10, 今までしてきた恋が、全て嘘に思えるくらいの恋
「私は航さんのお荷物、か。プロの人にまで言われたら、何も言い返せないよ。あの2人が言った通りじゃない」
「……私だって、空っぽだ。本物なんかじゃない、偽物だ」
「……電話?誰だろう」
「…………っ!?」
『こ、航さん!?』
「よう……お前、急に帰っちゃうから心配したんだぞ」
『ごめん……なさい……っ!』
「え?あ、えっとその、泣いてたりする?ごめん、そう言うんじゃないんだ。ライブの後はちょっと熱くなったところもあったけどその、とにかく違うから!」
『な、泣いてないです!』
そう言うものの、鼻をすする音が聞こえる。きっと俺が電話をかけた時も、きっと泣いていたのだろう。その理由を、なんとなく俺は察している。
「なぁ、なにか隠してること、あるだろ?お願いだから全部話してくれないか?」
『別に、何も隠してなんかない……』
「嘘つくな。今日様子が変だったことくらい俺だってわかった。初めは緊張だと思ってたけど……昨日、何かあったんだろ?」
『もしかして、八島から何か聞いたんですか?』
「ああ、ちょっとな。でも八島を責めないでやってほしい」
『ころす……』
「ちょ、そういうこと言うな。聞いたって言っても何か揉めていたらしいってことだけで内容まではわかってないから」
『……そう』
「だから、話してほしいんだ。光にどんなことがあったのか。どういう気持ちなのか」
光は深く息を吸って、それから深くため息をついた。そして、覚悟を決めたように彼女はゆっくりと、けれどはっきりとした口調で、その答えを口にした。
『私、求められてないんです』
「……は?」
『私は不必要だった。どんな時だって邪魔な存在なんです。昨日私、あの2人に呼び出されて、そう言われたんです』
「何を言ってるんだ!お前がいなかったら俺は……」
『航さんにとってはそうかもしれないけど、他の人から見たらそんなの関係ないんですよ。私は航さんにくっついて甘い汁だけ啜ろうとしてるずるい奴。そう見えてしまうんです。だってしょうがないですよ。私には、何もないから』
「何もないわけない。だってお前には歌が……」
『あんなもの、全部偽物だよ。私は私を救ってくれたバンドの歌を真似して歌ってただけ。それに騙される人が多すぎたんです。航さんもその1人だった。それだけです』
「何を……」
声が揺れている。きっと彼女は自分の言葉で今も傷つき続けて、泣いているのだろう。でもきっと、俺がどんなに上っ面だけの励ましたところでその涙は止まらない。
『私、昔っからそうだったんだ。必要とされてない子だった。いつも無意識に人が傷つくことをして来た。親からも体が弱くて要領も悪い私は邪魔者扱いだったし、根暗な私には友達もいなかった。嫌なことを聞きたくなくて、見たくなくて、逃げて逃げて逃げて逃げた先にあったのが、音楽だった。明るく楽しそうに話したり遊んだりしている人たちより、自分は下なんだって言う劣等感から逃げるために、ひたすらギターを弾いた。何かに打ち込んでいる時だけは劣等感を忘れられたから。でもそうしているうちに、劣等感から逃げていることに何より劣等感を感じるようになった。私も何も考えないで、ただ楽しいとか嬉しいとか感じたい。そんなところへ私も行きたい。校舎の窓から笑う人を見て何度泣いたかわからない。ねぇ、笑っちゃいません?大学で騒いで明るく見せてた女が、こんなに重くてめんどくさい女だったなんて』
「そんなこと、ないよ」
『……うん。知ってる。だって、FEETECの音楽は、そんな私を許してくれて、叱ってくれて、励ましてくれる音楽だったから。だから、どうしようもなく好きになった』
誰にだって嫌なことはある。音楽を好む人は、大小の違いはあれど、逃げ場を欲している人が多い。俺だってそうだ。何もせずに生きている自分がひどく小さく見えて、自分にはこれがあるから大丈夫だと言えるたった一つが欲しくて、死に物狂いで練習した。
『私にも同じことができるんじゃないかと思った。私みたいな人間でも、誰かに認められて、誰かを認めてあげられる、そんな人間になれるんじゃないかって。そして高校生最後の文化祭で私は一人、舞台の上に上がって歌った。そしたら、みんな拍手してくれた。私を哀れんだんじゃなくて、感動してくれたのがわかった。自分にだってできるんじゃないかって、自信がついた。
でも、そこからは何もなかった。ライブハウスに出たりしてみたけどパッとしないまま。自分にはやっぱり才能がないんじゃないか。そう思っていた頃に……憧れのKOHさんが、私の前に現れたんです』
そんなに前のことじゃない。でも、ひどく懐かしく思える。あの頃の彼女がそんなことを思っていたなんて考えもしなかったけれど。
