4 涙
私は顔を上げ、先生の声に視線を合わせた。
ちゃんと目が合っているかは分からないけど。
「・・先生、お願いです。父には言わないでください」
ぺこりと頭を下げると、私の手に置かれた先生の指にぐっと力が篭もるのを感じる。
先生が何かを言う前に、私は口を開いた。
ここで先生を説得できなければ、今日までの私の行為は無駄になる。
「父を、これ以上悲しませるようなことはしたくありません。
最近、やっと笑ってくれるようになって・・・、落ち着いたようなのに、このことを知ったら、父は、・・・また苦しんでしまう。だから・・」
「父親には、ずっと黙っているつもりなのか?」
さっきほどの鋭さはないものの、先生の問いかけに身体が小さく震える。
「知られたくない、です。昨日の検査で、視神経などの検査では異常は何も見られない、と言われました。精神的なものなんです。
手術して治るとか、そういうものでもないんでしょう」
「だが、いずれはバレる」
「大丈夫です。こうやってじっとしてれば意外と気づかれないものです。
現に、先生にしかバレてないわけですし」
必死で訴える。
でも先生は低い声でこう返してきた。
「駄目だ。それじゃあ状況は悪くなる一方だ」
「え・・・?」
「いいか。自分の意志で動かずにじっとしているのと、身体の自由が効かなくて動けないのとでは意味が全然違う。
片足での歩行はもう一方に負担がかかりすぎて、何年か経てばもう片方も痛みがでて、いずれ歩けなくなる。
目が見えないなら平衡感覚が狂うから、余計に体に負担がかかるしな」
私はぽかんと口を開いたまま、絶句した。
そう、・・なの?
「それに、ずっと病院にはいられない。退院して家に帰ったとき、 歩行器での生活はお前が思っているよりずっと不便だ。
ずっと家に閉じ籠もっているつもりか?
そんなお前の姿を見て、父親が悲しまないと思うのか?」
返す言葉もない。
・・私は間違っていた?
ちゃんと色々考えていたはずなのに。
父を悲しませないようにって・・そう思って、いたのに。
頭の中でぐるぐると感情が回る。 黒いだけの視界が振り回されるようにぐらぐら揺れて気持ち悪い。
このままだと、私はどうなるの?
目も見えなくて、ろくに歩くこともできない。
一人じゃ何にもできない。皆に迷惑かける。
一生このままなの・・?
ずっと何も見えない真っ暗な世界で、生きていくの?
怖い・・
突きつけられた現実。
恐怖で体がガタガタ震え、口から浅い呼吸が忙しなく漏れる。
「・・っ」
突然、ぎゅむっと何かで全身を包まれた。
「子どもが一人で何もかも抱え込むな。何のために俺達医者がいるんだ。
・・泣いていい。痛い、苦しいって泣いて叫んで吐き出せばいい。
我慢するな」
そう言う先生の声はいつもと同じ低音の抑揚のない一本調子で、優しさなんてどこにあるのかちっとも分からない。
けど、頬に触れる布越しのぬくもりが、あたたかくて。
私が必死で壊れないように押し固めてきた壁は、あっという間に崩された。
「ふっ、うっ、うー、うー・・」
一度こぼれた涙は、あとからあとから溢れて。
唇を噛んでも嗚咽が漏れてくる。
背中に回された先生の腕は、力強くぎゅうっと私を抱きしめる。
父とは違う匂いに戸惑いながらも、私は顔を埋めて泣いた。
個室だから誰にも聞かれないと思うけど、唇を噛んで声を抑えた。
先生の大きな手が小さい子どもを宥めるように、頭を撫でてくれる。
何度も何度も。
それは、もっと泣いていいんだと言ってくれているようだった。




