスに入ると、外の寒さとのギャップもあってか相当に暖い。部屋が二人用で狭いし、密着しているためさらに暖かい。

「何歌おっか?航さんの歌楽しみだなぁ」

「俺はいいよ……美羽ちゃん歌って?」

「えーつまんない!私航さんの歌大好きなのに」

 そう言いながらリモコンを操作して曲を入れている。一曲目はドリカム。美羽ちゃんのお気に入りの歌手だ。

「何度でも〜何度でも〜!」

 美羽ちゃんはベーシストだが、歌が下手なわけではない。FEETEC時代、曲によってはコーラスをしていたこともある。そこらへんの一般女子大生よりは歌い方や発声を知っている分かなり上手だ。

 歌いながらチラチラと俺を見て、曲を入れるように急かしてくる。俺は……ミスチルでも歌うか。彼らは俺がバンドをやろうと思った大きな要因の一つだし、昔はコピーバンドとかして文化祭で歌ったこともある。

「航さん、やっぱりうまいなぁ……」

 美羽ちゃんは嬉しそうに俺の歌っている姿を眺める。なんとも気恥ずかしいものだ。ライブとかではもっと多くの人に見られるんだけど、カラオケには独特の緊張感がある。

「すごいすごい!」

「そうかな?はは……」

 歌い終えると、美羽ちゃんは拍手してくれた。思えば彼女が俺をボーカルに推してくれたんだっけな。

「じゃあ、私次これ入れよ!」

 そうだ、そのきっかけになったのも、確か軽音楽部で行った新入生歓迎カラオケ会だった。

 その頃の俺は歌うのが恥ずかしくて、端っこでドリンクバーのコーラを飲みながら友達が思い思い歌っている姿を見ていた。

『西井先輩、歌ってよ!』『西井先輩が歌ってるところ見たいなぁ!ね、いいでしょ?』『一曲でいいから!ね!』『ほら、みんなも聴きたいって!』

 俺をまだ西井先輩って呼んでいた頃の新入部員Aは、そう言って俺を無理矢理に歌わせた。

「はい、次航さんだよ?」

「え?ああ、入れてなかった。んー、これかな」

「あー、それ私の大好きなやつ!」

 入れた曲は、あの時美羽ちゃんに勝手に入れられた曲と同じ。ドリカムの代表曲だ。

「きっと何年経っても……」

 緊張で外しまくっていたと思う。決してうまくなかったと思う。実際にみんな苦笑いだった。でも……美羽ちゃんだけは、こう言ってくれたんだ。

「すごい!かっこいい!私、この声大好き!!」

「っ!!」

 二人の未来を描く歌を歌い上げた俺に、美羽ちゃんはあの日と同じことを、同じように言った。

「ねぇねぇ……もっと……っ、歌って……」

 そこまで言って、彼女は目を背けるとメニュー表を見た。一瞬だったが、その瞳からは確かに涙が流れていた。彼女も思い出しているのだ。きっと、俺と同じように、あの日のことを。

「私メニュー見るから、なんか入れてよ」

「うん……」

 リモコンを操作し、ランキング画面を開く。悩んでいるふりをして、美羽ちゃんを見た。

 ああ、やっぱり俺は、彼女が好きだ。

 あれから俺をボーカリストに据えたバンドの結成メンバーになってくれた。どちらからともなく惹かれあって、クリスマスにデートに誘って、お互いが好きだって伝え合って、恋人になってくれた。その時はしばらく隠そうと思ったのに、すぐにみんなにバレていじられた時、みんなの前でキスしてきた。オリジナル曲を作ってみようって最初に提案してくれたのも彼女だった。そうやって挑戦の幅を広げているうちに一部で人気者になって、ライブハウスでワンマンを開けるくらいになった。レコード会社の目に留まってメジャーデビューの話を持ちかけられた時、メンバーがみんな離れてしまっても、彼女だけは側にいてくれた。最後まで諦めるなって、夢を叶えろって言ってくれた。結局夢を捨てて腐ってた俺でさえも見捨てないで、立ち直らせてくれた。なのに勝手にももう一度夢を目指すと言ったら、バンドに加わってくれた上に練習を牽引してくれた。

