失恋ラブレター?
私の通う県立桜ヶ丘高校は桜並木の続く坂の上にある。
入学式では真新しい制服に包まれ、春になれば満開の桜が通学中に見れるんだと目を輝かせて初々しく登校していた新入生達は1週間もすれば絶望に変わる。
あのキラキラした目は一体何処へ行ったのかというくらい無心で自転車を漕ぐ。徒歩通学の生徒も桜には見向きもせずにひたすら坂道を登るのだ。
上級生達は自分が入学した時と同じ様に桜ヶ丘高校の洗練を経て、新入生の顔が坂道で歪むのを見るのが恒例となっていた。
そして今年もこの季節がやってきた。
6月の下旬から早くもじめじめと蒸し暑い日が続き、7月に入ってより一層気温が上がった。
現時点でこの暑さ。先が思いやられる。
私にとってはこの高校に入って2年目の夏。1年生にとってはこれから真夏の地獄坂を経験することになる。
通気性と吸収性に優れた薄手の夏服に変わっても学校につく頃にはベタベタと汗が纏わりつく。本当に嫌な季節だ。
「おはよう、姫花。今年もしんどいわね、あの地獄坂。1年生が汗だくになりながら一生懸命登校してるのを見て、ついつい頑張れって声を掛けちゃったわ」
「おっおはよう明ちゃん……。私も頑張ってる1年生見掛けた。1年前の自分を思い出したよ……」
昇降口で靴を履き替える前にべっとりと額についた前髪を払って軽く汗を拭いていた私に声を掛けてきたのは西木野明ちゃんだ。
明ちゃんとは1年生の時に同じクラスになり、お互いに読書好きということで仲良くなった。有り難い事に今年も同じクラスだ。
「姫花、今日の1限目なんだっけ?」
「日本史だよ。……本当は5限が日本史だけど、先生の都合で1限の数学と交換し──」
交換したんだよと続く筈が下駄箱に入っていた封筒のせいで遮られた。
驚きというよりは、またかと私は眉を顰める。
表面を上にして置かれた封筒には【伊藤姫花様へ】と縦書きで若干文字が不揃いで偏っているが、綺麗な字が綴られていた。
差出人は裏面に書いてあるのか、表面には書かれていない。
しかし私は見覚えのある字面に嫌な予感がした。
「あら、ラブレター? 可愛気のない縦長茶封筒だけど。姫花宛?」
「……絶対違うよ。私宛じゃない。どうせいつもと同じ3組の姫花さん宛。私にラブレターなんて来たことないもん」
私と同姓同名である2年3組の伊藤姫花さんはとても美人だ。この学校で1番人気のある女子生徒である。
ハニーブラウンに染めたのであろう髪は彼女にとてもよく似合っている。小顔ですらっとした手足はまさにモデル体型。
頭も良くて、運動も出来て、美人。私と違って名前に引けを取らない才色兼備。
対する私は黒髪おさげに可愛くない銀フレームの眼鏡をかけた普通体型の平々凡々な女子生徒だ。地味な風貌にマッチするかの如く人見知りで人とコミュニケーションを取るのが苦手。絵に書いたような地味系女子。
頭は良い方だと思っているが、運動は苦手。『偽姫』やら『地味姫』と影で呼ばれていることも知っている。
同姓同名であるが故に比べられるし、3組の姫花さん宛のラブレターが間違えて私の所に入っている事も少なくはない。
好きな女の子のクラスくらい把握しといて欲しい。お陰で私は彼女宛のラブレターと知らずに生まれて初めてラブレターを貰ったと勘違いをし、ドキドキしながら校舎裏に行けば「お前じゃない」と言われて恥ずかしい思いをすることになった。
それからは軽くラブレター恐怖症だ。自身の下駄箱でラブレターを発見すれば3組の姫花さんに渡している。私は伝令係かと言いたい。……度胸がないので言えないが。
ちなみに私宛のラブレターは来た事がない。本当に3組の姫花さんと間違えているのだから呆れて溜息もつきたくなる。
嫌な予感しかしないが、今度はどこの誰だと差出人を確認する為に裏面を見やる。そして私は律儀にもしっかりと裏面に書かれている差出人の名前を確認して後悔した。
関口優翔。
そこには私の想い人の名前が書いてあった。
1年生の時に同じクラスになった関口君。明るくて優しく、爽やか好青年。いつもクラスの中心にいる人気者な彼と隅っこでひっそり読書をしている私。
そんな彼が2学期の初めから私に話し掛けて来たのは単なる気まぐれか何かだと思う。
それかクラスに溶け込めていない私をどうにかして欲しいと担任教師が学級委員である彼に頼んだのかもしれない。
重たい教材を運んでいる時に手伝ってくれたり、園芸委員である私の仕事を一緒にやってくれたり、体育で捻挫した私に保健室まで肩を貸してくれたりと挙げたらきりがないくらい関口君は優しく接してくれた。
