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5 ポケットの中の飴

ようやく嗚咽がおさまった時には、結構な時間が経っていたように思えた。

我に返った私は袖で濡れた頬をぐいっと拭い、まだ抱きしめてくれている先生の胸を力の入らない手で押して身体を離した。


「す、すみません、先生。お忙しいのに、引き止めてしまって」

恥ずかしくて顔をあげれずに俯いたままでそう謝罪すれば、ぽん、と頭に手が乗せられる。

「構わない」

「でも、服・・・濡らしちゃったんじゃ・・」

「白衣のボタンをかえば見えない」

先生の顔は勿論見えないし、相変わらずの無愛想な声だけど・・。

気にするな、と頭を撫でる手はとても暖かい。

ガタン、と椅子が引かれる音と、離れていく靴の音。


「あ、せ、せんせいっ」

急に行ってしまう先生に慌てて声をかける。

けど、何を言えばいいのか分からなくて、続く言葉が出てこない。

どうしよう、と焦って考えていると、ジャーっと水の流れる音と、またこちらに向かってくる靴の音が耳に入ってくる。

先生が行ってしまったのではないことにほっとする。

「目を冷やすといい」

「あ、・・・すみません」

濡れたタオルが渡され、私はその通りにした。

泣いたことは他の人には知られたくない。

熱を持った顔にひんやりとした冷たさが気持ちいい。


「・・・目のこと、しばらくは親に黙っていてもいい。そのかわり、俺とのリハビリを全力でやるなら、だ」

先生の言葉に驚いて、声の方に顔を向けたらタオルが布団の上に落ちた。


「わ、私、精一杯、頑張ってやります! ありがとうございます、先生」

よかった、とりあえずお父さんには黙っていてもらえる。


「・・今日はゆっくり寝るんだな。また明日来る」

タオルが顔に戻され、ぽんぽん、と私の頭を撫でられる。

「どこか痛んだり・・少しでも異変があれば、俺を呼べ。いいな」

そう言って先生は部屋を出て行った。

少しぬるくなったタオルの下で、目を閉じ、私は大きく息を吐いた。





・・いっぱい、泣いてしまった。

こんなの、いつぶりだろう。


病室のベッドで、母が亡くなったと聞いた時には、泣けなかった。

父が、辛そうに手で顔を覆いながら話すのを、呆然と眺めていた。


私が集中治療室にいる間に葬式も終わってしまい、母に別れも告げれなかった。

取り残されてしまったように、母が死んだという実感がない。

今でも、ガラッとドアを開けて母がやって来るんじゃないかって・・、

そんな気がしてる。


目が、見えなくなった時にも、泣かなかった。

自分が望んだことだったし、仕方ないとすぐに諦め、受け入れた。

見えないことの恐怖より、周りの人や父に知られないようにと、そればかり考えていた。


自分の許容範囲を越える出来事が立て続けに起こって、どこか他人事のように感じていた。

今日、こうして泣いて、初めて現実として受け止めたように思う。


明日からはきちんと向き合っていこう。



音楽でも聞いて少し眠ろうと、枕元にあるプレーヤーに手を伸ばすと、カサリと音を立てる物に指が触れる。

そっと指でなぞる。形から、飴のようだ。

さっきまでなかったそれを、包装をとってころんと口にいれる。

甘い。ミルクキャンディーだ。

さっきまでなかったこれを置いて行ったのは、間違いなくさっきまでここにいた坂口先生ということになる。


・・先生って、いいひと、なのかな。すごく。


無意識に頬が緩んでいた。

いっぱい撫でてもらっちゃった。大きな、あったかい手で。

私、子どもみたいに泣いたのに、呆れたりしなかった。

俺を呼べって。返事も聞かずに行っちゃった。

医者としては間違いなくいけないことなのに、お父さんに黙っててくれるって言ってくれた。

・・・優しいひと、なんだろう。

しゃべり方はあんな風だけど。

コワい顔の先生のポケットに飴玉が入っているのを想像して、くすっと笑ってしまった。



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