『私、CDを買ってくれた時、本当に嬉しかったんですよ?それで大学も同じで、サークルも一緒になれて。まぁ、あんなに憧れたKOHさんは意外と抜けてたりお茶目だったり馬鹿な冗談を言ったり……色々ぶち壊しでしたけどね』
「それは余計じゃないか?」
『でも、私にとってはやっぱり夢のような時間だった。ううん、全部奇跡だった。一緒に歌えたこと、同じ夢を見ていることがどうしようもなく嬉しかった。それで……』
ああ、ようやく気づいた。彼女はきっと、自分が嫌いなんだ。自信がないんだ。今まで自由に音楽を奏でているように見えていたのは、彼女の必死さが見せていた幻覚。彼女は天才でもなんでもない。ただの女の子なんだ。ただ音楽に魅了されてしまった、ただの女の子なんだ。
「お前は、俺と一緒だよ」
俺だってただの歳だけ取った音楽好きなガキのままだ。だから、これから一緒に成長していける。同じ夢を目指していける。
『……違うよ』
「え……」
そう、伝えようと思ったんだ。
『航さんは、天才なんだよ!私みたいに自分のことを天才だと思い込んでいる勘違い女とは違う、本物なんだよ!』
けれど、叫ぶように放たれたその言葉に、それらは簡単に打ち捨てられた。
「買いかぶりすぎだ……」
『買いかぶってなんかいない!私、聞いてた!!石田さんに一人でデビューしたほうがいいって言われてるの、私聞いてたんです!!』
「なっ……」
聞かれていたなんて。控え室から離れたところで話して……そうか、彼女はすぐにトイレに駆け込んで、出た時に偶然見つけられてしまったのか。
『私はやっぱりお荷物なんですよ……航さんと私は全然違う。音楽の才能がないだけじゃない。私は心も……全部全部、汚れきった偽物』
「違う!そんなことない!だって俺は……」
聞いていられない。俺がこんなにも焦がれるように魅了されたものを、否定されたくない。
『私、音楽辞めます』
「っ……お前、それは……」
『本気です。もう、決めました』
なんだよそれ。彼女を励まそうとして電話したのに、これじゃ完全に返り討ちだ。
「まだ、始まったばっかじゃないか……どうしてそんな簡単に辞めれるんだよっ!!」
『私がいると、邪魔なんですよ』
「邪魔ってなんだよ!!」
俺は電話口で何を熱くなっている。こんなんで説得なんてできるはずがない。だから今日電話するのはやめようって思ったんだ。
「俺には、お前が必要なんだ……お前と一緒に歌いたいんだよ!」
『だから……私は邪魔なんです。私がいなければ、全部うまくいくんです!』
「お前がいたから、お前と歌うのが楽しかったから、俺はもう一度……もう一度歌いたいって、夢を見たいって思ったんじゃないかよぉ……っ!!」
『……航さん、泣いてるの?』
「泣いてねぇよ……!」
ああ、くそ、最悪だ。なんで俺が泣かなきゃいけないんだ。止めようと思っても、寂しいとか悲しいとか嫌だとか、ガキっぽい感情しか出てこなくてどうしようもない。三年前はこんな風に思わなかった。ただただ虚無感だけしか残らなかった。それに、それでいいと思った。去る者を追うことは、双方を大きく傷つける行為だ。
「辞めるなんて、言うな……っ。お前の歌は、俺が聴いてるから……だから、離れるなよ……っ!」
『っ……彼女持ちのくせに、なんてこと言ってるんですか……言い付けますよ?』
だから俺は、今の俺が大嫌いだ。
「それでも……それでも俺は、お前と歌うのが楽しくてお前と話してる時間が楽しくて、もっとずっと一緒に過ごして、同じ時間を共有していつか……」
いつか?俺が見てる先は、どこなんだ?夢の終着点か?それとも。
「痛い。痛すぎるよ……本当に、一回寝て、落ち着いてくださいよ……っ」
嘲笑うように放つその声は、やっぱり震えていて。そんな小さなことにも俺は嬉しいって思っていたりして。
この感情を、俺は知らない。似たものは知っているけれど、全くの別物のように、今は思う。
『もう切……』
同じ言葉を、俺は何度も別の人に言ってきた。だから、この言葉を、言ってはいけない。言ってはならないんだ。
「――――好きだ」
それなのに、言ってしまう俺は、本当に愚かだ。けど、好きという言葉がを口に出した瞬間、心に掛かった靄が晴れたような気がした。
そう、俺は恋をしてる。
今までしてきた恋が、全て嘘に思えるくらいの恋を。
『〜〜〜〜〜〜っ!!!!!』
電話はすごい勢いで切られた。燃え上がっていた熱が、一気に氷点下まで落ちていく。
俺は、何を言ったんだ?それがどんなことか、わかっていながら止められなかった。俺には彼女がいるのに。大事な後輩の好きな人なのに。
それでも、馬鹿みたいにあいつのことばかり考えてしまう。そんな自分の不誠実さがどうしようもなく気持ち悪くて、俺は目を閉じた。寝てしまえば、考えなくて済むから。