一
専門資格をとるために必須の講義が終わり、昼休みとなった。昼休みは十二時十分から十三時までで、ゆっくりと昼食をとっっていたらあまり時間が残らない。
隣の席に座っていた天水は鞄を置いたまま、弁当を買いに教室を出て行った。入れ違いに名雲が教室に入ってきて古泉の前の席に横向きに座った。体をひねって古泉の方を向く。 数分後、天水が戻ってきて三人で昼食を食べはじめた。大学生活も二年目となり、約束なんてしなくても昼休みに三人で集まるようになっていた。
食べ終えて他愛ない話をしていると、名雲がもったいぶるように鞄からプリントなどの紙を入れるファイルを取りだし、その中に入っていた薄っぺらいものを二人の前に置いた。
「えーっと、なんて言ったっけ。あれでしょ、太陽見るの」
「日食グラス?」
天水の疑問に古泉がこたえた。
「これを二人に授けよう」
「わーい」
天水は小さくバンザイをした。日食グラスには真っ黒なビニールがついていて、その下に太陽が欠けて元に戻る絵が描かれている。
天水は天井の蛍光灯に向けて日食グラスをすかしてみた、が、何も見えない。立ち上がり窓の方に歩いて行ったが、空は一面灰色の雲に覆われている。
「日食用だろうけど、普通の状態の太陽を見ても大丈夫?」
古泉が名雲に聞いた。
「たぶん。どちらにせよ長時間は見ない方がいいな」
「目がいかれる?」
「うん」
天水が日食グラスを机において座った。
「太陽が見えなかった。残念ながら」
古泉は日食グラスを観察しながら、思いついたように尋ねた。
「日食のメカニズムは何となくわかるけど、なんで皆既と金環の違いができるの?」
「あー、それ何かで聞いたことがある。でも忘れた」
天水は頼りにならないようだ。
「んー」
少し考えるようにしてから、名雲はファイルからプリントを取りだし、白紙の面のまんなかあたりに小さく『太』と書いて丸で囲んだ。
「丸太?」
「太陽!」
古泉の言葉を、名雲は手を休めずに訂正した。。
さらにその周りに大きい楕円をかいたが、気に入らなかったのか、かき直した。楕円の円周上に小さい丸と、その中に『地』という文字をかきいれた。
「太陽と地球が同じ大きさだ」
「細かいことは気にしなさんな。同じに見えるところから見ているってことで」
「どのへんから?」
「さあ?」
地球の周りに大きな楕円を横切るように小さい楕円を描き、円周上にまた丸をかいた。天水の言葉を気にしたのか、地球よりもさらに小さくかいたため、丸の中に文字が書けない。矢印の先で丸を示して、反対側に『月』と書いた。
「こんな感じで、太陽・月・地球が一直線に並んだときに日食が起こるわけだ」
「うん」
名雲の言葉通り、文字の書かれた丸三つは横一線に並んでいる。
「で、さっき古泉が言ったことだけど」
そう言って、名雲は大きい方の楕円をシャーペンで指しながら説明を続ける。
「惑星の軌道は楕円形だから、円周上の位置によって地球から太陽や月までの距離が変わるんだ。まあ、実際はこんなはっきりした楕円じゃないんだけどね」
「へー」
天水はわかったようなわからないような相づちを打ち、古泉は頷いた。名雲は二人に目を向けてから続ける。
「太陽までは距離がありすぎるから見た目にあまり変化がないんだけど、月は一番近いところで約三十六万キロ、遠いときで四十万キロくらいだから。近いところで並ぶと太陽より大きく見えて皆既日食になって、遠いと太陽より小さく見えるから金環日食になるね。それと、少しずれたら部分日食だ」
「だいたいわかった、たぶん」
と天水が言った。
「興味があるなら家のパソコンにシミュレーターが入ってるから」
「名雲の家ってどこだっけ」
「県庁の近く」
「よし、じゃあ行こう。明日」
日食グラスの注意書きを読んでいた天水が言った。
「明日って、いきなり」
「うん。おっけー」
「いいんだ」
「それじゃあ決定ということで」
昼休みが残り五分となり、三人は教室をあとにした。
四時間目の講義が終わって外に出たとき、空は半分くらい晴れていて、これから沈んでゆく太陽が輝いていた。天水は日食グラスを通して太陽を見た。
「どう? 見える?」
一緒に校舎を出た古泉が聞いた。初夏の空を、何羽かの鳥が左右非対称の隊列を組んで飛んでいた。
「形がはっきり見える。すごい」
古泉は日食グラスを受けとって、正面の太陽を見た。輪郭をぼかす光がなく、一回り小さく見えた。
「見える見える。プロミネンスが見えた」
「まじで!?」
春の終わりの、ある金曜日のことだった。金環日食は次の月曜日に起こるらしい。