彼は誰にでも優しいから自惚れるな、好きになっては駄目だと自分に言い聞かせていたのも虚しく、私は彼を好きになってしまった。
勿論告白する勇気なんて持ち合わせている筈もない。
2年生になって関口君とはクラスが離れてしまったことに内心がっかりした。
私は1組で彼は6組。3クラス合同授業である体育でも離れた。
これは話す機会がなくなるかと思いきや、結構な頻度で移動教室の時や食堂でばったり会う。
その度に「偶然だね」と関口君から言われるのであのエンカウントは偶然なのだろう。
「で、誰からだったの? ……って、関口じゃん」
「うん……。関口君って3組の姫花さんが好きだったんだね……。あ、丁度姫花さん来たみたいだからこれ渡して来るっ!」
「ちょっと姫花?! それは──」
明ちゃんが何か言っていた気がするが、私は3組の姫花さんが昇降口に入って来たのが分かったので彼女のもとに向かった。
ローファーを下駄箱にしまい、上履きに履き替えている彼女に声を掛ける。相変わらず彼女は美しい。
「姫花さん、あの……また姫花さん宛のラブレターが間違って入ってました」
「また? 一体どこの馬鹿なの。間違えるくらいなら面と向かって呼び出して欲しいよね。そもそもラブレターなんて女々しい。男らしくない! ひめちゃんもそう思わない?」
「ええっと……。そ、そうですね?」
姫花さんは結構毒舌というか、言いたいことをはっきりと言うタイプの女性だ。本能的に生きてるっていうのかな? 私はそんな彼女のことを嫌いになれなかった。ちょっとキツいけど素直で良い子なのだ。劣等感はあるが、彼女との仲は良好だ。
私が関口君のラブレターを姫花さんに渡すと、彼女は差出人の名前を見て眉を顰め、中に入っていた手紙に目を通していくにつれて綺麗な顔がどんどん歪んでいった。
一生懸命書いたのであろう関口君のラブレターは無惨にも彼の想い人の手によってぐしゃぐしゃにされてしまっている。
「あの馬鹿! ラブレター出すなら相手のクラス名もしっかり書きなさいよ! しかも何この茶封筒?! 馬鹿だわ。ほんと馬鹿! ラブレターなんて女々しくて小賢しいこするからこうなるの。仕方ないから呼び出されてあげる。ゆうのがっかりする顔を拝むのも楽しいかもしれない。ひめちゃん、ありがとう。しっかりとゆうには言っておくから」
「えっと……は、はい?」
つまりどういうことだろうか。
姫花さんは関口君を渾名で呼び捨てにするくらい仲が良いけれど彼のことは異性として好きではないので告白を断るよと言っているのだろうか?
彼女に聞こうとしたが、既に禍々しいオーラを放ちながら教室に向かい始めていたので無理だった。
同じ方向であるけれどあの様子の彼女に話し掛ける勇気はないからそのまま大人しく1組の教室に入る。
廊下側の一番後ろにある自分の席に着けば、1つ前の席に座る明ちゃんが私の机に肘をついて一言。「不憫でとても可哀想」とだけ残して前を向いてしまう。
──それは私のことを言っているのかな?!
自分の想い人である彼のラブレターを律儀に彼の想い人である彼女へ届けた私が不憫で可哀想と言っているのか。
確かに私も馬鹿だなとは思う。姫花さんに渡さないという手もあったのに届けたのだから。
その日の授業は全く集中出来なかった。
今日は偶然に関口君と会うこともなく、いつの間にか放課後になっているし、いつの間にかあの長い坂道を下って電車に乗り、家に帰って来ている。今しがたご飯とお風呂も済んで自室のベッドにいる状態だ。
「……はぁ。好きな人から間違いでラブレターを貰ってそれで失恋するとか」
関口君の呼び出しはどうなったのだろうか。
姫花さんの口振りからして彼は振られる。それにちょっとホッと安心している自分がいた。尤も失恋したことに違いはないのだが。邪な気持ちが垣間見た気がしてそんな自分が嫌になる。
「……好きな人が好きな人に振られて喜ぶなんて最低だ」
悶々として今日は眠れず青い空を迎えることになるなと思っていたが、普通にぐっすりと眠っていた。
どうやら自分は結構図太い神経をしていたらしい。
昨日と同じく今日も太陽はせっせと自分の仕事とばかりに照っていた。まだ正午でもないのに頑張り過ぎだ。
昇降口に着く頃にはまた汗だくだろう。その前にまずは地獄の坂道を上らなければならない。朝からほんとにハードだ。
「伊藤さん、おはよ……」
「お、おはよう……関口君。えっと、何か用ですか?」
べっとりと額に前髪を貼り付けながら1組の下駄箱に向かえばそこには関口君がいた。私を見るなり彼は挨拶をした。その顔は何やら疲れているような、悲しんでいるような……。なんとも言えない複雑な表情。
姫花さんに振られたからだろうか?
