40 ごめんとありがとう
目が見えるようになっても私の携帯は、電源を落としたままにしている。
鞄の中にそっと手を入れるとコツンと固い物に当たる。けど、それを取り出す勇気が出ない。
・・・ずっと避けてしまっている嶋田さんに、連絡を取らなくちゃ。
でも、何て言おう。
もう、私のことなんて気にしてないかもしれないし、かえって迷惑かも・・・。
でも、このままじゃ、ダメだし・・。
結局、その堂々巡り。うじうじしてばかりの自分が嫌になる。
ため息をついて、鞄を見ないように部屋を出た。
リビングで英語の本を読んでいると、先生が早番を終えて帰ってきた。
玄関に出迎えに行くと、先生は私を見てすごく嬉しそうに目を細めた。
「先生、おかえりなさい」
「ああ」短い一言。そして私を抱き寄せてキスをしてくれる。
先生と三時のティータイムに、昨日父が買って来てくれた焼き菓子を食べた。
父は一日病院で点滴を受けて夜にはもう家に帰ったらしい。
翔平さんは会社の近くのマンションに住んでいるので、しばらくの間、父の面倒もみてくれることになったそうだ。
家はずっと前からほったらかし状態だし、埃がすごいことになっているだろう。
掃除をしにいかなくちゃ。
それに、学校の物も、取りに行かなくちゃいけない。
学校・・・。嶋田さん・・・どうしよう・・
「アヤ? 難しい顔して、どうした?」
悩んでいたら、一緒のソファで本を読んでいた先生が顔を覗き込んでた。
「あの、目も、治ったから、・・学校に復帰しなくちゃって思って、ます」
「あー・・・、ああ。そうだな」
先生は、はっと大きくため息をついて私を抱き寄せた。
「休みの日に家にいてもアヤがいないんじゃ意味がないな。
平日の休みを返上して土日に休みをもらえるように院長に頼んでみるか」
なんて呟いてる。
「それで、何か問題あるのか? 勉強なら見てやるぞ」
「あ、ありがとうございます」
勉強は通信教材でもともと学校よりも進んだところをやっていたから、あまり問題ないように思う。
それよりも、やっぱり嶋田さんのこと。どうしようかな。
また物思いにふけってしまい、ハッとすると先生が私をじっと見つめていた。
「あの、えっと、私のことを気に掛けてくれてる親切な方がいまして・・」
「男か?」
「い、いえ!? あの、もちろん女の子です」
「そうか」
「私、人と話すのも苦手で・・・、あまり友達もいなくて。でも、嶋田さんは、いつも私に話しかけてきてくれて。とても、明るくて優しい人なんです。
・・事故の後も、何度も来てくれていたんです。
でも、私は、嶋田さんに、もう来ないでって。ヒドイことを言ってしまって。
その後、携帯もずっと電源を切っているので・・・。
その、今、どうしたらいいのか、わからないんです」
突然連絡の途切れてしまった私のこと、怒っているのか、呆れているのか、嫌われてしまったか・・・。考えると怖い。
また視線が下がる。
ポン、と頭に大きな手が置かれた。顔を上げると、
「謝ればいい」と先生は一言。
シンプルな助言。まあ、それはそうだろう。
「俺は、人付き合いは苦手だ。人の気持ちもよく分からない」
先生は眉を寄せて首の後ろを掻きながら言った。
「シンが、教えてくれた。ごめんとありがとうが基本だと。
悪いと思ったらすぐに謝れ、何か自分のためにしてもらったら礼を言え、と。
あいつは人付き合いが上手いから、きっとあいつの言うことは正しい」
すごく自信たっぷりにそう言う先生。
その姿は、・・小さい子が、教えてもらったばかりのことを自慢気に教えてくるのとよく似てる。
こんな風に思ったら失礼だろうけど、先生かわいいって思った。
「はい。そうですね。私もそう思います」
口元が緩む。先生のこういうところ、好きだなあ。
なんていうか、素直なところ。
確かに、まずはそれをしないと何も始まらない。
「私、電話してみます。嶋田さんに謝って、お礼も言います」
「ああ」
「・・先生? あの、私、電話を・・」
立ち上がろうとしているのに、私の腰に回された先生の腕が離れない。
「まあ待て。もう少し」
「んっ・・」
先生がもう少しって言って、少しで終わったことはない。
キスはいつだって食べられちゃうんじゃないかってくらい情熱的で、
それだけで頭がくらくらする。
「・・・アヤ、このまま抱いていいか?」
先生!? ちょ、よ、欲望に素直すぎるのは、正直困ります!
私、今、電話するんですってば!