 感謝しても仕切れない。彼女は俺に、幾つものモノをくれたんだろう。どれだけ俺を、愛してくれたんだろう。

「ねぇ、航さん」

 いつの間にかメニュー表から目を離した美羽ちゃんが、そっと俺に寄り添った。

「私たち、あれからずっと一緒で……」

 こんな彼女を裏切るなんて、俺にはやっぱりできない。

「これからもずっと、一緒だよね……?」

 当たり前だ。答えなんか、ずっと前から決まっていたのだ。

 彼女の方を向こうとした時、リモコンが落ちてしまった。

「ごめん、拾うよ」

 なんとも締まらない。俺は地面に落ちたリモコンを拾って……

「っ……ぁ…………」

 画面の一番上にあった、エリア・ウィンドのデビュー曲、『夢』を、見てしまった。

「……ぁ、れ……?」

 ポツリ、ポツリとリモコンのディスプレイに水滴が落ちる。屋内なのに雨なんて有り得ない。ならグラスについた汗が落ちたのか?顔を上げる。

「〜〜〜〜〜っ!!」

 でも、俺の真上にはグラスなんてない。俺の顔を見て、悲壮な顔をした美羽ちゃんだけが、そこにあった。

 ああ、また泣いてるんだ、俺。

 どうして?そんなの、痛いくらいわかってる。

「美羽ちゃん……」

「私、食べ物注文するね!」

 俺が口を開いた瞬間、美羽ちゃんは立ち上がり、備え付けの電話機を手に取る。

「美羽!!!!」

「っ……」

 が、その手は俺の叫び声にも似た声で止められた。背中を向けてしまっているから、その表情は見えない。けど彼女は……きっと、もうわかっている。

「言わなきゃいけないことが、あるんだ……」

「聞きたくない」

「もう、裏切れないんだ!」

「裏切れないってなによ!!」

 涙にぐしゃぐしゃになった顔を振り向かせた、俺の大切な彼女に、初恋の女性に。

「終わりにしよう、俺たち」

 俺は、別れを告げた。

「やだ……!」

「っ……」

「嫌だよ!!」

 美羽ちゃんは俺に掴みかかり、ソファに押し倒した。

「知ってた……私、知ってたんだよ?航さんが光に惹かれてること、わかってたんだよ?二人にライブ行った時、帰り際に抱き合ってたってことも真由美から聞いた!でも最後は私だって……こんなに一緒だったんだから、こんなに好きなんだから……だから、だからぁっ……」

 俺の胸をドンドンと叩きながら号哭する彼女。こんな姿を、俺は一度だって見たことがない。

 好きだ。今だって自信を持って言える。こんなに自分のことを好きだって言ってくれて、本気で泣いてくれる人なんて、二人としていないだろう。

 それでも、俺の一番は、もう彼女じゃない。

「ごめん……っ」

 二人で過ごした思い出が、俺の犯した罪が、涙となって頬を伝う。

「ごめん、美羽ちゃん。俺は……っ!」

「言わないでよ!!」

「光が…………っ!?」

 彼女を最も傷つける言葉を言おうとした口は、彼女の唇によって塞がれてしまった。

 あまりに濡れたキス。今日この一時間足らずで、どれだけ彼女と初めての経験をしただろう。こんな面があるなんて知らなかった。こんな態度も取るだなんて知らなかった。こんなに俺を愛してくれてたなんて知らなかった。上辺だけじゃない。もっともっと彼女と時間を重ねて、彼女に触れていれば、こうはならなかったんだろうか。