しかしながら何故6組の彼が1組の下駄箱にいるのか分からない。
もしや姫花さんは彼がラブレターを間違えて私の下駄箱に入れていた件を本人に話してしまい、私に謝りに来たとか?
そんな態々言いに来なくても……。
謝られたら余計心が折れそうだ。間接的に失恋している私としては辛い。
「あ〜あのさ、今日の放課後時間ある?」
「えっと、……特に予定はないです」
「じゃあ帰りのHRが終わったら旧校舎裏に来てくれないかな? 絶対来てね! 1人で来てね!」
「は、はい!」
彼の必死の形相に思わず頷いてしまう。私の返事に安堵した彼はそれだけ告げると颯爽と消えた。
これって……もしかして──。
「もしかしたりしちゃうのでしょうか、明様」
「そりゃあ、姫花。どう考えてもアレしかないんじゃない? 告白」
「みなまで言わないで……」
「ああ。もう一つあったわ。リンチ?」
「それは怖いよ……」
明ちゃんが教室に来るなり私は下駄箱での出来事を相談するも最終的には頑張れで終わった。
そうだ、期待をしてはいけない。痛い目を見るのは私だ。それに昨日姫花さんに告白した関口君が次の日には別の女子に告白する筈がない。そういう人もいるのだろうけれど、彼に限ってそれはない……と思いたい。
私の好きになった人だ。そんな軽い男の子ではない。信じなければ。
(……となると必然的にリンチな訳だ。いやいや、関口君は不良でもないし……)
結局その日の授業も集中出来なかった。
あっという間に放課後だ。早すぎる。
「じゃあ、明ちゃん。い、逝ってくる……。本当にリンチだったらどうしよう。やっぱり明ちゃんも一緒に……あ、先生に言ったほうがいいのかな」
「大丈夫だから。彼に限ってリンチな訳ないから。安心して逝ってらっしゃい。」
「リンチじゃないなら何で呼ばれたのかな……」
「いいからとっと逝ってこい」
明ちゃんの対応が塩だ。人ごとである。いや、確かに明ちゃんにとっては人ごとなんだろうけれど。
半ば強引に追い出されて約束の場所である旧校舎裏にやって来た。私がもたもたしていたからか、そこには既に関口君がいた。
辺りを見る限り私と関口君の2人しかいない。まずはリンチではなさそうだと息をつく。
「よかった。来てくれて」
「お、お待たせしました。それでその、私はどうして呼び出されたのでしょうか……」
「えっと……まずはごめん。昨日のラブレターについて謝らせて」
関口君はそう言って私に頭を下げた。明ちゃんのリンチ発言に忘れてしまっていたが、その件があった。彼は本当に私の下駄箱に間違えてラブレターを入れてしまったことを律儀に謝りに来たようだ。好きな人から直でその事を謝られて心折れそう。
「せめて伊藤さんのクラス名もきちんと書いておくべきだった」
「だ、大丈夫です。ちゃんと3組の姫花さん宛だって気付いたので」
「だから違うんだ! おれがラブレターを渡したかったのは君だよ! 2年1組の伊藤姫花さん」
「…………え。3組の姫花さん宛じゃあ……」
「違う違う! 有り得ない。アイツはただの幼馴染みだから」
「お、幼馴染み?!」
関口君が姫花さんと幼馴染みだなんて初耳だ。そうか、彼女が親しげに呼んでいたのはそういうことだったのか。
関口君と姫花さんは単なる幼馴染みで、彼がラブレターを渡したかったのは私で。……私にラブレターを……。私にラブレター……。つまり、昨日のラブレターは私宛?!
