42 これまでのこと
慎兄ちゃんはリビングの椅子を引き、嶋田さんにどうぞと勧めた。
「自己紹介がまだだったね。僕は河合慎吾。
ご存知の通り、内科の先生をしている綾乃ちゃんの従兄弟のお兄さんです。
こっちは坂口先生。テツはリハビリの先生で、綾乃ちゃんの彼氏だよ。
怪しい人でも怖い人でもないから。二人のお付き合いも父親公認だしね」
にっこり笑って、さらりと説明する慎兄ちゃん。
それだけで嶋田さんの先生に対する敵意が和らいだようだった。
冷蔵庫にジュースも昨日総司さんが持って来たケーキもあるから好きなだけ食べてね、と慎兄ちゃんは私に言い、嶋田さんにも笑いかける。
「じゃあ、僕らは部屋にいるから、ごゆっくりどうぞ」
「待て、シン」「はいはい、行くよ、テツ」
慎兄ちゃんはムッとした先生を窘めながら引っ張って行った。
手早く飲み物とケーキを用意して席に着くと、「で?」と嶋田さんは笑って首を傾げた。笑っているのに目は笑っていない。
「何か私の知らない間にものすごく大変化があったみたいね、綾乃。
・・・話して、くれる?」
「は、はい」
否定の言葉は許されなさそうな目だった。
私は、もごもごとこれまでのあれこれを説明した。
事故で怪我をして、目が見えなくなったことと、そのワケ。
先生達が不自由な生活を支えてくれたこと、先生がいたから母の死と向き合うことができたんだ、と。
あれも言わなくちゃこれも言わなくちゃと頭の中はぐるぐるで、順序も飛び飛び、とても上手く説明できたとは言えないだろうけど、
嶋田さんはじっと黙って聞いていてくれた。
「あの、ごめんね、嶋田さん。
その、・・ずっと連絡取らなきゃって思ってたんだけど、その、気持ちの整理がつかなくて」
「謝らないでよ。しょうがないわ、そんなの。大変だったのね」
嶋田さんは少し眉を寄せて微笑んだ。
「ホントは頼って欲しかったけど。でも今は綾乃の元気な姿が見れただけでほっとしてる」
・・・と言った途端に、思いっきり嫌そうに顔を歪めた。
「それがあの男のおかげってのが癪に触るけど。
綾乃を支えた先生ってさっきのあの男よね。 大丈夫なの? あの男。
極道とかじゃないわよね? 綾乃、弱みを握られてるとかじゃないわよね?」
後半は私の耳に寄せてヒソヒソ囁く。
「も、もう、嶋田さん。先生は見た目は強面かもしれないけど、ちょっと無愛想かもしれないけど。
でも、でもね、すごく優しくて、何でも頼れちゃうし、素敵で・・・!」
嶋田さんがあんまり酷い事を言うから、ちょっと強めに反論した。
そしたら、嶋田さんは目をパチパチさせて私を見た。ハッとする。
私、今なんて言った? なんかすごく恥ずかしいことを言ったような・・!
思わず口を抑えるけどもう遅い。
嶋田さんはニンマリと笑う。
ぼんっと一気に顔に熱が集まった。
「ほうほうほう。綾乃の口からそんなアツい言葉が聞ける日が来るとは!」
向かい合って座っていたのに素早く隣に移動してきて、うりうりと私を肘でつつく。
「初カレ、だもんね。おめでとう。彼氏なんていらないよーって言ってた
綾乃ちゃん、ただいまの心境は? 幸せですかー?」
ふざけた口調で聞いてくる嶋田さん。
こういうやり取りはいつも他の子達がしてるのを横目で見てるだけだった。
男の人どころか他人とうまくしゃべれない私には縁のないやりとりだな、なんて思いながら。
きっと嶋田さんは知ってる。
私が密かにこういうのに憧れてたことを。
マイクみたいに握って目の前に出された手をそっと掴んで答えた。
「・・・とっても幸せ、デス」って。
嶋田さんは、はあーっと大きなため息をついた。
「可愛い綾乃を渡すのは悔しいけど、綾乃が幸せなら仕方ないか」
ブチブチと文句を言った後、嶋田さんはパチリとウインクして、よかったねって
言ってくれた。