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理想郷  作者: 赤田サチ
3/3

2 直樹

 私は空気の張り詰めた空間にいた。周りの人間は皆震えている。それにひきかえ、私は不思議と冷静だ。


「……金をこれにつめろ! 早くっ!」


私のすぐそばにいる、全身黒い男が店員に拳銃を向けている。男はさっきからずっとこの言葉を繰り返している。店員は言われるがままに男に渡された黒いアタッシュケースに札束を詰め込んだ。


……ここは何処だろう? かつて来たことのある場所のような気がする。


「警察だ! 銃を捨てろ」


警察がこの場所の出入り口から入ってきた。……直樹? 警察の中に直樹がいる。何故……? 私の見間違いなのだろうか?


「こいつがどうなってもいいのかっ」


男が私の髪をつかみ、私を自分の方に寄せた。私は泣き叫ぶ。さっきまでの冷静な態度とは違う。男は焦った顔を見せる。私を突き飛ばした。引き金を引こうとした。


「危ないっ!」


……? 直樹……? あの声、あの顔は直樹に間違いない。やはり私の見間違いではなかったのだ。その瞬間、男は引き金を引いた。私は目を瞑った。しかし痛みはない。目を開け、飛び込んできた光景は、大量に出血している腹をおさえ、苦しそうに呻いてその場にうずくまる彼の姿だった。


「けがないか……?」


直樹は後ろを向き、私の方を見て尋ねたのだ。私は何も怪我を負っていなかった。言葉を発することが出来なかったため、首を縦に振った。


「よかった」


直樹は私にしか聞こえないくらいの小さな声で呟いた。その顔は微笑んでいた。私がそれを見届けると、彼の顔から表情がなくなり、ゆっくりとその場に倒れていった。


「いやだ――――――!」











 全身に汗をびっしょりかいていた。周りを見渡した。見慣れた場所だ。そばにあるこのルームライトや、赤い縁の写真たてに飾られた家族写真、壁に掛かっているお気に入りの壁掛け時計が、ここが紛れもなく自分の部屋だということを証明している。さっきまでいたあの場所ではない。……夢だ。それも十年前に鵜飼刑事から聞いた事件現場の様子を忠実に再現したような夢である。夢であって夢ではない。夢に見たあの場所は銀行だったのだ。どうりで行ったことのあるような気がする場所なわけだ。事件以後行ったことはないが、それ以前はよく足を運んでいた。


 あの夢で一つ確実に違っていたのは、直樹が庇ったという少女が私になっていたことだ。夢の中で直樹を殺したのは私だ。


 私は写真たての家族写真に手を伸ばした。その裏には直樹と一緒に写った写真を隠してある。その写真の日付を確認すると、十五年前のものだった。私が十九才、直樹が二十才――まだ若い私と私の知る直樹とさほど変わりない彼が楽しそうに写っている写真だ。背景は当時私が住んでいたボロアパートの一室だ。ギターが置いてある。まだ上京してまもない私にできた唯一の友達が撮ってくれたものだったが、彼女は元気にしているだろうか。


このころ私は、上京してギターで歌をうたっていた。人通りの多い東京の駅前広場で、自分が作詞作曲した歌をギターを使いうたっていたのだった。歌が大好きだった。上京する前、親には“そんな馬鹿げたこと止めろ”と言われた。“就職しろ”と。うちには娘を大学に行かせる余裕はなかったため、私に残された道は就職だけだった。しかし私は道をもう一つ増やした。それが上京して大好きな歌をうたい、歌手になることだった。親の反対を押し切り、お年玉を貯めて買ったギターを手に家を出た。


現実は甘くはなかった。全くの素人の私に足を止める者などいなかった。皆忙しい。私の歌に耳を傾ける余裕などない。時々立ち止まる人と言えば、ベロベロに酔っ払った中年のオヤジや、からかい目的の若者だった。もう自棄やけになっていた。雨が降ろうが大切なギターを守ろうともせずに上を向いてひたすらうたっていた。



雨の日だった。一人の男が私に近づいてきた。関わりたくなくて、気付いていないフリをし、ひたすら歌をうたっていた。


「風邪ひく」


男が自分の傘を私の上にかざした。そのおかげで男の身体が濡れていた。それでも私は無視してうたい続けていた。


「こんな雨降り、歌なんか聞こえない」


男は悲しそうな顔をして私に言った。私はギターを弾く手を止め、うたう口を閉じた。私が俯くと、男は“持て”と言って自分が持っていた傘を私に無理矢理持たせた。彼はそのまま何処かへ消えた。


それから何日か経ってのまた雨の日のことだ。私はいつも通りギターを弾いて歌をうたっていた。蒸し暑い空気の中での冷たい雨は気持ちが良かった。


「あんた傘ぐらい持ってないのか」


聞き覚えのある声だった。何日か前のあの男だ。男はまた私の上に傘をかざした。


「冷たくて気持ちいいから」


私はギターを弾きながら答えた。男は“答えになってない”とぼやいたと思うと、少しよろめいた。私は男の腕を慌てて掴み、立ち上がってもう片方の手を男の額に当てて、


「熱がある」


と忠告した。その後自分のアパートにその男をあがらせ、看病した。見ず知らずの男だが、不思議と嫌な感じはしなかった。その男の名前は“君島直樹”。私がお世話になった傘男こそが直樹だった。



随分と長い間思い出に浸ってしまった。私を思い出に浸らせたこの写真を、カムフラージュのための家族写真の裏にしまいこんだ。起きたときは僅かに明るかった窓の外は、もう完全に明るくなっていた。朝が来た。直樹がいないいつもの朝が。また窮屈な一日が始まる。


ああ……今から始まるこの一日が夢であってほしい。



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