「〜〜っ?!」
「ちょ、伊藤さん? 話を続けても大丈夫?」
声にならない呻き声を上げている私を心配そうに見ている関口君。一旦落ち着こう。ゆっくり深呼吸だ。吸って、吐いて。また吸って吐いて。
「だ、大丈夫です……。どうぞです」
「……ほんとは昨日、君を呼び出して告げるつもりだったのにアイツがぐしゃぐしゃのラブレターを持ってやって来るし、こてんぱんに怒られた挙句笑われたんだ」
「す、すみません。私の早とちりでご迷惑を」
「おれもクラス名を書き忘れたのがいけないんだ。これ、改めて書き直そうとしたけど、やっぱり口頭で呼び出したほうがいいかなって思って」
関口君は制服のズボンから昨日姫花さんによってぐしゃぐしゃに握り潰された茶封筒を出してまたズボンにしまう。姫花さんが返品したのだろう。
「1年生の時に同じクラスになって、初めはおれの幼馴染みと同じ名前なのに全然系統が違う真面目で大人しい子だなってくらいにしか思わなかったんだけど、日直でもないのに消し忘れた黒板を一生懸命消したり、移動教室の時に忘れがちな戸締りをしたり、教材を運ぶのを手伝ったりしてて、気配りが出来る良い子だなって思って、気付いたらいつも影で頑張る君を目で追ってた」
熱を帯びた目で語る関口君にあてられて私の体温も上昇する。沸騰しそうなくらいだ。そんなに見られていたなんて知らなかった。
「見ているだけじゃ足りなくて2学期になってからは君に声を掛けた。意識して欲しくて積極的に下心ありで優しくしていたんだけど、多分君は気付いてないよね?」
「だって関口君は皆に優しいから……」
「そんなことはないよ。君にだけは異常な程構っていたし、クラスの皆は結構おれの気持ちがバレバレだったみたい。2年に上がってからはクラスが離れちゃうし、君と会うのに必死だったよ」
「ぐ、偶然って言ってなかったでしょうか?」
「あんだけ会っといて偶然なわけないじゃん。おれが君に会いたくて会いに行ってたんだよ」
渡り廊下を通る時に態と君に向かってボールを転がして拾ってもらったりと手で頬を掻きながら関口君は言った。
あれはいつだっただろうか。ひと月前かな。少しだけ昼休みを利用して美術の課題を進めようと旧校舎にある美術室に明ちゃんと向かっていた時だ。
渡り廊下を歩いていると、コロコロと転がってきたサッカーボールが私の足元にぶつかった。少ししてから関口君がボールを取りにやって来て、軽い談笑をしたのを覚えている。
あれも偶然ではなかったのかと驚いていると、目の前にいる彼は笑みを零した。
「おれが偶然って言ってるのを素直に信じちゃうし、何処か抜けてるし、ドジだし、放っておけない」
「な、なんか貶されてます?」
「そんなところも可愛いよってこと」
「か、かわっ?!」
「あ、また赤くなった。照れてる」
真っ赤であろう顔を見られないように両手で隠すが、関口君は左右から覗き混んで来ようとする。やめて下さい。熱くて燃え尽きてしまう。
私の抵抗も虚しく、顔を覆っていた両手は関口君の手に包まれていた。
「2年1組の伊藤姫花さん。おれは君のことが好きです。付き合って下さい」
「……はいっ。私も関口君のことが好きでした」
「……過去系?」
「い、今も勿論好きです……」
私の返答に満足そうに笑う関口君。こっちは羞恥で死にそうなのにっ。
「そういえばこれ、どうしよう。ぐしゃぐしゃなんだよね。役目を果たしてくれなかったし、捨てるか」
「だ、駄目です! 私が貰いますっ! 家宝にしますっ!」
捨てるなんて駄目だ。私宛の初めてのラブレターである。元はと言えばぐしゃぐしゃになってしまったのは私のせいである。
関口君からぐしゃぐしゃになったそれを受け取る。中身を読もうとすれば静止の声が掛かった。
「恥ずかしいから家に帰ってから読んで」
「関口君、照れてます? 顔が赤いです」
「うるさい」
こうして私は関口君とお付き合いすることになった。
その日は坂道を手を繋ぎながら帰って、家で彼からのラブレターを読んで悶え苦しんだ。
人生初めての私宛のラブレターは好きな人からということもあり、破壊力が凄まじかったです。
関口君Sideと明ちゃんか3組の姫花さん視点でその後の2人のイチャイチャ話(予定)も書ければいいなと思ってます。