 時間が止まるようなキス。後悔に満たされる、涙のキス。もう二度と、触れることのない、バイバイのキス。

 すると、人影が近づき、俺たちの部屋の扉を開ける。

「失礼いたします。お客様、受話器が取り外されたままになっておりますが何か……っ!?」

「っ!?」

 ありえない。だがもしこんな偶然が許されるのなら、これは罰。彼女を裏切った俺に対する、神が与えた罰だ。

「航さん……と、美羽?」

 美羽ちゃんの向こう、部屋の扉から店員が――――光が、入ってきた。

「ご、ごめんなさいっ!!」

「光っ!!」

「行かないで!!」

 美羽ちゃんを押しのけ、光を追いかけようとする俺を呼び止める声。

「っ……!!」

 だが、それを無視して俺は駆け出した。

 それはどうしてこんなところにいるのか聞きたいわけでも、今のキスの弁明をしたいからでも、先日の電話について謝りたいからでもない。

 ただ、会いたかった。声を聞きたかった。できれば笑顔が見たかった。たった3日会えなかっただけど、この心は、もう抑えきれないくらい彼女を求めている。

「光っ!!」

 カラオケのあったビルを出る。

「雪……?」

 駅前の道はどこもイルミネーションでキラキラと輝き、そこに降り出した雪が相まって、都会の中でありながら幻想的であった。

 その道の中央で、薄いバイト着のまま白い息を吐く小柄な女の子の肩を、俺は掴んだ。

「放してっ!」

「嫌だ。放さない」

「早く美羽のとこ戻ってよ!二人でキスでもエッチでもなんでもしてればいいでしょ!!」

 その目は明らかに敵意を持って俺を睨みつける。服から覗く白い肌は気温のせいもあって真っ赤だ。

「もう、戻れるわけないだろ」

「なんでよ!」

「さっきのが、最後のキスだったんだ」

「はぁ!?何言って……」

「別れようって、言った。もう、戻れない」

「……え?」

 俺から反れようと抵抗し、暴れていた光がだんだんと落ち着いていく。

「もう俺たちは、恋人じゃない」

「嘘……っ!?」

「嘘に、見えるか……?」

 彼女の疑念は、冷静になって俺の顔を見た時点できっと晴れた。俺の目元は涙の跡で赤くなって、ひどい状態だろうから。

「どう……して……」

「俺はお前が……」

「そんなの私は頼んでない!」

 けれど、彼女に俺が求めた反応はなかった。掴んでいた手を振り払い、俺を突き飛ばす。

「戻って!今すぐ戻って美羽に謝って!それでもう一回付き合って!!」

「そんなこと、できるわけないだろ」

「だって、だってそれじゃあ私が……」

「お前のせいじゃない……なんて言って、どうにかなることじゃないんだよな」

 拒絶された。それでも、俺は足を踏み出す。

「でも、ごめん。俺、お前が好きなんだ」

「……来ないで……」

「お前以外はもう、考えられないんだ」

「いや……あっ……」

 距離はゼロ。俺の腕の中に、光が収まった。体温を感じるどころかその肌は雪のように冷たくて、こちらが凍えそうだった。

「好きだ、光……」

「航、さん……っ!」

 光は俺の胸に顔を埋めて、静かに肩を震わせている。この先どうなっても、絶対に光と一緒にいる。夢よりも大事なものがあるのなら、それは彼女だ。

「っ!!!!」

「…………………っ」

 そう思った瞬間、俺は再び突き飛ばされ、平手打ちをされた。

 その大きな音に周囲の人々が一斉に振り返り、痴話喧嘩か、と呆れた顔をして通り過ぎて行った。

「ひか、り……」

「最低……だよ……っ!」

 受け入れられたと思い舞い上がった俺の心は、急転直下に沈んでいく。

「航さんは……最低だよ!!!!」

 ボロボロと、公道の真ん中で涙を流し、俺を罵倒する彼女によって。

 そのまま夜の街に消えていく彼女を、もう追いかけることはできなかった。ただそこに棒立ちのまま、イルミネーションに彩られる雪を見つめることしか、もう、できなかった。




「……誰?」

「俺だよ、八島だ。……お前、大丈夫か?電話出ないし、ちょっと心配してきちゃったぞ」

「ああ、携帯……?あれ、ないや。置いてきちゃったのかも。後で連絡してみるよ……」

「おい美羽、本当に大丈夫か?ちょっと開けろよ」

「……笑わないでよ」

「笑うって何を……って、うわ」

「引いていいとも言ってないんだけど」

「出てきた瞬間ボロ泣きで化粧くずれた女が出てきたらそりゃあびっくりするだろ……」

「なによ、文句ある?」

「やっぱ、そうなっちゃったか」

「なに?分かった風なこと言わないでくれる?」

「わかるよ。一応ここ最近のみんな見てたんだから」

「……帰って」

「酒でも買ってくるか?」

「……未成年のくせに、八島のくせに、一人暮らしの女の家に夜押しかけて飲もうだなんて大胆になったもんね」

「ここ最近毎日夜押しかけてはいただろ?」

「朝まで帰さないよ?ずっと話聞いてもらうんだから」

「はぁ、こわいこわい。でもいいよ。今日くらいはな」

「その微妙に優しいの、すっごい腹立つ」


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